ひぐらしのなく頃に〜後祭り編〜   作:村人A

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契約

 

 

 詩音が去った翌日、俺の拘束具があっさりと外された。

 

 今までの苦痛はなんだったんだろうとばかりに、あっさりだ。

 

 担当医が来て、いくつか質問して、カルテに何かを書いて、そのまま手首足首の拘束を解いた。久しぶりに動かした両手足は、思ったより言うことを聞く。白い布の跡が手首に薄く残っていて、自分の手のくせにどこか他人のもののように見えた。

 

 そこから先は、拍子抜けするくらい早かった。

 

 診察、問診、どこかから来た偉そうな医者との面談。聞かれたことには正直に答えた。嘘をつく必要もなかったし、正直に答えた方が早く終わるのは分かってる。

 

 退院の目処が立ったのは数日後。一週間後、という言葉を担当医から聞いたとき、嬉しくもなく怖くもなく、ただそうか、と思った。外に出ていいと言われた。頭では意味を理解している。でも実感が、どこにもない。

 

 外。

 

 この白い部屋の外に、世界がある。知っている。でも、どんな顔をしてそこに出ればいいのか——まるで見当がつかなかった。

 

 

 

 退院三日前。

 

 ドアが開いたとき、俺は反射的にそちらを見た。看護師じゃない。白衣でもない。灰色のブレザーと、ライムグリーンの髪。やっぱり。

 

「おや、まだ生きてますねぇ。感心感心」

 

 開口一番それか。

 

「……お前な」

「冗談ですよ、冗談。ご機嫌いかがですか圭ちゃん」

 

 詩音はそのまま遠慮なく病室に入ってくる。その後ろに、もう一人。黒いスーツ、サングラス、背筋の伸びた強面の長身。一度だけ会ったことがある。詩音の付き人——葛西、という名前だったはずだ。

 

 葛西さんは入り口のところで俺と目が合うと、無言で会釈した。穏やかな所作だった。でもその佇まいは、どう見てもカタギじゃない。初めて会ったときも思ったが、改めてそう思う。静かで、丁寧で、腰が低い。本当に強い人間というのは、こういうものなのかもしれない。吠える犬は噛まない、という言葉が頭をよぎった。

 

 詩音はベッドの横の丸椅子を引き寄せて、ためらいなく腰を下ろした。葛西さんは壁際に立ったまま、待機している。この二人の組み合わせを見ると、どこか妙な安心感がある。自分でも不思議だった。

 

「じゃ、圭ちゃん。三日後に退院を控えてるってことで、今後の説明をしときましょうか」

「……もしかして、これもお前の計らいなのか?退院の話」

「ふふ、ヒミツです」

 

 ということは肯定も同然だ。こいつは一体どこまで手を回しているのか。これも園崎の力ってやつなのか?

 

「退院したら、圭ちゃんには私と同じマンションに住み込みで働いてもらいます」

「マンション?」

 

 確かに衣食住を用意すると言ってたが……詩音のマンションといや、確か興宮にあるあそこだよな?魅音たちと以前行ったことがあったが……

 

「あ、同じ部屋で同棲って訳じゃないですよ?期待しちゃってた所悪いですけど」

「あれ、園崎の所有物だったのか」

「……今のスルー、地味に傷つくんですけど」

 

 詩音がジト目でこちらを見る。何をスルーしたのかと一瞬考えて、同棲の件か、と気づいた。が、特にフォローする気にもなれない。

 

 奥で、葛西さんがわずかに表情を緩めた。くすり、という感じの。

 

「葛西?今笑いましたね?」

「滅相もない」

 

 サングラス越しなので分かりにくかったが、強面な反面、意外と柔らかい人なのかな。

 詩音は唇を尖らせた。それからこほん、と咳払いをひとつして、話を続ける。

 

「んでもって、圭ちゃんには約三週間後から私と同じ学校に通ってもらいます。無論同じクラスで」

「……学校?」

 

 学校。教室。そんなものが今の俺に必要なんだろうか。というか、そんな事をしている場合なのだろうか。

 

「言いたいことは分かりますけど、これも契約条項なのでノーとは言わせませんよ?今の圭ちゃんにとっては必要なことと判断しました」

「契約書もないじゃないか」

「そうですよ?なので今後も口頭で追加されてくかもしれません⭐︎」

「……はは」

 

 とんだ契約だ。その辺の詐欺の方が可愛いんじゃねーかなコレ。

 

「なお、この契約には異論反論異議異存は基本的に受け付けないのでそのつもりで」

 

 全部同じ意味じゃねーか。

 

「俺の人生はお前のもんだからな。異論はねえよ」

「……あの、だからその言い方、誤解を生みかねないんですけど」

「事実だろ?」

 

 詩音が黙った。代わりに今度は葛西さんが、さっきよりはっきり笑った。堪えきれなかった、という感じで。

 

「葛西?」

「失礼。詩音さんがあまりに楽しそうなので、つい」

「全然そんなことありませんっ」

 

 病室に、妙に和やかな空気が流れた。こんな空気、いつぶりだろう。……本当に、いつぶりなんだろう。

 

「……で、学校の話だけど」俺は続きを促した。

 

「本当は一つ下の学年だろ、俺」

「ええ。でも同じ学年のクラスにします。カモフラージュにもなりますし、まぁ転入までの三週間で頑張って追いついてもらいます。私も協力しますんで」

 

 これでも、結構成績優秀なんですよ?

 詩音はそう言って胸を張った。しかし、学年を考えると高校一年ということになるのか……まぁ、それなら。

 

「……多分問題ねえよ。中学までの範囲なら、東京にいた時に全部終わってるから。高校の範囲も多少は手を出してたし」

「え」

 

 詩音が目を丸くした。

 

「もしかして圭ちゃん……こう見えてすごく頭良い、とか?」

「どう見えてたんだ」 

「聞きたいですか?」

 

 ニヤリと不敵に笑む詩音。碌な答えが返ってこなさそうなので首を振って拒否しておく。

 

「俺、向こうだと結構ガリ勉だったからな。何学年も上の勉強してたんだよ……」

 

 言いながら、ふと、東京での記憶が浮かんだ。勉強ばかりしていた頃のこと。そしてあの事件のこと——エアガンで起こした、あの事件。取り返しのつかない悪行。規模は違えど、村を無差別に殺したのと大差のない悪行だ。どれだけ赦しを乞うても、赦されはしない。いや、赦されてはいけない。

 結局俺は──あの頃から、何も変わってなかった

 

 ふつふつと、胸の奥底から黒い泥のような感情が滲んでくる。ふと、意外そうにこちらを覗き込んでくる彼女と目があった。

 

「……今世紀初めて圭ちゃんを尊敬したかもです」

「そりゃ光栄だな」

 

 皮肉を返すくらいには、安定してきた。自分でも分かる。重たいものは消えていないけど、詩音と話している間だけ、何かが少し、軽くなる気がした。

 

「あと、名前を変えてもらう必要があります」

「名前?」

「前原圭一という名前は、大災害の唯一の生き残りとして大きく報道されてますから。マスコミが血眼で探し回ってるんです」

 

 それは、以前医師や看護師から聞いたことがある。ここにいることは誰にも公表されていないのだと……あれ?じゃあなんで詩音はここに俺がいるって分かったんだ?

 

「県外の病院に入院中という噂が流れてるので今のところこっちには来てないですけど、同姓同名だと気づかれる可能性がある。なので縁もゆかりもない名前にする必要があるんですよ」

「……けど、名前を変えるって簡単にいくのか。手続き、結構面倒なんじゃ」

「その辺は私たちに任せてくれれば大丈夫ですよ」

 

 葛西も静かに頷く。園崎の力というのは、つくづく凄まじいらしい。

 

「圭ちゃんは何も心配せず、とにかく退院に向けて余計なことをしないように」

「余計なこと、ね」

「分かってますよね?」

 

 釘を刺す目だった。拘束具がとれたからって、早まるなということだ。俺はゆっくりと、しかししっかり頷いてみせた。これは罰なのだと、彼女は言った。だったら、それは甘んじて受ける。アイツらへの──罪滅ぼしになんてなるはずもないけど。

 

「そういやさ、詩音。一ついいか?」

「なんですか。スリーサイズ以外なら大抵のことは答えてあげちゃいますよぅ」

「いやそれはどうでもいいけど」

 

 ジト目で睨まれた。冗談の通じない奴だと呆れられてるかもしれないが、あいにくとまだそんなに余裕がないので勘弁願いたい。

 

「この前、自分の立場がどうこうって言ってたけど、あれどういう意味だ?」

「あー、それはですねぇ」

 

 詩音は少し考えるような顔をしてから、「説明が長くなるので、退院したらちゃんと話します」と言った。どうやら複雑な事情があるらしい。

 

「では」と詩音は立ち上がった。

 

「三日後、迎えに来ますんで。それまでおとなしくしててくださいよ」

「あぁ。悪いな、色々と」

「いえいえ。私の為なんで、圭ちゃんに感謝される言われはありません」

 

 詩音は満足そうに頷いて、葛西と共に病室を出ていった。

 

 

 静寂が戻る。機械の音。窓の外の光。

 

 三日後。

 

 その言葉だけが、白い天井に向かってゆっくりと浮かんでいくような気がした。

 

 

 

 

 そして、退院日。

 

 約束通り、詩音と葛西さんは来た。病室に入ってきた二人を見て、ああ本当に出るんだなと。感慨深いわけでもなければ、実感が湧いた訳でもない。ただ現実が、一歩近づいてきた感じがした。

 

 退院の手続きは詩音と葛西さんがほとんどやってくれた。その間に俺は着替えた。葛西さんが用意してくれたらしいシンプルな私服で、久しぶりに病院着以外のものを身につける。袖を通したとき、なんか自分がよその人間になったみたいな、妙な感覚があった。まあ、ある意味よその人間になるんだけど。

 

 松葉杖も渡される。吊り橋から落ちたときの怪我がまだ完全には治っていないらしく、医者には無理するなと念を押される。自分ではほとんど気にしていなかったが、まあそういうことらしい。

 

 病室を出るとき、一度だけ振り返った。

 

 白い天井。白い壁。ベッドの柵のネームプレートは、もう外されていた。ただの空白。なんか、それが妙にしっくりきた。今の俺にはそれがちょうどいい気がした。

 

 廊下を松葉杖で歩く。詩音が隣、葛西さんが少し後ろ。看護師が頭を下げてくれて、俺も軽く頭を下げる。たったそれだけのやりとりで、ここにいた人間との縁が切れていく。さっぱりしてるな、と思った。人の繋がりってのはそんなもんか。

 

 エレベーターを降りて、ロビーを抜けた。自動ドアが開く。

 

 外の空気が、顔に当たった。

 

 五月の、少し湿った風。太陽の光が眩しくて、思わず目を細める。空が広い。病室でカーテン越しにしか見ていなかった空とは、全然違う。こんなに広かったのか——なんか間抜けな話だが、本当にそう思った。

 

 足が、止まる。

 眩しいからじゃない。空が広いからでもない。

 

 この空気を、自分が吸っていいのか。

 この光の中に、自分が立っていていいのか。

 

 千二百人が死んで──俺が殺して。なのに俺だけが生き残って、それでも世界はこんなに普通に続いていて——その中に俺が混じっていることが、どうしようもなく場違いに感じる。おかしい、こんなのはどう考えたっておかしい。

 

 また黒いものが、胸の奥から湧き上がってくる。抑えようとしたが、抑え方が分からない。

 

「どうですか、シャバの空気は」

 

 隣からやけに明るい声が飛んできた。

 

「人を囚人みたいに言うなよ」

「似たようなもんじゃないですか」

「……まぁ、確かに」

 

 思わず笑いが溢れて、少しずつ胸の奥のものが少しだけ引いていく。

 詩音はそれ以上何も言わなかった。けれどそれだけで、さっきまでの息苦しさが少しずつ薄くなっていく気がした。

 

「じゃ、行きますよ」

 

 詩音の言葉に頷いた。葛西さんが先に歩いて、黒い車のドアを開けてくれる。

 

 松葉杖をつきながら乗り込んで、シートに体を預けた。外の光が窓越しに差し込んでくる。エンジンが静かにかかって、車が動き始めた。

 

 病院が、窓の外に流れていく。白い建物が遠ざかって、やがて見えなくなる。やがて目に映ったのは、興宮の街。

 

 行き交う人。信号。舗装された道。どこかから聞こえてくる話し声。全部が知らない景色で、でも——悪くない、と思った。悪くない、というただそれだけのことが、今の俺にとっては十分すぎるくらいだ。まあそれで十分だろ、今は。

 

 

「さて」

 

 しばらく無言で走っていたところで、詩音が口を開いた。

 

「この前言ってた私を取り巻く事情ですけど、込み入った話なのでまずは簡単に説明しときますね」

「ああ、聞かせてくれ」

「今、私は園崎家の跡目争いの渦中にいます」

 

 跡目争い。ドラマや小説でしか聞いたことのない言葉が、耳を抜けていく。現実味がないのは俺が聞き馴染みがないからだけじゃない、言った本人が至って淡々とした口調だったからだ。まるで他人事みたいな。

 

「当主だった鬼婆——園崎お魎が大災害で亡くなりました。それから正統後継者だったお姉──あの子も亡くなった。当主と後継者、突如両方いなくなったわけです」

 

 そうか、そういや……そうだったな。園崎本家は村と一緒に……魅音。お前は今どこにいるんだ?教室であんな酷いこと言っちまったのに、俺は──お前にちゃんと謝れてもいなかった。

 

「今は年功序列で暫定の当主代理が就いてますけど、跡目争いが本格化すれば引き摺り下ろされるのは時間の問題ですね。水面下でもう動いてます」

「えっと……詩音の親は無事なのか?」

 

 園崎組は興宮が本拠地のはず。大災害の日に祭りにきていて、本家に泊まったりしてなければ……

 

「ええ。父も母も無事ですよ、綿流しの日に興宮に戻りましたから」

「そうか」

 

 安堵する。俺はまだ、村は自分のせいで死んだと思っているから……だからなんだ?少しでも罪を軽くしたいって?馬鹿馬鹿しい。

 

「けど、そうなら……確かお母さん、茜さんは当主の娘だろ?直系で正当な後継ぎってことにならない、のか?」

「本来はそうなんですよ。でも父との結婚を境に、鬼婆から勘当されてまして。後継にはなれない立場で」

「勘当って……でも雛見沢に来てたじゃないか、お母さん」

 

「表向きの勘当でしたから」と詩音は少し肩をすくめた。確かに魅音が次期当主という話もよく分かってなかったが、園崎にはいろいろな事情があるらしい。しかし勘当とは──

 

「優しそうな人だったけどな、印象では」

「どうでしょうね……優しいかどうか。まぁ、中途半端な人ですよ」

 

 親子なのに随分そっけない態度だ。まだまだ彼女たちには俺の預かり知らぬ事情がたくさんありそうだ。

 言葉の裏に何かあるのは分かったが、今は掘り下げる話じゃない気がしたのでそれ以上の追求はしないでおこう。

 

「ま、とはいえです。鬼婆が死んで勘当もクソもなくなった今、直系の血縁——母を推す声と、直系以外の実力者を推す声で割れてます。けど、母はそもそも園崎の方針にあまり賛同してる訳じゃないので後継には後ろ向きで。じゃあ詩音に、という流れになってきてるんですよ」

「マジでか」

「マジです」

 

 とんだ玉突き人事──といっちゃあまりにも失礼か。とはいえ、詩音の表情からはありありと面倒くさいという感情が読み取れる。

 

「お前はどうなんだ、当主とか興味あるのか」

「ないですね」

 

 即答か。隠す気もない。

 

「……ただ、悟史くんを探すためには園崎の力が使える。なので表向きは、やぶさかではない態度を取ってます」

「うまいこと利用しようってわけか」

 

「お互い様ですよ」と、詩音はさらりと言った。目的の為なら手段は選ばない、俺と再会した時に言った言葉を思い出す。

 

「で、圭ちゃんには葛西と一緒に悟史くんを探すためのサポートをしてもらいたいんです。私が動けない場面で動いてほしい」

「……」

 

 ミラー越しに葛西さんと目が合った。小さく頷いてくれる。頼もしいんだか怖いんだか、まあどっちもか。

 

「やるよ。それが契約だろ」

「あら、随分と聞き分けが良いですね。仮にもヤクザの内部抗争に巻き込まれるって事、理解してます?」

「流れに身を任せることにした。考えても仕方ないだろ、この状況じゃ」

 

 それに、だ。

 

「死に場所を求める、言わば無敵の男だぞ俺は。小指だろうが切腹だろうがなんでもござれだ」

「くくっ、なんですかそのセリフ。痛たたた……」

「うるせーよっ」

 

 言ってて自分でもちょっとだけ恥ずかしくて、頬が熱くなる。だが隣の詩音は満足そうに笑っているので……まぁ、いい。

 

 そうして車は静かに、興宮の街を走り続けるのだった。

 

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