ひぐらしのなく頃に─後祭─   作:通行人A'

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TIPS「詩音の野望」

 

 

 

 枕に顔を埋めて、私は足を、ばたばたと動かした。

 

 興宮のマンション。帰り着いて、お風呂も済ませて、あとはもう眠るだけ。だというのに、目が冴えて冴えて、どうしようもない。横になったところで、あいつの声が、頭の中で、何度も何度も、繰り返されるのだから。

 

 

 ――俺だけは、お前の側にいる。

 

 

 「――っ」

 

 思い出すだけで、顔が火を噴きそうになる。私は抱えた枕に、ぎゅうっと顔を押しつけた。

 

 ずるい。ずるいですよ、圭ちゃんの癖に。あんなの。

 

 世界中の何もかもが敵に回っても、なんて。あいつは、あんなに強く抱きしめた。逃げ場なんて、どこにもなくなるくらい、まっすぐに。

 

 ……嬉しくないと言えば、嘘になる。いいえ。嬉しい。悔しいくらいに。あんな言葉を、あんなふうに言われて、平気でいられる女の子なんて、いるわけがない。胸の奥が、ぎゅうぎゅうと締めつけられて、どうにかなってしまいそうだ。

 

 ……そう、今さらだ。今さら、この気持ちに、名前をつけるまでもない。

 

 

 好きなんですよ、ええ!悪いですか。前原圭一のことが、もうどうしようもかく、好きになっちゃったんですよ!!

 

 いや……そんなこと、もう、とっくに、思い知らされていた。誤魔化しようもないくらい、はっきりと。

 ただ──昨夜のあれで。もう逃げ道の一つも残らないくらいに、とどめを刺されてしまった。それだけの話だ。

 

 

 ……悔しい。

 

 

 むくり、と身を起こして、私は枕を、ぽすぽすと拳で殴った。

 

 なんで、あいつなんかに。よりにもよって、あの朴念仁の大馬鹿に。こんなにも、心をかき乱されなきゃいけないのか。しかもあいつときたら、無自覚なのだ。自分が今、どれだけ的確に、人の心のど真ん中を撃ち抜いたか。これっぽっちも分かっちゃいない。

 

 それが、悔しくて腹立たしい。

 

「……あんの、馬鹿」

 

 無自覚に、あんな殺し文句を吐いておいて。無自覚に、人をドキドキさせておいて。当の本人は、けろりとした顔でいつも通り。ああ、思い出したら、また腹が立ってきた。

 

 極めつけは、あれだ。

 後ろから、人のことを抱きしめて。世界を敵に回してでも、なんて、ほぼプロポーズみたいな口説き文句を、これでもかと並べておいて。それで私が、勇気を振り絞って聞いたのに。「私って、何なんでしょうね」って。

 

 あんな状況で。あんな雰囲気で。あそこまで言われたら。女の子なら誰だって……その、期待するに決まっている。

 なのに、奴は。あの晴れやかな笑顔で、言い放った答えが。

 

 

 ──恩人だ。

 

 

 思い出しただけで、こめかみが引きつる。あのときは目の前が真っ白になった。呆れとか、そういう生易しいものは、とうに通り越していた。気づけば手が、スタンガンに伸びていたくらいだ。あれはもう、条件反射というものだ。私は悪くない。

 

 こっちは、こんなにもあいつのことで、頭がいっぱいだというのに。当の圭ちゃんは、たぶん今ごろ、隣の部屋で、いびきでもかいて、ぐうすか寝ているのだ。

 ごろん、と、ベッドの上を転がる。ああ、もう悔しい。非常に悔しいっ。

 

 

 だいたい、ですね。あんなシチュエーションで、期待しない女の子が、どこにいるっていうんですか!

 

 もう、ゴールは目の前だったんです。例えるなら、そう、キーパーと一対一。……いいえ。一対一どころか、キーパーだって、とっくに抜き去っていた。あとはもう、無人のゴールに、ちょこん、と押し込むだけ。それだけで、良かったっていうのに!

 

 なのに、あの馬鹿は。シュートを打たなかった。打たないどころか、明後日を向いて、素振りを始めたのだ。信じられます?そんなことあります?

 

「……じゃあ、私から言えって、言うんですかっ」

 

 誰もいない部屋で、枕に向かって叫ぶ。

 

 私だって、女の子なんです。こういうのは、その、男の子のほうから、言ってくれたって、いいじゃないですか。言われたい。言われたいんです。それの、何が悪いんですか。

 

 もし。もしもですよ。あいつのほうから。圭ちゃんのほうから、どうしても、って。額を地面に擦りつけて、「頼む、付き合ってくれ」って。そこまでするのなら。……まあ。それなら。

 

「……考えて、あげなくも、ないですけど」

 

 ぽつり、と呟いて。私は、自分の言葉の意味に気づいて、また、かあっと赤くなった。

 

 

 ……何を、考えているんだ、私は。ほんとに、もう。あの馬鹿がうつったに違いない。

 

 枕を抱えたまま、ごろごろと、寝返りを打つ。

 そんなふうに、どれくらい同じようなことを考えていたのだろうか。しばらくして、私は、天井をぼんやりと見上げた。

 ひとしきり枕を殴って、じたばたして。そうして、暴れるだけ暴れたら。熱くなっていた頭が、少しずつ冷えてくる。かわりに、胸の底のほうに、静かに降りてくるものがあった。

 

 ……そうやって。全部、あいつのせいにして。腹を立てて、暴れて。そうしていられたら、どんなに楽だろうか。

 

 

 でも本当は──悪いのは、私だ。そんなことはわかりきっている。

 

 この数日。実家で過ごした、あの時間。私がどんな気持ちで、圭ちゃんの隣にいたのか。それを、いちばんよく知っているのは。ほかでもない、私自身なのだから。

 

 目を閉じる。瞼の裏に、あの、園崎の屋敷での日々が。ゆっくりと、順を追って、よみがえってくる。

 

 ……実家に行くと決めたとき。私はもう、腹を括っていた。

 

 ここで、二つ目の目的を打ち明けよう、と。園崎の家を。私の手で消し去るのだと。……そのために、あなたと、契約したのだと。ぜんぶ正直に話そう、と。

 

 これまで、中々打ち明けられずにいた。

 

 だって、園崎家は……私だけのモノじゃないから。圭ちゃんにとっても、思い出があるはずだ。お姉との、思い出が。雛見沢の思い出が。あの家には……多分、きっと。

 

 園崎家はお姉たちの生きた証がある、唯一の居場所だ。

 それを壊してしまいたいだなんて。そんな物騒で、身勝手な望みを伝えてしまえば……彼はどんな顔をするだろうか。

 呆れるだろうか。軽蔑するだろうか。それとも――こんな、恐ろしいことを企む女には、もう関わりたくないと。あっさりと、私の前からいなくなって、しまうだろうか。

 

 

 ……その可能性を。私は、どうしても、頭から、追い払えなかった。

 

 

 怖かったのだ。ほんとうは。ずっと、ずっと。

 

 

 ……いつ、言おう。どう、切り出そう。圭ちゃんは、なんて言うだろう。

 

 考えれば考えるほど。喉の奥が、ひやりと、冷たくなった。

 

 

 偉そうに。世界を敵に回す覚悟だの、命の危険なんて知ったこっちゃないだの。そう思っていても……いちばん奥のところでは、結局私は、ただの臆病な人間だった。圭ちゃんに嫌われるのが、いなくなるのが。怖くてたまらなかった。

 

 

 ……なんて、情けない。自分でも、そう思う。

 

 

 鬼を宿す園崎の女が。聞いて呆れる。たった一人に嫌われたくない、その一心で。ずっとびくびく、怯えていたのだから。

 

 

 でも――腹を括った。この帰省をきっかけにして、伝えるしかないと。

 

 もし。もしこれが。あの人と、笑い合える、最後の時間になるのなら。

 

 せめて、それまでは。

 精一杯。悔いの残らないように。楽しい思い出を。この胸にいっぱい、刻んでおこう、と。

 

 

 あの露天風呂でも、そう。

 

 お母さんが仕組んだ、ばかげた鉢合わせ。あのときは本気で肝が冷えたけど。でも背中を預け合って、母のことを、ぽつぽつ話しているうちに。気づけば私は、彼の背中に、そっと頭を預けていた。

 

 あんなこと、いつもの私なら絶対にしないのに。いや、そもそもそんなシチュエーション自体あるわけないんだけど。

 

 でもあの夜は、どうしてもそうしたかった。彼の背中は、思っていたよりずっと広くて、あたたかくて。ずっとこうしていられたら、と。柄にもなく、そんなことを願ってしまった。

 

 ……この温もりが、いつか消えてしまうかもしれない。そう思うと、余計に離れがたかった。

 

 大晦日の夜だって。

 

 わざわざ浴衣なんか引っ張り出して、髪まで結って。あんなの、圭ちゃんに見てほしかったからに決まっている。案の定、あいつはポカンとこっちを見てて、ざまあみろ、と思う反面、心臓は、はしたないくらい高鳴っていた。

 

 年越しの蕎麦をすすりながら、私は聞いた。「来年も付き人でいてくれますか」と。

 

 ……ずるい聞き方だと、自分でも思う。ほんとうに聞きたかったのは、そんなことじゃない。来年も、再来年も、その先もずっと。あなたはこの私の隣にいてくれますか、と。そう聞きたかったのに。臆病な私は、付き人という言葉に隠れて、それを確かめることしか、できなかった。

 

 彼が「他に行く宛なんてねぇ」と、ぶっきらぼうに笑ったとき。どれだけ救われたか、あいつは知らないだろう。

 

 初詣だって。

 

 「今日はデートってことにしましょう」なんて。柄にもなく、はしゃいでみせた。人混みで手を掴まれて、心臓が止まるかと思った。たこ焼きを、あーん、なんて。ほとんど、ただの口実だ。少しでも長く、楽しい時間を過ごしていたかった。それだけの浅ましい口実。

 

 絵馬にも、願いを書いた。圭ちゃんには、絶対に見せられない願いを。

 

 ──どうか、こんな日々が、一日でも長く続きますように。

 

 その願いは、裏を返せば。いつか終わるかもしれない、と。私自身が、いちばん、諦めかけていた証だったから。

 

 

 ……ぜんぶ、そうだ。

 

 

 あの数日、私が浮かべた笑顔の一つ一つ。はしゃいだ声の一つ一つ。その裏側には、ずっと、同じ怯えが張りついていた。

 

 これが最後かもしれない。彼は、いなくなるかもしれない。

 

 その不安を、必死に、笑顔で塗り潰しながら。私は一秒一秒を、この胸に刻みつけていた。いつか失うときのために。思い出を、かき集めておくみたいに。

 

 ……未練がましいにも、ほどがある。

 

 枕を抱えたまま、私は小さく、自嘲した。あんなに強がって。あんなに突き放して。その裏で、こんなにも、めそめそと。あの人の隣にいたいと、願い続けていたのだから。

 

 

 でも。

 枕を抱えたまま、私はそっと目を開けた。

 

 あんなに怯えていたのが。あんなに覚悟していたのが。全部、馬鹿らしくなってしまった。

 

 だって、圭ちゃんは……逃げなかったのだ。

 

 私はあの夜、彼を突き放した。この先、たくさんの人を敵に回すのだと。

もしかしたら、貴方の大切だったモノを傷つけてしまうかもしれない……そんなこと、言葉には出せなくても、あなたを巻き込みたくないと。逃げ道まで、こちらから作ってあげた。

 

 あいつが頷いてくれれば、それで綺麗に終わる。そういう筋書きを、用意してやったのに。

 

 彼は、その手を、掴んで離さなかった。

 

 ……私は、あんな恐ろしいことを、打ち明けたのだ。普通なら、理由を問い詰める。何を考えているんだと、詰め寄るか。あるいは、怯えて身を引くか。

 

 なのに、あの馬鹿は。

 

 「お前の事情なんて知ったことか」と、そう言った。

 

 どうして家を潰すのか。どうやって。その先に何があるのか。そんなこと、何一つ、聞こうとしなかった。ただ、私を抱きしめて。俺がお前のそばにいたいんだ、と。それだけを、まっすぐに。

 

 ……そう言われてしまっては、もうどうしようもない。

 

 私が、どれだけあの人を遠ざけようとしたって。それを圭ちゃんは、たった一言で。理屈でも、正しさでもなく。そばにいたいという、その気持ちだけで、まるごと、飛び越えてしまった。

 

 思い出すと、また、目の奥が熱くなる。

 

 あのとき、抱きしめられた瞬間。ずっと張り詰めていたものが、ぷつりと切れて。ああ、この人は、どこにも行かないのだと。そう分かった途端、膝から、力が抜けそうになった。

 

 ……もちろん、消えないものも、ある。

 

 悟史君のこと。魅音のこと。この胸の奥には、まだ、簡単には割り切れない澱が、いくつも沈んでいる。それは、たぶん、これから先も消えはしないのだろう。

 

 でも。それでも。

 

 今の私の胸を、いちばん大きく占めているのは。もう、疑いようもなく、彼だった。前原圭一というその存在が、気づけば、私の中の何もかもを、塗り替えてしまっていた。

 

 

 やはり……完敗だ。

 

 

 認めよう。完膚なきまでの、完敗だ。もう、溢れて、止まらない。この気持ちは、どうやっても、なかったことにはできそうにない。

 

 ……ふ。ふふ。

 

 なんだか、無性におかしくなってきた。もう、逃げるのはやめだ。

 私は、ゆっくりと、身を起こした。

 

 不安に怯えて、逃げ込むのは、今夜でおしまい。だって圭ちゃんが、そばにいてくれる。世界の果てまで、地獄の底まで、ついてくると言ってくれた。だったら、この私が俯いている理由なんて、もうどこにもない。

 

 ……よし。  

 

 枕を、ぽん、と傍らに置いて。私は一つ、決意を新たにする。

 

 新しい目的を、ひとつ、追加してあげます。決して圭ちゃんには明かさない、私だけのも三つ目の目的。いや、これは目的なんかじゃあない、野望だ。園崎詩音の野望……それは──前原圭一から、告白させること!

 

 あの天下の朴念仁を、骨の髄まで、この私に惚れさせて。彼のほうから、額を地面に擦りつけて。「好きだ、付き合ってくれ。君がいなければ僕は生きていけないんだ!」と。そう言わせてみせる。そして私は、それを、この上なく優雅に、かつ慈悲を与えるがごとく慈しみをもって、受けてあげるのだ。

 

 故に、こちらが先に堕ちている、圭ちゃんに惚れてるなんてことはおくびにも出してはいけない!ふふん、その程度私にかかれば余裕ですよ。

 幸いにして、圭ちゃんには勿論、周りにもまだほとんど気が付かれていないはずだ。大丈夫、私の作戦に穴などない。え?寝言は寝て言え?ええい、うるさいうるさい!!

 

 とにかく!徹底的に私の方がイニシアティブを取り、翻弄し、ドキドキさせ、篭絡してみせる!

 中途半端な結果なんていらない。目指すは完全勝利のみ!!圧倒的な武力を持って天下を制する、これが園崎のやり方です。

 

「くっくっく」

 

 ……こいつはなかなか、骨が折れそうだ。なにせ相手は恐竜よりも鈍感な男。絶滅危惧種よりも上位存在だ。ひょっとしたら、園崎の家の問題よりも、よっぽど手強い難敵かもしれない。

 

 でも、やると決めた。壁が高けりゃ高いほど、私は燃える女ですよ。

 

 天下の園崎家、次期当主候補。この、園崎詩音ですから。一度やると決めたら、梃子でも退きはしない。

 あ、その家を消すとか言ってたのは誰だ、とかそういう野暮なことは言わないで。今はそういうのは間に合ってますんで。

 

「……やりますよ。園崎詩音は、やりますよ」

 

 誰もいない部屋で、私は、ぐっと拳を握る。なんだか楽しくなってきたじゃあないか。

 

 窓の外、遠くの空がまだ真っ暗なまま。時計の針はとっくに十二の数字を超えている。もう、夜更かしは美容の大敵だというのに……圭ちゃんのせいで。

 でも。まあ。……今夜だけは、許してあげても、いいかな。

 

 そんなことを思って、私はもう一度、枕に、ぽふりと顔を埋めた。

 

 

 

 

 





六章までお付き合いいただき、ありがとうございました。完結までのおおまかなプロットはあるのですが、細部で決め切れていないこともあったりしまして、少しだけ間を空けてから、続きを更新していきたいと思います。
何卒よろしくお願いします!
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