ひぐらしのなく頃に─後祭─   作:通行人A'

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ちょっぴり本気

 

 

 

 座敷を出る間際だった。

 人がぞろぞろと廊下へ流れていく中で、俺は詩音の後ろについて歩いていた。まだ頬がひりひりする。あいつ、本気で殴りやがった。冗談に決まってるってのに……いや、まぁ、ちょっとは目がいってしまったけども。今日は水色なんだなーくらいで。うむ。

 

 ……勘弁してください。慣れない場所でちょっとテンパってたんです、いやホント。

 

 

 と、前を行く人の波が、ふっと割れた。鵜飼だ。

 こっちへ歩いてくる。詩音が足を止めて、丁寧に頭を下げる。

 

「本日は、お疲れ様でした」

「こちらこそ。お嬢の見事なお手並み、勉強になりましてございます」

「あら。お上手ですねぇ」

 

 二人が、にこやかに笑い合う。

 

 ……こえぇ。

 この二人、今しがた座敷で殺し合いをしてたはずなんだが。笑顔で剣を交わすってのは、こういうことを言うんだろうな。

 

 鵜飼が、詩音の脇をすり抜けていく。

 その時──目が、合った。

 

 ほんの一瞬だ。鵜飼の目が、俺を捉えた。座敷に入ったときと同じ、爬虫類みたいな目。

 

 だが今度は、一瞬じゃなかった。こいつは、俺の顔を見た。それから足元まで、ゆっくりと。そしてまた顔まで戻ってきて──興味が尽きたように、去っていった。

 

 

 俺は、その背中を見送った。何も言われていない。挨拶もない。嫌味もない。「馬の骨が」の一言すら、なかった。

 

 ……ああ、なるほどな。

 言葉ってのは、相手を人間だと思ってなきゃ出てこねぇもんだ。腹が立つから怒鳴る。目障りだから嫌味を言う。どっちも、相手をそこにいる人間として認めてる証拠だ。

 

 俺は、こいつにとって、“人ですらなかった”って訳だ。

 壁の染みだ。障子の桟だ。庭の松だ。そこにあるのは知ってる。だが話しかけようとは思わない。そんなレベルの存在。

 

 俺は、拳を握った。

 

 ──上等だ。

 

 俺は、口の端が持ち上がるのを感じた。いいぜ、鵜飼さん。あんたは俺を見なかった。見る価値もねぇと思った。

 

 別に、それでいい。

 見なくていいから、そのまま油断してろ。

 

「……圭ちゃん?」

 

 詩音の声で、我に返った。

 

「どうしたんです、そんな顔して」

「いや、別に」

「なんでもない人がそんな怖い顔しますか。あ、殴ったのは圭ちゃんがセクハラするからであって」

「そんなんじゃねーよ……あ、いや見ちまったのは悪かったけど」

 

 ジトーと赤らんだ表情で睨まれる。いやホント、ごめんなさい。でもちょっと得した気分になったから、あいやなんでもないです。

 

「ほーんと圭ちゃんって変態ですよねぇ。大災害ごときじゃそういうのは壊さないんですか」

「ブラックジョークが過ぎるぞオイ」

 

 軽口を返しながら、俺は歩き出した。

 言えるかよ。あの男に空気扱いされて、ムキになりましたなんて。

 

 ……格好悪すぎるだろ。

 

 

 

 廊下の途中で、俺は詩音とはぐれた。

 

 いや、はぐれたというか。宗石さんに呼び止められた詩音が、そのまま古参の連中に囲まれちまったのだ。礼を言われているらしい。「よくぞ言うてくれた」だの「さすがは直系の」だの、そういう声が飛んでいる。

 

 まあ、そりゃそうだ。土地が戻ったんだから。俺は輪の外で、手持ち無沙汰に立っていた。

 この場に、俺の居場所はない。かといって勝手に外へ出るわけにもいかない。付き人ってのは、待つのが仕事だ。

 

 窓の外を見る。庭に、雪の残った松。

 

 ……腹減ったな。

 

 昼、まだ食ってねぇんだよな。詩音のやつ、緊張して何も食えないとか言うから、俺も付き合って朝から水しか飲んでねぇ。今考えりゃ何の付き合いだ。

 

 なんて考えていると。

 

「よ、兄ちゃん」

 

 声が、した。振り返ると見知らぬ男が、立っていた。

 いや、鵜飼の後ろに座っていた、あの男だ。

 

 近くで見ると、余計に妙だ。スーツはよれている。髪も適当に撫でつけただけ。だが靴だけが、鏡みたいに光っている。この人、靴に全財産つぎ込んでるのか。

 

 男は、にこにこと笑っていた。

 人懐こい笑顔だ。ほんとうに、人懐こい。近所のおっちゃんが挨拶してくるみたいな。

 

「あ、どうも」

 

 俺は反射的に頭を下げた。

 

「ええなァ。若い子は礼儀正しゅうて」

 

 関西訛りだった……関西?

 

「兄ちゃん、あのお嬢さんの、なんや。付き人ゆうんか」

「あ、はい。まあ」

「ほお。若いのに大したもんやなァ」

 

 男が、一歩近づいてくる。

 俺は動かなかった。動けなかった、が正確かもしれない。

 この人、何も怖いことはしていない。笑ってる。声も柔らかい。両手だってポケットに突っ込んで、力なんて一切入っていない。

 

 鵜飼の前にいたときは、寒かった。刃物を突きつけられてるみたいな寒さ。こいつの前は、寒くない。

 

 むしろ、あったかい。あったかいのに──足が動かね。

 

「さっきの座敷な」

 

 男が、にこにこ笑ったまま言った。

 

「兄ちゃん、ずーっと壁んとこ立っとったやろ。ワシ、見とったで」

「……はあ」

「みんな畳叩いて怒鳴っとるのに、兄ちゃんだけ、ずーっとお嬢さんの背中見とった。いやはや、若いってのはええなぁ」

 

 

 けらけらと笑われて、思わず唇をきつく結ぶ。

 俺の肩を、ぽん、と叩く。

 

「あの嬢ちゃんのこと、好きならちゃーんと守ってやらんとアカンよ」

「はい?」

「はっはっは。ほな、また」

 

 男は、手をひらひらと振って、歩いていった。な、なんだアイツは?一体全体何を言って……俺は、その背中が角を曲がって消えるまで、動けなかった。

 

「──圭ちゃん」

 

 詩音の声。振り返ると、こいつが眉をひそめてこっちを見ていた。

 

「今の人、誰です?」

「……知らねぇ。鵜飼、さんの後ろに座ってた人だと思うけど」

「ええ。それは私も見ましたけど」

 

 詩音は、男が消えた廊下の角を見つめている。

 

「……葛西」

「はい」

 

 いつのまにか、葛西さんが後ろに立っていた。

 

「あの男。何者です」

「──存じません」

 

 葛西さんの声が、少し硬かった。

 

「園崎の者ではございません。組の者でも。少なくとも、私の知る顔ではない」

「じゃあ、なんで座敷にいたんです?」

「鵜飼が連れてまいりました。名も告げず、紹介もせず。誰も咎めませんでした」

 

 誰も咎めなかった。

 あの座敷で、あんだけ面子だの筋だのと騒いでたのに。誰も、あの男に一言も聞かなかった。

 

「……気味が悪いですね」

 

 

 古参の輪から解放された詩音が、茜さんに呼ばれて奥へ引っ込んでいった。

 母娘で話すことがあるらしい。俺はついて行くわけにもいかず、廊下で置いてけぼりを食らった。

 

 まあ、いい。しかし、腹が減ったな。

 厨房の方角へ足を向けかけたところで、後ろから肩を叩かれた。

 

「よう、坊主」

 

 振り返ると、宗石さんが立っていた。

 例の、丸太みたいな腕。日に焼けた顔。正月に甘酒を勧めてきたときと同じ、がっしりした立ち姿だ。

 

「お疲れ様です」

「おう。──おめぇ、飯食ってねぇだろ」

「なんで分かるんですか」

「顔に書いてある」

 

 がはは、と笑って、宗石さんは顎をしゃくった。

 

「来い。握り飯くらいなら、まだ残ってらぁ」

 

 台所の隅の板間に、二人で腰を下ろした。

 湯呑みの茶と、皿に山盛りの握り飯。塩と海苔だけの、素っ気ないやつだ。俺はひとつ掴んで、遠慮なくかぶりついた。

 

 うまい。腹が減ってるってのは、それだけで最高の調味料になる。

 

「よく食うなァ」

「朝から水しか飲んでねぇんです」

「阿呆。ああいう場じゃな、先に腹を作っとくもんだ。気が張ってるうちは食えねぇが、抜けた途端に膝が笑うぞ」

「……もう笑いました」

 

 俺が正直に白状すると、宗石さんがまた笑った。だがその笑いは、正月のときほど大きくなかった。

 しばらく、二人で黙って握り飯を食った。

 

 窓の外で、誰かが車を回している音がする。庭の松から、雪が落ちた。

 

「……宗石さん」

「なんだ」

「土地、戻ってよかったですね」

 

 宗石さんの手が、止まった。

 湯呑みを置いて、この人はしばらく庭を見ていた。

 

「俺ぁ、今日、嬉しかったよ。ほんとだ。あの小さかったお嬢が、俺たちのために立ってくれたんだ。大きくなったらなぁって思ったら、目尻が潤んじまってよ」

「参観日の父親みたいですね」

「ははは、ちげぇねぇ」

 

 ひとしきり笑った後、湯呑みの縁を、太い指がなぞる。

 

「あの野郎の言ったことはよ。ひとつも、間違っちゃいねぇんだ。それは俺らも分かってる」

「……」

「五年だぜ。五年、うちの若ぇのが芝浦にへばりついて、身銭切って、それで一銭も上がらなかった。俺が一番よく知ってらぁ。──あの土地はな、もう死んでるんだ」

 

 俺は、握り飯を持ったまま、その横顔を見ていた。

 

「あそこは昔、良かったんだぜ。造船があった。鉄工があった。飲み屋も女も、金が回ってた。うちの親父の代にゃ、芝浦の稼ぎで屋敷が建つなんて言われたくらいでよ」

「高度経済成長期ってやつですか」

「おお、それよ。けど、あっという間だ。船が売れなくなって、工場が畳んで、若ぇのが出ていって。今じゃシャッター通りよ」

 

 宗石さんは、湯呑みの茶を飲み干した。

 

「けど、先代の時代から本当に世話になってたんだ。食いぶちを免れなかったのはここのお陰っていうほどな。だから俺たちは、義理で守ってた。──って言ぇや、カッコつけてるように聞こえるかもしれねぇが、実のところはな、坊主」

 

 自嘲の笑いだった。

 

「どうしていいか、分からなかっただけだ」

 

 俺は、何も言えなかった。黙って、二つ目の握り飯を齧る。

 

「あの野郎は、それを見抜いてやがる。だから、あんな口が利けるんだ。感謝されこそすれ、ときたもんだ。──腹が立つが、返す言葉がねぇ」

 

 宗石さんが、湯呑みを置いた。

 

「俺ぁな、坊主。今日、土地が戻ってきて、嬉しくて、それから、怖ぇんだ」

「……怖い?」

「三月後によ。数字が落ちる」

 

 この人は、断言した。

 

「落ちるに決まってらぁ。あの土地は死んでるんだからな。そしたら、また同じことになる。今度は、お嬢の首がかかってる」

 

 この人は、分かってるんだ。分かってて、それでも土地が戻ってきたことを喜ぶしかない。喜ばなきゃ、五年間の意地が全部無駄になる。

 

「……宗石さん。ひとつ、聞いていいですか」

「おう」

 

 俺は、顔を上げた。

 

「なんで、鵜飼さんが入った途端に、金が湧いたんです?」

「アイツの言った通りなら、そりゃあ、あれよ。都会の連中相手に土地を売買してるってこったろうが──」

「死んでる町の土地を、都会の連中が、そんなに欲しがるもんですか?」

「……あぁ。俺らもそれが分からねぇ。あそこに旨みがあるとは思えねぇ」

 

 

 人が思い付かないような価値っていうのを生み出すのが、憎たらしいけどアイツの手腕って奴なんだろうけどよ。宗石さんはそう付け加えると、ふと何かを思い出したのか言葉を止める。

 

「何か、心当たりでも?」

「……いや」

 

 宗石さんが、考え込むようにして口元に拳を当てる。

 

「……いや、でも、まさかな」

 

 何かを呟いていたが、やがて笑顔で俺の肩をばしっと叩いた。

 

「なんでもねぇ。ともかく、泣き言言ってても仕方ねえよな。お嬢の顔に泥塗らねぇように気を引き締めねーとな」

 

 俺は、追及したい気持ちをグッと堪えて、三つ目の握り飯に手を伸ばした。

 

 

 

 帰りの車は、静かだった。

 日はもう傾いて、田んぼの向こうが赤い。俺は後部座席に、詩音と並んで座っている。行きは助手席だったんだが、乗り込むときに「こっち」と裾を引かれた。

 

「疲れました?」

「そりゃな。立ってただけだけど」

「立ってるのが一番疲れるんですよ、ああいう場は」

 

 違いない。そう思っていると、肩に、重みがかかった。

 

「肩、貸してください」

「いやもう借りてるだろ?」

「疲れたんですぅ。今日はもう、限界です」

 

 詩音が、こっちに全体重を預けてきた。頭を俺の肩に乗せて、腕まで絡めてくる。翡翠色の髪が、俺の首筋をくすぐった。

 甘い石鹸の匂いがする。やっぱり……近い。

 

「あのな。葛西さんもいるんだが」

「お構いなく」

「お前が言う事じゃないだろ」

「ねぇ葛西。あなた、今日は何も見てませんよね」

「えぇ、勿論」

 

 即答だった。ミラー越しに葛西さんを見ると、サングラスの奥は読めないものの、口元はしっかり笑っていた。絶対に面白がられている。

 

「ほら。問題ありません」

「問題大ありだろ」

 

 いや、問題なのか分からないけど……恥ずかしいだろ。

 俺は肩をすくめて、詩音の頭を落とそうとした。落ちない。こいつ、腕を絡めたまま、肩に食らいついてやがる。

 

「私、今日、頑張りましたよね?」

「……そりゃまあ」

「じゃあ、ご褒美です」

 

 ……ご褒美?

 

「肩を貸してもらうのが、ご褒美なのか?」

「ええ。──ほかに何かくれるんですか?」

 

 顔を上げて、詩音がこっちを見た。至近距離だ。

 夕日が、こいつの横顔をまっすぐに照らしている。睫毛の一本一本が、影を落としている。唇が、笑っている。こいつ……やはりからかってやがる。

 

「くれるんですかぁ?」

「……何をだよ」

「さあ。何がいいでしょうねぇ」

 

 詩音の指が、俺の胸元をつつく。制服の上から、とん、とん、と。

 

「圭ちゃんが持ってるもので、私が欲しがりそうなもの。──考えてみてください」

「持ってねぇよ、そんなもん」

「あるじゃないですか」

 

 こいつが、囁いた。

 

「ここに」

 

 とん、と胸を叩かれる。──心臓が、大きく跳ねた。

 

「あら。今、ドキドキしました?」

「そりゃするわ、心臓捧げろってどこの黒魔術だよッ」

「くすくす。大丈夫ですよぅ、ちゃーんと麻酔はしますから」

 

 こいつ、完全に、遊んでやがる。ていうかこういうやり取りは二人きりの時ですら恥ずかしいのに、他に人がいるとなると余計に恥ずかしい。いや分かった、俺の負けでいいから!もう!

 

「離れろっつってんだろ!」

「いーやーでーす」

 

 腕を振りほどこうとしたが、こいつは離れない。むしろ、絡めた腕にぎゅっと力を込めてくる。必然的に、彼女の……その、柔らかいものが、腕に当たるわけで。

 

 思考が、一瞬止まる。

 

「……お、おい」

「なんです?」

「当たってる……というか」

「何がです?」

 

 ……こいつ、絶対に分かってて言ってやがる。

 

「……なんでもねぇ」

「ふふ」

 

 勝ち誇りやがって。俺は窓の外に顔を逸らした。夕日が眩しい。眩しいってことにしておく。

 俺が黙っていると、詩音はまた肩に頭を戻した。今度は、少し静かに。

 

「……ねぇ、圭ちゃん」

「なんだ」

「私ね、あの座敷で」

 

 声が、変わった。

 

「全部、敵に見えるんですよ」

「……」

「古参の方々も、鵜飼も、母も、父も。みんな、私を値踏みしてる。使えるか、使えないか。光るか、光らないか。──ずっとそういう目で見られてると、だんだん、自分が人間かどうか分からなくなってくるんです」

 

 それは……でも、俺には何も言えない。こいつが何を感じてきたのか、その断片一つだって、満足に理解してやることも出来ないのだから。

 

「でも、振り返ったら、圭ちゃんがいた」

「……」

「壁際で、緊張しながらすごい顔して立ってるんですもん。笑いそうになりました」

 

 肩の上で、こいつが小さく笑う。

 

「あれで、だいぶ救われたんですよ。──だから」

 

 顔を、上げた。目が、合う。

 その目が、今度は笑っていなかった。

 

「もう少しだけ、貸してくださいね。この肩」

 

 ……ずるいだろ、それは。

 俺は、何も言えずに、目を逸らした。逸らして、窓の外を見た。

 枯れた田んぼが、夕日の中を流れていく。

 

「……好きにしろ」

「はぁい」

 

 嬉しそうな声だった。

 それから詩音は、また肩に頭を預けて、今度は本当に静かになった。

 

 ……で、俺は。

 

 窓に映る自分の顔を見て、深くため息をついた。

 

 心臓がうるせぇ。これは、なんなんだろう。

 こいつは疲れてるだけだ。今日一日、あの座敷で一人で戦った。人肌が恋しくなるのも当然だ。だから、俺は湯たんぽみたいなもんで──

 

「圭ちゃん」

「うおっ」

「今、変なこと考えてました?」

「考えてねぇ!」

「本当ですかぁ?」

「本当だ!」

「ふぅん」

 

 詩音は、肩に頭を預けたまま、俺の顔を下から覗き込んできた。

 上目遣いだ。こいつ、この角度が一番きれいだってことを、絶対に自覚してやがる。

 

「私、寝坊しちゃうかもしれません」

「あ?」

「疲れましたから。明日の朝、起きられないかも」

 

 それは、どういう──

 

「だから」

 

 詩音が、目を細めた。

 

「起こしに来てくださいね。──私の部屋に」

 

 ――ぶわっと、血が上った気がした。

 

「ば、馬鹿かお前!!」

「あら。何を想像したんです?」

「なにも想像してねぇ!」

「私、ただ起こしに来てって言っただけですけどぉ」

「……っ」

「圭ちゃんったら、ほんとに。えっちですねぇ」

「ちがっ!」

 

 この女、絶対に許さん。

 俺が真っ赤になって喚いていると、詩音は腹を抱えて笑い出した。肩から頭が離れる。

 

「あははっ!ほんと、圭ちゃんは反応が素直で助かります」

「遊んでんじゃねぇぞ!」

「遊んでませんよぅ。ちょっぴり本気です」

 

 俺は、天井を仰いだ。

 ミラーの中で、葛西さんが実に穏やかな顔をしている。この人、絶対に楽しんでる。

 

 

 

 車が興宮に入る頃には、詩音は本当に眠っていた。肩に、また頭が乗っている。今度は、力が抜けていた。

 俺はその重みを感じながら、窓の外を見ていた。

 

 古参は面子で頭がいっぱいだ。茜さんも組長も、下手に動けば家が割れる。詩音に至っては、跡目争いの当事者ときてる。こいつが芝浦を掘れば、それはもう「政敵の粗探し」だ。

 

 みんな、動けない……で、俺だ。

 俺は、何者でもない。誰も、俺を数に入れちゃいない。

 

 つまり、俺だけが、自由な訳だ。

 

 ……で、何をどうすりゃいいんだ。分からない。けど、何か出来ることはあるかもしれない。机の上で考えたって、俺の頭からは何も出てこない。だったら、見に行けばいい。死んでるって町を、まずこの目で見りゃいい。

 

 俺は詩音に掴まれていない方の左手をグッと、静かに握りしめた。

 

 

 

 

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