ひぐらしのなく頃に─後祭─   作:通行人A'

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第八章
約束ですよ?


 

 

 揺れている。

 

 規則正しくない細かな揺れが体の下から伝わってくる。消毒液の匂いが鼻を突いて、その奥に錆びた鉄みたいな匂いが混じっていた。頭の芯が痺れて、自分がどこにいるのかうまく像を結ばない。

 

 遠くで誰かが泣いている。いや、遠くじゃない。すぐ近くだ。耳のすぐそばで聞き慣れた声が、聞いたこともないくらい必死に何かを訴え続けている。

 

 

 ──ちゃん、圭ちゃん……ねえ、目を開けて……お願いだから……

 

 

 答えてやりたいのに口が動かない。瞼が鉛みたいに重くて持ち上がらない。大丈夫だ、掠り傷なんだから心配すんな。そう伝えてやりたいのに、舌の根が痺れて声にならない。そのままもう一度、俺は暗いところへ引きずり込まれた。

 

 

 

 暗い。暗くて寒い……しかし、どこか不思議と心地が良い。周りを見回しても、景色は一面真っ暗で、物音一つ聞こえやしない。どこだろう、ここは。

 いや俺は……えっと、どうなった?確か、今日はホワイトデーで。詩音に髪飾りを渡して……あぁ、そうだ。渡さなかったんだ。彼女めがけて、車が突っ込んできた。咄嗟に俺は突き飛ばして、それで、吹き飛ばされて。

 あぁ、そうか、車に撥ねられたんだったな。

 

 じゃあ、俺は死んだ、のか?

 そして、ここは天国……なわけない、か。俺が天国なんぞに行けるわけがない。じゃあ、ここは地獄か?それにしては味気ない気がする。一面単なる闇だけだ。

 

 いつか見た「地獄絵図」には、仏教における八大地獄が描かれていた。黒縄だの、大叫喚だの、大焦熱だの八つがあり、それぞれ生前に犯した罪によって、異なる苦しみが与えられるとかなんとか。

 

 或いは、この空間で、苦しむことも悲しむことも許されず、ずっと過ごさないといけないんだろうか。確かにそれは地獄といっても差し支えないかもしれない。

 

 当然の報い、なのだろう。俺は人殺しなのだから。

 

 俺は人を殺した。雛見沢大災害で死んだ村人たちの事じゃあない。北条鉄平の事だ。この手で、俺は奴の命を奪った。

 殺人は……どこまでいっても、殺人でしかない。いくら理由を付けようとも、正当化しようとも、結局のところ、最低最悪の罪なのだ。奴が死んで、喜ぶ人間はいても悲しむ人間などいないだろう。そんな言い訳をしたところで、俺の犯した罪が無かったことにされるはずもない。

 

 

 因果応報なのだ、これは。俺は受けるべき償いを、素直に認めて受け止めなければならない。

 

 けど──詩音は。あいつはどうなる。俺は言った。そばにいると。約束した。世界中があいつの敵になったとしても、最後まで一緒にいると。約束したのに、早々に破ることになるなんて。怒るだろうか、呆れるだろうか、哀れむだろうか……彼女のそばにいられない、いられなくなることが、俺にはどんな地獄よりも、ずっとずっと恐ろしい事に思えた。

 

 

 全身の力を抜いて、その場に倒れ込もうとする。いや、今立っているんだから座っているんだか、それとも横になっているんだか。それすらも分からないのに、全身を、周りの暗闇に溶け込ませるようにして、力を抜いていく。やがて、俺の感覚もまた、その闇に溶けていった。

 

 

 

 どれくらい経ったのか、見当もつかない。次に瞼が持ち上がったとき、目に飛び込んできたのは染み一つない白い天井だった。

 

 暗闇じゃない。白だった。

 

 天井、か。そういえば、あの道場の天井には鳥の形をした染みがあった。何度も見上げたおかげで、目をつむっても描けるくらいに。それに比べてこいつはのっぺり白いだけで、面白みの欠片もない。まあ、天井を見て面白いも何もあるかという話だが。

 

 体を点検してみる。えいっと指を握ると、ちゃんと拳になった。足を動かそうとすると、右の足首には鈍い痛みが走った。首を動かそうとしてみる……うん、ゆっくりだが、動く。頭には何か巻かれているらしく、動かすとずきずきする。

 つまり……あれか。生きてるのか、俺。それとも、夢か?

 

 視界の端で何かが動いた。ベッドの脇の丸椅子に──詩音が座っている。制服のままだ。膝の上で両手を握って、こちらをじっと見ている。目の縁が赤い。

 目が合ったその瞬間、詩音の顔がぐしゃりと歪んだ。

 

「──圭ちゃんっ!」

 

 名前を呼ぶなり、詩音が俺の胸元に縋りついてきた。細い肩が震えている。何か言おうとしているのに言葉にならず、しゃくり上げる声だけが漏れてくる。しかし、だ。

 

「い、いてて。おい、そんな締めつけんな。頭に響く」

「っ……ごめんなさ……っ、でも、でも……っ」

「わかった、わかったから。落ち着けって」

 

 しばらくして、詩音がのろのろと顔を上げた。目が真っ赤で、ひどい顔だったが、彼女を見て何故だか無性に、俺は安堵したのだった。

 

 それからは医者や看護師が入ってきて、あれやこれやと質問責めにされた。気分は?痛みは?自分は誰か分かるか?などなど。会話をしていくうちに、これが夢ではなく現実であることを、脳が認識していった。

 

 

 曰く、右足の捻挫と頭部挫創。医師はしきりに、運が良かった、と繰り返していた。救急隊によると、俺は数メートルも跳ね飛ばされたそうなので、死んでいてもおかしくなかったそうだ。受け身が上手く取れていたのか、ともかく、神様に愛されてるんだろうねと、医師は笑っていた。

 

 

 医師たちが「しばらくは安静に」と言い残して病室を出ていくと同時に、傍に座っていた詩音が再び俺の方を覗き込んできた。

 先程まで濡れていた目が、いつの間にか胡乱げに細められている。

 

「聞いて呆れます。頭から血をだらだら流して、道の真ん中でぴくりともしないんですよ。私がどれだけ……っ。ホントに、生きた心地がしなかったんですよ」

「……ん」

「蓋を開けてみれば、足首の捻挫と、頭の切り傷で数針。全治二週間。まったく、どんだけ頑丈なんですか圭ちゃんは」

 

 あんだけ派手に撥ね飛ばされて、この程度で済むとは。我ながらしぶといというか、悪運が強いというか。丈夫に産んでくれた両親に感謝だな。いや、こんなことで感謝されても向こうも困るだろうけど。

 

「でも、あの……本当に、本当に良かった。生きててくれて」

「詩音」

「ありがとうございます……助けてくれて。圭ちゃんがいなかったら、私の人生はあそこで終わってましたね」

 

 また、じわりと目尻に涙を浮かべる詩音。彼女のそんな顔は見たくなかったから、俺はわざとらしく、おどけて肩を竦めた。

 

「少しは、付き人らしいとこ見せられたか?」

「……ばか。付き人なら、私だけじゃなくて、自分の身もちゃんと守ってください」

「悪かった……まだ修行中でよ」

 

 涙を拭いながら、少しだけ笑ってみせる詩音。やっぱり、彼女には笑顔が似合う。まぁでも怒った顔も似合うか。いやむしろ、ブチ切れた時、発狂した顔は最高に様になりそう……やめておこう。奇跡的に拾ってもらった命を、こんな事で失いたくない。

 

 そんな馬鹿なことを考えていて、俺はふと、あの包みのことを思い出した。撥ねられる直前に詩音へ渡そうとして、宙に放り出したやつだ。結局、渡しそびれちまったな。

 

 俺が口を開くより先に、詩音がすっと手を差し出してきた。手のひらに見覚えのある小さな包みが乗っている。紙が少しよれて、端のほうに赤黒い染みがついていた。

 

「これ……」

「うん、圭ちゃんがあの時くれた贈り物です」

 

 ……血だ。俺の。放り出したときに、俺の血がかかったんだろう。せっかくのお返しがいきなり血染めになっちまうとは。縁起でもねぇ。

 俺がしょげていると、詩音は包みをそっと開いた。中からあの髪飾りが顔を出す。金色の控えめなやつ。包みの紙は血で汚れていたが、中身は傷ひとつなく無事だった。

 

 詩音は髪飾りを目の高さに持ち上げて、光にかざすみたいにしばらく眺めていた。それから慣れた手つきで、いつもの黄色いリボンを解いて、その金色の髪飾りで、ハーフアップをさっとまとめ直す。そして、それを結び目にそっと留める。

 

「どう?似合います?」

「……あぁ、似合ってる」

「ふふ、昔よりも少しはそういうデリカシーがなってきましたね」

 

 そこはお前にだいぶ鍛えられたからな、抜かりはねぇよ。まぁお世辞でもなんでもなく、事実なんだけど。

 

「けど、これももう少しで、形見になるところでしたねー」

 

 軽い口ぶりだった。からかうみたいな、いつもの調子で。だが髪飾りに触れる指先がかすかに震えているのに、俺は気づいてしまった。目の縁もまだ濡れたままだ。さては泣くのを我慢してやがるな、こいつ。

 

「縁起でもねぇこと言うなよ」

「あら、事実じゃないですか。おかげでこの子は、血のついた曰くつきの一品になっちゃいましたよぅ」

「曰くつきて。もうちょっと嬉しそうにできねぇのかよ」

「これ以上ないくらい嬉しそうにしてるでしょう?」

 

 言われてみれば、確かに嬉しそうではある。血染めの縁起でもない代物を、宝物みたいに挿して。俺はその頭の飾りをもう一度よく眺めた。

 

「……本当に、よく似合ってるよ。それ」

 

 深く考えず、再びそう口にした。それほど良く似合っていたから、事実が口をついて出てきてしまったのだ。

 

 詩音の手がぴたりと止まった。挿したばかりの髪飾りに手を添えたまま、しばらく固まっている。それから耳のあたりをじわっと赤くして、勢いよくそっぽを向いてしまった。

 

「……病み上がりのくせに、生意気なんですよ」

「なんで俺が怒られるんだ」

 

 人が素直に褒めてやったっていうのに、なんだってそっぽを向かれなきゃならんのだ。まったく、難しい女である。そっぽを向いた詩音の頭で、金の髪飾りが電灯の光を弾いてちらりと光った。血の巡りが戻ってきたおかげか、その光がやけに眩しく見える。

 

 やっぱり──渡せて、よかった。

 

 そんなことをぼんやり思っていたら、詩音が振り向きざまに「にやついてないで、大人しく寝ててください!」とぴしゃり言い放った。びくっとして首をすくめる。付き人は雇い主に逆らえない。俺は言われるまま、そっと目を閉じた。正直、足首よりこの理不尽の方がよっぽど堪えるんだが。まあ、言えば三倍にして返ってきそうだから黙っておく。

 

 

 

 

 それから、三日が過ぎた。

 

 点滴の管も取れて、自由に起き上がれるくらいには回復した。というよりも、元々歩き回れる程度の怪我だったのだが、念のためということで三日は絶対安静をいい含められていたのだ。無論、医師ではなく詩音に、だが。

 

 とはいえ右足首はまだ湿布と包帯で固定されていて、歩き方はぎこちない。頭の傷もまだ何があるか分からないから大人しくしてろと釘を刺されている。

 

 この日、詩音は朝から本家に呼ばれて出ていった。当主代行じきじきのお呼び出しだそうで、気は進まなそうな顔をしていたものの「今回ばかり」は無視するわけにもいかないらしい。

 

 おかげで病室は俺一人。暇を持て余して壁の時計をぼんやり眺めていると、控えめなノックのあとで病室の戸が開いた。入ってきたのは、見慣れた黒いスーツにサングラスの……

 

「葛西さん」

「圭一くん。加減はどうですか」

 

 いつもの調子で声をかけてくれる。だが敷居をまたぐその足取りが俺の知る葛西さんにしては、どこか重い。サングラスの奥は読めないが、纏っている空気がやけに硬かった。

 

 手にした紙袋を、葛西さんはベッド脇の台にそっと置いた。中からごとりと出てきたのは、やたら立派な桐の箱だ。蓋を取ると、艶々した黒い羊羹が一本まるごと鎮座している。

 

「羊羹は、お嫌いでしたか」

「いや、ありがたく頂きます。……甘いもんは嫌いじゃないんで」

 

 嫌いも何も、選択肢は羊羹一択なんだが。まあ気持ちはありがたく受け取っておく。俺は桐の箱に蓋をして、あらためて葛西さんの顔を見た。世間話に付き合ってくれるような空気じゃないことは、こっちも薄々わかっている。

 

「葛西さん。あの車のこと、何かわかりましたか」

 

 単刀直入に切り出すと、葛西さんはしばらく黙ってから小さく息を吐いた。丸椅子を引き寄せて腰を下ろす。その一つ一つの動作がいやに慎重だった。

 

「……ナンバープレートは、外されていました。前照灯も消したまま、まっすぐに突っ込んできた。運転していた人間は、車を乗り捨てて姿を消しています」

 

 言葉がすっと頭に染みてこなかった。ナンバーを隠した車が、灯りも消してまっすぐ突っ込んできた。それが意味することを、脳が理解するのを拒んでいる。

 

 あれは、事故なんかじゃない。

 

 誰かがはっきりとした意思をもって、詩音を殺そうとした。まっすぐ伸びてきたあの鉄の塊は、詩音の背中めがけて放たれたんだ。俺が突き飛ばさなけりゃ、今ごろ白い布をかけられていたのは──そこまで想像しかけて鳥肌が立った。

 

 理由は考えるまでもないだろう、芝浦の件だ。詩音が薬の件を嗅ぎ回りはじめた、まさにその矢先にこれが起きた。あいつが動いて一番困る人間が一人だけいる。園崎の看板の裏でどこの誰かに土地を貸し、甘い汁を吸っている──鵜飼だ。あの男が詩音の口を塞ぎにきた。俺にはそうとしか思えなかった。

 

 俺が吐き捨てると、葛西さんは否定も肯定もしなかった。ただ膝の上で手を組んで、静かにこう言った。

 

「私も、同じ絵を描いています。……ですが、絵は絵でしかない」

「証拠が、ないんですよね」

 

 俺が先回りして言うと、葛西さんは小さくうなずいた。

 

「あの男の帳簿は、どこから見ても綺麗です。土地の賃料も仲介料も、一円残らず筋が通っている。裏の金は、帳簿に一度も顔を出さない。まだ尻尾を掴めない、というのが正直なところ」

 

 わかっていたことだが、あらためて言われると堪える。あの凪いだ夜に突き当たったのと同じ壁だ。詩音には鵜飼を調べる権限がない。あるのは疑いだけで、下手に動けば跡目争いのライバルを蹴落とすための粗探しにしか見えない。正しくても、正しく見えない。この家のたちの悪いところだ。

 

 葛西さんもまた、動ける立場じゃない。この人は詩音の護衛だ。確たる証拠もなく幹部に手を伸ばせば、それこそ家が割れる。彼が公に動くこともまた、詩音が動いていることと同じなのだ。

 

 それに──口にはしないが、この人も悔いてはいるんだろう。あの日その場にいれば、と。動じないふりをしても、丸椅子を引く手つき一つがいつもより硬い。でも、詩音には怪我はなかった……はずだ。それだけで、負い目を感じる理由は。

 

「そういや、詩音は大丈夫でした?」

「えぇ。圭一くんが命懸けで守ってくださったお陰です。」

「あいつには、自分の身も守れって叱られましたけど」

 

 葛西さんがおかしそうに笑い、その硬い雰囲気が少しだけ和らいだ気がした。

 

「確かに、事故の後、詩音さんは大変でした。取り乱して、半狂乱になっていまして」

「……そうっすか」

 

 俺はあの時詩音さえ助かれば良いと思っていた。付き人なんだし、その為にいるのだから、と。けど、残された彼女はどう思うか。自分のために死んだという事実にこの先ずっと苦しめられるんだ。俺は間違ったことはしたとは思ってないが、安易に詩音だけ助かればいい、なんて考えてた自分を殴りつけてやりたくなる衝動に駆られた。

 

 あいつはもう、色んなものを失ってるんだ。だから俺は、最後までそばにいると約束した。それくらい、守り通せないで何が付き人だ。もし、もし彼女がそれほどまでに俺のことを案じてくれたのなら──

 

「証拠なんて待っていられない。圭一くんの仇に、鵜飼らを拷問にかけて徹底的にいたぶって吐かせると息を巻いておられたので、落ち着かせるのに苦労しました」

 

 そっちかい。

 てか死んでねーよ誰が仇だ。

 

 彼女のあまりの血気盛んな様子に、つい笑ってしまった。……笑いごと、だよな?

 

「詩音に、俺が謝ってたって伝えてください。絶対に約束は守るからって」

「えぇ、分かりました。ただ、退院されたら、ご自身からも伝えてあげてください」

「うっす」

 

 そこからは暫く他愛ない話を続けていたが、ふと詩音が本家に呼ばれた件に話題が移った。

 

「詩音さんが呼ばれたのは、圭一くんが轢かれた件です。明らかに作為的なものだった上、どう見ても狙いが詩音さんだったので」

「……やっぱそうですよね」

 

 詩音が今回ばかりは無視できないと言っていたのも、そういう事なのだ。

 

「今、茜さん──代行と組長と話し合われてます。恐らく、この件とそれから、組の今後のことかと」

「葛西さんは、俺のとこなんて来てて良いんすか?」

「詩音さんの命令なので」

 

 圭ちゃんを一人にすると、また勝手な行動をするかもしれないから。しっかり見張っててください、だそうだ。随分と信頼されたもんだな。

 

 

 しかし、この件で詩音が呼ばれたということは本格的に話が動く可能性がある。

 これまでは、詩音が鵜飼を調べようとするから粗探しになった。跡目を争う相手の粗を探る、政敵潰し。そう見られてきた。だが今回、狙われたのは園崎の人間──それも当主候補だ。しかも白昼堂々、車で撥ね飛ばされた。これはもう跡目争いの内輪もめじゃ済まない。家そのものへ牙を剥かれた、れっきとした事件だ。

 

 

 こいつを「家への攻撃」として調べるなら、話は変わってくる。詩音個人の疑いじゃない。園崎の格に関わる話だ。それを裁量できる人間は、この家に一人しかいない。

 

 茜さん。当主代行であり──詩音の、母親だ。

 

 この壁を叩けるのは、当主代行と血の繋がった人間だけだ。つまり今まさに本家で母親と向き合っているはずの、あいつ。

 

 とはいえあの母娘の間柄が素直に手を取り合えるほど甘くないことも、分かっている。それでも──血ってやつは、こういうときに物を言うんじゃないか。根拠はないが、そんな気がした。

 

 あいつが帰ってきたら、この読みをぶつけてみよう。俺はベッドに背を預けて、天井ののっぺりした白を見上げた。

 

 

 

 

 窓の外がすっかり茜色に染まった頃、廊下のほうから聞き慣れた足音が近づいてきた。ノックもそこそこに引き戸が開いて、詩音が顔を出す。

 

「ただいま戻りましたー」

 

 朝出ていったときとは、まとう空気が少し違う。気を張っているのか、それとも肚が据わったのか。俺には表情の奥までは読めないが、少なくともしょげて帰ってきた顔じゃない。というか。

 

「面会時間過ぎてるぞ」

「ご心配なく。ここ、園崎系列の病院なので」

「えぇ……」

 

 通りで、この程度の怪我なのに個室な訳だ。VIP待遇ってやつか、いや全く嬉しくないけども。

 

「で、首尾はどうだった」

「ずいぶん気の早いことで。せめて一息つかせてください」

 

 そう言いながら丸椅子に腰を下ろすなり、詩音は桐の箱に目を留めた。中身が羊羹だと知ると、片眉を器用に持ち上げてみせる。

 

「病人へのお見舞いが羊羹一本。葛西のセンス、渋すぎませんか」

「あぁ、葛西さんらしいよ」

 

 ひとしきり羊羹をいじってから、詩音はふっと真顔に戻った。切り出す頃合いを計っていたらしい。

 

「本家で、代行と組長を交えて話してきました。今回の一件、家としてどう扱うかを」

 

 両親、とは言わない辺り、極めて業務的な内容なのだろう。俺は黙って続きを待った。

 

「結論から言えば、これは跡目争いの内輪もめじゃない。当主候補が白昼に殺されかけた、園崎への攻撃だと。そういう扱いになりました」

 

 当主候補、か。あらためて言葉にされると、こいつの背負ってるものの重さが伝わってくる。詩音が跡目を争う立場である以上、詩音への刃は園崎の格そのものへの刃だ。

 

「代行──お母さんも今回の件にはトサカに来てるみたいです。圭ちゃんが死にかけたのは明確な園崎家への宣戦布告だって」 

「いや、俺は別にいいだろ」

「ありますよぅ。そのくらい圭ちゃんももう園崎家に取り込まれてるってことです」

 

 血筋だの関係なく、身内として扱ってくれているのだろうか。それは素直に嬉しいと思う反面、これからその園崎家に詩音がしようとしていることを考えると、何とも言えなくなる心持ちがする。いや、具体的に何をしでかすのかまではまだ知らないけども。

 

「それで、家はどう動くんだ」

「鵜飼を、本格的にマークします。動向の監視、外出には人を付けて、誰と会っているかを洗う。当主代行の名の下に、正式に」

 

 俺たち三人でこそこそ嗅ぎ回るのとは違う、本格的に本体が動くということだ。ようやく、だ。ずっと突き当たっていた壁が、ほんの少しだけ動いた気がした。

 

「帳簿は調べないのか?あいつが管理してる不動産の」

 

 俺が訊くと、詩音は肩をすくめた。

 

「開くも何も、帳簿なんて代行や組長ならいつでも見られます。とっくに目は通っている。でも、それが問題なんですよ」

「綺麗すぎる、ってことか」

「ええ。賃料も仲介料も、一円まで筋が通ってる。芝浦の土地の件も、書面上はどこにも穴がない。紙の上だけ見れば、あの人は模範的な働き者です」

 

 舌打ちが出そうになった。裏で薬を捌かせて甘い汁を吸ってる狸が、帳簿の上じゃ品行方正ときた。要するに証拠が紙で残るようなヘマは、最初からしていないってことだ。

 

「だから、監視なのか」

「そういうことです。紙で叩けないなら、動く尻尾を掴むしかない。泳がせて、向こうがボロを出すのを待つ」

 

 筋は通っている。地道だが、今の手札ならそれが一番堅い。俺は天井の白を見上げながら、頭の中で盤面を並べ直した。

 

「それと、もう一つ」

 

 詩音が指を一本立てた。

 

「芝浦の土地の借り手。大阪の観光会社って鵜飼は言ってますが」

「あぁ、鵜飼が前連れてきたあの怪しい男も、その社員って話だったけど」

「ええ。園崎の地元の、しかもあんな不便な場所を、なんでわざわざ遠く大阪の会社が長く借りてるのか。リゾート開発の噂だのなんだのと名目はついてるけど、やっぱりイマイチピンとこないってことで、調べることで一致しました」

 

 それは、俺も思っていた。開発の噂というのがどの程度のものかも判然としていない。土地も呼び込みもシノギの仕組みも細かく、かつ綿密に出来ているのに、当の目的そのものが酷く曖昧なのだ。そういうもんだと言われればそれまでなのかもしれないが。

 

「十中八九、あれは薬の売買にかかるグループなんだろうと思いますけど、園崎の力を使ってどこまで洗うことができるかって話なんですけどね」

「でも、本家が動くなら進展があるかもな」

「鵜飼のことなのでそう簡単な事じゃないかもですけど」

 

 家の監視は表から鵜飼を締め、裏から借り手を洗う。二本の糸が鵜飼という一点で結ばれれば──そこでようやく、あの狸に縄がかかる。

 

 絵は描けた。描けたが、と俺は思う。家ぐるみで幹部を見張るなんて、そう長くは隠しきれるものじゃない。鵜飼は狸だ。慇懃に頭を下げながら、こっちの動きを誰より早く嗅ぎつける類の男だろう。網が締まりきる前に気取られれば、向こうも黙っちゃいない。時間との勝負に──あれ?

 

「なぁ、変じゃねぇか?」

「何がです?」

「鵜飼はそれだけ周到な男なわけだ。なのに、このタイミングで詩音を殺すなんて大それた行動を取るか?」

「それ、は……」

 

 詩音は言われて眉を顰めて、口元に拳を当てる。

 

「私たちが、相手の想像以上に真相に踏み込んでしまったから……焦って、とか。私は次期当主候補ですし、嗅ぎつけられたは失脚待ったなしでしょうから」

「にしたってよ、なんか違和感があんだよな」

 

 そう言われればそうなのだろう。けど、鵜飼のあの強かな瞳を思い出すとどうも今回の行き当たりばったりすぎる行動とは上手く結び付かない気がする。が、今そんな事を考えても答えは出そうにない。

 

「ともかく。あんまり、悠長には構えてられねぇな」

「わかってますよ。だから急ぎます」

 

 言い切る横顔が、やけに凛々しい。母親と刃の話を詰めてきた直後だってのに、疲れも見せない。ふと、あの茜さんと差し向かいでこいつはどんな顔をしていたんだろうと気になった。

 

「なあ。茜さんと話すの、その……平気だったのか」

 

 母娘とはいえ、簡単な間柄じゃないことくらいは知っている。踏み込みすぎない程度に、そう訊いてみた。詩音は一瞬きょとんとして、それからいつもの薄い笑みを浮かべる。

 

「あら、心配してくれるんですか。優しいんですねー、圭ちゃんは」

「別に、そういうんじゃ」

「平気ですよ。仕事は仕事、割り切ってます。……まあ、あの人と長々と顔を突き合わせるのは、それなりに骨が折れましたけど」

 

 最後のひとことにだけ、ほんの少し本音が滲んだ気がした。だが詩音はすぐに鎧を着直して、桐の箱をぱかりと開ける。

 

「さて、疲れた頭には甘いものです。圭ちゃん、この渋い羊羹、半分こしましょう」

「病人の見舞いの品を横取りする気か、お前は」

「あーんしてあげますから。どっちかというと役得でしょう」

「いや、自分で食うから」

 

 そんな俺の声を無視して、詩音は勝手に羊羹を切り分けはじめた。そして、あーんと差し出してくる。仕方なく口を開けると、やや乱雑に放り込まれた甘さが、じんわりと口内に広がっていく。

 

「……悪かった。俺、お前が助かればそれでいいってばかり考えてた。所詮付き人だからって」

「……」

「けど、そりゃあまりにも無責任だった。残された人がどんな思いをするのかって……俺が一番よく分かってたはずなのにな」

 

 詩音は楊枝でさくっと羊羹を刺すと、こちらに視線を向ける。

 

「おあいこです」

「え?」

「私もあの時……自分が轢かれれば良かったのに、なんて考えちゃいましたから。せっかく圭ちゃんが守ってくれたのに」

 

 ……そうか。結局、皆同じなんだ。独りよがりなんて、誰も幸せになんてなるわけが無い。

 

「なら、おあいこだな」

「いえ、圭ちゃんの方がちょっぴり悪いです」

「おい」

 

 詩音はクスリと笑って、羊羹が刺さった爪楊枝を再び差し出した。

 

「最後まで私に付いてくるって圭ちゃん言ったんですから。絶対守ってくださいね」

「へいへい」

「約束ですよ?」

 





タフ=圭ちゃんというイメージが固定されたのってどの辺りなのでしょうね。
祟殺しで橋から落下しても、村が全滅しても生き残る運の強さか。皆殺しで詩音に椅子叩きつけられても平然と笑ってた芯の強さか。
レナに滅多刺しにされても反撃する余裕すらある鬼騙しか。(目覚まし時計最強説もあり)

本作は祟殺しアフターなので、とにかく悪運が強い圭ちゃんです。

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