ひぐらしのなく頃に─後祭─   作:通行人A'

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奇襲

 

 

 夜の芝浦は、潮の匂いと錆の匂いがした。

 

 俺はうずたかく積まれたコンテナの陰に身を潜め、荒い息を殺していた。すぐ隣には葛西さん。少し離れて、詩音の両親──組長と茜さん、そして園崎組の数名が同じように闇に溶けている。目の前には、灯りを落とした倉庫が一棟。あの中に、詩音がいる。

 

 あいつが攫われてから、まる一日が経っていた。

 

 振り返れば、悪夢みたいな時間だった。始まりは、あの園崎本家の一室。詩音を奥へ送り出したあと、俺は後頭部に鈍い衝撃を食らって、そこで気絶していたらしい。目が覚めたときには、見慣れない布団の上で鈍痛に苛まれながら、傍らにいた葛西さんから事情を聞いた。

 

 そこで、俺の間抜けさをいやというほど突きつけられた。

 

 あの本家の別室で、俺と葛西さんはまんまと二手に引き離されていた。俺が奥へ気を取られた隙に、背後から殴られて昏倒。その俺を、鵜飼の手の者が拠点へ運び去ろうとしたらしい。詩音を頷かせるための、人質にするつもりで。

 

 だが、そこで誤算が一つあった。葛西さんだ。

 

 鵜飼は、この人の腕を見くびっていた。かつては園崎組で右に出る者がいなかった男だが、もう歳だ。全盛期の切れはとうにない。せいぜい、そんな見立てだったんだろう。とんでもない話だ。俺を担ぎ出そうとした連中は、声を上げる間もなく葛西さんに叩き伏せられていたという。この人の腕は今もって園崎で一番だ。鵜飼は、そこを読み違えた。

 

 そこから先の葛西さんの立ち回りが、恐ろしく冷静だった。

 

 この人は、叩き伏せた手下の一人を生かしておいて脅し上げた。そして、俺が拘束されているように見せかけた写真を一枚撮らせたのだ。薄暗い部屋の隅に、ぐったりと横たえられた俺。それを、まるで本当に捕らえたかのように鵜飼へ送りつける。「圭一の身柄は確保した」と。

 

 鵜飼は、それを信じただろうか。敵を油断させるためとはいえ、もしあの写真を人質の材料に使われたのなら──と、俺は暗い倉庫を見つめて思う。詩音は、俺が捕まったと信じ込まされているのかもしれない。ありもしない危機を盾に取られて、あいつは今どんな思いで、あの中にいるのか。想像すると、胸の奥がぎりぎりと軋んだ。

 

 

 葛西さんは、その手下から詩音の連行先も聞き出していた。芝浦の拠点。もともと本家の監視が鵜飼の芝浦通いを掴んでいたから、話はすぐに繋がった。茜さんたちの場所と状況も吐かせ、芝浦で合流したのがほんの数時間前だ。

 

 薄暗い倉庫街の一角、停めた車の陰。詩音を除いた園崎の主だった顔が、そこに揃っていた。組長、茜さん、宗石さん。俺は、事の次第をひととおり話し終えると、迷わず地面に膝をついた。

 

「……申し訳ありませんっ!!」

 

 冷たいアスファルトに、両手をついて頭を下げる。

 

「詩音が攫われたのは、そばにいながら守れなかった、俺の責任です。もし、詩音の身に傷ひとつでもついていたら……そのときは、この腹、切って詫びます!」

 

 半分は勢いで口をついた言葉だった。けれど、嘘偽りのない本音でもあった。俺は額を地面に擦りつけたまま、両親の言葉を待った。どんな罵倒でも、殴打でも、甘んじて受けるつもりだった。

 ところが、返ってきたのは。

 

「あっはっはっはっ!」

 

 豪快な笑い声だった。茜さんが、腹を抱えて笑っている。この、一刻を争う状況で……この人ときたら。

 

「いいねぇ、圭一くん!腹を切るときたか!今どき、聞かないよそんな啖呵。やっぱり詩音にゃ勿体無いさね」

 

 俺は、間の抜けた顔で頭を上げた。予想していたどの反応とも、違う。

 

「お前は、こんなときに何を笑って……まったく」

 

 組長──親父さんが、隣で深々と溜め息をついた。呆れ果てた、という顔で。それから、俺のそばへ歩み寄ってくると、ぽん、と俺の肩に手を置いた。ごつい、大きな手だった。

 

「そう気落ちすることもない。家にいなかったのは私達も同じだ……今は、詩音を取り戻すことだけを考えよう」

 

 その一言と、肩の重みに、俺は救われる思いがした。

 頷いて立ち上がった俺へ、ひとしきり笑い終えた茜さんが、にやりと口の端を上げた。

 

「あ、そうだ圭一くん。責任とりたいなら、良い方法があるよ。あんたが詩音を傷物にして、あたしらに孫の一つでも見せてくれれば、それでチャラにしてやるってのはどうだい?」

「なっ……!? あ、あの、それはっ、その」

 

 顔から火が出るかと思った。孫、って。傷物、って。俺がしどろもどろになるのを見て、茜さんはまた愉快そうに笑う。組長は、もはや何も言うまいとばかりに、天を仰いでいた。

 だが、ひとしきり笑ったあと、茜さんの目が、ふっと真面目な色に変わった。

 

「……冗談さ。半分はね」

 

 いや、半分本気ってことかよ。

 

「圭一くん。あの子がこの先、どんな道を選ぶかは、あの子が決めることさ。……だけどね、詩音がどんな決断をしようとも、そのときは、あの子の手を握っていてやってくれるかい」

 

 それは、いつかも聞いたセリフだ。正月に帰省したときにも、この人からそんな事を言われた気がする。あの時と今じゃ、言葉の意味も重みも全く違うだろうけど……俺は、茜さんの目を、まっすぐ見返して答える。

 

「……言うまでもありません」

 

 茜さんは、満足げに一つ頷いた。親父さんも、何も言わずに、俺の肩をもう一度叩いた。

 

 

 

「圭一くん、大丈夫ですか?」

「……すません、大丈夫っす」

 

 葛西さんの声に意識を引き戻される。俺たちは冷たいコンテナに背を預けたまま、正面の倉庫を睨んでいた。灯りを落とした鉄の箱。その大きな出入り口の前に、竜堂会の見張りが立っている。数えるほどだ。三人、いや四人か。

 

 少ない。拍子抜けするほど、少なかった。

 

 それもそのはず、と葛西さんが囁く。向こうは、園崎がここへ来るとは夢にも思っていない。本家で俺ら二人を潰したきり、しばらく大人しくしていると高を括っている。だから、この拠点の守りも手薄なままだ。

 

「連中は、油断しきっています。……こちらの、狙いどおりに」

 

 闇の中で、茜さんが低く、けれど熱を込めて口を開いた。

 

「いいかい、みんな。相手は竜堂会、頭数だけならこっちの何倍もいる。正面から数で殴り合ったら、勝ち目はない。……だけどね」

 

 その声に、園崎の若い衆が、ぐっと身を乗り出す気配がした。

 

「うちには、頭数はなくとも、一人ひとりの腕がある。園崎の名を、なめられてたまるかい。──不意を突いて、一気に畳む。それだけだ」

 

 しん、と空気が張り詰めた。誰もが、拳を握り、息を殺している。そして、親父さんが、ゆっくりと右手を挙げた。

 

 その手が、振り下ろされる。

 次の瞬間、闇が動いた。

 

 まず、葛西さんと宗石さんが、音もなく前へ出た。見張りの背後へ、影のように滑り込む。阿吽の呼吸、としか言いようがなかった。二人が交錯したと思った次の瞬間には、四人の見張りが、声を上げる暇もなく、地面へ崩れ落ちていた。当て身だ。殺してはいない。ただ、確実に意識を刈り取っている。惚れ惚れするような、鮮やかさだった。

 

 葛西さんは、崩れ落ちる一人の襟首を、すっと掴み上げた。そして、意識を手放しかけたその男の耳元へ、低く囁く。

 

「……攫われた娘は、どこだ」 

「だ、誰が言うか…」

「なら、言うまで爪先から肉を削いでいく。まずは親指からだ」

「ひっ」

 

 声そのものは、静かだった。凄んでもいない。だが、その底に、氷みたいな凄みがあった。同時に、彼の懐からナイフが取り出され、親指にあてがわれる。本気だ……この人は。全身で理解させる、本物の脅し。男は、白目を剝きかけながら、震える指で倉庫の奥を示した。

 

「く、倉庫の……倉庫の裏手だ!裏口から、出た、ところ……」

 

 裏手。

 俺の心臓が、跳ねた。詩音は、倉庫の中じゃない。裏だ。

 

「圭一くん」

 

 葛西さんが、男の鳩尾に渾身の拳をねじ込んで昏倒させると、俺を振り返った。サングラスの奥が、まっすぐ俺を捉える。

 

「私たちが正面から雪崩れ込んで、連中の目を引きつけます。あなたは、その隙に──裏手へ。一気に、詩音さんのもとへ」

「……はいっ!」

 

 言うが早いか、親父さんが吼えた。

 

「行くぞォッ!園崎の意地、見せてやれェ!!」

 

 鬨の声とともに、園崎組が、倉庫の正面口へ雪崩れ込んだ。闇に沈んでいた拠点が、一瞬で怒号と足音の渦に変わる。中にいた竜堂会の連中が、突然の襲撃に、慌てて応戦の声を上げているのが聞こえた。油断しきっていたところを突かれて、明らかに浮き足立っている。

 

 だが、俺の足は、もうそっちを見ていなかった。

 

 乱闘に沸く正面を横目に、俺は倉庫の側面へ回り込む。壁伝いに、裏手へ、裏手へ。待ってろ。今度こそ、今度こそ間に合ってくれ。祈るような思いで、俺は暗い建物の陰を、全力で駆け抜けた。

 

 

 倉庫の側面を回りきると、視界がひらけた。

 

 塀ぎわの暗がり。街灯のオレンジが、うっすらとその一角を照らしている。乱闘の怒号も、まだここまでには届いていない。その裏手に、人影がいくつか浮かんでいた。咄嗟にコンテナの裏に隠れて様子を伺おうと顔を覗かせると……

 

「──っ」

 

 そこに、詩音がいた。

 

 壁際に追い詰められて、脂ぎった大男に、押し付けられている。

 あの男が、竜堂会の黒幕か。その後ろには鵜飼もいる。

 男が詩音の腕を掴んで、無理やり壁に押さえつけている。詩音は歯を食いしばって抗っているが、あの体格差だ。びくともしていない。抗うたびに、あいつのにやけた面が、嬲るように詩音へ近づいていく。

 

「へへ……婚姻式の前に、この瞳で睨まれながら抱くってのもありだな。」

「新開さん、流石にみっともないですよ、こんな場所で」

「はーか。俺はメインディッシュは最初に食べるタイプなんだよ。フルコースの前菜やらを待ってられるか……へへ」

 

 鵜飼が不快そうに背を向けたと同時に、男が詩音の制服に手をかけようと伸ばした瞬間──

 

 頭の中で、なにかが、ぷつりと音を立てて切れた。

 

 ヤロウ……誰に、何しようとしてやがる。

 

 手段も段取りも、もう何も考えられない。俺の目には、詩音が、あんな下衆に手籠めにされかけている──その一点しか、映っていなかった。

 

 

 

 考えるより先に、体が動いていた。俺は暗がりを、一直線に突っ切る。砂利を蹴散らし、距離を詰める。心臓が破れそうに脈打って、視界が、真っ赤に染まっていく。

 

 男が、俺の足音に気づいて振り向いた。誰だ、という間の抜けた顔。

 俺は、その脂ぎった顔面めがけて、金属バットを叩き込んだ。ありったけの力を込めて。

 

 

 確かな手応え。骨と肉のひしゃげる、鈍い感触。大男の巨体がぐらりと傾いで、詩音から引き剥がされるように、後ろへ吹っ飛んだ。積み上がった木箱に背中から突っ込んで、けたたましい音を立てて崩れる。

 

 俺は、詩音を背にかばうように、その前へ立ちはだかった。肩で息をしながら、倒れた男と、そしてぎょっとして固まる鵜飼を睨みつける。全身の血が、燃えるように熱かった。

 

「てめぇら……」

 

 腹の底から、声が迸る。もう止まらなかった。

 

「俺の女に……なにしやがるっ!!」

 

 

 

 






申し訳ございません!1話入れ忘れてました!順番が前後しますが、よろしくお願い致します
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