ひぐらしのなく頃に〜後祭り編〜 作:村人A
立ち位置
興宮の高校に通い始めて数日。分かったことがある。
園崎詩音という人間が、思っていた以上にこの学校の顔役になっているということだった。
まず成績。本人が「そこそこ良い」と言っていたが、あれは謙遜だろう。もともとの地頭の良さもあってか、優秀といっていい成績なのは授業態度や小テストの結果を見ればすぐに分かった。委員長という役割も、元々面倒見の良い性格もあってか、本人は面倒がっているものの、客観的に見ると似合っているように思う。何より、口より先に手が出るタイプ──というと暴力的なイメージになるが、行動力があるという意味だ。
では、品行方正。そんな四字熟語が当てはまる人物なのかといえば、実はそれもちょっと違う。たまに平気な顔をして学校をサボるらしいし、遅刻だって少なくない。中には問題児と認識している教師もいるようで、特に生活指導の教員には目を付けられているようだ。
要領がいい、という言葉の方がよく当てはまる。
単純に真面目というわけではなく、学生らしくいい加減だが、決めるところはしっかり決める。
クラスメートからの人望が厚いのも、なるほど頷ける。特に女子生徒からの信頼は厚いようで、休み時間になると何人かが詩音のところへ集まってきて、相談事やら愚痴やらを持ち込んでいる光景をよく目にした。詩音は一見歯に衣着せぬ口調で無遠慮にそしていい加減に、言いたいことを言っているように見えるが、その実相手をよく見ていて言葉やタイミングを選んでいる節がある。
それゆえに彼女とコミュニケーションを持ちたい人間も後を絶たないんだろう。
あれは才能だ。
しかしその性格とは別に、人望の源流は、どうやら入学式のあるきっかけにも遡るらしい。これは数日前、詩音のファンを公言しているクラスの男子から聞いた話だ。
「岡崎くんって園崎さんの幼馴染なんだよね?やっぱり園崎さんって昔から強かったの?」
「強かった?何の話だ?」
男子が興奮気味に教えてくれた。入学式の日、正門前で上級生二人に絡まれていた女子がいたらしい。そこへ詩音が割り込んで、まず口で制して——通じなかったので、体術であっという間に二人を組み伏せた。それどころか、眼球にボールペンを突きつけて、本気で泣かせたそうだ。上級生二人を。
「いやー、あの時の園崎さんって本当に格好良かったんだよ。凄かったって学校中で噂になってね」
「……アイツらしいな」
呆れと納得が、ちょうど半々くらい。彼女のことだ、正義感というよりは通行の邪魔だったとか、そんな理由で割って入っただけなのだろう。
不良二人には少し同情した。事故に遭ったと思うしかないだろう、それは。曲がり間違って復讐なんて考えようものなら、園崎家に名古屋湾に沈められる未来しか見えないしな。
一方、男子との距離感は絶妙に難しいことになっているのはそんな大立ち回りが原因ともいえるようだ。顔立ちが整っているのは客観的な事実で、ファンがいるのも分かる。ただどこか一歩引いた空気がある。近づきたいが、なんか怖い——そういう均衡だ。
しかもこいつが、ヤクザ組織の次期当主候補だというんだから。世の中分からんもんだと、つくづく思う。
「では、今日はここまで」
ぼんやり考え事をしていたら、いつのまにかHRが終わっていたらしい。
鞄に教科書を突っ込んでいると、肩をトントンとたたかれる感触。振り返ると、すぐ後ろの席の男子が声をかけてきた。
「岡崎って、園崎さんの幼馴染なんだよな?」
「らしいな」
「らしいなって……なんで他人事なんだよ」
実際には詩音が勝手に追加した設定だから、とは口が裂けても言えないが。
「けどさあ、なんか漫画やドラマみたいだよなー、岡崎が羨ましいよ。園崎さんってアレで結構男子人気もあるからさ」
「ふぅん」
「夜道とか気をつけた方がいいかもな」と、笑いながら。
「妬いた輩に何かされるかもしれないし」
「ご忠告どーも」
俺は肩をすくめた。
「けど、ご期待に添えるような関係じゃねぇよ」
「え、そうなの?」
詩音には本命がいるだろうからな、と内心で補足しておく。悟史のことを詳しく聞いたわけじゃないが、ずっと待ち続けているというあの様子を見れば、どう考えても明白だろう。あまりそういう事に詳しくはないが、それくらいは俺でも分かる。
「あんなに毎日仲良く登校してるのに?」
「俺はアイツの駒みたいなもんだから。用済みになったらゴミ箱にポイってな具合で」
「そ、それって……」男子の目が輝いた。
「つまり女王様と下僕プレイってこと!?めっちゃくちゃ羨ましいんだが!?」
「いや全然違うんだけど……」
言いかけて、止まった。
関係性でいうと——あながち間違ってないのか?人生掌握されてるし、拒否権も特にない。煮るなり焼くなりって契約だしな。なんか悔しいが、下僕と言われたら否定しにくい。
「……まぁ、関係性だけでいえば、そう間違ってないかも」
「やっぱり!いいなそれ、詳しく聞かせろよ!」
そのとき、背後から声がした。
「あらー?」
全員の動きが止まった。
振り返る前から分かる。その声のトーンと、甘さの中にほんの少しだけ沈んでいる、低い底の部分。入学式の一件を聞いた後では、この声の底に何があるか、なんとなく察しがつく。
「誰が誰の女王様なんですかぁ?是非とも話を聞きたいもんですねぇ」
詩音が立っていた。ニコニコと、傍からみればそれは屈託のなさそうな完璧な笑顔で。ただ、本人を目の前にすれば分かる。これはもうにこやかにガンを飛ばされている、と。
「……」
クラスメートはすでに数歩後退していた。いい判断だ。
そのまま腕を掴まれて、教室を出た。連行、という言葉がこれほど似合う状況もそうそうないだろう。廊下に出る直前、ちらりと後ろを振り返ると——さっきの男子が、胸の前で手を合わせてこちらを見送っていた。その顔にはこう書いてある。「無事だったらまた会おう、友よ」。
廊下に出た瞬間から、説教が始まった。
「誰が女王様ですかっ、誰が!変な噂になっちゃうんでやめてください」
「いやすまん。ただ結構的を射てる指摘だったんでつい」
「ぜっんぜん違うでしょーがっ」
校舎を出て、並んで歩き始めても、詩音の口は止まらない。まあ、言いたいことは分かる。姐御的な立ち位置で女子たちから頼られている詩音にとって、変な色がついた噂は面倒以外の何物でもないだろう。女王様などというワードが一人歩きでもしようものなら、むしろ喜んで近づいてくる輩が出てきかねない。
さて、表向き詩音の話を聞きながら、内心では別のことを考え始めていた。そういえば、いつになったら仕事とやらが始まるんだろう。マンションに来て以来、買い物の付き添いやら勉強やら、ともすれば平和そうな日々が続いているが――悟史を探すという目的は、まだ動き出す気配がない。葛西さんが水面下で何かしているのかもしれないが、俺には何も知らされていない。このまましばらく学校に通い続けるだけなのか、それとも……
ぱちん。
額に、鋭い痛みが走った。
「……っ」
「アンタ今、考え事してたでしょう」
詩音が呆れたような瞳でこちらを見ていた。デコピンの体勢のまま、指を立てて。
「いいですか圭ちゃん。女の子と並んで帰ってる時に考え事とか、世が世なら死罪ですよ」
「戦国時代より乱世だなソイツは」
「現代でも十分重罪です」
詩音はふん、と鼻を鳴らして前を向いた。俺は額をさすりながら、仕方なく歩調を合わせる。五月の夕方の風が、二人の間を抜けていった。
「そういえば、さ」
「なんですか?」
「詩音の実家——というか、組の方には、まだ顔出してないよな」
「あー」と詩音の目が、わずかに横に逸れた。明らかに面倒なことを後回しにするときの顔だ。
「まがいなりにも付き人なら、挨拶くらいした方がいい気がして。園崎の力も色々使わせてもらってるし……てか、そもそも俺の存在って説明されてたりするのか?」
「面倒なので説明してません☆」
だろうとは思ったけどよ……
「……大丈夫なのか?」
「さぁ?」
あっけらかんと言う。
まがいなりにもヤクザの御令嬢である詩音と、同じマンションに住まわせてもらい、ほぼ毎日一緒にいて、学校にまで通わせてもらっている。なのに顔一つ出さないというのは——ある日突然、拉致されて監禁拷問とか、エンコ詰めみたいなケジメを取らされる羽目になりかねない。
まあ、元々死人みたいなもんだし、構いやしねぇか。
「……もう少し状況が落ち着いたら、顔出しに行きましょうか」
詩音が、少し間を置いてから言った。
「いや、言い出しておいてなんだが……あんま無理しなくてもいいぞ?」
「え?」
「よく分からねぇけど、実家と仲良さそうじゃないなら、その……無理する必要はないというか。なんなら俺一人でケジメつけにいくし」
「ふーん」
途端ににやにやとしながら、こちらを見てくる。
「……なんだよ?」
「圭ちゃん、他人に気を遣ってる場合ですか?それに言い出し方が下手すぎます。本当に家族仲悪い相手にそんな切り出し方はないでしょう」
「へいへい、余計なお世話だったな」
「ま、でも気持ちは受け取っておいてあげますよ」
詩音はそう言って、前を向いた。少しだけ、声のトーンが柔らかくなった気がした。
「心配しなくても、どのみち私も顔出す予定がありますから。その時に」
それ以上は何も言わなかった。俺も、それ以上は聞かなかった。
並んで歩く足音だけが、夕暮れの道に続いていく。
部屋に入って、鞄を床に放った。
ベッドに腰を下ろして、天井を見る。シミのない天井。病院のあれと違って、何も語りかけてこない。それでいい。俺には今、考えることがある。
悟史のことだ。
北条悟史。沙都子の兄で、魅音やレナたちとも親しかったと聞いている。昭和五十七年の綿流しの日に失踪して、それきり消息が掴めていない。詩音が探しているのは、その男だ。
雛見沢にいた頃、断片的に話は聞いていた。優しい兄貴で、皆に慕われていたと。詩音とも親しかったらしい――いや、親しかった、という言葉では足りないだろう。あれだけ待ち続けているなら、恋人同士だったと見るのが自然だ。
雛見沢では昭和五十四年から、オヤシロ様の祟りと呼ばれる連続怪死事件が起きていた。五十四年、ダム建設の現場監督がバラバラ殺人に遭い、作業員の一人が行方不明に。五十五年、ダム誘致派だった北条夫妻が展望台から転落、夫は死亡、妻は行方不明。五十六年、その北条夫妻を擁護した古手家の当主が急逝し、妻は鬼ヶ淵沼に入水自殺。五十七年、北条夫妻の縁者だった北条玉枝が撲殺され――そして彼女の甥、悟史が失踪した。
毎年、綿流しの夜に死者が出て、誰かが消える。そのサイクルの中に、悟史も飲み込まれた。
そして昭和五十八年。北条鉄平が死んだ。
俺が殺した。
つまり祟りは、継続されてしまったのだ。俺の手によって。思わず乾いた笑いが込み上げてくる。自分でも、なんて話だと思う。失踪は――俺自身が当たるのか?
吐き気がする。胃の底から、じわりと。こみ上げてくるものを奥歯を噛んで堪えながら、それでも冷静に考える。あの男――北条鉄平のことを。
殺されて当然の屑だった。沙都子を日常的に虐待して、金をせびって、あの子の人生を踏み躙り続けた。死んで悲しむ人間など、どこにもいないだろう。
では、俺がやったことは正当化されるのか。
否だ。
誰かのため、という前置詞を付けたところで、殺人は所詮殺人だ。裁かれるべき罪状に、違いなどない。鉄平を殺す以外に沙都子を救う方法が、本当になかったのか—— きっとあったはずだ。一見遠回りで、時間のかかる方法のようで、実は皆にとっても沙都子にとっても正しい方法が。俺はそこから目を背けて、短絡的な手段に走った。北条鉄平がどんな人間であれ、俺が軽蔑されるべき人種なのは間違いはない。
吐き気がまだ引かない。のうのうと学校に通って、詩音と並んで帰って、飯を食って眠る。その清算を、俺はまだ何一つしていない。していないまま、生きている。
なぜ詩音は俺に手を差し伸べてくれたのか。
本人は言っていた。目的のために利用できるものは利用する、と。俺が殺人鬼だろうが関係ない、と。確かにそれは本心なんだろう。
けれど俺からしてみれば——それは救いの手だ。
その手を甘んじて取ってよかったのか。もっとはっきり言えば、自分がこんなにも汚れた人間のまま、彼女の側にいることが許されるのか。
悟史のことを思う。詩音が待ち続けている、恋人のことを。
もし自分が悟史の立場だったら——大切な人の側に、殺人鬼がいる。それを知って、容認できるだろうか。受け入れがたい。どう考えても、受け入れがたい。だったらやはり、俺は拘束されたまま閉じ込められておくべきなんじゃないだろうか……それが正当な罰なんじゃないのか。
答えの出ない問いが、部屋の中をぐるぐると回り続けて。気づけば、窓の外が暗くなっていた。
ノックが二回。返事をする前にドアが開かれる。
「圭ちゃん、今日は外食にしますよ。準備してください」
詩音がひょこっと顔を覗かせる。しばらく天井を見たまま動かなかった。それから、ゆっくりと立ち上がった。
「……今行くよ」
答えながら上着を手に取る。やはり答えは出ない。じっと姿見を見つめる。右手は血に汚れているようで……無意識にズボンで“それ”を拭っていた。でもどれだけ拭っても拭っても……“それ”はへばりついているようで。
(殺人は所詮殺人……か)
村をまるごと消した人間が一体なにを怯えてるんだろう。いや、だからこそなのかもしれない。この苦しみは一生自分を蝕み続けるのだろう。続けなくてはならない。
ドアを開けると、廊下に詩音が立っていた。いつも通りの顔で、いつも通りの軽さで。唇を尖らせている。
「何ぐずぐずしてるんですか、お腹空きましたよ」
「悪い」
並んで廊下を歩き出す。詩音の足音が、軽やかに前を行く。
いつか答えを出さないといけない。自分の立ち位置を。そして処遇を、結末を。必ず。願わくばそれは……彼女への助けとなれれば。
そう思いながら、俺はその背中を追いかけた。