ひぐらしのなく頃に〜後祭り編〜 作:村人A
ある日の学校帰り。帰路の途中で、詩音がふいに尋ねてきた。
「今日の夕飯、何か食べたいものとかあります?」
彼女が作る時は、特に要望を聞かれたことはなかったのだが、珍しいな。
「作ってもらえるだけでありがたいから。何でも良いぜ」
「ふむ、殊勝な受け答えに見えて、その実丸投げしてるのでマイナスポイントですよそれ」
「いや、そんなつもりは……」
ないのだか、確かに飯については丸投げしてしまっているのは否めない。というか、住まわせてもらって、学校に通わせてもらって、ご飯も作ってもらってるって……これ俺完全にヒモじゃねぇか。今更ではあるが、何だかとてつもなく情けなくなってくる。
「ちょっと、なに急に落ち込んでるんですか?」
「……いや、俺の存在理由って何なんだろうって思ってさ」
「食べたいもの聞いただけでどんだけ卑屈になってんですか」
この状況を恥じらう程度のプライドはまだ残っているらしい。まぁ恥じたところでどうしようもないのだが……つくづく情けない。
詩音が少し呆れたような顔をしていたが、やがて何かを思いついたような間があって。
「そういえば圭ちゃん、自炊ってできます?」
「……ねぇな、ほぼ」
「やっぱり」
なら聞くなよ。
「いや、カップラーメンならある」
「お湯を沸かすだけじゃないですか、それ」
「沸かし方にも工夫がだな」
「水沸騰させるだけでしょう、何も工夫なんていりません」
詩音の歩みが、ぴたりと止まった。振り返って、じっとこちらを見る。品定めするような目だ。こういう目をする時のこいつは大体何かを決めた後だと、最近分かってきた。
「決めました。今夜から料理を教えます」
やっぱり。
「急だなしかし」
「善は急げです。最低限自分の飯くらい作れるようにしてあげます。いざとなった時に困るのはアンタ自身ですよ」
全くもっておっしゃる通り。
それだけ言って、詩音は歩き出した。反論の余地を残さない歩き出し方だった。俺はしばらくその背中を眺めてから、仕方なく後を追う。
とはいえ、基本中の基本くらいなら俺にも——それがいかに甘い考えかをすぐに思い知らされることになる。
詩音の部屋のキッチンは、俺の部屋のそれより随分広かった。調理器具も一通り揃っていて、なるほど自炊派らしい。
「今日は、肉じゃがから覚えてもらいます。基本中の基本なので」
エプロンをつけながら詩音が言った。手際がいい。エプロンの紐を後ろ手で結ぶ動作が、妙に様になっていた。
「俺も何かするか」
「じゃあエプロンつけてください。予備のが棚の二段目にあるので」
言われた通り取り出してつける。後ろでにきゅっと紐を結ぶと、不思議の気合が入る気がした。なんか、急に料理が得意な人間になったような──形から入るってのも大事なんだな。
「まずお肉の下処理からです。お酒に漬けます」
「下処理?」
「臭みを取るんですよ。お酒をボウルに適量入れて、お肉を浸してください」
なるほど……適量か。
「……適量って、どのくらいだ」
「適量です」
「だからどのくらい?」
詩音がこちらを見た。
「お肉が軽く浸かるくらいで大丈夫ですよ」
「それを最初からそう言ってくれ」
「それが適量って意味なんですけどね」
なるほど、料理の世界では適量という単語が具体的な数値を持たないらしい。不便な世界だ。俺はボウルにお酒を注ぎながら、どのくらいが「軽く浸かる」なのかを慎重に見極めた。多すぎず、少なすぎず。お肉を入れてみる。浸かってるか?浸かってる気もするし、足りない気もする。
「なぁ、これくらいで合ってるか」
詩音が覗き込んだ。
「合ってます。もう次に行きましょう」
「待ってくれ、もう少し確認したい」
「は?」
「本当に適切な量かどうか」
長い沈黙だった。
「……圭ちゃん」
「なんだ」
「下処理のお酒の量に正解はないんですよ。大体で大丈夫です」
大体。また難しい単語が出てきた。大体というのはつまりどのくらいの誤差を許容するんだろうか。
さて。次は調味料だった。醤油、酒、みりん、砂糖。詩音がレシピを差し出してくる。
「分量はそこに書いてあるので、その通りに計ってください」
渡されたレシピを見る。醤油大さじ三、酒大さじ二、みりん大さじ二、砂糖大さじ一。よし、なら計量カップで正確に計れば——
「……ちょっと、何やってるんですか」
詩音の声がした。振り返ると、呆れた顔でこちらを見ている。
「計ってる」
「それは見れば分かります。なんで定規まで出てるんですか」
「大さじ一杯が十五ミリだろ。カップでが十五ミリぴったりになってるかを確認してんだ」
ちゃんと水平になっているか、少しでもメモリを超えていないかのチェックだ。
「……アンタ、本気ですか」
「レシピ通りにやれと言ったのはお前だろ」
「大体の目安として書いてあるんですよ、そういうのは!」
また大体だ。料理の世界は大体と適量で出来ているとでもいうのか。
「そもそも「大体」とか「適量」ってのがどうなんだ。レシピってのは言わば設計書だろ?そんな作り手によって加減が変わるようなものを設計書にするってのは品質管理的にナンセンスだ」
「……」
露骨にため息話をつきながら、詩音がこめかみを押さえている。
「あのね圭ちゃん。調味料一つ一つにそこまでシビアに確認してたら日が暮れちゃいますよ」
「……俺はただレシピに従って」
「大まかでいいんです、基本の味付けや手順だけ頭に入れれば。ミリ単位の調整とかはプロの料理人に任せときゃいいんです。私たち庶民の料理は多少ずれても大きく味は変わりません」
「イメージできないんだよ……その、何をどれくらい使えば、どんな味になるのか、とか」
詩音がしばらく俺を見ていた。それから、はぁ、と心底から絞り出すようなため息をついた。
「…なんで勉強はあんなに出来るのに、料理になるとからっきしなんですか」
こっちが聞きたい。何もかもが未経験で、正直目が回りそうなんだ。
「いいですか、よーく見といてくださいね」
詩音は俺の隣に立つと、テキパキと、手を動かし始める。醤油をスプーンに取って、さっとボウルへ。みりん、酒、砂糖と続けて、あっという間に合わせ調味料が出来上がった。
「見たけど、正確に計ってねぇぞ?」
「……これが大体ってやつです。覚えといてください」
なんだか、手のかかる部下を持った上司、いやこの場合は手のかかる弟を持った姉のような表情にも見える。俺雛見沢にいた頃、魅音もよくこういう顔をしていた気がする。
その思考を、静かに押し込めた。今は料理の手順を覚えるのに集中しよう。
さて。詩音の指導の甲斐あって、なんとか肉じゃがが完成した。
鍋の中で、じゃがいもと肉が醤油色に染まっている。湯気が上がっていて、匂いは——悪くない。むしろかなりいい匂いがする。これが俺の作ったものとは、にわかに信じがたいのだが。
「あとは、盛り付けですね。料理本にあるような、こんな感じで。最後に小ネギをまぶして」
言われた通り、器に盛る。詩音が隣で腕を組んで見ていた。
「……ま、及第点ですかね」
「本当か」
「だいぶ採点甘くしましたけどね……でも、ほら。味見してみてください」
箸を取って、じゃがいもをひとつ口に入れた。
醤油の塩気と、みりんの甘さが混ざって——普通に、うまい。
「……うまいな」
「でしょう。やればできてるじゃないですか」
詩音が満足そうに頷いた。その顔が、なんとなく本当に姉みたいだった。褒めるのが上手い人間じゃないのに、こういう時だけさらりと言えるのがこいつの妙なところだ。
食卓に運んで、向かい合って座る。その間に俺はノートを取り出した。
「……何してるんですか」
「メモ」
「はぁ」
「今日の調味料の量、レシピからどのくらいずれたか記録しておこうと思ってな。今日のだと醤油が多分二十ミリくらい入ったから、レシピの五ミリオーバーと仮定して、みりんは——」
詩音が箸を置いた。
「……アンタ、私が言った意味を全く分かってないですねぇ」
底から絞り出すような、深いため息だった。俺はひとまずノートを閉じて、箸を取った。
一口食べる。うまい。詩音が向かいで箸を動かしながら、小さく呟いた。
「こりゃまだまだですねぇ」
「え、うまくできたんじゃねぇのか?」
「料理だけの話じゃないですよ」
彼女の言葉にイマイチ要領を得なかったが、向こうも言うのを諦めたのか軽く首を振るに留めるのだった。
食事を始めてしばらく経った頃、詩音がふと箸を止めた。
「なんか、イメージと違いました」
「何が」
「料理のこと。圭ちゃんって調味料とかも考えなしにどばっと入れるくらい雑なタイプかと思ってたんですよ。そしたら計量カップで一ミリ単位で確認してくるし」
「……俺はそんなイメージなのか」
ため息が出た。ガサツで雑で、料理も豪快に作って豪快に失敗する——確かにそういう人間に見えるのかもしれない。心当たりがないとは言えないのが悔しいところだ。
「違うんですか」
「さぁな……けど俺は本来、根暗なガリ勉なんだよ」
村に引っ越す前から色々ありすぎてもう自分がどんな性格なのか判然としないというのが正直な所だが、少なくともそういう側面の俺があんな取り返しのつかない事件を起こしてしまったのは事実だ。
「神経質だし、臆病だ。村では、そんな自分を変えたくてとにかく強がって明るく振る舞ってた……んだと思う」
別に全部が演技だったわけじゃない。あの場所で過ごした時間は本物だったし、皆のことが好きだったのも本当だ。ただ、それ以上に——明るく、強く、仲間を大切に。そういう人間でいたいという信念みたいなものが、確かにあった。
「なーるほど」と詩音は少し面白そうに言った。
「背伸びした高校デビューみたいな感じですか」
「ま、そんなとこだな」
その例えは正しいと思う。あらゆる意味で。
しばらく黙って箸を動かした。肉じゃがはまだ温かかった。
「けどねぇ。この有様じゃあ、一人の時はどうやって生活してたんですか、ご飯とか」
「外食か、店で買ってくるか。まあそんな感じだな……村にいた時は、アイツらに作ってもらったりしてた、けど」
言いながら、ふと手が止まった。
レナはよく作りにきてくれたな。魅音も色々差し入れをくれたっけ……沙都子も、あんなに小さかったのに一から色々料理をしてくれて……そういえばあの時も、今日みたいに怒られながら二人でキッチンに立ってたな。沙都子……俺が……取り返しのつかないことをしてしまったばかりに。
橋の上での顔が、脳裏に焼き付いて離れない。
「楽しかったんですか、その時間」
詩音の声で、我に返った。責めているわけじゃない。ただ真っ直ぐに、聞いている。
「……まあ、な」
「だったら、その時の圭ちゃんも本物だと思います」
「……」
「私、皆さんに会いに村に行く機会はそんなに多くなかったですから」
聞かせてくれませんか?村での、圭ちゃんと皆さんのこと。
病院にいた時の俺なら……発狂してしまったかもしれないけど。今は、彼女の前だからか、それとも肉じゃがの匂いが懐かしい何かを引き出したのか、自然と口が動いた。
分校のこと、部活のこと、皆で興宮に遊びに行ったこと──時系列のめちゃくちゃで、話の繋がりもなくて。でも……話しながら、それぞれの顔が浮かんでくる。
全員、もういない。
「お姉らしいですね。それは」
詩音が静かに言った。……何の話をしていたのか、そうだ。イカサマがバレそうになって魅音と大立ち回りの乱闘騒ぎになった時の話だったな。
「……なんで急にこんな話してるんだろうな」
「いいじゃないですか、たまには」
ふと、詩音が席を立って、戸棚をごそごそやり始めた。何を取り出すのかと思ったら。
「さて、辛気臭い話もアレですし、今日はパーっと飲みますか」
「大信州」と文字が刻まれた一升瓶。日本酒である。
「は?日本酒?」
「あら、圭ちゃんはビールとかのが良い口です?」
「じゃなくて」俺は思わず立ち上がった。
「未成年だろ俺らはっ!!」
何当たり前のように酒出してんだこいつは。
「硬いこと言いっこなしですよ。別に犯罪するわけでもないでしょうに」
「いや犯罪!法律違反だろーがっ!」
「人殺してる癖に小さいこと気にするんですねぇ。殺人なんかよりよっぽど軽い罪状でしょーに」
「お前それは言いっこなしだろ……」
「あ、今の笑うトコですよ」
「……」
もう怖いよお前……
結局、その後十分かけて詩音を説得して、日本酒の瓶は戸棚に戻させた。詩音は最後まで不満そうだったが、俺が瓶を物理的に取り上げたので諦めた。