ひぐらしのなく頃に〜後祭り編〜 作:村人A
担任が教室を出ていき、放課後を告げるチャイムが響いた。
ぐっと伸びをしつつ、帰り支度をしているクラスメートたちの様子を眺める。さて、今日はどうしようか。
詩音はさっきからクラスの女子に連れられてどこかへ行ってしまった。別に毎回一緒に帰らなくてもいいだろう。そういえば定期考査も近い。図書館で少し勉強していくか——そう決めて、鞄を手に教室を出た。
下駄箱に向かって廊下を歩いていたら──唐突に、首が締まる感覚が。え?何だ?
「ちょっと来てください」
「っ……待て待て、何だ急に」
そのまま首根っこを引っ張られる。
振り返るまでもない、詩音だ。こんな乱暴な扱いはアイツしかいない。
「説明は後です、取り敢えずついてきてください」
「せめて離してくれ、首が」
付いてこい?これでは連行だが……まぁ俺のか弱い抗議など届くはずもなく。
詩音はそのまま俺を引っ張っていく。廊下を曲がって、また曲がって、人気の少ない渡り廊下の端へ。そこに一人、女子が立っていた。
ふんわりとした茶髪を肩まで垂らした少女だ。
彼女には……見覚えがある。確かクラスメートで、詩音とよく話しているのを見かける子だ。
「圭ちゃん、紹介します。真田あかりさん、私の友人です」
詩音がにこやかに言った。状況が全く飲み込めていない俺に向かって。
「えっと……よろしく」
「あ、は、はい……よろしくお願いします、岡崎くん」
真田さんが小さな声で頭を下げた。見た目以上に大人しい性格のようだ。
「で、一体全体なんなんだ?」
抗議もかねて詩音に視線を投げると、「事件です」と彼女は人差し指を立てた。
……事件?
「この学校に許しがたい変態クソ野郎が出現しました。直ちにこの問題を解決して、犯人を確保。そしてしかるべき制裁を与えようと思います」
「はぁ?」
「あ、圭ちゃんの事じゃないので安心してください。確かにアンタも救いがたい変態ですけど、こういった卑劣な手を使う人間だとは思ってませんので⭐︎」
「さっぱり事態が飲み込めねぇが、お前が喧嘩を売ってる事だけは理解したぞ」
誰が救いがたい変態だ。
「まぁまぁ、順を追って説明しますね」
詩音が少しトーンを落とした。そして周囲に誰もいないことを確認して、再び口を開く。
「今日の三限目に体育があったでしょ。あかりさんが授業が終わって教室に戻った後、体操服袋を机の横にかけて置いといたそうなんですが——五限目の選択授業で教室を出て、戻ってきたら見当たらなくなってたそうなんです」
「無くなってた?」
「ええ。つまり、体操服盗難。最低の変態野郎による犯行です」
「……おいおい」
随分と穏やかじゃない断定だ。まだ盗まれたと決まったわけでもないだろうに。
「えっと……真田さん、だっけか」
「う、うん」
「どっか別の場所に忘れてきた、とかそういう心当たりはないのか?」
「……ううん。ちゃんと教室に、机の横に掛けておいた、から。四時間目の選択授業で教室を出るまでは確認してて。でも帰ってきたら……その、無くなってて」
選択授業はそれぞれ科目によって受ける場所が違う。クラス内で皆が三つの科目から選ぶが、どれも教室ではないため、この時間は教室がもぬけの殻になる。つまりその間、誰でも教室に入れた、と。
「先生とか周りには聞いたのか?」
「……ううん。その、あまり大ごとにしたくなくて」
なるほど。まぁ本当に盗まれたんだとしたら、本人としても色々と大変だろうしな……既に詩音が騒ぎを起こしかねない勢いではあるが。
俺は詩音に視線を向けた。説明は分かった、だがそれで俺が何故ここに連れてこられたのかがまだ分からない。
「……俺に何をしろと」
「犯人確保に圭ちゃんも協力してもらいますよぅ。あと、もし犯人がヤバい獲物を持ってたりしたら、か弱い私達の盾になってもらおうかと」
「獲物て」
そう言ってウインクする詩音。盾か。“付き人”らしい仕事ではある……のか?なんか違う気もするが。
「けど、良いのかよ?俺に話して……その、デリケートな問題じゃねぇのか?」
「おや、歩くノンデリこと圭ちゃんがそんな気の遣い方ができるなんて」
「変なあだ名を付けるなよ……」
「ま、でもそこはモーマンタイですよ」
俺が渋い顔をしていると、詩音がにこやかに真田さんに向き直った。
「“今の”圭ちゃんは友達もいないし、クラスでもずっと一人でいるタイプなので、余計な話を広める人脈がありません。だからあかりちゃんも、安心してください」
「無闇に俺を傷付けるのはやめろ」
何のフォローにもなってない。
しかし、真田さんは、おずおずと俺を見た。目がまだ少し潤んでいる。
「……よろしくお願いします、岡崎くん」
あぁ、こんな顔で頼まれたら断れる訳もねぇよな。
「……分かったよ」
三人で廊下を歩きながら、俺は詩音に尋ねた。
「けど、なんだって盗難だと決めつけてんだ。目撃者がいたとかでもないんだろ?」
「女子の体操服が無くなるなんて、これはもう変態による仕業以外にないでしょう」
「……少しは言葉選べよ」
俺はちらりと真田さんに視線を送った。さすがに直接的すぎる。しかし真田さんは苦笑いしながら「大丈夫だよ」と小さく返してきた。慣れているのだろう、詩音のこういう物言いに。
「因みに聞くけど、確保したらどうするつもりだ」
「そうですねぇ」と詩音は少し考える素振りをした。
「初犯であれば社会的制裁、はさすがに可哀想なので、温情で私達だけの秘密にする代わりに、効き腕の指を全て折る、くらいでしょうか」
「お前頼むから司法の道とかに進むなよ」
むしろヤクザ組織の次期当主候補だったか。ふと見ると、隣で真田さんがくすくすと笑っている。
教室は放課後で人気がなく、夕方の光だけが窓から差し込んでいる。
「で、どう調べる気だよ」
「まずはこのクラスの連中から容疑者をリストアップするべきですね。葛西に過去の履歴を洗い出させて絞っていきますかね」
葛西さんに激しく同情する。あの人は詩音の付き人として、一体どれだけの無茶振りをこなしてきたんだろう。
「……そのあとは?」
「そうですね……一人一人呼び出してご——尋問でしょうか」
「拷問って言おうとしたなかった今」
「まっさかー」
さすがヤクザの娘だ。悪い意味で。
さて、葛西さんの手間と新しく生まれかねない冤罪を未然に防ぐために、早いところ彼女の探し物を見つけてしまわねば。責任重大だ。
「真田さんの机は」
「えっと、ここ。窓際だよ」
真田さんが自分の机に近づいた。俺と詩音もその後に続く。
「ここの、机の角に置いてたんだけど」
真田さんが指さす机、その周辺をゆっくりと見渡した。袋が置いてあったという窓際の角。机の表面。窓の桟。椅子。ひとつひとつ、順番に目を走らせていく。
ふと、机の角に違和感を覚えた。
「……これ、いつからあったんだ?」
机の角の表面には削られた──いや、突いたような跡がある。それも比較的大きい。少なくとも普段使いで利用する分には出来そうもなさそうな傷のように見える。
「え……気づかなかった。もともとあったのかな」
「それが何だっていうんですか」と詩音が割り込んできた。「傷のひとつやふたつ、どの机にもあるでしょう」
「………」
机の角の跡を頭に置きつつ、視線を窓の桟に移した。
何かが引っかかっている。細い、数本の紺色の繊維だ。
「なぁ、体操服袋の紐ってどんな色だ」
「え?えっと……紺色の、細い紐だけど」
「……これか」
窓の桟を指した。真田さんが覗き込んで、小さく息を呑む。
「それ、私の袋の紐と同じ色だ」
「どれどれ」と詩音が割り込んできた。しばらく繊維を眺めてから、小首を傾げる。
「つまり袋が窓の外に引っ張り出されたってことですか」
「可能性はある」
「でもここ三階ですよ。窓から侵入するなんて、余程周到な輩ですねえ。脚立でも使ったんでしょうか。あるいは壁をよじ登るくらいの体力がある人間か」
「というか、三階まで来られる人間がわざわざ窓から袋を持ち出すか?普通に教室のドアから出た方が早いだろ」
「……確かに」詩音の眉がわずかに寄った。
「では外部犯?外から何らかの方法で」
「かもな」
少なくとも学校内に犯人はいない気がする。
窓から引きずるような盗み方。机の角についた、日常生活ではまずつかないような妙な角度の傷。
人間というよりは……むしろ。
窓からベランダに出ると、初夏の風が頬を撫でた。
詩音は早速ベランダの外壁に手をかけて、下を覗き込んでいる。人間が外壁をよじ登った痕跡でも探しているんだろう。真田さんはおずおずとその隣に立っていた。
俺はベランダの床に視線を落とした。ゆっくりと、端から端まで目を走らせていく。
ふとベランダの隅に目が止まる。
「……詩音」
「なんですか、変死体でもありました?」
「いるかんなもん。これを見てくれ」
俺が拾い上げたのは、一枚の黒い羽だった。
振り返った詩音が、怪訝そうに眉をひそめる。
「羽根?」
「カラスの羽根だ」
「それが何だっていうんですか」詩音はあっさりと言った。
「カラスなんてどこにでもいるでしょう。こんな羽根のひとつやふたつ、どこのベランダにだって落ちてますよ」
俺は羽根を拾い上げたまま、視線を教室の中に向けた。さっき気になった、机の角の傷。
「あの傷、コイツが付けたもんじゃねーかな」
「……は?」
「鋭いクチバシなら、あんな感じに削れる気がしねぇか?」
詩音と真田さんが顔を見合わせてから、机の角に視線を移した。二人とも首を傾げている。俺も改めて机を見る。確かに、鋭いクチバシで突かれたとすれば——あの削れ方は、むしろそっちの方がしっくりくる。
「例えば……コイツが窓の隙間から入って、体操服袋の紐を咥えて、窓から出て行った……ってのはどうだ?だから紐が隙間に擦れて、繊維が残ってた」
「あかりさんの体操服袋を、わざわざカラスが?」
詩音が眉を上げた。
「ただの布袋ですよ?」
「それは……」
まぁ、確かにそうだ。
俺は真田さんに視線を向けた。
「なぁ、その袋に食べ物とか入ってなかったか?」
「うぇ?え、えーと」
「例えば……そう。給食で食べきれなかった物を包んで、とか」
真田さんが固まった。
数秒の沈黙。それから、ゆっくりと視線が泳ぎ始めた。
「そ、その……食べきれなかったから、もったいなくて」
ぽつり、と。
「給食のパン、袋に入れてた」
詩音がくすくすと笑い出した。堪えようとしているのか、口元を手で押さえているが、肩が揺れている。
「し、詩音ちゃん!笑わないでよっ」
「いやぁ……あかりさんらしいというか」
「全然フォローになってないからね!?」
真田さんが真っ赤な顔で抗議している。詩音はまだ肩を揺らしていた。
彼女も大災害で多くのものを無くしたはずだけど、その後に築き上げたものだってある。
彼女たちの様子に、少しだけ微笑ましい気持ちになりつつも、頭の中を整理した。パンの匂いにつられたカラスが窓から入り込んで、袋ごと持ち去った——動機はこれで確定だ。あとは袋がどこにあるか、だが。
カラスの習性を思い返す。見晴らしの良い高い場所を好む。獲物を持ち去るなら、より安全で周囲を見渡せる場所へ。この校舎で一番高い場所といえば——
「屋上じゃないか」
二人が振り返った。
「カラスは見晴らしの良い高い場所を好む。獲物を持ち去るなら、屋上が一番しっくりくる」
「ふむ」
詩音がようやく笑いを収めた。腕を組んで、少し考えるような顔をする。
「じゃあ屋上に行きますか」
「ああ」
真田さんがおずおずと手を挙げた。
「あの……パンのこと、二人だけの秘密にしてくれると嬉しいんだけど」
「もちろんですよ」と詩音はにこやかに言った。
「ああ、口外しねぇよ」
「する相手もいないでしょう」
「やかましい」
一言余計なお嬢にひと睨み返すがどこ吹く風だ。
真田さんがまたくすくすと、可笑しそうに笑っていた。
屋上の扉を開けると、再び初夏の手前の風が吹き込んでくる。
そしてフェンスの手前に、見覚えのある紺色の巾着袋が落ちていた。
「あった」
真田さんが駆け寄って拾い上げる。袋の口が開いていて、パンの欠片が周囲に散らばっていた。袋の側面には、鋭いもので突いたような跡がいくつかある。
「体操服は?」
「……無事だった」
真田さんがほっと息をついた。その肩から力が抜けるのが見えた。
「カラスなら、拷問は諦めるしかないですねぇ」
「……ホントに拷問する気だったのかよ」
「もー、冗談じゃないですかぁ」
コイツが言うと冗談に聞こえねーんだわ、性格的にも立場的にも。
しかしこれで、無用な冤罪は起こることも無くなった訳だ。かなりの大役ではないか。
「けど凄いじゃないですか圭ちゃん!まるで名探偵みたいでしたよ!」
「つーか、お前が勝手に暴走してくれたから、俺が冷静になれただけだと思うぞ」
「あー、圭ちゃん良くないですねぇ。褒められた時は素直に喜ぶもんですよー」
詩音が頬を膨らませた。
「本当にありがとう、岡崎くん」
真田さんが、ふわりと笑いながら言った。
「お、おう……」
岡崎。やっぱり慣れない、この苗字には。前原じゃなくて岡崎。呼ばれるたびに一瞬だけ、どこか遠いところが引っかかる。……まぁ、別にいいか。
「ちょっと圭ちゃん!私の時と反応違いすぎません?」
「んなこたぁない」
「あるでしょう絶対!」
真田さんがくすくすと笑った。
「二人って、本当に仲良いよね」
「仲良くはないです」と詩音が即答した。俺も首を傾げる。仲が良いように見えているんだろうか……所詮は駒でしかない存在だが。
だが、俺たちの反応などお構いなしに「それにね」と真田さんが続ける。
「詩音ちゃん最近本当に楽しそうで。岡崎くんの話ばっかりするから」
「ちょっとあかりさん!余計なこと言わない!」
詩音が珍しく慌てた声を出すが、真田さんはどこ吹く風で笑っている。すっかり先程と形成逆転しているようだ。
俺はそのやり取りを横目に、フェンスに近づいた。視線を上に向ける。夕方の手前、少しだけ茜色に染まり始めた空が広がっていた。病室で見ていたカーテン越しの空より、ずっと近い気がする。
わいわいと騒いでいる二人の声を背中に聞きながら、俺はしばらくその空を見上げていた。