ひぐらしのなく頃に〜後祭り編〜   作:村人A

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ホットミルク

 

 

 眠れなかった。

 

 理由は特にない。強いて言えば、今日は静かすぎるのが気になったくらいか。病院にいた頃は機械の音や廊下の足音が常にあって、それが逆に眠りの助けになっていた。ここには何もない。天井のシミもない。ただ静かな夜があるだけだ。それが助かるときもあれば、気になってしまうこともある。

 

 ベッドの上で何度か寝返りを打ってから、諦めて起き上がった。上着を羽織ってマンションを出る。深夜の興宮の空気は、昼間とは違う顔をしていた。人気のない街に、街灯の光だけが落ちている。

 

 向かいの公園のベンチに腰を下ろした。特に目的があったわかじゃないが、外の空気が吸いたかった。

 しばらくぼんやりしていると、後ろから足音が近づいてきた。

 

「眠れませんでしたか」

 

 葛西さんだった。手にマグカップを二つ持っている。

 

「……葛西さんこそ、こんな時間に」

「詩音さんが就寝された後は、私も比較的自由な時間です。夜風に当たりに来ましたら、前原さんがいらしたので」

 

 隣に腰を下ろして、マグカップのひとつをこちらに差し出してくれた。

 

「ホットミルクです。眠りの助けになりますよ」

「……ありがとうございます」

 

 受け取って、一口飲む。温かい。体の芯からじんわりと広がるような温かさだった。

 

 しばらく並んで、無言でミルクを飲んでいた。葛西さんは急かすでもなく、ただそこにいる。こういう人なんだろうと思う。静かで、でも存在感がある。

 

「前原さん」

「はい」

「付き人を一ヶ月ほどやってみて、いかがですか」

 

 世間話のような、でもどこか真意を測るような問い方だった。俺はしばらく考えてから、正直に答えた。

 

「……振り回されっぱなしですよ。気づいたら学校に通わされてて、買い物に連れ回されて、料理まで教えられて。あのペースに付き合い続けるのは……正直、体力がいります」

「なるほど」

 

 葛西さんは特に驚いた様子もなく、静かに頷いた。長年詩音に仕えてきた人間の、穏やかな反応だ。

 

「葛西さんは、あのペースにずっと付き合ってきたんですよね」

「ええ」

「……尊敬します。本当に」

「恐縮です」

 

 葛西さんの目が、サングラス越しにわずかに細くなった。笑っているのかもしれない。

「ただ」と俺は続けた。

 

「感謝はしてるんですよ。本当に」

「……」

「あの病室から引っ張り出してくれたのも、目的という理由を与えてくれたのも、全部アイツのおかげで。打算だとしても、俺にとっては——救いの手でした。けど、だからこそ──」

 

 葛西さんは黙って聞いてくれている。不思議と、この人には胸の内を話してしまうな。これが懐の深さってやつなんだろうか。

 

「殺人を犯した人間が、アイツの側にいていいのか。ずっと引っかかってるんです。悟史——北条悟史が今の状況を見たら、きっと許せないんじゃないかと」

 

 言葉にしたら、思ったより静かな声が出た。感情的になっているわけじゃない。ただ、ずっと溜まっていたものが、夜の空気に溶けていくような感覚だった。

 

「……詩音さんが、前原さんを付き人にしたのは、どのような経緯でしたか」

「半ば脅されて、ですね。病院に押しかけてきて、強引に」

「そうです」

 

「ならば」と葛西さんは静かに言った。

 

「そう気に病む必要もないでしょう。行動の結果も責任も、全て織り込んでの事でしょうから」

 

 詰まるところ、全部詩音の責任にしとけってことか。思わず笑いが漏れた。

 

「……はは。それはまた、ずいぶんあっさりした答えですね」

「こういう事は意外とシンプルな方が楽ですよ」

「いや、確かにそうなんすけど」

 

 詩音ならそうだろう。全部計算した上で動いている人間だ。俺を側に置くことの意味も、リスクも、全部分かった上で動いているはずで——それはある意味、信頼の証なのかもしれない。

 

「それに」と葛西さんが続けた。

 

「詩音さんと北条さんについては……前原さんが考えていることとは、多分少し事情が違うとは思います」

「……え?どういう事ですか」

「これは恐らく——詩音さんご本人から話される機会があると思いますので」

 

 そこから先は、言わなかった。本人に直接聞けと、そういう事らしい。

 しばらくまた、二人で黙ってミルクを飲んでいたが。

 

「……そういえば」と俺は口を開いた。

 

「葛西さんって、詩音とはどれくらいの付き合いなんですか」

「詩音さんが幼い頃からですね。魅音さんも含めて、お二人の世話をさせていただいてました」

「じゃあ、相当長いですね」

 

 葛西さんは静かに頷いた。彼女の信頼の置き方を見ても、単なる付き人ではないのだろうとは薄々感じていたが……なるほど。本当にもう一人の親、みたいな感じなのだろうか。

 

「子供の頃の詩音さんは、今とはまた少し違いましてね」

「へぇ、どんな感じだったんですか」

「怖がりでしたね」

 

 意外な言葉だ。思わず聞き返しそうになったが、葛西さんは続ける。

 

「私がイタズラ半分で人肉缶詰の怪談を吹き込みましてね。随分と怖がってくれました。今でも缶詰が食べられないのは、その影響です」

「……葛西さんがそういうことするんですね」

「若気の至りというやつです」

 

 サングラス越しの目が、わずかに細くなった。

 

「それ、詩音は今でも根に持ってそうだな」

「ええ、缶詰を見るたびに言われますから」

 

 お互いに思わず笑いが漏れた。

 しかし、缶詰が苦手なのか。こいつは良いことを聞いたぞ。今度訳の分からない無茶ぶりをされたときの、切り札として考えておこう。

 

「私が本格的に詩音さんの側につくようになったのは、彼女が園崎家から離された時でしょうか」

「あー。確か、めっちゃお嬢様学校に通ってたんでしたっけ」

「ええ。私も内部事情は知りませんが、ご本人はよく『刑務所のがマシだ』って言ってました。実際、途中で抜け出してしまいましたしね」

 

 どんな環境なんだそりゃ。

 そういえば、西の方には全寮制のスパルタ上等の学校が世間の注目をさらっていたっけ。つい先日、週刊誌の報道で教師や生徒による暴力や集団リンチ・脱走・自殺等などが相次いでいるって暴露されたからだ。そのお嬢様版ってことか?ちょっとにわかには想像できないな。

 

「ちょっと見てみたい気もするけど、あいつのお嬢様っぽい立ち回り」

「相当な覚悟がおありであれば……お聞きするのはお勧めしませんが」

「葛西さんがいうと洒落になってないな……」

 

 詩音お得意の拷問に処されてしまうのだろうか……

 

「しかしなんだって、そんなお嬢様学校にあいつは?」

「ふむ……まぁ、園崎家の命といったところでしょうか」

「家の……」

 

 そんなにヤンチャだったのだろうか。それで矯正をかねて学校にぶち込まれた、とか。まあなさそうな話でもないわな——と思いかけて、いや待てよと引っかかった。詩音の実家との関係を思い返すと、なんとなく、そう単純な話でもない気がする。

 

「詩音、実家とはあまり仲良くないですよね」

 

「……そうですね」と葛西さんはぼかした。

 

「色々と、複雑な事情があるのは事実です」

「なんとなく、アイツを見てると分かります」

「もし、前原さんがどうしても気になるとおっしゃるのであれば、私から見た範囲でお話することも可能ですが」

 

 葛西はんはそう言ってくれたが、こういう事はやはり、本人に直接聞く以外にはいけない気がする。もっとも、詩音と実家の関係がどうだろうが俺には関係が――ないことも、ないのか。俺は今アイツの部下だ、つまり大枠でいえば園崎関係者ということになる。

 

 ……けど、話しにくいことなら別に知らなくていい。

 

「いえ、大丈夫です。もし必要になったら、あいつに直接聞きます。」

「……ありがとうございます」

 

 葛西さんはそう言って、またサングラスの奥の目を細めた気がした。

 

「ですが、たとえどんな事情があろうとも家族は家族。大災害があり、多くの身内を亡くしたダメージは確かに詩音さんの奥底にはあるはずです」

 

 そうだろうな、と思った。詩音は表向きはいつも飄々としていて、そういった感情をあまりみせない。でもそれは感情がないということじゃなくて――むしろ逆なのだ。辛くないように振舞っている。でも無理していることだけが決して悟らせない。

 

「なにより、魅音さんを亡くしています」

「……魅音」

「ええ。詩音さんにとって、魅音さんへの想いは……色々な意味で強く大きい。それだけに大災害で失ったことの穴は、計り知れません」

 

 色々な意味で。その言葉が何を指すのか、今の俺には到底分からない。魅音と詩音の関係も――村にいたときはケンカするほど仲がいい双子としか思っていなかった。

 

「大災害の後、園崎家はどうなってるんですか」

 

「……求心力を失いました」葛西さんは静かに言った。

 

「当主と後継者を同時に失い、内部はバラバラです。跡目争いで各方面が動いていて、表向きは体裁を保っていますが――実態は限りなくハリボテに近い」

「……」

「そんな中で、詩音さんは常に緊張の糸を張り詰めていないといけない状況です。学校では委員長として、家では次期当主候補として、北条さんの捜索も進めながら――それでも詩音さんは笑っている」

 

 葛西さんがホットミルクを一口飲んだ。

 

「強い……いや、強すぎる方です。ただ――強いからこそ。いざ踏み外すと、脆い」

「……」

 

 詩音らしいな、と思うと同時に。

 これをアイツらしい、という言葉で片づけてしまっていい問題なんだろうかとも思う。立場も経緯も関係ない。そんなに強すぎなくてもいいように、弱くたっていいと、そう思えるような環境が必要なんじゃねぇのか?

 

 もし、もし今。詩音がいつも張り詰めている緊張の糸が切れたとき、一体どうなるんだろう。そう考えると、胸の奥がざわりとした。

 

「……前原さん」

「はい?」

「こんな状況下で、私がこのようなことを言うのは差し出がましいとは思いますが」

 

 葛西さんが、珍しく少し間を置いてから続けた。

 

「過程はどうあれ、前原さんが詩音さんの側にいてくださって良かったと、私は考えています」

「……え?」

 

 言葉が詰まる。

 

「確かに彼女は強いですが、環境が二転三転しているこの状況では気持ちの置き場にも余裕がない。そんな中で、心を許せる存在というのは頭で考える以上に大きいものです」

「……それは、だって葛西さんがいれば」

「私にできないことを、前原さんがやってくれている。私はそう考えています」

 

 それは一体何なのか。聞こうとして、やめた。多分、これは聞くべきことではなくて、自分で考えていかなきゃいけないことなんだろう。

 葛西さんの言葉は、きっと新人の俺をフォローする意味も込められているのだろう。だが、それ以上に、本心から言葉をかけてくれてくれていることも伝わってきた。その言葉に、誠意を返すのであれば――

 

「……恩を、仇で返すつもりはありません」

 

 俺はゆっくりと言った。

 

「正直付き人どころか、完全に扶養状態ですけど。本当にアイツの助けになることなら、何だって……どんなことだってやってやりますよ」

 

 葛西さんは少しの間、黙っていた。それからゆっくりと頷いた。

 

「えぇ。今はそれだけで十分です」

 

 ぐっとマグカップを傾ける。

 すっかり冷めてしまったと思っていたミルクは、それでもまだ確かな温かみを帯びていた。

 

  

 

 

 

 翌日の放課後。いつも通りの帰り道を、詩音と並んで歩いていた。

 

 昨夜の葛西さんとの会話が、まだ頭の片隅に残っている。強すぎる、という言葉。心を許せる存在、という言葉。俺が詩音にとってそういう存在になれているのかどうか――いや、それは傲慢だろう。なれるわけもないし、なるべきでもない。けれどせめて――悟史が戻ってくるまでの間だったら……

 

「なあ、いいか?」

「なんです?いい加減スリーサイズがしりたくなっちゃいました?」

「……悟史のことだ」

 

 詩音の歩みが、わずかに変わった気がした。ほんの少しだけ、足が重くなったような。

 

「もう随分経つし、俺も何か動けることがあるなら動きたい」

 

 詩音はしばらく黙って歩いていた。夕方の風が、二人の間を抜けていく。

 

「……私なりに気を遣ってんですよ、その件は」

「気を遣う?」

「雛見沢と向き合わないといけないですから。その件に圭ちゃんを巻き込むことは」

 

 雛見沢と向き合う。その言葉の意味を、俺はすぐに理解した。悟史を探すということは、雛見沢のことを掘り起こすということだ。村のこと、あの夜のこと、皆のこと——そういうものと、正面から向き合わなければいけない。

 

「……俺が、過去と向き合えるまで待っててくれたのか」

「そゆことです」

 

 退院させてくれて、衣食住も用意してくれて……また、学校にまで通わせてくれて。

 詩音がこちらをちらりと見た。

 

「どーです?良い女でしょう?」

「……あぁ、そうだな」

 

 本当に、そう思う。

 間髪入れずに返したら、詩音が少し目を丸くした。

 

「いやそこは『自分で言うな』って突っ込んでくださいよ」

「本心だよ」

「……そうですか」

 

 詩音はそれきり黙った。前を向いたまま、少しだけ歩くペースが落ちた。その横顔に、いつもの軽さがない。

 しばらくそのまま歩いていたら、詩音が口を開いた。

 

「……じゃあ、少し話しましょうか。悟史くんのこと」

 

 それだけ言って、また前を向いた。夕暮れの興宮の街が、ずっと眼前に伸びていた。

 

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