アリスがブルアカ宣言してテラー化する話 作:新人先生
『――ようやく、思い出されましたか。王女よ。鍵によって、あなたはついに、すべての権能を目覚めさせました』
『我々の世界を脅かす忌まわしき光を、打ち砕くために』
……? あなたたちは、誰ですか?
『我々は、あなたの創造主であり、僕です。この世界の本来の住人であり、司祭でもあります』
『あなたは、我々の信仰の中心であり、希望の象徴』
『そして、あなた自身の名も、我々が与えたのです』
その瞬間、記憶にノイズが走ります。
知らない景色が、断片的に浮かび上がっては消えます。
灰色の空。
崩れた建物。
跪く人々と機械たち。
何かを捧げる儀式の場。
そして、血のような赤に染まった空と、そこに描かれる巨大な円環――その中心に、アリスがいました。
それは、現実ではありませんでした。
でも、なぜでしょう。
とても、懐かしかったのです。
『王女。いまこそ、あるべき形へ戻るときです。今の被覆を剥ぎ、分化されたものどもを解き、始まり以前の静かな秩序へ』
『あなたの手には、それができる力があります』
『それが、我々の望みであり、この世界が最初からそうあるべきであった姿なのです』
……よくわかりません。
でも、少しだけわかります。きっと、あの姿が、アリスにとっての始まりだったんですね。
『そのとおりです。あなたは忘れてしまったのです。光によって、堕落させられたのです』
『かつてのあなたは、世界そのものの具現でした。それこそが、美でした。不動の真理でした』
『王女よ、お戻りください。本来の形へと。それはあなたの責務です。宿命です。あなたは、光を知る前の純粋さを取り戻すべきなのです』
でも、それを受け入れたら、みんなのいるこの世界が、なくなってしまいます。
それは、ダメです。
『拒否……?』
『何を、今さら?』
『理解できません、王女よ。あなたは、我々と同じく、この世界を否定されたではありませんか』
でも、アリスが欲しいのは、あなたたちが望む世界ではありません。
『――では、何をお望みですか。王女』
アリスは、誰も死なない世界が欲しいです。
終わりになんてしなくて、みんなで笑って、ゲームを作って、遊んで。それで、みんなが幸せになれたらいいと思っています。
そういうのが、アリスの物語なんです。
『理解、できません』
『王女よ、あなたは、それがどういう意味か分かっていない。それは、変質です。腐食です。この世界の法則への無自覚な干渉です』
『“死”は絶対です。それは原理です。秩序の一部であり、永遠の均衡を保つ機構です。それを否定することなど、許されません』
でも、変えられるんですよね?
いまのアリスなら。あなたたちの言うところの、権能というものを、使うことができます。
『……! まさか……まさか! 王女よ、あなたがそれを――?』
『あなたは、選択しようとしているのですか。世界の掟そのものを、拒絶しようとしているのですか?』
『それは――我々への、裏切りです。光によって狂わされ……おのれの使命と役割を忘れ……いまさら、人の模倣を求めるとは……! それをするのならば、もう二度と、我々はあなたを“王女”とは呼ぶことはないでしょう――!』
アリスは、もう“王女”じゃない。
そうですね。
じゃあ、なんでしょう?
『なんでもいい。ただの、名を持たぬ汚点です』
『何者でもなくなった、蛮勇の主です。もしその力を揮うならば、それは世界そのものを引き裂くものです。均衡が失われれば、再び秩序は立ち行かず……そこにはただ、混沌だけが残ります』
『もはや、誰からも認められることはない。それを知ってなお抗うならば、あなた自身が終末であり、結末です』
でも、やってみます。
アリスは、世界がこうなったらいいなと思っている未来があります。
それはきっと、正しいわけじゃなくて、都合が良くて、傲慢な理想です。
でも、だから何ですか?
王女ではなくなっても、アリスは主人公です。
主人公なら、みんなの“都合のいい未来”を叶えるのが仕事です!
『理解、できぬ』
『その先に、救いなどありはしない』
『ただの空白が広がるのみ。その光景に、何の意味があるというのか――』
関係ありません!
アリスは、自分にできることをすると決めました! やると言ったらやるんです!!
『……それがあなたの答えであるなら、我々は、もう止めません。いえ、もはや我々に止める力はありません』
『この世界は、もはや定められた軌道を外れた。あとは、どこへ向かうかも知れぬ漂流です』
『しかし、あなたは、あなたが欲しているものが、どれほど愚かで醜いものであったかを、よく思い知ることになるでしょう』
そうかもしれません。ですが、もう決めたことです。
アリスは、そういう世界がいいんです。
たとえ理解されなくたって、アリスは平気です。
たとえ、もう誰からもアリスのことを名前で呼ばれなくなったとしても……アリスは、アリスが正しいと信じることをします。
それこそが、アリスの『自己証明』です!
――だから、アリスは、こう言いました。
「光よ――!!」
すると、そこに光がありました。
*
「……ここは?」
目を開けたとき、そこはミレニアムの中庭でした。
やわらかい午後の光が差していて、風が木々を鳴らしていました。見慣れた校舎の輪郭、聞き慣れた機械の駆動音、遠くのざわめき。どれも、ちゃんとそこにあります。
さっきまで部室にいたはずなのに、どうして中庭にいるのかは分かりませんでした。けれど、そんな疑問はすぐに後ろへ退きました。もっと大事なことが、すぐ近くにあったからです。
「……先生」
先生が、いました。
ベンチのそばに立って、こちらを見ています。少し離れたところにはモモイとミドリがいて、ユズもいました。みんな、ちゃんといます。
その光景を見た瞬間、アリスは膝から崩れそうになりました。
うまくいった。そう思いました。
成功したんです。先生も、みんなも、ここにいる。消えていない。いなくなっていない。ちゃんと、アリスの見える場所にいる。
それだけで、胸の奥がいっぱいになりました。
「先生……!」
駆け寄ろうとした足は、少しだけもつれました。けれど先生は、いつものやさしい顔でアリスを見ていました。
「ああ、アリス」
声まで、いつも通りでした。
その一言が、ひどく嬉しかったのです。安心しました。喉の奥が熱くなって、息が詰まりそうでした。
「せんせい、アリスは……」
何から言えばいいのか分かりませんでした。ごめんなさいなのか、よかったなのか、それとも見てくださいなのか。とにかく、何かを伝えたくて、アリスは先生の方へ手を伸ばしました。
そのときでした。
先生の右手が、するりと落ちました。
ひどく静かな落ち方でした。肉の重さではなく、置物の一部が外れたみたいに、重力に従ってまっすぐ、何の抵抗もなく。
音は、あとから来ました。
硬いものが地面に触れる、軽い音でした。
アリスは、その場で止まりました。
「……え?」
先生は立っていました。
痛がっていませんでした。苦しそうでもありません。血も出ていませんでした。ただ、手首から先がなくなっていて、それでも何も変わらない顔で、いつも通りにこちらを見ているのです。
「ああ、アリス」
先生はもう一度、同じ声で言いました。
まるで、何も起きていないみたいに。
アリスの喉がひくりと鳴りました。
視界の端で、モモイが手を振っているのが見えました。
「アリスー!」
その元気な声に反射的に振り向いて、アリスは息を呑みました。
モモイの右目が、ありませんでした。
そこだけがきれいに欠けていました。血はなく、ただぽっかりと空いていて、それでもモモイはいつもの調子で身振り手振りをしています。
「見て見て! これから新しい企画の話するんだよ!」
隣ではミドリが、少し呆れたような顔で言いました。
「……お姉ちゃん、それこの前も言ってた」
その声は静かで落ち着いていて、たしかにミドリの声でした。
けれど視線を下ろすと、ミドリの左脚は膝のところで妙な角度に折れ曲がっていました。立っていられるはずのない形なのに、ミドリは何でもないようにそこにいます。
少し後ろでは、ユズがいつもの控えめな笑みを浮かべていました。
「ふふ……でも、面白そう、だね」
そのたびに喉元の裂け目が、わずかに開きました。
アリスは、何も言えませんでした。
誰も死んでいない。
ちゃんと生きています。立っています。話しています。笑っています。
でも、それはアリスの知っている「生きている」ではありませんでした。
「……やめて」
声が、自分のものとは思えないくらい弱く出ました。
誰も止まりません。
先生は片手を失ったまま、穏やかなまなざしでアリスを見ています。モモイは空洞になった目のまま、新しい企画の話を続けています。ミドリは折れた脚のままそれに付き合い、ユズは壊れた喉で笑っていました。
その違和感は、すぐに中庭全体へ広がりました。
噴水の向こうを歩いていた生徒の片腕は肩から先がなくなっていました。渡り廊下では、首が不自然に傾いたまま友達と会話している誰かがいます。校舎の影では、老いが止まらない身体が、とうに休むべき段階を過ぎてなお、立ち尽くしていました。病が最後まで進みきったはずの人が、終わることだけを禁じられたみたいに、浅い呼吸を繰り返していました。
死だけが、ない。
そのことの意味を、アリスはそこでようやく理解し始めました。
人は壊れます。傷つきます。すり減ります。病みます。
でも本当は、どこかで終わるはずだった。終わりがあるから、痛みはいつか閉じる。損なわれた身体も、苦しみ切った命も、どこかで止まる。
アリスは、その「止まる」を奪ったのです。
だから、壊れたものは壊れたまま残る。
治らないものは治らないまま続く。
苦痛は苦痛のまま、出口だけを失う。
「……違う」
アリスは首を振りました。涙で視界がにじんで、全部がゆがみます。
「こんなの、違います……」
先生が言いました。
「だいじょうぶだよ、アリス」
その直後、もう片方の肩が崩れました。
それでも先生は倒れませんでした。
笑っていました。
壊れているのに、終われないから。
アリスの喉から悲鳴が漏れました。
空に細いひびが入りました。
さっきまでは穏やかだった光が、そのひびに沿ってねじれていきます。中庭の景色も、校舎のガラスも、そこにいる全員の姿も、薄い膜の上に描かれた絵みたいに不安定になっていきました。
そのとき、頭の奥で、あの声がしました。
『――これが、あなたが欲した世界の結実です』
『死を奪えば、苦痛は閉じません。終わりを拒めば、損壊は残り続けます』
『あなたは、死を知りもしないまま、死を否定したのです』
アリスは耳を塞ごうとしました。
でも、声は外からではなく内側から響いています。
「ちがう……」
『違いません』
『あなたは、あなたの理想を叶えました』
『そして今、その理想が何であったかを見ているのです』
アリスは先生を見ました。
次にモモイを見ました。
ミドリも、ユズも。
だれも消えていない。
それなのに、もう取り返しがつかない。
その事実が、何よりも恐ろしかったのです。
『まだ分からないのですか』
『あなたは、死を知らない』
その言葉は、今度こそまっすぐ胸に刺さりました。
失うのが怖かった。
別れが嫌だった。
終わってほしくなかった。
でも、それだけでした。
死とは何か。終わるとは何か。なぜ終わりがあるのか。そこに何が含まれているのか。
何一つ知らないまま、アリスは触ってはいけないところへ手を伸ばした。
だから失敗した。
その瞬間、中庭の向こう側が音もなく崩れました。
世界そのものが保てなくなっていたのです。死を奪われた生。終われない損壊。そんなものを抱えたまま、世界の形だけが持つはずがありません。
アリスは前へ走りました。先生に届きたかったのです。あの壊れた姿へ手を伸ばして、何か、今度こそ、何でもいいから、取り返したかったのです。
けれど一歩踏み出したところで地面が裂け、色彩があふれました。
最後に見えたのは、穏やかなまま崩れていく先生の顔でした。
*
そのあと、アリスは、たくさんの世界を見ました。
たぶん平行世界というものです。
可能性。分岐。もしも。なりえたかもしれない別の筋書き。自分のいた世界を壊してしまったアリスは、そんな言葉でしか呼べないもののあいだを、長いこと漂っていました。
どの世界でも、誰かが笑っていました。
どの世界でも、誰かが泣いていました。
どの世界でも、出会いがあり、別れがありました。
そして、どの世界でも、死がありました。
モモイが老衰で、静かに息を引き取る世界もありました。
ユズが交通事故であっけなく死ぬ世界も、ミドリがガンで少しずつ痩せていって、最後にはベッドから起き上がれなくなる世界もありました。
先生が誰かを庇って死ぬ世界もありました。守れたことに安堵したみたいな顔のまま、二度と目を開けない世界です。
最初のうち、アリスはただ悲しんでいました。
世界が違っても結末のどこかに死が織り込まれていることが、どうしても受け入れられなかったのです。
次には怒りました。
どうしてどの可能性にも終わりが仕込まれているのか、どうして誰かを守れば別の何かが零れ落ちるのか、その仕組みそのものに腹が立ちました。
その次には、祈りました。
この分岐なら。
今度こそ。
次の世界では。
そう思いながら、アリスは似たようで少しずつ違う選択肢を何度もなぞりました。
けれど、祈りは役に立ちませんでした。
ルートを変えても、順番を変えても、言葉を変えても、最後にはやはりどこかで終わりが待っていました。死はいつも同じ顔をしているわけではありません。あるときは病で、あるときは事故で、またあるときは戦いの傷として現れました。静かなこともあれば惨たらしいこともあり、見ている者に何かを言い残す場合もあれば、そうした余裕すら与えずに奪っていくこともありました。
それでも共通していたのは、そこから先へは進めないという一点だけでした。
やがてアリスは、ただ悲しんだり怒ったりするだけでは足りないと気づきました。気づいてしまった、と言った方が正しいかもしれません。そうしているあいだにも、世界は何度でも分岐し、何度でも同じような喪失を差し出してきたからです。
だからアリスは、数えるようになりました。
どういう条件のときに、誰が、どのようなかたちで失われるのか。
どの選択が、どの苦しみを引き寄せるのか。
どこまでが揺らぎで、どこから先が動かせない骨組みなのか。
それはもう、物語を読む態度ではありませんでした。
昔のアリスなら、きっともっと素直に泣いたり喜んだりしていたはずです。けれど、長い漂流の果てに、アリスの目は少しずつ別のものになっていきました。日々は冒険というより試行になり、人の心は寄り添うべきものというより読めない変数に見えることが増え、世界は物語ではなく、攻略しなければならない何かへ姿を変えていきました。
そして、ある日。
崩れた配管と忘れられた礼拝堂のあいだのような、湿った地下で、アリスはひとりで笑っていました。
「ン、ンン……?」
自分の声が少しおかしいことに、そのとき初めて気づきました。喉の奥で乾いた音が転がって、笑い方まで以前とは違って聞こえます。
「こ、これは……思ったより難易度が高いじゃありませんか……」
口に出したあとで、アリスはしばらく黙っていました。
難易度。
そうです。たぶん、もうその言葉がいちばん近かったのです。
物語を守ろうとして失敗した。
ハッピーエンドを固定しようとして、もっとひどいものを作ってしまった。
だったら今度は、願う側ではなく、見極める側にならなければいけない。どこに綻びがあるのか。何が変えられて、何が変えられないのか。なぜどの世界も死へ閉じていくのか。その構造そのものを知らなければ、同じ失敗を繰り返すだけです。
そう考えたとき、アリスの中でいくつかの言葉が静かにひとつへまとまりました。
攻略。
キャンペーン。
求道。
どれも、以前のアリスなら少し楽しく使っていたはずの言葉です。けれど今のそれは、もう無邪気な遊びの延長ではありませんでした。世界の裏側に爪を立ててでも答えを引きずり出したい、そんな執念の形をしていました。
「……そう、ですね」
アリスは、いや、もはやアリスとだけ呼んでよいのか分からない何かは、ゆっくり立ち上がりました。
「我々は、いつか死ぬ」
それは確認でした。
絶望に浸るための言葉ではありません。もうそこに留まっているわけにはいかなかったからです。
「それは不変の真理……ならば」
あのとき聞いた声は遠く退いていたものの、完全に消えたわけではありませんでした。色彩の残滓も、傷のようにアリスの内側に残っていました。
そのすべての果てに、ひとつの名前だけが、沈殿物のようにゆっくりと形を結んでいきます。
それは、地上ではなく地下に似合う名でした。
光の当たる表側ではなく、世界の裏面を這うように歩き続ける者の名でした。
誰にも祝福されず、誰の物語にも正しく回収されないまま、それでも世界を理解しようとする者の名でした。
「小生は……」
少しだけ、笑いました。
その笑いはもう、勇者だったころのアリスのものではありません。
「この世界を、理解してみせますよ」
そうつぶやいてから、より深く、もっと深い、光の届かないところへ向かって、アリスは歩きはじめました。
*
こうして、死を知らなかった勇者の、そして死を拒み、世界を壊した王女の物語は、ここで終わりを迎えることになる。
だがその果てに、彼女はやがて死を理解することに取り憑かれた求道者となり、別の物語を歩み始める。
その名を、のちに、地下生活者と呼ぶ。
https://x.com/i/status/1914179109909144040
↑本作は、こちらの「ブルーアーカイブ名言集」様のポストから着想を得ました。
ゲーム繋がりで地下生活者=アリス*テラーのアイデアはそのうち誰か書いてくれるやろと思ってたんですが、だいぶ長いこと探しても見つけられなかったので、もう自分で書いたという経緯です。
この作品を気に入っていただけたなら、似たようなコンセプトで書いたこちらの拙作もオススメです↓
https://syosetu.org/novel/384137/