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2014年にオレ達が全日本吹奏楽コンクールで金賞を手にしてから、5年が経った。
その間オレ達がどんな道のりを歩んできたのかは、ここでは語らないことにする。重要なのは、あれからもオレ達は音楽を続けていること。オレは人の様々な「心」と今もなんとか向き合えていること。そして、まだ道半ばだってことだ。
ある日、鳴苑高校吹奏楽部のかつての仲間達を集めたグループチャットで、見知ったヤツからしばらくぶりに連絡が来た。文面からさえも伝わってくる、抜き身の刀のようなギラギラした闘志はあの頃から全く変わっていない。オレは息を飲み、スマホを握る手を少し震わせた。
――《
――《叩っ斬られる覚悟をして待っとけ》
今までも何度となく叩きつけられてきた「果たし状」。これに了承した時、またオレ達の
……望むところだ。
なんとか指の震えを止めて返信しようとした時、別の送り主からの更なるメッセージが現れる。
――《勝負か。ちょうどいい。》
――《こっちにも一つ面白い話がある。戦いの舞台を用意してやる。》
――《リンギン・ガーデンを復活させるぞ。》
今度は全身がぞくりと震えた。
どこかで、獲物を嗅ぎつけた竜の唸り声が聞こえた気がした。
「リンギン・ガーデン?」
「そう。2013年に群馬で起きた奇跡。一夜限りの伝説のロックバンド」
「うーん、伝説っていうか……まるで都市伝説ですね」
時は2019年。私、後藤ひとりは高校3年生。今日は結束バンドのスタジオ練習の日。
リョウ先輩が何やら誇らしそうに差し出したスマホの画面を、虹夏ちゃんと喜多ちゃんが覗き込んでいる。私も虹夏ちゃんと喜多ちゃんの後頭部の隙間から画面を見ようと頑張っていたら、二人が気付いて空間を開けてくれた(え、声をかければいいのにって? いやいや私なんかが皆さんの会話の邪魔をするなんて申し訳が……)。
スマホに映されているのはとあるブログの、とあるロックフェスを懐かしむ、そう長くはない記事。数年前に書かれたものだ。
そして文章の大半は、そのフェスに参加した「リンギン・ガーデン」という一夜限りの即席ロックバンドの話題に費やされている。
中でも目を引くのは「ロックフェスなのに吹奏楽で場を沸かせるという、ある意味究極のロック」という一文。どうやらブログの主は、その破天荒なバンドにいたく感激したらしい。
「ロックフェスで吹奏楽をやって、それで場が沸くって、あんまり想像できませんけど……」
「私も詳しいことは知らないけどね。でもまあ、本当なら確かにロックだよね。逆に」
「まあ……」
困惑する喜多ちゃんを尻目に、リョウ先輩はなんだかウキウキしている。
ところで、私は練習に遅刻してついさっき到着したので、皆さんが何の話をしているのかわからない。なので尋ねてみる。
「あっあの……このリンギン・ガーデンというバンドが、どうかしたんですか?」
「うん、ここと対バンが決まったから」
「えっ」
目を丸くする私に、リョウ先輩がニヤリと笑う。
「知る人ぞ知る伝説のバンドの、6年ぶりの復活ライブ。その共演相手に、結束バンドがオファーされたんだよ」
え、オファー? そんなすごいとこが結束バンドに? なんで?
「はいはい、盛らない盛らない。ようするにお父さんのコネで誘ってもらったんでしょ?」
「……そうとも言うね」
虹夏ちゃんが冷ややかに言い放つ。コネってどういうこと?
虹夏ちゃんのジト目を浴びながらリョウ先輩が観念したようにいきさつを語り始める。その話をまとめると、こういうことだ――。
病院の院長であるリョウ先輩のお父さんが、医師会のサミットをきっかけに、群馬県にある病院の
そして、その音羽院長の音楽をやっている子どもというのが……音羽
リョウ先輩は元々音羽悟偉さんの存在を知っていて、その人にロックの経験があるらしいという噂も聞いたことがあった。だから父親同士の交流を知ったリョウ先輩は「このコネに乗っかれないかな?」みたいなことを半ば冗談でお父さんに零した。
そしたらリョウ先輩のお父さんはそれを本気にして、音羽院長に「うちの娘のバンドと音羽悟偉さんが共演する場を設けてくれないか」と頼み込んだ。そしてなんと、意外にもそれがあっさりと通った。その結果、音羽悟偉さんが参加するイベントの共演者として結束バンドが招待されることになったそうだ。
「なんでも言ってみるもんだね。音楽業界はコネが肝心。これで超一流トランぺッター音羽悟偉とのコネをゲットってわけ」
「えっ超一流って……そんなにすごい人なんですか」
「うん、この人ね」
リョウ先輩がスマホの画面を切り替える。吹奏楽に関するニュース記事だ。堂々たる顔つきでトランペットを構えている長髪の美青年の写真が目に飛び込む(喜多ちゃんが好きそうだ)。
記事によると、この音羽悟偉さんは現役の医大生でありながら地域の吹奏楽団に属し精力的に活動していて、高校時代から今に至るまで何度も音楽雑誌で表紙を飾っているほどの天才トランペッター。過去には輝かしい受賞歴の数々。
この人はたぶん、現実のいろいろな問題にあがきながら何とか音楽をやっている私達とは一線を画する、「楽器のうまさだけで食べていける」タイプの超天才。しかも医者の卵。どこからどう見ても……とんでもなくすごい人だ。
追い打ちのように、「この人のアンサンブル、一回聴いたことがある。この人は本物だよ」とリョウ先輩。
え、待って。こんな人がいるバンドと対バン? 私達が?
リンギン・ガーデンとやらが実際にどれほどのバンドだったのかはわからないけど、少なくともこの人と私達では格が違うのは明らかだ。
恐れをなす私にリョウ先輩がにやりと笑う。
「相手にとって不足はない」
……なさすぎませんか?
「大丈夫だよぼっちちゃん。もーリョウ……ちゃんと説明してあげなって」
虹夏ちゃんが見かねたように割って入って、肝心なことを補足してくれた。
虹夏ちゃんが言うには――対バンという表現にはやや誇張がある。私達が招かれたのは本格的なライブイベントとかではなく、もっと小規模で和やかな催しだ。
群馬にある音羽院長の病院では、数年前から患者さんのための娯楽として定期的に吹奏楽やアンサンブルの演奏会が開かれていて、毎回そこで音羽悟偉さんも演奏しているらしい。
この演奏会の評判はすこぶる良く、最近は病院の周りに見物人が集まってきたりもしていて(晴天の日は病院の中庭が会場になり敷地外まで音がよく聴こえるらしい)、地域のちょっとした名物のようになっているとか。
結束バンドが今回招待されたのは、その定期演奏会だ。
今回はゲストである私達がロックバンドなので、普段とは趣向を変えてロックフェス風の演奏会にしてくれるのだそうだ。そしてそれに向けて、音羽悟偉さんはかつてリンギン・ガーデンとして即席バンドを組んだ友人たちを呼び戻すと言ってくれているらしい(わざわざ!)。
重要なのは、あくまでも病院の中でのイベントであって、特別に高い技術が求められるような場ではないということだ。それが分かって、ようやく肩の力が抜けた。
もちろん手を抜くつもりはないけど、気張らなくてもいい。私は私なりにいつも通りがんばろう。……まあ、どっちにしろ有名人に演奏を聴かれるわけだし、緊張はするけど……。
さらに良い知らせがあった。
「じゃん」
リョウ先輩がカバンから封筒を取り出し、その中身を見せつけてきた。これは……新幹線のチケットだ。
「東京から群馬までの往復乗車券と特急券、4人分。しかもグリーン車。まったく音羽さんちは太っ腹だよ」
にんまりと微笑むリョウ先輩。
「このコネを活かせるかどうかが結束バンドの分水嶺。みんな、円陣を組もう」
よほど楽しみなのか、リョウ先輩が陽キャみたいなことを言い出した。
「……音羽悟偉にィ〜……擦り寄ってこうぜェ〜……!」
「お、オ〜……? あっいや私は演奏以外のことは皆さんにお任せできればと……」
「聞いたことないよそんな掛け声」
「ま、まあ擦り寄ろうとかしなくても、楽しくやればきっと仲良くなれますよ」
……この円陣は却って四人の気持ちをバラけさせた気がする。
こうして私達結束バンドの群馬(の病院内)ライブが決定した。
そして、この時の私は、あんな絶望が待ち受けているとは想像もしていなかった――――。
生まれつき、オレには人の「心」が見える。それはオレがずっと苦しんできた理由でもあり、オレが音楽をやる理由でもある。
そして……オレが人混みを嫌いな理由でもある。だから音羽先輩の病院へ行くために乗った電車が混んでいて、少し憂鬱だった。隣にいる刻阪がやや心配そうな眼差しを送ってくれたが、ノープロブレムの合図で返した。
「リンギン・ガーデンを復活させるぞ」と、グループチャットで音羽先輩から誘いがあったのが二週間前のこと。
その号令通りに、オレ、刻阪、
最初はライブハウスでやるのかと思ったけど、音羽先輩が指定した場は意外にも音羽先輩の病院の中の定期演奏会だった。
だけど音羽先輩はイベントの規模や場所なんかを気にする人じゃない。どんな相手と演奏できるか、どんな相手と競い合えるか、そしてそれが面白いかどうか、それだけだ。
だからイベントの規模には拘らず、それよりも、誰かに急用ができたりして(メンバーの多くは今や社会人だ)中止になったり不完全な演奏になったりしてしまう方がつまらないからスケジュールの融通が効く場を選んだとか、きっとそういうことだと思う。まあ音羽先輩の思考は完全にはわからねェけど。
何にせよ、病院という「場所」自体にきっと深い意味があるわけじゃない。
音羽先輩がこんなにもワクワクしているのは、多分「競い合う相手」であるゲストの人たちに何かあるんだろう。オレはそう予想していたけど……。
結束バンド。
それが次回の定期演奏会のゲストに来てくれることになったバンドの名前だった。……ちょっと笑っちまう名前だ。
高校生を含む女の子たち4人によるインディーズ・ロックバンドで、軽く調べた限りでは、何か特別すごい実績があるわけではない。
レーベルがつき、東名阪ツアーを実現しているというのは、インディーズバンドとしては相当うまくいっている部類なんだろうけど、あの音羽先輩が特別に目をつけた理由まではわからない。
だから直接聞いてみた。音羽先輩はどうしてわざわざ、この女の子達を招いて、リンギン・ガーデンを復活させてまで勝負がしたくなったのかと。
返事はこうだった。「つまらないことを聞くな。簡単な話だ。聴いてみたからだ」。
そう、音羽先輩はイベントの規模や場所にも囚われないし、バンドの知名度や前評判にも全く囚われない。父親経由で縁があって向こうから共演の頼み込みがあったので、わざわざ彼女らのホームグラウンドである東京都・下北沢まで行って「実際に聴いてみた」のだそうだ。
音羽先輩は実際に彼女達のライブを聴いて、そのうえで、リンギン・ガーデンの対決相手としてふさわしいと判断した。……相変わらず行動力がスゲェ。
それと、音羽先輩はもう一つ気になることを言っていた。
「このバンドのリードギターに関しては一つ、ちょっとした秘密がある。だが……
……と、意味深にニヤニヤしながら。
その秘密というのが今日、わかるんだろうか。
他のリンギン・ガーデンの皆は、すでに病院へ到着しているはずだ。オレと刻阪は別の用事があったので、皆よりも少しだけ遅れて電車で向かうことになっている。
刻阪と一緒に電車を降り、駅の構内を歩いていたところで、不意に寒気がした。
人混みの中から、真っ黒な闇が流れ込んでくる。この世の全てに絶望したかのような、深い深い闇に包まれた「心」が見えた。明らかにただ事じゃない。
「神峰……? 何か見えたのか?」
オレの「目」のことを知っている数少ない人間である刻阪が、オレの汗と震えの理由を察してくれた。オレは刻阪に頷き、ちょっと待っててくれ、と合図をする。
オレは周囲を見回し、人混みの中から何とかその「心」の持ち主を特定する――――いた。あの子だ。
ギターケースを背負ったピンク色のジャージの高校生くらいの女の子が、明らかに困っていそうな素振りで立ち尽くしていた。
知らない相手に声をかけるのは苦手だけど、こんなにも深い絶望の「心」を放っておいたらどうなるかわからない。オレは冷や汗をかきながら女の子に近づく。
「あ、あの」
「はひ!?」
メチャクチャ驚かれて、メチャクチャ警戒された。
「えっと、急に声かけてごめん……その、なんか困ってること……とか、あるんじゃねェのか……な?」
なるべく怖がらせないようにしたかったが、どもったり声が裏返ったりして挙動不審になった気がする。汗が止まらない。未だにオレはこういうところは変わらねェ……。
「あっ、えっ、あっ、とっ、とも……と………す、ス……が…………じゅでん………あっうっ……」
この子もなかなかビビリやすい性格みたいだ。何を言っているかわからなかったので何度か聞き返して、一分くらいかけて解読に成功した。……「友達とはぐれてしまった。スマホも充電切れで連絡が取れない」ということらしい。
……遠出した先でそうなったら確かに不安になるだろうとは思うけど、正直、かなり拍子抜けした。オレの目に見える「心」の絶望の大きさから、何かとんでもなく大変な事情があるんじゃないか? と思っていたから。
そんな心配が消えて、落ち着いてみたら、あることに気づいた。……この子の顔、最近見覚えがある。それに背中のギター……。
「あの、もしかして結束バンドの……ぼっちさん?」
オレのスマホを使って、他の結束バンドのメンバーに連絡がついた。
他のメンバーには先に音羽先輩の病院に向かってもらって、オレと刻阪はぼっちさんを連れて一緒に後を追うことになった(電話の向こうのリーダーの人は心配そうにしてたけど)。
刻阪がぼっちさんのスマホを充電するためのモバイルバッテリーを貸してあげた。
歩きながらぼっちさんと少し話して、ほんの少しだけどこの子のことがわかってきた。
彼女の振る舞いだけを見るなら、人見知りなところはオレや管崎先輩に少し似ているし、必死に自分を卑下するところは御器谷先輩を彷彿とさせる。だけど「心」を見ると、また少し違う印象を受ける。
共演者と出会えたことと、仲間に連絡がついたことで絶望の闇はすっかり晴れたらしい。今、オレには彼女の本来の「心」が見えている。
結束バンドのリードギター・ぼっちさんこと、後藤ひとり――この子の「心」は、岩みたいだ。錠前つきの鎖が何本も巻きつけられている、黒く重々しい岩。そして、岩には無数の亀裂が刻まれている。時々、岩はガタガタと揺れ動いて、亀裂の奥から、くぐもった獣のような唸り声が漏れてくる。そう……これは普通の岩じゃない。まるで卵のように、内部に「何か」がいる。亀裂の隙間からそれを覗けないかと思ったが、中は真っ暗で何もわからない。
そして、この岩は重々しいわりに、よく動く。
彼女が人に怯える時、岩はガタガタと震え、中にいる何かの浅い呼吸が聞こえる。
彼女が自分を悪く言う時、岩は激しく転がり、ベコベコと凹んで小さくなる。中にいる何かが圧し潰されたように、苦しそうなうめき声が漏れる。
そして時折、不意に――何が切っ掛けなのかはわからない――突然、岩の内側から大きな唸り声とともに、大きな打撃音が響くことがある。……岩の中にいる何かが、内側から殴っている。とてつもなく大きい力で。
その衝撃で岩はコブができたみたいに、歪に膨らむ。鎖が揺れ、岩の分厚い外殻がその衝撃を辛うじて受け止めるが、ビリビリという振動は外まで伝わってくる。……正直、心臓に悪ィ。
岩が痛々しい亀裂だらけなのは、そうして膨らんだり凹んだりを何度もメチャクチャに繰り返しているからみたいだ。ずっと自分自身の傷を増やし続けている。だけど、不思議と岩の存在そのものは安定していて、大きく崩れたり粉々になったりすることはない。
心を閉ざしている人は、例えば箱や金庫などに自分の「本当の心」を封じ込めている光景として見えることがよくあるが、それに似ている。この子は亀裂だらけの岩の中に自分の本心を隠している。
心を閉ざしている人は珍しくないけど、心を閉ざしていながらこんなにも騒がしいのはかなり珍しい。
きっとこれは、自分を見せたい気持ちと、自分を隠したい気持ちの葛藤なのかもしれないと思った。見せたい気持ちも大きいけど、隠したい気持ちのほうがさらに大きいから、心のうちに秘められた「何か」はどれだけ暴れても出てこられない。
オレ達3人は音羽先輩の病院に到着した。
今は演奏会の数時間前。実は「今回は久しぶりに集まる者もいるだろうから」という音羽先輩のお父さんの計らいで(それと結束バンドの人たちと親睦を深める意味も兼ねて)、病院内の食堂でちょっとした立食会の準備ができている。……って聞いてたんだけど、「ちょっとした」という割にはなんというか……並んでいる食べ物が豪華だ。
オレ達が食堂に入るとすぐ、先に来ていたかつての吹奏楽部の仲間達が出迎えてくれた。
リンギン・ガーデンのメンバーはもちろんのこと、付き添いに来てくれた歌林先輩や御器谷先輩などもいた。ずっと定期的に会っている人、リンギン・ガーデン再結成の話が出てから再会した人、今日久しぶりに会った人、さまざまだ。そして初対面の女の子が3人。結束バンドのメンバーだ。ぼっちさんはオレ達にサッと一礼してから一目散にそちらへ駆け寄っていく。
「神峰、ほら」
邑楽先輩が、わざわざ遅れてくるオレのために料理を確保して、皿に盛りつけてくれていた。
「邑楽先輩、あざす!」
邑楽先輩は高校卒業後も何かとオレを気遣ってくれて、いろいろなことに協力してくれる優しい人だ。ピアノのレッスンも高校生の時からずっと継続してもらっている。今回のリンギン・ガーデンの復活にも快く協力してくれた。
余談だけど、オレが邑楽先輩にピアノを教わったりしている時、以前は刻阪や他の先輩達はよくパカーンと目を見開いて楽しそうにこっちを見ていたが(オレの成長に期待してくれてた?)、最近は皆うんざりした顔と心で「神峰、お前さ……」とか「なあ神峰、そろそろさ……」とか言ってくることが多い(そろそろ邑楽先輩に頼るのは卒業しろってことスよね……けどまだ無理ッス、スミマセン)。
オレ達は食べながら、結束バンドの人たちと軽く挨拶を済ませる。彼女達は自分達の想像よりも歓迎が厚いことに驚いていた。それはオレも驚いてる。
そのうちに、結束バンドの伊地知さんと喜多さんは邑楽先輩・吹越先輩と打ち解けたように談笑を始め、山田さんは音羽先輩に話しかけにいった。残されたぼっちさんの背中が寂しそうだったが、オレが話しかけても良いことにならない気がしたのでひとまずそっとしておく。
「あっそうだ」
立食会のさなか、それまで邑楽先輩・伊地知さん・喜多さんと楽しそうに話していた吹越先輩が思い出したように、スマホの画面を向けてオレと刻阪のほうに駆け寄り、自慢してきた。
「二人とも見て見て! こないだ作った『霞月』の公式チャンネル、今朝ちょうど登録者1万人超えたんだよー。ほらほら」
「え、もう1万人? 早いですね」
「スゲェスね」
刻阪とオレがそれに反応する……と、次の瞬間。
――バゴ!! メキィィ!!!
突然、近くにいたぼっちさん(誰とも会話せず食事をもそもそと貪っている)の「心」の岩の内側から、ひときわ大きい音と衝撃とともに、何かが外殻を貫いて飛び出てきた。オレは目を見開く。
岩の中から現れたのは、銀色の板……いや、よく見ると、かの有名動画サイトで登録者数が10万人以上のチャンネルに進呈されるという「銀の盾」そのものだ。それが岩の内側から外殻を突き破って半分ほど露出している。
だが、すぐに銀の盾はズルズルと岩の中に引き戻されていく。やがて銀の盾は完全に見えなくなって、結局、岩の外殻に痛々しい裂け目がまた一つ増えただけだ。
よくわからねェけど、この子はチャンネルを持っているのか……? もしかしたら「銀の盾」を貰えるほどの。今の吹越先輩の話を聞いて、自分のチャンネルも自慢したくなったけど、やっぱりやめた……とか?
そう推測したオレは、やはりぼっちさんに話しかけてみる。
「あの人は吹越先輩っていって、妹さんとフルートデュオやっててさ。最近公式チャンネルを作ったらしいんだけど、うまくいってるみたいだ。……ぼっちさんは動画配信とかやってたりする?」
「へあっ!? あっいっいえ、なっ何もしてないです……ほんと私なんて大したもんじゃないんです、お構いなく……へへ……」
この子に得意な話題で会話ができるように助けを出したつもりだったが、どうやら逆効果だったようで、「心」の岩がベコベコと音を立ててみるみる凹んでいく。
しまった……。
多少トラブルはあれど概ね予定通りの到着と、予定通りの立食会。そしてその後に予定されていた、進行確認のための簡易的なリハーサルもつつがなく終わった。しかし演奏会本番の直前に、事件は起こった。
「ギィャァァァァァァァァァァァァァァ」
電子音にも似たスゲェ高音。最初誰かの「心」が出した叫びかと思ったが、周りのざわつきを見ると、どうやらオレ以外にも聞こえている。これは実際に発せられた人間の悲鳴だ。……本当に人間のかコレ?
その時、オレ達はしばしの自由時間の終わり際、演奏会の会場となる中庭に向かおうとしていた。叫び声のするほうへ向かったら、ぼっちさんの体が崩壊していた。
「右目見つけました!」
「鼻と口あったよ!」
「おっとやばい崩れた。戻せ戻せ」
結束バンドの他3人のメンバーがぼっちさんを取り囲んでせわしなく修理? している。どうなってんだコレ。
予定では結束バンドの演奏が先になっているが、こんな状態で演奏できるとはとても思えない。
「な、何があったんだ……?」
オレが駆け付けた時、パニックの現場にいたのは、結束バンドのメンバー4人と……近くでそれを他人事のように見ている弦野だけだった。
「弦野……お前、あの子に何かしたのか?」
「あ? 何も。オレは本番前に一声かけただけだぜ」
嫌な予感がする。
「……もしかしてさ、『今からテメェらの音楽を全部叩っ斬ってやる。覚悟しな、小娘ども』……とか言った?」
「あー、まさにそう言ったっけな」
原因、絶対にそれだ。
弦野は自分が原因だとはまるで気づいていないまま、顔と心に「?」マークを浮かべて、その場から立ち去ってしまった。
弦野に決して悪気はない。コイツなりの共演者への挨拶と意気込み表明みたいなもんだ。だが、この子達には……特にぼっちさんには、相性が最悪だった。
ぼっちさんは弦野の一言を受けてからすっかりすくみ上ってしまったのだろう。「心」の岩も……
――バゴォ!!
――ベコン!!
――バゴォ!!
――ベコン!!
岩はポンプのように……いや、むしろ彼女自身の心臓そのものかのように、激しく膨らんでは凹む動きを延々と繰り返してしまっている。逐一、物凄ェ音と衝撃を放ちながら。膨らみすぎた岩を受け止める鎖さえ、今にも千切れそうなほどだ。
今日これまで見てきた中で一番不安になる動き。岩は今にも壊れそうだ。岩の中にいるであろう何かの、獣のようなうめき声もどんどん苦しそうになる。
よくあることで、悲しいことだ。誰にも悪気がなかったとしても、心と心が関わりあえばどこかで苦しみは生まれる。
その「心」を見て辛くなったオレは、何とかしてやりてェと思った。だからオレはあることを思いついて、一呼吸し、そして――
「刻阪。やろうぜ」
と、隣の相棒に声をかける。いきなり、たった一言だけ、何の補足説明もなく。大丈夫、それだけでコイツは
「ああ、わかった」
刻阪がニヤリと口角を上げ、サックスを取り出す。
演奏会の予定開始時刻は迫っている。諸々の準備のことを考えると、オレ達に残された自由時間はあと5分程度。……充分だ。
「なあ、ぼっちさん」
仲間の助けにより辛うじて修復されたぼっちさんは、まだ縮こまって震えたまま、おずおずとオレ達のほうを向く。
オレは指揮棒をかざす。
ずっと思っていることがある。
あんたは心を
岩の亀裂は痛々しいけど、悪いことばかりじゃない。亀裂はあんたが外の世界と関わろうともがいている証でもある。内と外をつなぐ窓でもある。その証拠に、亀裂を通って風が吹き抜けている。だから……音楽はきっと届く。
「緊張してるだろ? 一曲聴いてけよ」
さあ、この臆病な後輩に、オレ達はライバルだけど敵同士じゃないってことを分かってもらおう。
奏でるのは、先日この子達と会うことが決まってから聴いてみて、オレも好きになった曲。ひとりぼっちの嘆きと音楽への気持ちを歌った、この子達のオリジナル曲。――「ギターと孤独と蒼い
サックスの音は、どこか人の声みたいだと思った。私を宥めるように、あやすように、優しく耳に入ってくる。
私たちの最初の頃の曲だからなのか、音色を聞いていると、自然と過去の記憶が呼び起こされる。
小さいころのこと。バンドを組む前のこと。バンドを組んで間もないころのこと。孤独な私がバンドに誘ってもらえてすごく嬉しかったという、当たり前のこと。
人生初のライブの前、震え上がる私に、虹夏ちゃんが「下手でも楽しく弾くことだけは心がけよう、音ってものすごく感情が現れやすいから」なんて、明るく言ってくれたっけ。
良い演奏というのは魔法みたいだ。
あれだけ怖かったことが、いつの間にかどうでもよくなっていた。
リンギン・ガーデンはすごい人たちだ。
私は今日、あくまでも病院の敷地内での小さな演奏会ということで――もちろん手を抜くつもりはなかったけど――気が抜けていたかもしれない。
だけど今は違う。
私は今日、あの人たちのためにも演奏したい。あのすごい人たちに、私たちの、結束バンドの全力を見てほしい。
一緒に演奏を聴いていた虹夏ちゃん、リョウ先輩、喜多ちゃんに視線を送る。三人ともいい顔をしている。きっとみんなも同じ気持ちだ。
さあ、行こう。
結束バンドの演奏が見せるのは、「心」の込められた音たちが駆け巡り、飛び交い、時に大暴れする、面白ェ光景の数々だった。勝負の相手というより、単純に観客としていつの間にか夢中になって……音羽先輩の目にかなったのも納得だ、と思った。
真っ先に驚かされたのは、ドラムの伊地知虹夏さん。
伊地知さんの心は最初、文字通り結束バンドの形をしていた。しかし演奏が始まると、それは自らが出した音を纏って、徐々に大きく太くなる。やがて生き物のようにうねり、回り……そして光を放ち、姿を変える。
「う……嘘だろ……!?」
思わず声が出た。だってそれは、かつてのオレが人生最大の衝撃を受けた時と同じ光景だったから。決して
この人の音の形、それは――――「手」。
そう、まさに刻阪が出すものと同じような「手」。……だが、何か様子が違う。刻阪のように、観客の心を直接掴みにくるわけじゃない。
「手」はまず客席へ伸びるのではなく、ステージ上に大きな円を描くようにぐるぐると周回している。そして、常に他の3人の「心」を気にかけている。
時折、バントメンバーの心に対して手を振ったり、撫でたり、手招いて引き寄せたりする。そして、自分達が行くべき道をその人差し指で示す――。
聞いたことがある。少人数バンドにおいて、指揮者に最も近い役割を持つのはドラムだということを。
この「手」は、仲間たちのほうへ向けられる手。刻阪とは違う強さを持った手。バンドの心の架け橋になる手だ。
ギターボーカルの喜多郁代さん。
この人は文字通り太陽のような人だ。否応もなく全てを照らし、全てに影響する。
実際、この人の心は、まんまるの太陽の姿で、ミラーボールのようにステージの中空のど真ん中を陣取り、他の全ての心と音に対して輝きを放っている。この人がいるだけで全ての音がきらめきを帯びる。
存在感が半端じゃない。この人は間違いなく、結束バンドのムードメーカーだ。
ベースの山田リョウさん。
この人の世界は独特だ。草で編まれた土台に自分だけの箱庭を作って、そこに色々とヘンテコな家具やインテリアが置かれている。その庭の中で、小さな山田リョウがハンモックに揺られながら草笛を吹き、悠々とくつろいでいる。
庭のいたるところに様々な音楽記号の意匠が施されていて、音楽を心から愛していることが伝わってくる。
小さな山田リョウは、喜多さんの太陽の光を浴びて気持ちよさそうだ。
時折、庭の上空まで周回してくる伊地知さんの「手」に対して楽しそうに反応し、コミュニケーションをとる。心が通じ合っている。
「自分だけの箱庭にいる」という意味ではかつての邑楽先輩と共通する部分もあるけど、ああいう閉塞感は全くない。天井も壁もない。見晴らしがよく、世界は開けている。
そして。
それは、演奏が始まって間もなくのことだった。
伊地知さんの「手」が、ぼっちさんの岩に迫る。岩に取り付けられた錠前を慣れた手つきでいじくり、あっという間に一つ残らず開錠してしまう。巻きつけられた鎖がほどけ、亀裂だらけの岩がむき出しになる。
「手」が外殻の一部を取り外していく。あれだけ重々しかった岩なのに、まるで茹で卵の殻をむくようにあっさりと。
一部の外殻が取り外され、雪のかまくらみたいに、岩の中の空洞につながる出入口ができたところで「手」が止まる。
岩の中の空洞には、充満するガスのように黒い闇が渦巻いていたが……その闇はすぐに喜多さんが放つ太陽の光線にかき消されて消滅する。
岩の中にずっと隠れている何かが、ついに姿を現す。
虎だ。
岩の中の空洞に棲んでいたのは、ピンク色の虎。その虎は空洞内に作られた狭い部屋に横たわっている。そして、内壁にびっしりと貼られたバンド仲間たちの写真を眺めながら、四本の足で「銀の盾」を大事そうに抱えている。
「手」が、怯えた子猫を相手にするように、優しく虎を撫で、岩の部屋の外へ出るように合図をする。
虎はついに起き上がり、外へと歩き出す。……さっきまで大事そうに抱えていた銀の盾には目もくれず。
僕はリンギン・ガーデン用の控え席として用意されたパイプ椅子に座って、神峰の隣で、愛用のサックスに手をかけたまま結束バンドの演奏を聴いていた。僕達の演奏は彼女達の後だ。
結束バンドは、決して熟練しているわけではないが、若々しく勢いのある良いバンドだと思った。おっと……少し先輩風を吹かせてしまったかもしれない。
だが、演奏終盤のギターソロに入った時、僕は目を疑った。
ぼっちさん――後藤ひとりの姿勢がおかしい。
彼女は上半身を前に傾け、首を下に傾け、深く深く、沈んでいく。全てから目を背け、自分の世界に潜るように。
――ひどい猫背だ。
当たり前だが、本来楽器演奏において「姿勢が悪い」というのは到底褒められることではない。
見た目の印象を下げるのはもちろんのこと、奏者の身体にも無駄な負荷がかかり、動作も呼吸も妨げられる。それはどんな楽器であれ演奏の質に影響するし、作音楽器であるギターならば猶更、音そのものが悪化するはず。これは初歩レベルの話だ。
もしも鳴苑高校の吹奏楽部にこんな猫背で演奏する者がいたら、即、谺先生の一喝が飛ぶに違いない。
ロックバンドならパフォーマンスのために敢えて姿勢を崩すことも有り得るのかもしれないが、この猫背にはとてもそんな意図があるようには見えないし、もちろんパフォーマンスであろうとなかろうと悪い姿勢が演奏に悪影響を及ぼすことは言うまでもない。
――常識では。
しかし、彼女は。
ひどく丸まった姿勢によって生み出される音の微妙な歪さ、不自然さ、不安定感、閉塞感、圧迫感――そんな幾重もの「悪影響」の要素を、曲芸レベルに繊細かつ大胆な指の動きで絶妙に整え纏めあげ、ユニークで聴き心地の良い「味」へと昇華している。
まるで、この歪みが、この息苦しさこそが、私が表現したい
途方もない研鑽の果ての賜物に違いないが、普通に考えれば、そんな研鑽をする前に姿勢を正して練習したほうが絶対にいい。しかし結果的にその遠回りな努力によって、他では聴くことのできない圧倒的な「彼女だけの音色」の表現が成立している。
一言で言えば――常識を超えている。こんな奏者が存在するなんて。
そして演奏が終わり、場は喝采に包まれる。
僕の手はきっと震えていた。
……だけど、僕達だって決して負けはしないはずだ。
なぜなら――彼女みたいな化け物級の奏者を、僕はもう一人知っている。あの人ならきっと、さながら竜と虎のように互角の戦いを繰り広げてくれるに違いない。
……いや、違うな。一人じゃない。こっちには「化け物」がさらにもう一人いるんだったな。……あの
後日。ぽかぽか陽気のとある日、ライブハウス・スターリーにて。
「さて、今日の結束バンド定期ミーティングのテーマはこれでいこう。『今後は音羽悟偉ならびにリンギン・ガーデンとのコネクションをどう強めていくか、そしてどう活かしていくか』」
「いやいやいやいや」
リョウ先輩の第一声に虹夏ちゃんがツッコむ。
「畏れ多くて知り合いヅラなんかできないよ! あんなすごいの聴いちゃったらさ!」
「まあ、確かにすごかった」
私も同感だ。あの人たちの演奏を思い出すだけで今でも体が震えてしまう。
それに、あの演奏会で私はまたも自分の未熟を思い知らされた。全力で演奏はしたつもりだったけど、大きな反省点がひとつある。
ギターソロでつい、猫背になってしまったことだ。
ずっと前から、バンド結成直後の初オーディションの時にさえ店長さんから「下を向きすぎ」と指摘されていたのに、いつまでも改善できず、未だに本番になるとどうしてもこうなってしまう。私はダメギタリストです。
私の上半身はなんですぐ沈もうとするの?
私の前世はやはり二足歩行ではなかったのかもしれない。猫? ムカデ? ナメクジ? やっぱりツチノコ? ……うう。考え出すと、心がベコベコと凹む感じがする。
「でも、私達だって負けてなかったと思いますよ! みなさんとても喜んでました!」
さすが喜多ちゃんはポジティブだ。確かにみんな頑張ったと思うし、いい演奏だったと思う。お客さんにも喜んでもらえてた。それだけでも結束バンドとしては成功と言ってもいい……のかもしれない。
喜多ちゃんのポジティブパワーに乗っかってなんとか気持ちを上向きにできそうかも……と思ったところで、私のスマホが振動する。メールだ。
あれ? 送信者名は……「音羽悟偉」。
この間のお礼とかかな? 他の皆のスマホは鳴っていない。私にだけ来たのかな。バンドリーダーの虹夏ちゃんでも関わりのあるリョウ先輩でもなくて、私?
ていうか、いつ連絡先を交換したんだっけ? いろいろと疲れ果てていて意識が朦朧としたので、演奏会の後のことは覚えていない。
首を傾げつつ、メールを開く。
件名――「次はいつやる?」
「えっ」
本文――「オレに目をつけられたヤツが、逃げられると思うなよ」
「ミ゛ッ!?」
私は泡を吹いて気絶した。
【完】