錠前サオリ、先生になる   作:詠符音黎

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5.過去と現在、摩擦して

 この日本という国に来て大人になったサっちゃんと一緒に暮らし始めてもう二週間以上が経った。

 サっちゃんと再会したときには、喜びと困惑で言葉が出なかった。

 あのときいなくなったサっちゃん。それが本当にそのまま大人になったとしか言えない見た目の彼女の姿。

 私の知ってるサっちゃんのはずなのに、目の前にいるのは知らないサっちゃんで。

 それは彼女が生きた三十年の人生を聞いた事でより深まって。

 かつてのサっちゃんからは想像もできないようなエピソードと「ああ、サっちゃんだな」と思えるようなエピソードが入り混じっていくそれは私の心をより惑わせた。

 だからこそ私は、彼女をあくまで『錠前サオリ』として見る事にした。

 今のサっちゃんにとって失礼な事をしているというのは理解している。

 でも、やっぱり私は彼女を諦めきれないのだ。

 過去を受け入れて前に進むこと。

 それがとても大事な事で、私達アリウスの生徒だけじゃなくキヴォトスに住む多くの生徒、学校が努力している事でもある。

 私……というよりも私達アリウススクワッドはそれをやってきたと思っていたし、これからも頑張っていくものだと思っていたのも事実だ。

 だけれども、サっちゃんが……()()()()()()事にだけは、どうしてもできなかった。

 彼女は私にとってとてもかけがえのない人だったから。

 かつて彼女に語ったように、私はサっちゃんがいなければロイヤルブラッドとしていいように利用されていたあのアリウスでの日々を耐えられなかっただろうし、きっとただ誰かのためにその身を捧げる偶像として終わっていたのは間違いない。

 そんな私を救ってくれたのは間違いなくサっちゃんだった。だからこそ、そんなサっちゃんがいなくなってしまうなんて想像もしていなかった。

 彼女がいなくなってからの三か月間、世界から色が消えていた。

 表面上はなんとか取り繕っていたけれど、きっとそれはミサキとヒヨリ、そして先生にはバレていただろう。

 それでいてそんな私に下手に現実を見ろと言わないでくれた三人には感謝しかない。そんなことをされたら、私は壊れちゃったかもしれないから。

 そんな私にとって、このサっちゃんとの日々は毒だ。

 甘く優しい、安寧をもたらす致死毒。

 そうだと分かっていても、私はサっちゃんを『錠前サオリ』として見る事を辞められなかった。

 だって、いるんだもの。目の前に。私の知っている、サっちゃんが。

 

 ……だけれども、そんなまどろみの中の夢も時折彼女自身によって霧散させられてしまう事がある。

 

 最初にそれを強く感じたのは、サっちゃんの学校での姿を見に行った後の帰りのショッピングモールでだった。

 私がサっちゃんをからかって出た彼女の「大人をからかうものじゃない」という言葉。

 お互い気楽なやり取りだったはずなのに、その言葉が心の奥でズシリと来た。

 

 サっちゃんは「大人」で私は「子供」。

 そんな関係になってしまったのを突きつけられてしまったからだ。

 

 正直、感じていない訳ではなかった。

 サっちゃんの私を見る目が一緒だったからだ。“先生”が、私達生徒を見る目と。

 今の彼女もまた先生であり、子供を導く立場にいる。それは間違いなく素晴らしい事であるけど、あえて意地悪な言い方をしちゃえば対等な関係性はない。

 だからこそ先生に明確に想いを寄せている子は苦労をたくさんしている訳でもあるのだけれど、まさか私とサっちゃんがそうなってしまうなんて、考えてもみなかったから。

 認めたくなかった。

 理解したくなかった。

 だから私は、あえて私は昔のように振る舞い、彼女と接してきた。

 でも、それでもやっぱり、現実を突きつけられるときがある。

 

 例えばそれは、二人で本屋さんを見に行った日。

 二人で暮らすようになってから時折出かけるようになったうちの一つで、本屋に寄ったのは一緒にスイーツを食べた帰り、他意のないその場の流れだった。

 

「ほう、これってまだ連載が続いていたんだな。懐かしいな……」

 

 マンガのコーナーに寄ったとき、一冊のマンガを手にとって凄い楽しそうに思い返す顔で言っていたのだ。

 私は驚いた。

 サっちゃんにマンガのイメージはなかったというか、まずアリウス時代の私達にはそういった娯楽の記憶など存在せずいろいろと模索中だったのもあるからだ。

 だからこうやってまずサっちゃんが昔を懐かしんで純粋に嬉しそうにしている、という姿がまず違和感があったのだ。

 

「ふぅん、そうなんだ。でも意外だね、サっちゃんそういうの読むんだ」

 

 ついそんな気持ちが表に出てしまって、ちょっと感じの悪い言い方をしてしまった。

 だというのにサっちゃんは懐かしさが勝っているのか表紙を見たまま笑顔で語りだす。

 

「まあ確かにな。でもこれは思い出深くてな……ほら、前に話したオタクの友人と中学で出会ったばっかりの頃の話なんだが、アニメとかよく分からなかった私に最初にソイツがすすめてくれたのがこれの原作小説のアニメ化でな。学園ラブコメなんだがちゃんと最後までやったのもあってこれがまた面白くて、よりソイツと仲良くなるきっかけになったんだよ」

 

 知らない作品の、知らない友人との、知らない思い出を語るサっちゃん。

 

「他にも昔からずっとアイツからはいろいろな作品を勧められたな……まあ合う合わないは当然出たんだけれども、思い出に残ってる物としてはアイツはキャラモノとして楽しんでたが私は普通に歴史モノとして面白かった作品や、学園バトルもので底辺扱いだった主人公が一芸で戦い抜く熱い内容に二人で盛り上がった作品もあったな……」

 

 そこにいるのはサっちゃんのはずなのに、知らない人の昔話を聞いているような感覚。

 

「ただアイツ今でもいろいろ勧めてくれるんだが、最近の転生モノ異世界モノは私の事情が事情だから人よりもハードルが高くなってしまってちょっと申し訳ないんだよな……アイツからは『転生モノ異世界モノにリアリティとか言ってんじゃねーよ真面目バカがよー!』なんて言われてしまったが……」

 

 苦笑する彼女の楽しそうな顔に、思わず口の中で舌を噛んだ。

 そうしないとこの笑顔の仮面を崩してしまいそうだったから。

 そもそも、ここに感じてはずっと辛さを感じていたのだ。

 キヴォトスと似て非なるサービスやコンビニ、ゲームやカフェ、アニメ漫画や電車の路線の名前に至るまで、サっちゃんがそれを当たり前のように口にして日常として受け入れている姿を見るたびに、サっちゃんが私の知っているサっちゃんからどんどん離れていっていってしまう。

 どうしてもそう受け取ってしまっていたのだ。

 同じような辛さを感じた場面としては、サっちゃんと二人で歩いているときに偶然彼女の教え子達に出会った時もそうだった。

 

「あ! サっちゃん先生こんちわー! その横の子が噂の親戚ちゃんですか?」

「おお久坂と高杉じゃないか。ああ、そうだ。彼女がまあ……そう、親戚の子のアツコだ」

「どうも、秤アツコです。サっちゃんがお世話になってます」

 

 サっちゃんが私の出自を誤魔化すために親戚の子という方便を使っているのは聞いていたし、私もそれは正しい判断であると分かっていたから特に思うところはなかった。

 なので私は目の前の二人に軽く笑って挨拶をした。

 

「こんちわー! えーと、サっちゃんの友達だからアっちゃんだね!」

「急に距離詰めすぎだよ久坂……ごめんなさいこいつバカで」

「ううん、いいんだよ。楽しい子だなって思うし」

「まったく……それよりも久坂、例の部員集めはうまくいっているのか?」

「うんまー、ぼちぼちって感じかなぁ。とりあえず坂本は入ってくれるって! これであと二人なんだけど、もしかしたら一年の西郷ちゃんって子がワンチャンあるあなーって感じで、そうすればあと一人なんだよねー」

「そうか……どういう結果になろうともちゃんとルール通り頑張るなら私はお前を応援するぞ。だが、それはそれとして勉強も疎かにはしない事だ。もし人数が揃っても補習になどなったら部活動を許す訳にはいかんからな」

「えぇー!? そんなぁー!」

「そんなぁー、じゃない。高校生の本分はあくまで勉強という事を忘れるな」

「うぐぐぐぐ……! 高杉ぃ! 助けてぇ!」

「ハイハイ、今度また勉強見てあげるから頑張りな」

「フフフ、まったくしょうがないやつだな」

 

 生徒達と談笑をするサっちゃん。私が入る隙のない「先生」と「子供」の関係。

 私の知らない、今の彼女の人間関係。

 それを見て抱く私の感情はどうしようもない寂しさと、ないものねだりをする愚かな嫉妬心。

 今のサっちゃんを知れば知る程、彼女が『錠前サオリ』以上に『常前早織』でもあることを知ってしまう。

 いっそのこと今のサっちゃんは完全な別人と割り切れれば楽になるのに、『錠前サオリ』としての顔も見せるからどうしても未練を捨てられない。

 私への申し訳なさを感じながらもリンゴを四つに切り分けた姿はスクワッドのみんなで始めて外の世界に出たときに同じようにみんなでリンゴを分け合って食べて感動したときの事を思い出させた。

 私を置いて仕事に行こうとしていた朝、できる限り私の事を気遣いアレコレと事前に準備と説明をしてくれた姿はサっちゃん一人でスクワッドの任務に動くときの姿と重なった。

 今の彼女は一体どっちなのか。『錠前サオリ』なのか『常前早織』なのか。

 どちらともとれない夢と現実がないまぜになったまどろみのような世界で織られたひもが、ゆっくりと私の首を締め上げていく。

 だけれども私は彼女の側を、サっちゃんをサっちゃんとして諦められずに離れられなかった。

 

 それが、世界そのものによくない(ひずみ)を生みつつあるのを理解しつつも。

 

 

   *****

 

 

「アツコと一緒に家事をするのも、すっかりと慣れてしまったな」

 

 月末の金曜の夕食後、一緒に食器を洗いながら隣でサっちゃんが言ってくれた。

 私が洗い、サっちゃんが拭いた上で水切りカゴに一旦置いているという形だ。

 サっちゃんの格好は仕事から帰って上着とズボンだけ入れ替えた白のワイシャツと青いジーンズ、そして私はここに来たときと変わらない姿の白いコート姿だ。

 二人で外に出るときはサっちゃんからもらった服で出ているが、家の中にいるときはこの格好でいる。

 自分があくまでキヴォトスの秤アツコであり、彼女は『錠前サオリ』なのだという事を少しでも意識したかったからだ。

 

「ふふっ、なんだか同棲相手みたいだね。ああでもこうやって一緒に暮らしてるから同棲生活ではあるのかな?」

「まったく、すぐそうやってからかってくる……アツコがここまでお喋りな事も、かつての私は理解できていなかったんだよな」

「いいんだよ、昔は迂闊にしゃべれなかったんだし、これから知っていけば」

「……そうだな」

 

 我ながら白々しいぐらいのやり取りだけれども、こうして“サっちゃんは私の隣にいる”という事を口にしないと、不安が勝ってしまう。

 私はここまで弱い女だったのかと思い、結局はロイヤルブラッドとして担ぎ上げられていた頃から変われていないな、なんて自虐すら抱いてしまう。

 だけど、これほどまでに負の自覚はあっても私はいまこのぬるま湯から抜け出そうとは思えない。

 サっちゃんがここにいるのなら、もうそれだけでいい。

 

「……と、すまない。電話が鳴ってるから少し出てくる」

 

 そんな事を思っていると、背後から聞こえてきた着信音でサっちゃんがお皿と布巾を置いてスマホを取りに行った。そして、その画面を見ると一瞬だけ考える仕草を見せ、ベランダへと出ていった。

 つまりは、私にあんまり話しているところを聞かれたくないのだろう。

 

「…………」

 

 それがなんだか凄く嫌で、私はベランダの手すりに腕を乗せながら通話を初めたサっちゃんの声を盗み聞きする事にした。

 窓が閉められていようと通気口などから聞き耳は立てられる。

 これもまたサっちゃんからアリウススクワッドの一員として習った技だ。

 

「……ああ、ああ。大丈夫だ、そんな何度も言わなくたって分かっているよ」

 

 話しているサっちゃんの言葉はうんざりしたようだったが、声色にはむしろそんな色はどこにもなく、むしろとても楽しげだった。

 

 ――……一体誰と話しているんだろう? こんな明るい声色のサっちゃんはなかなか見ない。そう、それこそキヴォトスで一緒にいたときはずっと張り詰めていて――

 

「――まったく心配性なんだから、()()()は」

 

 体を流れる血も空気も、すべてが凍りついた。

 

「それよりも()()()の怪我は大丈夫なのか? まったく不器用な癖に日曜大工で張り切って腰を痛めるなんて何度思い出しても恥ずかしい……」

 

 友達と過ごした日々の話はその人が目の前にいるわけじゃないからあくまでそういうエピソードとして耐えられた。

 

「え? (さとる)がいるからなんとかなってる? まあそれならいいが……まだ新社会人になったばかりの()に余計な負担をかけないでやってくれ。そこに関しては父さんが一番感じてるだろうが……」

 

 教え子達との談笑はあくまで先生と生徒という差がある関係性だからごまかせた。

 

「で、私から逆に心配するんだが詩織(しおり)の勉強の具合はどんなものだ? もし芳しくなかったら私が教えに行っても……え? こっちこそ心配性が過ぎるって? 大事な()の大学受験だ、それは心配もするさ。……って、こういう所はどうしようもなく親子だな」

 

 でも、これは無理だ。

 今のサっちゃんが『生まれながらに持っている』、知ってるサっちゃんじゃない部分。

 どうやっても『錠前サオリ』としては食い違う、私の知らない彼女の姿、彼女の人生、彼女の要素。それこそが、家族。

 夢は夢なのだと暴き晒す、頭に響く鐘の音だ。

 

「分かった、じゃあまた。……あっ。アツコ……そうか、聞いていたんだな」

 

 ベランダから出てきたサっちゃんは驚き、少しだけバツの悪そうな顔をする。

 だけども、わずかに俯いた後、サっちゃんは真剣な目つきでこちらを見つめてきた。

 

「……そうだな、私も今の状況が心地よくてなあなあにしてしまっていた。いい加減……はっきりさせるべきだろう」

「………………いや」

 

 ――やめて、言わないで。

 

「アツコ……私はあの日、死んだんだ。子供を助けた代わりに、濁流に飲まれ、深い水底(みなそこ)へと沈んでいった」

「…………いやだ」

 

 ――そんな真っ直ぐな目で、こちらを見ないで。

 

「私はもう、お前の知っている『錠前サオリ』ではない。その記憶を持った別の『常前早織』なんだ」

「……いやだよ」

 

 ――『錠前サオリ』として、今この瞬間の夢を、終わらせないで。

 

「だから、お前とは一緒にいれない。こちらでも、そして向こうでも。私とお前はそれぞれ、歩む道は分たれてしまったんだ」

「嫌だよっ!!!!」

 

 私は叫んでいた。

 目を背けていた現実をはっきりとさせられたこの時に、彼女に、私自身に。

 

「嫌だよ! 私、ずっとサっちゃんと会いたかった! サっちゃんと同じ道をまた歩きたかった! またずっと一緒にいてくれるって、信じたかった……! サっちゃんがいなくなっちゃったなんて……()()()()()()なんて、そんなの……嫌だよっ!!」

 

 その言葉と共に、私はサっちゃんに背を向けて走り出していた。

 後ろから私の名を叫んでくる彼女の声に振り向く事なく、とにかく、がむしゃらに夜の闇の中に逃げ出してしまったのだった。

 

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