錠前サオリ、先生になる   作:詠符音黎

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6.今ここにある過去の証

 がむしゃらに走った闇の中は何も見えなくて。

 逃げれば逃げる程いたかった場所は恋しくなって。

 決して届かぬ星だとしても、手を伸ばさずにはいられない。

 私が求め続けたサっちゃんへの想いは、彼女自身によって否定されてしまった。

 もうどうすればいいのか分からない。

 この期に及んで彼女の言葉を受け止めきれず、走り出してしまった自分自身に嫌気が差す。

 でも、私にとってサっちゃんは、『錠前サオリ』とは、それほどまでの人物だったのだ。

 

 生涯を共に添い遂げたい。そう思っていた程に。

 

「……本当に、格好悪いなぁ私」

 

 足を止めてそう呟いた場所はどことも分からぬ広い公園だった。

 ボール遊びをしても公園の外にボールが飛んでいく心配はなさそうなぐらいの広さで、いわゆる災害時緊急避難所でもあるらしい。

 サっちゃんと一緒に巡った東京23区の詰め込まれた街並みを考えるとこんな場所もあるんだなと思ったぐらいだ。

 

「はぁ……」

 

 私はそこでさすがに疲れたので、近くにあったベンチに無意識に腰を落とした。

 

「「これからどうしよう……」」

 

 と、そこで私が呟いた言葉とまったく同じ言葉が隣で重なった。

 

「えっ?」

 

 びっくりして横を見ると、そこには一人の女の子が座っていた。

 学校の制服姿で、私はどこかでその子を見た覚えがあった。

 

「あ、確か常前先生の親戚の……」

 

 その言葉で思い出した。

 彼女は確かこの前先生と話していた教え子の一人で、元気な子の横でクールにため息をついていた方の子だ。

 

「うん。秤アツコだよ。えっと、あなたは確か……」

「……高杉、っていいます。えーとその……そっちも、何かあったんですか」

 

 疲れた表情で聞いてくるその姿に私は親近感を覚えた。

 きっと彼女は誰でもいいから今の気持ちを吐き出したいんだろう。

 それは私も凄く理解できた。ただ、いきなり自分語りをするのもアレなのでまずは相手から、という魂胆なのだろう。きっとそこまで考えてというより自然とそういう動きをしちゃった、ってのがより正しいとは思うけど。

 

「そうだね……サっちゃんと喧嘩しちゃったんだ」

 

 私はそんな彼女の言葉に乗っかる事にした。

 誰かに吐き出したいのは、私も一緒だし。

 渡りに船、というやつだね。

 

「喧嘩ですか? あの常前先生と?」

「うん。あ、でも正確には喧嘩って言い方は違うかも。私が一方的に怒って、逃げ出しちゃったから……」

 

 分かってはいたけれど結局は八つ当たりで、サっちゃんには悪い事をしたと思う。

 結局私は「子供」で今のサっちゃんは「大人」なんだと、そんな現実がまた見えてしまったのを感じる。

 

「私がどうしようもならないことから目を背けていたのを、ついに突かれちゃってね。結局どうやっても無理な事なのに駄々をこねて、怒って、逃げ出して……やんなるなぁ、自分の事」

「……いえ、分かります。それ。私も……同じですから」

 

 自分で自分に苦笑しながら語ると、隣の彼女はゆっくりと頷いて言った。

 彼女もまたとても思い詰めた顔をしていて、膝の上で両手をぎゅっと握っていた。

 

「私も、友達に……怒鳴っちゃって……。あと、常前先生にそうなっちゃうのも、分かるっていうか……先生は、なんていうか……正しすぎる、融通が利かない程に真面目過ぎる。そんな感じがして……苦手なんです、私」

「苦手? サっちゃんの事が? そうなんだ……なんというか、みんなからは凄い慕われてる風に見えてたけど」

 

 サっちゃんの学校での姿を見に行ったときとこの子達と偶然出くわした程度のところしか見ていないけれども、それだけでもサっちゃんは先生としてとても好かれているように見えた。

 多分この印象は私がキヴォトスにいる『先生』と今のサっちゃんを重ねているのもあるんだと思う。

『先生』の言葉と背中を見て今の立場を志した彼女の姿は、やはりどこか似通っているように思えたから。

 

「はい、それは間違いないと思います。でも、私はむしろそんな常前先生の姿に苦手意識を持っちゃってて。……その、あのとき私の隣にいた子、久坂って言うんですけど、彼女は今部活を作ろうとしているんですよ。軽音楽部。でも……本音を言うと、私、それ嫌なんです」

「……そうなんだ」

 

 なんとなく、話が見えてきた。

 でも私はそれに言及せず、話をただ聞く事に専念する。

 自分の口で言うのって、思ったより気持ちを整理できるんだなってさっき自分でも思ったからだ。

 

「私は……あの子とずっと二人でいれればそれで良かったんです。でもあの子は凄く明るくて、バカ正直で、まっすぐで……そんな彼女に救われた場面も多かったけれど、それと同時に彼女が他の誰かと仲良くしてる姿に、つい嫉妬しちゃって……だから彼女がバンドをやりたいって気持ちで部活立ち上げようとして常前先生のところに行ったときも、失敗して諦めてくれればいいって、思ってたのに……先生のせいで、むしろ前に進んじゃって」

「なるほど……そういえば、この前もうちょっとでなんとかなりそうって感じの事言ってたね彼女。それで、そっちも嫌になって逃げ出しちゃった、ってところかな」

「……はい。もう気持ちが抑えられなくなって、嫌だって、私だけを見て欲しかったって、一方的に怒鳴って、それでこんなとこまで来ちゃって……それも常前先生が、あの子の背中を押すから……ハァ、本当に私って最悪だ。この期に及んで先生に責任転嫁してる」

 

 両手で顔を覆って俯く彼女。

 そんな姿を見て、私はそっとその肩に手を置いて、言った。

 

「ううん、仕方ないよ。だって……嫌だったんでしょう?」

「……はい」

「そうだよね……ずっと一緒にいたい人といれなくなっちゃうのって、やだよね」

 

 形は違えども同じ悩みを抱え、同じように逃げてきた私と彼女。

 正しい現実を受け止めきれずに目を逸らし、そのツケを払うことになった今の私達。

 あまりにも似通った姿にとても大きな同情を抱く。

 

「でもね……一つだけ私から言うとしたら、サっちゃんって実はそんな完全無欠な正しい人じゃないんだよ?」

 

 でも、それと同時に今まで見えていなかったものが、私には見えた。

 

「そうなん、ですか……?」

「うん。これはね、もうずっと前の事になるんだけど……サっちゃんはその融通が利かない真面目さのせいで凄い大きな過ちを犯して……たくさんの人、傷つけちゃったんだよね」

 

 あのエデン条約の日。

 私のためと、アリウススクワッドのためと。アリウスが背負っていた怨念を晴らすためと。

 すべてを破壊しようとして、大勢を惨劇に陥れた。

 アリウスが学校として再建した後も彼女が後悔し続けていた、火と灰に染まった空の日の出来事。

 

「あの常前先生が? 信じられない……」

「うん、まあそうだよね。でもね、そこからサっちゃんは頑張って今のサっちゃんになった。昔の自分を悔いて、改めるために頑張って、自分探しの旅なんかしちゃって……そうして、道を示してくれた『先生』のようになろうとして、今があるんだと思う」

 

 ロイヤルブラッドとしてその命を捧げられようとしていた私を助け出してくれたみんな。

 そこから一人自分探しの旅を始めて、ついにはまた一緒になれた私達。

 ようやく新しい始まりをみんなで歩き出せた、そんなときに彼女は死んでしまった。

 そんなの私は認められなくて、ずっと取り戻せない過去に焦がれて、再会した後も事実としてある彼女の死が受け入れられなかった。

 別人だという事を思い知って逃げてしまった。もう『錠前サオリ』がいないなんて、耐えられなかった。

 

 ――けれども。

 

「『先生』……常前先生の恩師、ですか」

「うん。真面目過ぎて失敗もして、それでも誰かのために動いて頑張って時にはその身を呈する事だってして……サっちゃんがなりたかった姿は、今ここにあるんだと思う」

 

 『錠前サオリ』という命は死んじゃったけど、でも完全に死んじゃったわけじゃないんだ。

 いないけど、いるんだ。

 色褪せた私の目線だけじゃ気づけなかった。

 サっちゃんの自分自身の目線じゃ気づけなかった。

 何も知らない彼女が教えた生徒の目線に、『錠前サオリ』はいた。

 ()()()()()()()()()()()が、そこにいたのだ。

 

「サっちゃんのそういうところで辛く思っちゃうのはよく分かるよ。でもね……サっちゃんは決して正しさを押し付けている訳じゃない、ってのは知って欲しい。例え自分が悪く思われようと、傷つこうと、目の前の人の幸せを願ってその身を投げ出しちゃう……そんなちょっと身勝手とも言える行動の結果でもあるんだから」

 

 濁流に飲まれた子供を助け命を散らしたサっちゃんも、あのアリウスの地獄のような日々で私達を庇って前に出て苦しみしかない虚しさを一人で受け止めてくれたサっちゃんも、そして今先生として頑張っているサっちゃんも、みんな同じ彼女なのだ。

 ここでふと、どこかで聞いたとあるお話を思い出した。

 それは蠍の物語。蠍は小さな命を沢山殺めて食らってきたが、ついに自らが食べられそうになったときに逃げ回り井戸に落ち溺れてしまい、その中で自らの虚しき生を嘆き、こうも虚しく命が散るくらいならばこの命を誰かのために捧げたい、己が生をすべての者の真なる幸福のために使いたい、そう願った。

 尊き祈りを抱いた蠍の体は美しき赤色の火となり(おこ)され、闇夜を照らす輝きとなる。

 そんな自らを悔い改めて変わることのできた蠍のオラトリオ。

 きっとサッちゃんはその蠍なのだろうと思った。

 その身を犠牲にしてもなおそこに残り続ける願いの煌めき。

 かつてその姿を見た私達も、そして今その姿を見ている彼女達も、(みな)等しくその煌めきに道を照らされている。

 そんな尊き、彼女の心臓の輝き。

 

 私達は一緒にはいられない。

 もはや『錠前サオリ』という少女はいない。

 でも、『常前早織』の中に『錠前サオリ』は生きている。

 いるけどいない。これは決して矛盾する事はなく、共に並び立っている。

 彼女の輝きは、絶えない炎の(しるべ)となっている。

 私は今それを、やっと理解する事ができたのだ。

 

「だからさ、もしムカつくならその事もサっちゃんに相談しちゃいなよ。そしていっぱい困らせて謝らせちゃおうよ。サっちゃんの無神経な思いやりで苦しんでる子もいるんだぞって怒って、それでいっぱい頑張ってもらおうよ。……結局は、お互いの心がすっきりするかどうか、それが大事なんだから」

 

 彼女が本当にそのことをサっちゃんに言えるのかは分からないし、それで事態がどう転ぶのかも責任は取れないけれど、でももっと自由に好きにやってもいいんだと私は思った。

 自らの心に整理をつける。そしてそこでこれまで作られてきた道をまた歩む。これが前に進む事なんだから。

 

「……そうですね。ありがとうございます、ちょっと楽になりました。ちょっとどうするのかは考えてみますけれど、常前先生……そして久坂にはもっとはっきり言って、それで、一人楽になっちゃおうと思います」

 

 目の前の彼女は微笑んでそう言ってくれた。

 私もそれに笑い返す。やがてお互い「フフフ」と軽く笑い合った。

 

「それにしても随分と詳しいんですね。親戚の子って言ってましたけど随分と先生の事情に詳しいようですが……一体どんな関係なんですか?」

「そうだね……そんなの決まってるよ、私とサっちゃんは――」

 

 私が自信満々に私達の関係について述べようとした、そのときだった。

 目の前の彼女が、急に意識を失ってくらりとこちら側に体を預けてきたのだ。

 

「えっ!? だ、大丈夫!? 一体何が――」

 

 ――途端、凍えるような冷たさが、背筋を撫でた。

 

 この冷たさを、私は知っている。

 かつてアリウスに満ち、あのエデン条約の日にも、ベアトリーチェが私を生贄に捧げようとした日にも、アリウスに天使が舞い降りたあの日にも、似た冷気は満ちていた。

 

 これは、死の寒さだ。

 

「――っ!!」

 

 私は急いで彼女を抱きかかえその場を飛び退く。

 すると、先ほどまで座っていたベンチがグシャリと潰された。

 

 地面に広がる夜よりも濃い闇から、大きな骨の蹄が伸びて踏みつけていた。

 それを足がかりに闇から出てきたのは、巨大な骸骨だった。

 高さ三メートルは超える大きさの巨大な骸骨。蹄があったようにその頭は牛の髑髏で骨は白というよりも青白いという言葉が似合う。その巨大な牛の骸骨は二足歩行で立ち上がり、体中に烏瓜を生やした蔦が巻き付いている。背中には青い燐光に瞬く鷺の翼が生え全体的なシルエットは十字架のようにも見える。

 だが何より目を引くのは、その体の青白い骨の奥に、あらゆる光を吸い込む程に苦楽ありながらも灼熱のごとき丸い輪郭を表す穴――ブラックホールを心臓として宿している事だ。

 このように異形としか言えない外形を表してきたが、その存在そのものが何なのかは私は理解していた。

 それはロイヤルブラッドとしてアリウスで学び、感じ、識っていたもののうちの一つでもあるからだ。

 そいつは一言で表現できた。

 

 こいつは『縫合されたテクスチャを被った死の概念』なのだと。

 

「……なるほど、狙いは私かな」

 

 世界というのは形が定まっており異物の存在はその形に(ひずみ)を起こしてしまう。

 キヴォトスの空が赤く染まったあの日にも、キヴォトスという世界のテクスチャを歪める存在が事件の渦中にあった。

 そして、今この世界のテクスチャを歪めている存在こそがこの私、秤アツコだ。

 これはその歪の堆積から生まれた、私の未練の結晶とも言っていい。

 私が未練を断ち切れたタイミングで、ついに死者への未練の堆積がテクスチャを纏い現出するほどになってしまった。なんて皮肉なんだろうね、ほんと。

 

「!? くっ!」

 

 テクスチャを被った死――とりあえず黒いモノを内包してる袋とも言えるから『石炭袋の牛』とでも呼ぶ――はその蹄をこっちにまた大きく振り下ろしてきた。

 私はまた気を失った彼女を抱いたまま逃げるも、今度はその手を薙ぎ払い一緒に吹き飛ばそうとしてくる。

 それをまた後ろに跳んで避ける。

『石炭袋の牛』は闇を湛える髑髏の穴でこちらを睨む。

 

「この子は関係ないから一旦離れたところに置いてきて手を出さないでもらっていいかな? ……って言っても、聞いてくれないよね」

 

 コイツは負の感情と死の概念が混ざり合い歪んだ現実によってテクスチャを得て生み出された怪物。

 そこに理性はなく、私、そして負の感情を先ほどまで抱いていた彼女を消し去ろうとしている狂ったシステムでしかない。

 私が抱えている彼女が気を失い、目を覚ます気配がないのはそういう事だ。

 

「……どうすれば」

 

 自分の表情が険しくなっているのが分かる。

 一人ならやりようはあったと思う。でもこうしてこの子を守りながらだと、逆に一人ではどうしようもない。

 万事休すとはこの事だ。どうにかして、この状況を打開しないと……。

 

「アツコっ!」

 

 そんなときだった。

 何よりも安心して、嬉しくなる、そんな声が聞こえてきた。

 汗だくで息を切らしたサっちゃんが、そこにいたのだ。

 

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