IR情報で読み解くダンジョン経済学   作:カトーユキヒロ

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第10話:裏在庫の露見と、ギルドの査察

 初めての納品から、3週間が経過した頃。

 

 東朋マテリアルへの週500個の納品は一度の遅滞もなく遂行され、陽太の法人口座の残高は瞬く間に2000万円近く積み上がっていた。

 

 だが、順調な事業とは裏腹に、陽太の暮らす古い借家は物理的な限界を迎えていた。

 

 陽太が休学中の大学からの呼び出しを受け、家を空けていた日の午後。小春の様子を見にきていた凪は、ふと部屋の隅に積まれた見慣れない黒いコンテナの山に気づいた。

 

「……小春ちゃん、この箱、何?」

 

「うーん? お兄ちゃんが毎晩お仕事から帰ってきた後、夜中までゴソゴソ作ってるの。触っちゃダメって言われてるけど」

 

 嫌な予感がした。

 

 凪は陽太の言いつけを無視してコンテナの蓋を開け──息を呑んだ。

 

 そこには、東朋に納品しているものと全く同じ、無傷の純水フィルターが数百個単位でぎっしりと詰め込まれていたのだ。

 

 夕方。借家に帰ってきた陽太を待っていたのは、氷のように冷たい目をした凪だった。

 

 テーブルの上には、裏在庫のパッケージが一つ、ドンッと置かれている。

 

「……説明して、陽太。これ、東朋のロットとは別物よね。いつの間にこんな量を作ってたの?」

 

「……万が一、東朋やギルドと揉めた時のための保険だ。一鉄さんと別れた後、俺一人で残業して──」

 

 パァンッ!! 

 

 乾いた音が、狭い四畳半に響いた。

 

 陽太の頬が熱を持つ。凪の平手打ちだった。

 

「な、凪……?」

 

「馬鹿じゃないの!? 保険を作る戦略自体は正しいわ。でも、なんで私に黙ってたのよ!」

 

 怒鳴り声を上げた凪の瞳から、ポロポロと大粒の涙が溢れ落ちた。

 

 鉄仮面のエリート弁護士でも、ビジネスパートナーでもない。ただの、陽太を心配する一人の少女の顔だった。

 

「こんな量の在庫を作るのに、毎晩どれだけ一人でダンジョンに潜ってたの!? もしあなたが倒れたら……残された小春ちゃんはどうなるのよ! 私だって……ッ!」

 

「……ごめん」

 

「リスクを分散するのが相場師なんでしょ……! 命の危険も、秘密を抱える重圧も、全部一人で背負い込まないでよ……っ」

 

 泣き崩れる凪の肩を、陽太は痛む頬のまま、不器用に抱き寄せた。

 

 彼女の言う通りだった。誰も信じないことが生存戦略だと思っていたが、それはただの独りよがりなパラノイアだったのだ。

 

「……悪かった。もう二度と、お前には隠し事はしない。これからは全部、二人で共有する」

 

「……当たり前よ」

 

 凪は鼻をすすりながら、陽太の胸元で小さく呟いた。そして、数秒後にはいつもの法務顧問の顔へと、強引に表情を切り替える。

 

「……とりあえず、こんな爆弾をいつまでも生活空間に置いておくわけにはいかないわ。資金には余裕ができたんだから、ちゃんとした事務所兼、在庫を隠すための倉庫を借りるわよ」

 

「ああ、賛成だ」

 

 二人はすぐさま行動を起こし、地元の不動産屋を通じて、尾道特区の外れにある海沿いの古びた貸倉庫を契約した。

 

 元は造船所の資材置き場だったらしく、潮風で錆びついているが、広さと人目のなさは申し分なかった。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 数日後。ガランとした新しい倉庫の中で、陽太と凪が簡単なパイプ椅子を並べて今後の事業計画を練っていた、その時だった。

 

「──随分と殺風景な事務所だな。株式会社ウォーター・ベインの若社長さんよ」

 

 カラン、と入り口のシャッターが乱暴に開けられ、場違いな黒スーツの男たちが3人、ズカズカと入ってきた。

 

 先頭を歩く、オールバックに銀縁眼鏡をかけた細身の男の胸元には、特区の特権階級であることを示す探索者ギルド・監査部の金バッジが光っている。

 

「……どちら様ですか」

 

「ギルド監査部の鮫島(さめじま)だ。お前たちが東朋マテリアルと、ギルドを通さずに巨額の闇取引をしている件で査察に来た」

 

 陽太と凪の間に、ピリッとした緊張が走る。

 

 鮫島はパイプ椅子を蹴り飛ばし、薄ら笑いを浮かべた。

 

「不思議そうな顔だな。俺様は優しいからな、なぜ我々ギルドが知っているのか特別に教えてやろう。……3週間前、東朋マテリアルが向島ダンジョンの入り口に構えていた大規模なベースキャンプを突如として完全撤収させたんだよ。莫大な投資をしていたはずなのに、だ」

 

 鮫島の言葉に、陽太は内心で舌打ちをした。

 

 東朋は陽太たちから完璧なフィルターを仕入れられるようになったため、自社での採取・研究に見切りをつけ、無駄なキャンプを畳んだのだ。大企業が動けば、ダンジョンを管理するギルドが怪しむのは当然だった。

 

「不審に思って東朋に探りを入れてみたが、なかなかどうしてコンプライアンスが行き届いやがってな。全く尻尾を掴めなかったんだが、先日……東朋の研究員、確か高橋だったか? あいつからタレコミがあったんだよ。時間さえあれば自分達で調達できるのに、上のミスで特区の底辺探索者から1個1万円で泥スライムの核を調達せざるを得ない、ってなァ!」

 

(──高橋。プライドをへし折られた腹いせに、ギルドに情報を売ったな……!)

 

 陽太の背中に冷たい汗が伝わる。

 

「……ダンジョン法第三条違反、未加工魔物素材の脱税だ。今すぐ取引をギルドの管理下に置け」

 

 鮫島が恫喝するように陽太を睨みつける。

 

「お話は分かりました。……ちなみにギルドに卸した場合の買取価格はいくらですか?」

 

「は? ……そうだな。元々が10円のゴミなんだ。10倍の100円で買い取ってやるよ。嬉しいだろォ!」

 

 鮫島は自分が絶対的な立場にいることを良いことに、高圧的な態度を崩さない。

 

 だが、その鮫島を涼しい顔で遮ったのは、パイプ椅子に足を組んで座ったままの凪だった。

 

「ギルドの人間は、登記簿謄本もまともに読めないんですか?」

 

「なんだと? 小娘が、口を挟むな」

 

「小娘ではなく、当社の法務顧問、瀬戸凪です。……監査官。当社が東朋に納品しているのは、未加工素材ではありません。当社の特許出願技術を用いた工業製品、『ウォーター・ベイン・フィルターV1』です」

 

 凪はタブレットを操作し、鮫島の目の前に製品の仕様書を提示した。

 

「泥スライムの核を、当社の指定する特定溶液に浸漬させ、真空パッケージングを施した時点で、これは商法に基づく工業製品となります」

 

「屁理屈をこねるな! 本質は魔物素材だろうが!」

 

「昔の酒税法でも、麦芽比率を下げただけの発泡酒はビールとして課税されませんでした。法律において重要なのは本質ではなく定義です。これ以上不当な介入をするなら、独占禁止法違反として公正取引委員会に即時提訴しますが……よろしいですか?」

 

 淡々と、しかし恐ろしいほどの切れ味で放たれた法律の刃の前に、鮫島は言葉に詰まり、屈辱に顔を真っ赤にした。

 

 法廷闘争になれば、ギルドの既得権益に国のメスが入る。それだけは避けなければならない。

 

「…………ッ! き、貴様ら……これで済むと思うなよ!」

 

 鮫島は捨て台詞を吐き、部下を引き連れて足早に倉庫から立ち去っていった。

 

 嵐が去った倉庫で、陽太は深く息を吐き出した。

 

「助かった、凪。お前がいなかったら終わってた」

 

「……そうね、とりあえず今回は上手くいったわ。だけど、発泡酒スキームで追い返せるのは、今回が最初で最後になるんじゃないかしら」

 

 凪の表情は、先ほどまでの余裕が嘘のように険しかった。

 

「ギルドに目をつけられた以上、次は発泡酒スキームの対策をしてくるわ。透明なフィルムのままでは、工業製品としての訴求効果が薄い。いずれギルドに実態はただの魔物素材だと強引に定義を変更される。完全に中身が見えないブラックボックスにしなければダメよ」

 

 凪の指摘に、陽太は顎に手を当てて思考の海に潜った。脳裏で、東朋マテリアルから開示されているプラントの構造図と、ギルドの法的な盲点が目まぐるしく噛み合っていく。

 

「──なら、一つ案がある」

 

 陽太の頭の中で、次なる一手が凄まじい速度で組み上がっていく。

 

「以前、木崎さんと雑談していた時、プラントにフィルターをセットする方法はカートリッジ式にするつもりだと聞いた。東朋に掛け合って、純水プラントに直接接続できる専用の不透明なカートリッジを支給してもらうんだ。そして、ダンジョンでパッキングした核を、この倉庫でカートリッジに組み込む」

 

「……なるほど」

 

 凪の目が、即座にその意図を察して細められた。

 

「外装のネジを接着剤で完全に封印してしまえば、ギルドの監査官だろうと中身は確認できない。ただの東朋向け専用部品だ。立派な下請けの組み立て工場の完成だろ?」

 

「でも、東朋の納品検収の時はどうするの? 中身が検査できないと、彼らも首を縦に振らないわよ」

 

 凪の当然の懸念に、陽太は不敵に笑った。

 

「そこは交渉だ。中身は見えないが、プラントの機械に嵌めて、規定通りの純水が出れば結果で検品できる。現場のエンジニア気質なら、その合理性を呑む可能性は高い」

 

「ええ。東朋にとっても、納品されたものをそのままプラントに嵌めるだけになるから、現場の手間が省けるわね。木崎さんとなら交渉の余地があるわ。……でも、もう少し東朋に提示できるメリットが欲しいわ。ギルドのリスクを背負ってまで、彼らが私たちのわがままに付き合う理由がね」

 

「なら、組み立て工賃は乗せず、値段は据え置きにしよう。東朋からすれば、実質無料でパッキング作業を外注できる形になる。人件費が浮くのはメリットになるはずだ」

 

「良いわね。後は……東朋からギルドへの情報漏洩っていうカードがあるし、最悪の場合は、競合他社にフィルターを提供するカードもあるわね」

 

 凪が淡々と口にした恐ろしい脅し材料に、陽太は苦笑した。

 

「それは最終手段に取って置きたいが……、いざという時のための相手企業の選定、頼めるか?」

 

「任せて。そういう選択肢を常に用意しておくのが、私の仕事だから」

 

 凪は頼もしく胸を張った。

 

「それに……交渉が成立した時に備えて、カートリッジの組み込み作業をする口の堅い作業員を事前に確保しておきたい」

 

 二人が顔を見合わせた時、倉庫の奥から、真鍮の義手をガチャンと鳴らして一鉄が歩み出てきた。

 

 彼は先ほどのギルドとのやり取りを、入り口の影で息を潜めて聞いていたのだ。

 

「……だったら、俺に心当たりがあるぜ、若社長」

 

 一鉄は、いつもの安煙草に火をつけながらニヤリと笑った。

 

「造船所のリストラで放り出されたり、ダンジョンで足を食われて引退した元・職人のオッサンたちが数人いる。今は特区の底辺で日雇い仕事をしてるが……義理堅くて、手先の器用さだけは保証するぜ」

 

「一鉄さんの、昔の仲間ですか」

 

「ああ。どいつもこいつも、世間からはポンコツ扱いされてる連中だ。だが、てめえの会社の秘密を守らせる番犬としては、特区のどの警備会社より信用できる」

 

 大企業も、ギルドも、社会の底辺すらも利用して、鉄壁の要塞を築き上げる。

 

 陽太は迷うことなく頷き、一鉄に向けて真っ直ぐに手を差し出した。

 

「分かりました。一鉄さん、その人たちの工場長として、まとめ役をお願いできますか」

 

「……ハッ。こき使ってくれるじゃねえか」

 

 ギルドの襲来という最大のピンチは、株式会社ウォーター・ベインが真のメーカーへと進化するための、強力な起爆剤となった。




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