今日の組み立て業務が終了した夕方。
潮風が吹き抜ける第二工場の事務所に、ウォーター・ベイン社が誇る4人の職人と、社長である陽太が集まっていた。
「藤井さん、山本さん、日々の業務お疲れ様です。真面目に取り組んでいただいていますし、作業効率も申し分ありません。ついては、本日から一律で1.5倍の昇給とさせていただきます」
「流石、社長! これからもどこまでも付いていきますぜ!」
左足に義足をつけたスキンヘッドの男──藤井が、心底嬉しそうに声を弾ませる。
「ありがとうございます。微力ながら、これからも精一杯頑張ります」
眼鏡をかけた小柄な男、山本も柔和な笑顔で頭を下げた。
「お待たせしました、源さん」
陽太は一転して、引き締まった表情で最年長の男に向き直った。
「あなたには、この第二工場の工場長として、現場のすべてを仕切っていただきます」
「……俺が、工場長か」
フルネームが記された真新しい辞令を手に、
顔の右半分を覆う大きな火傷の痕が、感情の揺れに合わせて僅かに引き攣る。元々の強面に加え、その傷跡と眼帯が彼を特区の裏社会の住人のように見せていたが、陽太は視線を逸らさずにその目を真っ直ぐに見つめた。
「ええ、源さん。職人たちのまとめ役、そして工場の管理をあなたに任せたい。給料は一鉄さんと同等、今の2.5倍に設定しました。その代わり──この工場は、命懸けで守ってもらいます」
源さんは無言で立ち上がり、陽太に向かって深く、一度だけ頭を下げた。
「……若、あんたは恩人だ。この面つらのせいでどこへ行っても石を投げられた俺を、人間として、職人として扱ってくれた。この工場に指一本触れさせるような真似は、死んでもさせねえ」
その言葉には、契約書よりも重い、底辺に生きた男の血の通った誓いがあった。
その様子を傍らで見守っていた一鉄が、安煙草を吹かしながら、嬉しそうにニヤリと笑った。
「最後に、一鉄さん」
「あ? 俺もあるのかよ」
「もちろんです。これまで第一と第二、両方の工場長を兼任して引っ張っていただき、本当にありがとうございました。これからは技術顧問兼・第一工場長として、当社のコア技術に関わるすべての作業をお任せします。よろしくお願いします」
「おう、そういうことなら任せとけ! オッサンどものお守りより、自分で動く方が性に合ってるからな」
一鉄が真鍮の義手をガシャンと鳴らして笑う。これでウォーター・ベイン社の二大拠点の体制は整った。
「それでは、いつも頑張ってくださっている皆さんに、社長から臨時ボーナスです」
「何だ何だ? 金か、それとも美味い飯か? ……おいおい社長、まさかスライムじゃねえよな?」
藤井の冗談に、事務所がワッと沸く。スライムの核を扱う会社だからこその軽口に、陽太も不敵な笑みを返した。
「まさか。これですよ」
陽太がデスクの足元から引っ張り出したのは、四本の無骨な一升瓶だった。
「闇市で手に入れてきました。合成アルコールじゃない、本物の焼酎です」
一瞬、事務所が静まり返った。
「う、うぉぉぉぉ! 社長、あんたサイコーだよ!」
「マジかよ! 本物の酒なんて、12.11以来まともに飲んでねえぞ!」
スキンヘッドを真っ赤にして叫ぶ藤井に、山本の眼鏡の奥の目も珍しく見開かれている。源さんに至っては、愛おしそうに一升瓶のラベルを凝視していた。
「よし、酒盛りだ! 今から俺が闇市で最高のツマミを買い出しに走ってくる!」
「待て藤井、俺も行く! 酒があるなら、一鉄のオヤジ直伝の伯方の塩も必要だろ!」
先ほどまでの厳格なNDAの緊張感はどこへやら、職人たちは少年のような大騒ぎで、錆びついたシャッターを開けて夜の街へと飛び出していった。
賑やかな足音を見送りながら、陽太は小さく息を吐き、スマホの画面に目を落とした。凪から『小春ちゃん、もうぐっすり寝たわよ。子守唄の追加料金、請求しとくわね』と短いメッセージが入っている。
(……小春を凪に預けておいて、本当に正解だったな)
このむさ苦しくも熱い男たちの宴の中に、あのかわいい妹を巻き込むわけにはいかない。
夜風に乗って、遠くから職人たちの楽しげな笑い声が聞こえてくる。こうして、ウォーター・ベイン社の新体制を祝う熱い夜は、静かに更けていくのだった。
◇ ◇ ◇
それから一週間後。
陽太の日常からは、自ら泥にまみれる作業が完全に消え去っていた。
第一工場で行なわれる一次パッケージング(核の摘出と溶液漬け)は、第二工場の作業から解放された一鉄がダンジョンに潜って一手に引き受けている。ギルドからむしり取った優先探索権のおかげで、他の探索者の目を気にする必要がなくなり、作業効率は格段に跳ね上がっていた。
持ち込まれた無傷の核を、源さんが率いる職人たちが不透明なカートリッジへと組み込み、最終的な検品のみを陽太が実施して東朋マテリアルへ納品する。
陽太が朝起きて、小春と朝食を摂り、凪と定例会議を実施している間にも、法人口座の数字は増えていく。
労働から解放され、構築したシステムが自動で富を生み出し続ける。それは陽太がかつて大学の経済学部で学んだ資本主義の完成形そのものだった。
だが同時に、陽太の胸の奥には得体の知れない焦燥感が渦巻いていた。
(……数字は増えているのに、自分の手が全く汚れていない)
相場師としての本能が、警鐘を鳴らしていた。
自分がコントロールできない場所──ダンジョンの奥深くや、東朋マテリアルの巨大なプラント内部──で、ビジネスの命運を握る歯車が勝手に回り続けている。すべてが順調すぎる。この波風の立たない平穏な状態が、いつまでも続くはずがない。
その直感は、ポケットの中で激しく震えるスマートフォンによって的中した。
ディスプレイに表示されたのは、東朋マテリアルの木崎からだった。
「……はい、湊です」
『湊君! 助けてくれ! 頼む、今すぐ例のプラントに来てくれないか!』
電話越しでも分かる、木崎の悲痛な叫び。エリート技術者としての冷静さを完全に失ったその声は、巨大なクジラが浅瀬に乗り上げ、血を吐きながら上げる断末魔のようだった。
◇ ◇ ◇
特区沿岸部に建設された、東朋マテリアルの巨大純水精製プラント。
最新鋭のパイプラインと巨大な加圧タンクがそびえ立つその施設は、まるで葬儀場のように冷え切っていた。
「……見てくれ。これだ」
駆けつけた陽太と凪を、髪を振り乱した木崎が絶望的な顔で出迎えた。
彼の指差す先、プラントの排出口から吐き出されているのは、透明な純水ではない。濁った泥水──いや、溶けたヘドロが混ざったような、無残で異臭を放つ液体だった。
「個別の水通しテストも、耐久テストも完璧だったんだ……」
木崎が頭を抱える。
「だが今日、君たちのカートリッジ千個をプラントに接続し、本稼働を想定した実験を行った。すると、開始から一時間もしないうちに、カートリッジの内部で中身が次々とオーバーヒートを起こし、自壊し始めた……!」
想定外の全損。そして刻々と近づくタイムリミットに、木崎の精神は限界寸前だった。
「我々も核が熱を発生させることは分かっていた、だから注水する水をギリギリ凍らないくらいに冷やして対応した。これで事前テストではクリアできていたんだよ……」
木崎は泣きそうな顔で陽太に縋りついた。
「3日後だ……。3日後なんだよ、湊君。我が社の重役たちが、プラント計画の最終査察にここへ来る。これが失敗すれば、プロジェクトは凍結。私のクビも飛ぶ!」
「状況は分かりました。少し時間をください」
(嫌な予感はこれか!純水プラントがポシャったら、東朋マテリアルとの取引も終わりだ。違約金で一時的なフローはあるだろうが、また次の戦略を考えなければ……。だが、まずはプラントの状況確認だ。プラントが失敗と決まった訳じゃない)
陽太は冷静に木崎を押しのけると、
【
(……原因はなんだ?)
【
(……考えろ)
【
(……思い出せ)
【
(……そういうことか?)
陽太の脳内で、バラバラだったパズルのピースが噛み合った。
かつて、底辺探索者として泥スライムを観察した時の記憶。ゼリー状の身体を一定のリズムで伸縮させ、ゆっくりと呼吸するように移動していた姿。
そして数日前、病院への寄付のために、自らの手で100リットルの純水を精製した時の記憶。連続で水を通すと凄まじい熱を持ち、水流を止めて休ませると、微かに脈動して熱を逃がしていた核の手触り。
東朋の技術者たちは優秀だ。だが、彼らは致命的な勘違いをしている。
木崎たちは、この中身を活性炭やセラミックのような無機物のフィルターとして扱い、工業プラントの定石通り一定の高圧で24時間水を押し込み続けるという連続加圧を行ってしまったのだ。
「……木崎さん。御社のプラント設計は、機械工学としては正しいです。ですが、決定的な前提が間違っている」
陽太が静かに告げると、木崎が縋るように顔を上げた。
「前提……? 何が間違っているというんだ!」
「このフィルターのコアは無機物じゃない。元は魔物の核……。つまりは生モノなんですよ」
「なっ……! 生モノだと!?」
「ええ。工業プラントのように一定の高圧で休むことなく水を押し込み続ければ、コアは魔素を分解した際に発生する熱を吐き出す──呼吸する隙がなくなり、熱がこもってオーバーヒートし、死にます。それが自壊の原因です」
木崎が絶句した。機械の専門家である彼らが、フィルターが生物のように呼吸を必要とするなど、想像もつかない死角だった。
「湊君、解決策は……あるのか!?」
食い下がる木崎の前に、凪がスッと歩み出た。
「木崎さん。前提として確認させていただきますが、我々が納品したフィルター自体は契約通りの良品です。今回の全損は、御社の仕様・運用方法の誤りによるものであり、我々に瑕疵担保責任はありません」
「そ、それは分かっている! だが、どうにかしてプラントを稼働させなければ私は……!」
「解決策はありますよ」
凪が作った絶対的な防衛線の上で、陽太は、冷徹な相場師の顔へと切り替わった。
(──原因のアタリはついた。だが、具体的に何秒加圧して何秒圧を抜けばいいのかなんて、今の俺には全く分からない。ぶっつけ本番で探り当てるしかない)
(だが、ここで一瞬でも迷いを見せれば主導権を失う。大企業の連中を従わせるには、俺が完璧な答えを持っていると錯覚させるしかない。ハッタリで押し切る!)
「ただし、ここから先は単なる部品供給ではありません。我が社の持つ知的財産権の提供──技術コンサルティング契約になります」
「コン、サル……?」
「プラントを稼働させるための制御アルゴリズムを提示しましょう。連続加圧ではなく、数秒加圧した後にコンマ数秒だけ圧を抜く──コアに
陽太はそびえ立つ巨大なパイプラインを見上げ、不敵に唇を釣り上げた。
「このプラントが生み出す純水の売上、その3%を
「売上の3%……!?」
木崎の目が限界まで見開かれた。
「ば、馬鹿な! そんな巨額の恒久契約、現場主任である私の一存で決済できるわけがない! 少なくとも取締役会で審議する内容だぞ!」
「分かっています。だから、明日までに問題解決を条件に3%の支払いを約束する念書を、役員決裁で巻き直してきてください。木崎さん、あなたのクビと、東朋の数十億のプロジェクトの命運を懸けてね」
「…………ッ!!」
木崎は喉の奥で悲鳴のような呻き声を上げた。
社内政治の泥を被り、上層部に頭を下げて回るか。それとも、このまま鉄屑の山を眺め、プロジェクトの全責任を負って破滅するか。
彼に選ぶ余地など、最初から存在しなかった。
「……分かった。……すぐに本社の法務部と役員を動かす。明日の朝までに、必ず念書を用意する。だから……頼む!」
プライドも何もかもを投げ捨て、木崎は深く頭を下げた。
◇ ◇ ◇
失意の木崎を残し、プラントを後にした陽太と凪は、夕暮れのコンクリートロードを歩いていた。
具体的な加圧のリズムは未知数だ。明日、プラントを実際に動かしながら、俺の
(失敗すれば、純水のプロジェクトは打ち切り、週500万円の安定収入は無くなる。東朋からは恨まれるだろう。命を狙われかねない危険な綱渡りだ)
それでも、木崎たちの前で弱気な態度を見せるわけにはいかない。ダンジョンの泥を知る底辺探索者の経験と、相場師としての度胸。そのすべてを総動員し、大企業にロイヤリティという楔を打ち込む、一世一代の
(でも、分の悪い賭けじゃない。全てを失ったあの時のように、運に身を任せるようなこともない。
迫りくる3日後の最終査察、そして明日のぶっつけ本番のアルゴリズム構築。
巨大なクジラを内側からハックし、莫大な富を永続的に吸い上げるための、若き相場師の極限の
batikuma 様 Felis0817 様 あっぽ 様
お気に入り登録ありがとうございます。
感想、評価、お気に入りいただけると泣いて喜びます。
今後も頑張りますので、よろしくお願いします。