IR情報で読み解くダンジョン経済学   作:カトーユキヒロ

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第17話:執念の結実と、ウイニングラン

 雲一つない、尾道の青空だった。

 

 坂道に建つ古びた借家の玄関で、真新しいランドセルを背負った小春が、太陽の下で元気よく跳ね回っていた。あの大災害の日に失ってしまったものと、よく似たチェリーレッドのランドセルだ。

 

「お兄ちゃん、凪お姉ちゃん! いってきます!」

 

「ああ、気をつけてな。走って転ぶなよ」

 

「ふふ、車には気をつけるのよ」

 

 大きく手を振って駆け出していく小さな背中を、陽太と凪は並んで見送っていた。

 

 かつて、魔素不適応症によるチアノーゼで紫に沈んでいた唇は、今や健康的な桜色に染まっている。少し歩くだけで息を切らしていた肺は、特区の空気を力強く吸い込み、弾むような笑い声を生み出していた。

 

 飲み水を全て純水に──それも、現状の日本で最高品質の純水に──変えたことで、小春はついに日常を取り戻したのだ。

 

 空白の3年半、学習面は陽太と凪が詰め込み、小春自身の努力もあって標準以上の学力は身につけている。だが、同世代のコミュニティで他者と揉まれる経験だけは、どれだけ莫大な資金があっても自宅では与えられない。

 

 陽太は、海風に吹かれながら小さくなっていく妹の背中を見つめ、深く息を吐き出した。

 

 底辺探索者として泥にまみれ、命を削ってスライムを狩り続けていたあの日々。大企業の急所を突き、法と権力をハックし、時にはハッタリを効かせてギリギリの交渉を重ねてきた理由は、すべてこの穏やかな朝を迎えるためだった。

 

「……やり遂げたわね、陽太」

 

 隣で海を見下ろしながら、凪が静かに言った。

 

「ああ。お前がいなけりゃ、絶対に無理だった。ありがとう、凪」

 

「お礼なんていらないわ。私はただ、あなたの見つけたバグに投資して、最高のリターンを得ただけだもの」

 

 凪は悪戯っぽく笑うと、手元のタブレット端末を陽太の前に差し出した。

 

「ほら。第一回目のリターンが振り込まれたわよ」

 

 画面に表示されていたのは、株式会社ウォーター・ベインの法人口座の残高だった。

 

 そこには、東朋マテリアルから支払われた技術使用料(ロイヤリティ)──プラントが生み出した純水の初月売上、その3%が印字されている。

 

 桁が違う。かつてゴミとして扱われ、討伐証明として1個10円の価値しか無かった泥スライムの核が、完璧なシステムと結びついた結果、陽太が一生遊んで暮らしても使い切れないほどの暴力的な数字となって羅列されていた。

 

「……すげえな。これが、市場のバグか」

 

「ええ。私たちはもう、汗水流して泥をすくう必要はない。あの巨大なプラントが稼働し続ける限り、何もしなくても毎月この数字が口座に雪崩れ込んでくる。……完璧な不労所得(パイプライン)の完成よ」

 

 ◇ ◇ ◇

 

 同日、夜。

 

 尾道特区で最も格式高い高級ホテルの大宴会場で、東朋マテリアル 次世代純水プラント完成披露祝賀会が盛大に開かれていた。

 

 シャンデリアが眩く輝く会場には、特区の行政トップ、地元メディア、そして探索者ギルドの理事長など、権力構造の上澄みにいる者たちがひしめき合っている。

 

『──本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます。このプラントは、特区の未来ひいては日本の未来と子供たちの命を救う、希望の要塞となります!』

 

 壇上でスポットライトを浴び、自信に満ちた声でスピーチを行っているのは、プロジェクトの総責任者である木崎だった。

 

 拍手喝采の中、来賓として招かれた特区総合病院の篠田が木崎と固い握手を交わし、無数のフラッシュが瞬く。

 

 会場の隅では、ギルドの理事長が東朋の役員たちに愛想笑いを浮かべながら、必死にゴマをすっていた。

 

 その華やかな喧騒から切り離された薄暗いVIP用バルコニーから、眼下の光景を見下ろしている二つの影があった。

 

 仕立てのいいダークスーツに身を包んだ陽太と、シックなイブニングドレスを着こなした凪である。

 

「滑稽ね。あの中でふんぞり返っている特区の重鎮たちは誰も知らないのよ。壇上で英雄扱いされている木崎主任や篠田先生の首輪を握っているのが、バルコニーにいる二人の学生だなんて」

 

 凪がノンアルコールのシャンパンを揺らしながら、クスクスと笑う。

 

「ウォーター・ベイン社は、あくまで東朋マテリアルの末端の部品供給業者ってことになってるからな。目立たなくて丁度いい」

 

 陽太はグラスを傾け、眼下の権力者たちを冷徹な相場師の目で見下ろした。

 

 東朋マテリアルという巨大な「経済の盾」。

 

 総合病院という絶対的な「世論の盾」。

 

 そして、それらを裏で采配し、莫大な富を合法的に吸い上げ続ける黒幕(フィクサー)。それが、今の陽太の立ち位置だった。

 

「乾杯しよう、凪」

 

「ええ。私たちの未来に」

 

 カチン、と薄いグラスの音がバルコニーに響く。

 

 それは、弱者だった底辺探索者が、権謀術数渦巻く特区の権力構造に風穴を空けた、勝利の祝杯だった。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 祝賀会を抜け出し、二人は夜の尾道特区を歩いていた。

 

 眼下に広がる海は黒々と静まり返り、対岸の向島で24時間操業している造船所地帯の無数の灯りが、水面に揺れている。

 

「……さて。第一フェーズはこれでクリアね」

 

 夜風に髪を揺らしながら、凪が陽太の顔を覗き込んだ。

 

「純水市場は東朋が制圧するでしょう。……その根幹となるフィルターは私達が独占した。向島ダンジョンも手中に収め、ギルドは私達に手が出せない。資金は腐るほどある。一生遊んで暮らせるアガリの状態だけど……陽太は、これで満足かしら?」

 

 その挑発的な問いに、陽太は小さく鼻で笑った。

 

「昔の俺だったらこれで満足してたかもな。だが、俺も成長したよ。この程度の資金、ただのタネ銭だ」

 

 陽太の視線の先には、尾道特区のきらびやかな夜景、そしてその裏に潜む深く濁った闇があった。

 

 ダンジョンという未知の領域。そこから産出される魔物素材。それらを独占し、既得権益を貪るギルドや国、巨大企業たち。

 

 この世界には、泥スライムと純水ビジネスとは比べ物にならない、もっと巨大で致命的なバグが必ず眠っているはずだ。

 

「俺たちが手に入れたのは、資本主義というゲームの参加チケットに過ぎない。……次は、どの市場の水脈を掘り当ててやろうか」

 

「ふふっ、最高ね。どこまでも付き合うわよ、私の共犯者(パートナー)

 

 若き相場師の目に宿る野心は、莫大な富を得てなお、飢えた狼のようにギラギラと光を放っていた。

 

 泥にまみれた第一の戦いは終わった。

 

 だが、ダンジョンの深淵をハックし、世界の常識を根底から覆す彼らのビジネス闘争は、まだ幕を開けたばかりだった。

 

(第1章・了)




読者S 様 サブシン 様 ふわとろ 様 みーこれっと 様
お気に入り登録ありがとうございます。

第1章はこれにて完結です。
拙い小説にお付き合いいただきありがとうございました。

今後について、第2章は現在鋭意作成中です。
プロットはだいたい固まってますが、本文は全く手つかずなので、しばらく時間が必要です。
その間は、第1章に入らなかった細かなエピソードや前日譚などを投稿できればと考えています。
そちらも手直しが必要ですので、不定期更新となります。
ご了承ください。

感想、評価、お気に入りいただけると泣いて喜びます。
今後も頑張りますので、よろしくお願いします。
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