IR情報で読み解くダンジョン経済学   作:カトーユキヒロ

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第2話:12.11の爪痕と、底辺探索者の日給計算

 翌朝。陽太は尾道港からフェリーに乗り、対岸の向島(むかいしま)へと渡っていた。

 

 甲板に出て潮風に顔を晒しながら、今日の稼ぎを頭の中で計算する。泥スライムを100匹狩る。討伐報奨金が4000円、核の買取で1000円、合計5000円。三年半前の大災害"12.11"以降、国が特区に敷いた日本探索者支援機構(ギルド)主導の優遇政策のおかげで保証された最低賃金だ。それ以上を望むなら、運次第のレアドロップに頼るしかない。

 

(──この運頼みの稼ぎじゃ、間に合わない)

 

 潮風に髪を揺らしながら、陽太は船縁から瀬戸内海を見渡した。新幹線・在来線の鉄道はもちろんのこと、山陽自動車道やしまなみ海道の崩落で陸路を絶たれた尾道が、それでも特区として生き延びているのは、対岸の向島を始めとする島嶼部にダンジョンが口を開けているからだ。魔石を筆頭にダンジョンから産出する新資源の前線基地として国に認定された町だけが、インフラ整備と報奨金という恩恵を受け取れる。それ以外の地方は、三年半経った今でも静かに朽ちていくだけだった。

 

「……さて、今日も狩るか」

 

 向島の山腹にある古い採石場跡。そこが、陽太の職場である浅層ダンジョンだ。

 

 ダンジョンのじめじめとした空気に包まれながら、陽太はホームセンターで購入した鉄パイプと包丁で作ったお手製の槍を構え、状態把握(アナリティクス)アビリティのレベル3で覚えたスキル“検査官(インスペクター)”で劣化度をチェックした。

 

検査官(インスペクター):お手製の槍 / 劣化率45% / 刃こぼれ有り】

 

「今日の探索が終わったら包丁取り替えるか」

 

 状態把握(アナリティクス)アビリティは戦闘向きではない。レベル3まで上げても対象の能力はわからず、ただ現在の劣化具合だけが視界に浮かぶ、ハズレアビリティ。陽太以外にこのアビリティに目覚めたという記録はない。ある種のユニークアビリティだった。

 

 スキルを使えば使うほどアビリティレベルが上がる仕様のため、レベル4で有用なスキルを覚えることを期待し、陽太は手当たり次第に検査官(インスペクター)スキルを発動する癖がついていた。

 

 直後、前方の泥溜まりがボコッと泡立った。この浅層ダンジョンに大量発生する最弱モンスター泥スライムだ。

 

 泥スライムは、自身の体を一定のリズムで伸縮させながら移動している。大きく膨らみ、少しだけ縮む。まるでゆっくりと呼吸しているかのように。

 

 陽太は、そのゼリー状の身体の中心に浮かぶビー玉大の核に狙いを定めた。慣れた手つきで槍を突き出し、核に刃先を突き入れる。

 

 ドシャッ、と絶命したスライムの後に残されたのは、ギルド買取価格10円の泥スライムの核。空気に触れると数分でただの悪臭を放つヘドロに変わる、ゴミ素材の筆頭だ。

 

 陽太は淡々と核に検査官(インスペクター)を使用した。

 

検査官(インスペクター):傷ついた泥スライムの核 / 劣化率:50% / ヘドロ化まで残り2分00秒】

 

 泥スライムの核は、刃先を突き入れたせいで傷が入り、通常5分持つ鮮度が2分に縮まっている。雑な倒し方をすれば、それだけ劣化が早まるのだ。

 

 泥スライムの核に素材的な使い道は今のところない。どんなに劣化していようと、ギルドの優遇政策を利用すれば、立派な金になる。

 

 陽太は自分が置かれた立場を誰よりも把握している。だからこそ、舌打ち一つせず、納品袋に核を回収していく。

 

「99匹目。……今日はドロップの引きが悪いな」

 

 陽太がこの過疎ダンジョンに通い詰めている本当の理由は、日給5000円の小銭稼ぎではない。泥スライムがごく稀に落とす“極小の魔石(買取価格1万円)”や、採石場跡地という環境要因で自然生成される“小さな魔石(買取価格3万円)”のレアドロップを狙うためだ。

 

 運が良ければ、魔石を拾って1日で5万円以上稼げる日もある。

 

 だが今日のように、ただのヘドロ掬いで終われば、どれだけ汗を流しても日給5000円止まりだ。

 

 沈みゆく夕日を見つめながら、陽太は固く拳を握りしめた。

 

 これまでは、借家の井戸があってこその均衡状態だったのだ。日給5000円でもギリギリ回せる状態。運よく5万円稼ぐことができた日などは、小春のための純水を備蓄することもできた。

 

 だが、井戸が枯れれば話は変わる。純水の消費量が増えれば、日給5000円ではとてもやっていけない。かつて株式投資で痛い目を見た陽太だからこそ、ギャンブルを何よりも嫌悪していた。ドロップ率という気まぐれな乱数に、妹の命を預けるわけにはいかない。

 

 欲しいのは、運に左右されない確実な利益。他人が気づいていない市場のバグを見つけ出し、ノーリスクで富を掠め取る裁定取引(アービトラージ)。それだけが、小春の日常を盤石なものにする手段だった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 広島大学の経済学部で普通の学生をしていた陽太が、なぜ特区の泥にまみれる底辺探索者になったのか。

 

 すべての歯車が狂ったのは、“12.11”の大災害からだった。

 

 あの日、巨大な地殻変動とダンジョンの出現。実家は倒壊し、両親は帰らぬ人となった。瓦礫の中から生き残ったのは、陽太と、まだ小学2年生の小春だけ。頼れる親戚もおらず、さらには大気中に漏れ出した魔素によって、小春が魔素不適応症を発症してしまう。

 

 高額な純水と治療費がなければ、妹は死ぬ。

 

 焦燥感に駆られた陽太は、己の頭脳と知識だけを頼りに、一世一代の大勝負に出た。両親が残した遺産を全額証券口座に突っ込み、限界までのレバレッジをかけて日経平均株価の空売りを仕掛けたのだ。

 

 当時の世界経済は、“ダンジョンショック”と呼ばれる未曾有の大混乱の最中にあった。実社会の崩壊から始まったこの危機は通常の金融危機よりもはるかにタチが悪く、信用収縮と実態悪化が同時進行した。特に被害の大きかった日本では首都機能が麻痺し、サプライチェーンは寸断。日経平均は最高値から一週間で60%も暴落し、市場は絶望一色に染まっていた。

 

 陽太は経済学部生として、基本的な知識は十分備えていた。才能もあった。実際に、彼が空売りを仕掛けた直後も株価はダラダラと下がり続け、口座にはまたたく間に20%以上の含み益が乗った。

 

 このままいけば、小春を最高の病院に入れられる。そう確信した矢先のことだった。

 

 ──ダンジョンで発見された魔石が、既存の石油を凌駕する超高効率エネルギーであることが判明した。

 

 そのたった一つのニュースが、世界を一変させた。

 

 魔石を皮切りに、次々と魔物素材の産業利用法が確立されていく。未知の恐怖の対象だったダンジョンは、一夜にして無尽蔵の資源の山へと姿を変えた。市場の潮目は完全に反転し、焼け野原だった日本市場は海外からの投機マネーを巻き込んで狂ったように急騰を始めた。

 

 陽太の含み益は一瞬にして消し飛び、恐ろしいスピードで含み損へと変わっていく。

 

(違う、こんなのは一時的な熱狂だ。ファンダメンタルズを無視している。いずれ必ず下がる……!)

 

 机上の理論にすがりつき、損切りの決断を遅らせたのが致命傷だった。

 

 無慈悲な警告音と共に証券会社の強制決済(ロスカット)が発動し、画面上の数字がゼロに。教科書通りの経済学は、パラダイムシフトの前には無力だった。

 

 陽太はすべてを失った。

 

 野垂れ死にを避けるため、そして小春を少しでも魔素の薄い環境へ移すため。陽太は尾道特区の斜面に建つ古い借家──探索者斡旋住宅へと逃げ込むしかなかった。大学生と底辺探索者、二つの顔を持ちながら死に物狂いで稼ぎ続けた日々。それも半年前に小春の症状が悪化したことで、大学を休学して探索業に専念せざるを得なくなった。

 

 ◇ ◇ ◇

 

「後悔はしすぎるぐらいした。相場の波を読もうとするから負ける。波の裏側にある市場のバグだけを突くんだ」

 

 すべてを失ったあの日の強制決済の画面を、陽太は今でも夢に見る。

 

 だからこそ彼は、決して運や相場には頼らない。市場のバグを徹底的に洗い出し、チャンスを虎視眈々と窺う。

 

 例えば幕末。日本と海外の金と銀の交換レートの差に目をつけた外国人商人は、ただ両替を繰り返すだけで日本の黄金を根こそぎ奪い去った。戦わずして富は抽出できる。それと同じだ。

 

(……昨夜のIR情報。東朋マテリアルの純水プラント開発。あれが、何かと繋がっている気がする)

 

 陽太はダンジョンを後にしながら、昨夜の画面に刻まれた文字を頭の中で反芻した。

 

 答えはまだない。だが、何かがある。底辺探索者の勘が、そう告げていた。




2話のリライト完了です。
話の流れは旧バージョンと変えていませんが、テンポを意識して、読みやすくなったのではないかと思います。

今後も頑張りますので、感想・評価・お気に入り等よろしくお願いいたします。
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