IR情報で読み解くダンジョン経済学   作:カトーユキヒロ

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第2話:12.11の爪痕と底辺探索者の日給計算

 翌朝。陽太は尾道港からフェリーに乗り、対岸の向島(むかいしま)へと渡っていた。

 

 潮風に吹かれながら見上げる空は、今日も雲ひとつなく乾ききっている。

 

 今から遡ること3年半前。全世界で同時多発的にダンジョンが出現し、その余波による地殻変動と地軸のズレが既存のインフラを破壊し尽くした未曾有の大災害──通称“12.11”。

 

 あの絶望の日から、世界は完全に変容した。

 

 日本政府は早々に、全国のインフラを完全復旧させることは不可能と判断。比較的被害が軽微だった九つの大都市(札幌、仙台、新潟、東京、名古屋、大阪、広島、高松、福岡)を復興の中心に据える選択と集中を行い、それ以外の地方都市や田舎を事実上切り捨てた。

 

 ただ一つ、例外がある。

 

 大都市圏外であっても、魔石などの新資源を中心としたダンジョンの恩恵を抽出するための前線基地──ダンジョン特区に指定された市町村だ。

 

 しまなみ海道の崩落により陸路を絶たれたものの、瀬戸内ダンジョン群の玄関口として特区認定されたここ尾道市も、その一つである。

 

 特区では、危険なダンジョンに潜る探索者を増やすため、国から委託を受けた日本探索者支援機構(ギルド)主導の手厚い優遇政策が敷かれている。特区内に住民票を置き、探索者として一定の討伐ノルマをこなせば、国から住居の無償貸与と報奨金が支給されるのだ。

 

「……さて、今日も稼ぐか」

 

 向島の山腹にある古い採石場跡。そこが、陽太の職場である浅層ダンジョンだ。

 

 ダンジョンのじめじめとした空気に包まれながら、陽太はホームセンターで購入した鉄パイプと包丁で作ったお手製の槍を構え、状態把握(アナリティクス)アビリティのレベル3で覚えたスキル“監査官(インスペクター)”で劣化度をチェックする。

 

監査官(インスペクター):お手製の槍 / 劣化率45% / 刃こぼれ有り】

 

 状態把握(アナリティクス)アビリティは戦闘向きではない。レベル3まで上げても対象の能力もわからない、ただ現在の劣化具合だけが数値として視界に浮かび上がるだけのハズレアビリティ。陽太以外にこのアビリティに目覚めたという情報は無い。ある種のユニークアビリティである。

 

 スキル使えば使うほどアビリティレベルが上がる仕様のため、レベル4で有用なスキルを覚えることを期待し、陽太は武器の耐久値の管理を兼ねて、手当たり次第に状態把握(アナリティクス)アビリティのスキルを発動する癖がついていた。

 

「今日の探索が終わったら包丁取り替えるか」

 

 直後、前方の泥溜まりがボコッと泡立った。この浅層ダンジョンに大量発生する最弱モンスター泥スライムだ。

 

 泥スライムは、自身の体を一定のリズムで伸縮させながら移動している。大きく膨らみ、少しだけ縮む。まるでゆっくりと呼吸しているかのように。

 

 陽太は、そのゼリー状の身体の中心に浮かぶビー玉大の核に狙いを定めた。慣れた手つきで槍を突き出し、核に刃先を突き入れる。

 

 ドシャッ、と絶命したスライムの後に残されたのは、ギルド買取価格10円の泥スライムの核。空気に触れると数分でただの悪臭を放つヘドロに変わる、ゴミ素材の筆頭だ。

 

 陽太は淡々とそのヘドロの元に監査官(インスペクター)を使用する。

 

監査官(インスペクター):傷ついた泥スライムの核 / 劣化率:50% / ヘドロ化まで残り2分00秒】

 

 泥スライムの核は、刃先を突き入れたせいで傷が入り、通常5分持つ鮮度が2分に縮まっている。雑な倒し方をすれば、それだけ劣化が早まるのだ。

 

 稀少な魔物素材を手に入れる場合は、倒し方まで計算に入れる必要があるが、こと泥スライムにおいては、そんな計算は不要である。

 

 この状態でも立派な金になるからだ。

 

 ダンジョン特区における日本探索者支援機構(ギルド)からの討伐報奨金制度。泥スライムのような最弱モンスターであっても、50匹討伐するごとに2000円の報奨金が出る。

 

 つまり、100匹倒せば報奨金で4000円。そこに、討伐証明としてギルドが買い取る泥スライムの核の代金(10円×100個=1000円)が加わる。

 

 合計、5000円。

 

 これが、陽太が毎日6時間泥にまみれて100匹の泥スライムを殺し続けた場合の、日本探索者支援機構(ギルド)から保証された最低賃金だった。

 

 陽太は自分が置かれた立場を誰よりも把握している。だからこそ、舌打ち一つせず、納品袋に核を回収していく。

 

「99匹目。……今日はドロップの引きが悪いな」

 

 陽太がこの過疎ダンジョンに通い詰めている本当の理由は、日給5000円の小銭稼ぎではない。泥スライムがごく稀に落とす“極小の魔石(買取価格1万円)”や、採石場跡地という環境要因で自然生成される“小さな魔石(買取価格3万円)”のレアドロップを狙うためだ。

 

 運が良ければ、魔石を拾って1日で5万円以上稼げる日もある。

 

 だが今日のように、ただのヘドロ掬いで終われば、どれだけ汗を流しても日給5000円止まりだ。

 

 ──この運否天賦(ギャンブル)の稼ぎじゃ、ダメだ。

 

 小春の病気を抑え込むための純水は、1本で数日分の食費が飛ぶ。無償貸与された古い借家の井戸水も、いつ枯れるか分からない。

 

 ダンジョンのドロップ率という気まぐれな乱数に、妹の命を預けるわけにはいかないのだ。

 

 かつて株式投資で痛い目を見た陽太だからこそ、ギャンブルを何よりも嫌悪していた。

 

 欲しいのは、運に左右されない確実な利益。

 

 他人が気づいていない市場のバグを見つけ出し、ノーリスクで富を掠め取る裁定取引(アービトラージ)の手法だけが、小春の日常を盤石なものにする。

 

 例えば幕末。日本と海外の金と銀の交換レートの違いに目をつけた外国人商人は、自国の銀を日本へ持ち込み、ただ両替を繰り返すだけで日本の黄金を根こそぎ奪い去った。

 

 それと同じだ。市場のバグさえ見つければ、戦わずして富は抽出できる。

 

「……何か、あるはずだ。ダンジョンの全てを把握している奴なんて、いないんだから」

 

 沈みゆく夕日を見つめながら、陽太は固く拳を握りしめた。

 

 その渇望こそが、彼を夜な夜な企業のIR情報の収集へと向かわせる原動力だった。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 広島大学の経済学部で普通の学生をしていた陽太が、なぜ特区の泥にまみれる底辺探索者になったのか。

 

 すべての歯車が狂ったのは、“12.11”の大災害からだった。

 

 3年前のあの日、巨大な地殻変動とダンジョンの出現。実家は倒壊し、両親は帰らぬ人となった。

 

 瓦礫の中から生き残ったのは、陽太と、まだ小学2年生の小春だけ。頼れる親戚もおらず、さらには大気中に漏れ出した魔素によって、小春が魔素不適応症を発症してしまう。

 

 高額な純水と治療費がなければ、妹は死ぬ。

 

 焦燥感に駆られた陽太は、己の頭脳と知識だけを頼りに、一世一代の大勝負(ギャンブル)に出た。両親が残した僅かな遺産と死亡保険金を全額証券口座に突っ込み、限界までのレバレッジをかけて日経平均株価の空売り(ショート)を仕掛けたのだ。

 

 当時の世界経済は、“ダンジョンショック”と呼ばれる未曾有の大混乱の最中にあった。このダンジョンショックは通常の金融危機とは違い、実社会の崩壊から始まったものであり、信用収縮は当然のことであったから非常にタチが悪かった。

 

 特に出現したダンジョンの数が最も多く、その数に比例して被害の大きかった日本においては、首都機能は麻痺し、サプライチェーンは寸断。日経平均株価は、ナイアガラのごとく最高値から1週間で60%も暴落しており、「この国はもう終わりだ」という絶望が市場を支配していた。

 

 陽太は経済学部生として、基本的な知識は十分備えていた。実際に、彼が空売りを仕掛けた直後も株価はダラダラと下がり続け、口座にはまたたく間に20%以上の含み益が乗った。

 

 このままいけば、小春を最高の病院に入れられる。そう確信した矢先のことだった。

 

 ──ダンジョンで発見された魔石が、既存の石油を凌駕する超高効率エネルギーであることが発見された。

 

 そのたった一つのニュースが、世界を一変させた。

 

 魔石を皮切りに、次々と魔物素材の産業利用法が確立されていく。未知の恐怖の対象だったダンジョンは、一夜にして無尽蔵の資源の山へと姿を変えた。

 

 すなわちダンジョン経済の爆誕である。

 

 市場の潮目は完全に反転した。

 

 焼け野原だった日本市場は、海外からの投機マネーを巻き込んで狂ったように急騰を始めた。陽太の含み益は一瞬にして消し飛び、恐ろしいスピードで含み損へと変わっていく。

 

(違う、こんなのは一時的な熱狂だ。ファンダメンタルズを無視している。いずれ必ず下がる……!)

 

 机上の理論にすがりつき、損切りの決断を遅らせたのが致命傷だった。

 

 無慈悲な警告音と共に証券会社の強制決済(ロスカット)が発動し、画面上の数字がゼロに。教科書通りの経済学は、パラダイムシフトの前には無力だった。

 

 陽太はすべてを失った。

 

 野垂れ死にを避けるため、そして小春を少しでも魔素の薄い環境へ移すため。陽太は、尾道特区の斜面に建つ古い借家──探索者斡旋住宅へと逃げ込むしかなかった。

 

 後年、メディアから現代の学徒動員と激しく非難されることになる特区探索者・学生支援(スカラーシップ)制度。この制度を利用し、陽太は平日は大学生、週末は命を懸けてダンジョンに潜る探索者という、血を吐くような二足の草鞋を履くことになった。

 

 陽太は、諦めていなかった。たった一人残された妹のため、そして自分自身の尊厳を取り戻すため、死に物狂いで大学生と探索者の二重生活をこなしていった。

 

 だがそれも、半年前に小春の症状がさらに悪化したことで、大学を休学して探索業に専念せざるを得なくなった。

 

「後悔はしすぎるぐらいした。相場の波を読もうとするから負ける。波の裏側にある市場のバグだけを突くんだ」

 

 すべてを失ったあの日の強制決済の画面を、陽太は今でも夢に見る。

 

 だからこそ彼は、決して運や相場には頼らない。底辺探索者になろうが、市場のバグを徹底的に洗い出し、チャンスを虎視眈々と窺うのであった。

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