第1話:探索者の終わり
東朋マテリアルの純水プラントが本格稼働を始めてから、一ヶ月が経過していた。
深夜の第二工場。潮風が錆びたシャッターの隙間を通り抜け、事務所に微かな塩の匂いを運んでくる。簡素なスチールデスクの上には、タブレット端末に映し出された売上グラフと、赤ペンで埋め尽くされた生産管理表が広がっていた。
陽太は椅子の背もたれに体を預け、天井を仰いで深く息を吐いた。
(……足りない)
週500個の納品契約は順調に消化している。技術使用料のロイヤリティも、毎月暴力的な数字を法人口座に叩き込んでくれている。だが、東朋からの増産要請は、ここ数週間で加速度的に膨らんでいた。
純水プラントの処理能力に対し、フィルターの供給がボトルネックになっているのだ。プラント自体はカートリッジを接続するスロットを数千基備えており、フル稼働させれば現在の数倍の純水を精製できる。にもかかわらず、陽太たちが供給できるフィルターは週500個が限界だった。
木崎からの最新のメールを開く。
『湊社長。率直に申し上げます。当社の経営陣は、週2000個への増産を強く要望しています。純水の需要は特区内だけでなく、瀬戸内海沿岸の他特区にまで広がっており、このままでは機会損失が億単位に膨らみます。ご検討のほど、よろしくお願いいたします。木崎』
週2000個。現在の4倍だ。
陽太はタブレットを閉じ、赤ペンを指先で回しながら思考を巡らせた。
(一鉄さんの閃刃なら、一日に100個の完璧な核を取り出せる。だが、一鉄さんは一人しかいない。ゲンさんたち番犬のメンバーを採取に回したところで、一鉄さんの歩留まり100%には及ばない。カートリッジへの組み込み作業も滞る。核の採取そのものを担える人材がいない)
問題の本質は明白だった。今の生産体制は、一鉄の神業に完全に依存している。一鉄が風邪を引けば生産は止まり、一鉄の体力が限界を迎えれば成長も止まる。属人的な職人技に頼った事業は、決してスケールしない。
(……馬車を百台に増やしても、馬車のままだ)
◇ ◇ ◇
翌朝。向島ダンジョンの入り口にある仮設の作業テントに、陽太・凪・一鉄の三人が集まった。
「緊急会議だ。東朋から週2000個への増産要請が来ている」
陽太が切り出すと、一鉄は安煙草を咥えたまま渋い顔を作り、凪はタブレットを開いて数字を確認し始めた。
「2000だと? 今の四倍じゃねえか。……正直なところ、俺一人じゃ物理的に限界だ。毎日100個取り出すのだって、相当に集中力を使っている」
一鉄が率直に告げる。自分のミスを一切言い訳しないこの男が、限界を口にするのは初めてだった。
「人数を増やすしかねえだろう。俺の技量には遠く及ばなくても、そこそこ器用な探索者を何人か雇って、一人あたり日に30個でも取れれば——」
「それは止めときましょう」
陽太が静かに遮った。
「人を増やしても、馬車が百台になるだけです。俺たちが欲しいのは鉄道だ」
「鉄道だぁ? 何を言ってんだ社長」
一鉄が怪訝な顔をする横で、凪が「また変なこと考えてるわね」と肩をすくめた。
陽太はタブレットの画面を切り替え、二人の前に図面を映し出した。
そこに描かれていたのは、ダンジョンの壁面を利用した巨大なすり鉢状の構造物だった。内壁には複数の溝が彫り込まれ、底部には格子状のトラップが設計されている。
「これは?」
凪が身を乗り出す。
「
陽太は図面の中心を指差した。
「今の生産体制の最大のボトルネックは、スライムを探す時間だ。一鉄さんがダンジョンを歩き回り、スライムを見つけ、倒し、核を取り出す。この四工程のうち、一鉄さんの神業が必要なのは核の取り出しだけだ。残りの三工程は、一鉄さんの時間と体力を無駄に消耗しているだけでしかない」
一鉄の眉が動いた。
「探す必要があるから効率が悪い。なら——向こうから来させればいい」
陽太は図面のすり鉢構造を指でなぞった。
「泥スライムは高濃度の魔素に引き寄せられる習性がある。ダンジョンの魔素溜まりが多い場所にスライムが集中しているのは、それが理由だ。なら、人工的に魔素を集中させるポイントを作り、そこにスライムを誘導してやればいい」
図面の上部には、ダンジョンの壁面から魔素を含んだ水を引き込む導水路が描かれている。その水がすり鉢状の構造物の内壁を伝って流れ落ち、底部のトラップに溜まる。魔素のに引き寄せられたスライムが、滑り台のような溝を伝って次々とトラップに落ちてくる設計だ。
「トラップに落ちたスライムは、格子で固定されて動けなくなる。あとは作業員が順番に核を取り出すだけだ。一鉄さんの閃刃でなくても、専用の工具と手順さえ覚えれば、素人でも核を取り出せる仕組みにする」
沈黙が降りた。
一鉄は安煙草の煙を吐き出しながら、じっと図面を見つめていた。やがて、その厳つい顔に、職人としての本能が反応したかのような光が宿る。
「……すり鉢の傾斜角はどうする。急すぎればスライムが滑り落ちる前に潰れるし、緩すぎれば途中で止まる」
「スライムの体組織の粘性と重量から、最適な角度を割り出す必要がある。俺の
一鉄は腕を組み、真鍮色の義手をガチャンと鳴らした。
「格子の素材は? ステンレスじゃ魔素で腐食する。廃材の中に耐魔素合金の端材があったはずだ。溶接で組めるが、精度が要る」
「一鉄さんの溶接なら問題ないでしょう」
「当たり前だ。舐めんな」
一鉄の口元に、不敵な笑みが浮かんだ。職人の血が騒いでいるのが、傍目にも分かった。
「なるほどな……確かに作れる。……よし。じゃあ、図面データは俺のタブレットに送っといてくれ。ちょっくら現場を確認してくる。明日から、このクソでかいスライム捕獲装置を作るぞ」
◇ ◇ ◇
一鉄が作業テントを出て行った後、凪がタブレットから顔を上げ、陽太を横目で見た。
「……あなた、本気でやるのね。ダンジョンの中に工場を建てるなんて、前例がないわよ」
「前例がないから、誰もやっていない。だからこそ価値がある」
陽太はすり鉢の図面を眺めながら、静かに続けた。
「凪。俺たちは今まで探索者だった。ダンジョンに潜って、魔物を狩って、素材を売る。それが当たり前だと、この世界の全員が思っている」
「ええ。ダンジョンとはそういう場所でしょう?」
「そういう一面があるってだけだ。ダンジョンは狩り場だけじゃない。資源の産地でもある」
陽太の目に、かつて株式チャートを睨みつけていた頃と同じ、冷徹な光が宿った。
「探索者が命を賭けて魔物を一匹ずつ狩るのは、炭鉱夫がツルハシで一塊ずつ石炭を掘るのと同じだ。産業革命の前の話だよ。俺たちがやるのは、ダンジョンの中に掘削機を持ち込むことだ」
凪はしばらく無言で陽太を見つめていた。かつての喫茶店で株の話をしていた少年が、今は産業そのものを設計しようとしている。その変貌に、頼もしさと、かすかな寒気を同時に覚えた。
「……分かったわ。法的な問題は私が潰す。ダンジョン内での建造物設置について、特措法と優先探索権の条文を精査しておく。ギルドに文句を言わせない根拠を揃えるわ」
「頼む」
陽太は立ち上がり、テントの入り口から向島ダンジョンの暗い洞窟を見つめた。
かつてこの場所は、泥にまみれながら日給5000円を稼ぐだけの、惨めな戦場だった。だが今、この暗闇の奥に、誰も想像したことのない生産システムを建設しようとしている。
(探索者の時代は終わりだ。ここから先は————工場の時代だ)
湿った風が洞窟の奥から吹き抜け、陽太の前髪を揺らした。
片桐 凶 様 狩夜 緋闇 様
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第2章何とか形になったので、今日から定期更新に戻ります。
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