翌朝。陽太が第二工場に設計図面の束を持ち込むと、一鉄はバツの悪そうな顔をしていた。
「……昨日は年甲斐もなくはしゃいじまった。昨日の夜から考えてたんだが、やっぱり引っかかる点がある」
事務所の折り畳みテーブルに図面を広げ、ゲンさんや藤井たち番犬のメンバーも集まる中、一鉄は安煙草をくわえたまま腕を組んだ。
「生きたまま誘導して、檻に落として、流れ作業で核を抜く。発想は面白い。だがな──作業員の安全はどう担保するんだ」
一鉄の目が、図面のトラップ部分を鋭く睨む。
「格子に固定されたスライムが暴れて作業員を巻き込む可能性はないのか。導水路から魔素水が溢れて作業場に流れ込んだらどうする。造船所時代、安全対策をケチった設備で何人が指を飛ばしたか、俺は嫌ってほど見てきてるんだ」
「もっともな指摘です」
陽太は真剣な顔で頷いた。
「だからこそ、一鉄さんに設計の最終判断を任せたい。泥スライムは最弱の魔物だが、それでも作業員が直接触れる工程は全て、安全マージンを取る。トラップの格子の間隔、導水路の溢水防止弁、作業員と固定スライムの距離──全部、現場を知っている一鉄さんの目で確認してほしい」
一鉄の横で、ゲンさんが図面に食い入るように視線を落としていた。
「一鉄。俺はこの図面、イケると思うぜ」
「ゲンさん?」
「すり鉢の内壁に溝を切って、底にトラップを仕掛ける。原理はシンプルだ。造船所で傾斜台を使って船体を滑り降ろすのと、発想は同じじゃねえか。問題は素材の選定と施工だが……」
ゲンさんは眼帯の下の傷跡を指で撫でながら、職人としての目で図面を読み解いていた。
「耐魔素合金のフレーム、廃材のステンレスパイプで骨組み、魔素を含んだ水の導水路はコンクリートの型枠で……。一鉄、溶接はお前が持つとして、旋盤加工は俺がやる。藤井と山本で型枠を組めば、二週間あれば形になるんじゃねえか」
一鉄はゲンさんの横顔を見つめた。
職人仲間が本気で乗り気になっている。昨日まで、カートリッジの組み立てという地味な作業を黙々とこなしていた男たちの目に、久しぶりに火が灯っていた。
「……チッ。お前らがやる気なら、俺が反対しても始まらねえな」
一鉄はバンッとテーブルを叩いて立ち上がった。
「いいだろう、やってやる。だが、安全対策については俺らの意見を優先させてもらうぜ、社長」
「もちろんです。安全対策は一鉄さんたちに全権委任します」
◇ ◇ ◇
建設は翌日から始まった。
向島ダンジョンの浅層、これまで陽太が泥スライムを狩り続けてきた広い空洞。優先探索権によって他の探索者が入れなくなったその空間が、巨大な工事現場へと姿を変えていく。
一鉄の真鍮色の義手が、暗闇の中で青白い溶接の火花を散らしていた。
廃材置き場から運び込まれたステンレスパイプが、正確な角度で切断され、すり鉢状のフレームとして溶接されていく。接合部に走る均一で美しい鱗状のビードは、どんな最新のロボット溶接にも引けを取らない精度だった。
「一鉄のオヤジ、相変わらずイカれた腕だな」
藤井が義足をカツカツ鳴らしながら、完成した骨組みを見上げて口笛を吹いた。
「馬鹿言え。ゲンさんの旋盤がなけりゃ、トラップの格子は収まらねえよ」
一鉄が汗を拭いながら振り返ると、工場の隅ではゲンさんが旋盤を回し、耐魔素合金の端材から精密なトラップ部品を削り出していた。息を呑むような手仕事だ。
山本は黙々とコンクリートの型枠を組み上げ、藤井はその型枠に導水路を設置していく。全員が無駄口を叩かず、しかし時折目を合わせては頷く。言葉がなくても通じ合う、職人同士の呼吸がそこにあった。
陽太は作業の傍らで、
「若社長の目は、どんな検査機器よりも正確だな」
ゲンさんが感心したように呟いた。陽太は苦笑する。
「ハズレアビリティの唯一の取り柄ですよ」
◇ ◇ ◇
建設と並行して、陽太はもう一つの重要な準備を進めていた。
特区のギルド掲示板に、ウォーター・ベイン社の求人票を掲出したのだ。
募集内容は“ダンジョン内作業員”。必要な経験は“探索者経験1年以上、ただしアビリティの種類は問わない”。そして、目を引く一文。“日給保証あり。危険手当・労災保険完備”。
掲示板の前に人だかりができた。
「おい、見ろよこれ。日給保証だってよ」
「しかもアビリティ不問? ハズレスキル持ちでもいいのか?」
「怪しくねえか。ダンジョン内作業で日給保証なんて聞いたことねえぞ」
底辺探索者たちがざわつく。彼らの日常は、日給の保証などない完全歩合制だ。魔物を倒し、素材をギルドに売り、稼げなければゼロ。怪我をすれば治療費で借金が増える。それが、この世界の探索者の当たり前だった。
数日後。第二工場の事務所に、十数人の探索者が集まった。
全員が、ギルドの最下層であるFランクかEランクの底辺だ。ハズレアビリティ、低い戦闘力、大きな怪我の後遺症。まともなパーティに入れてもらえず、浅層のゴミ素材を拾い集めて日銭を稼ぐしかない者たちだった。
「えっと……本当に、俺たちみたいな底辺でも雇ってもらえるんすか?」
おずおずと手を挙げたのは、まだ二十歳前後に見える痩せた青年だった。右腕に、安物の探索者用プロテクターをつけている。
「もちろんだ。むしろ、君たちのような探索者を求めている」
陽太はテーブルの前に立ち、全員の顔を見渡した。
「仕事の内容は、ダンジョン内に設置した採取設備で泥スライムの核を回収することだ。戦闘はない。マニュアルに沿った流れ作業になる」
探索者たちの間にざわめきが広がる。戦闘がないという言葉に、信じられないという顔をする者もいた。
「日給は1万5000円。週休2日。怪我をした場合の治療費は全額会社が負担する。危険手当も別途支給する」
沈黙が落ちた。
底辺探索者の平均日収は5000円。運が悪ければマイナスもあり得る。命を賭けてその金額だ。それが、戦闘なしの流れ作業で1万5000円。しかも週休2日に、万が一の治療費まで見てくれる。
「……嘘だろ」
誰かが呟いた。
「嘘じゃない。契約書はここにある。うちの法務顧問が作成した、正式な雇用契約だ」
凪が分厚い契約書の束をテーブルに置いた。
「先に言っておきますが、まだ不安があるなら無理に契約する必要はないわ。ただし、契約したからには秘密保持義務が発生します。業務内容や設備の情報を外部に漏らした場合は、厳しい違約金が発生する。その覚悟がある人だけ、残ってちょうだい」
凪の冷ややかな声に、数人の探索者が顔を見合わせた。だが、席を立つ者は一人もいなかった。
「あの……一つだけ、聞いていいっすか」
先ほどの痩せた青年が、再びおずおずと手を挙げた。
「なんで、俺たちなんすか。強いアビリティを持ってる探索者なんて、金さえ出せばいくらでも雇えるでしょう」
陽太はその青年の目を真っ直ぐに見つめた。
「強いアビリティは要らない。この仕事に必要なのは、毎日決まった時間に来て、決まった作業を、丁寧にこなせる人間だ。それは、ギルドの酒場でふんぞり返っているAランクの連中より、毎日泥にまみれて小銭を稼いでいる君たちの方が、ずっと得意なはずだ」
青年の目が、見開かれた。
「君たちは今まで、消耗品として扱われてきた。使い捨ての駒だ。だが、うちは違う。命を賭ける必要はない。毎日決まった時間に働いて、決まった給料をもらって、家に帰る。探索者じゃなくて──従業員として、俺の会社で働いてくれ」
事務所に、長い沈黙が落ちた。
底辺探索者たちは、この世界で初めて労働者として扱われようとしていた。日給の保証も、休日も、保険も、彼らにとっては未知の概念だった。ダンジョンに潜ること、魔物と戦うこと、稼げなければ野垂れ死ぬこと。それが当たり前だった世界の住人が、今、目の前に差し出された契約書を震える手で受け取っている。
「……俺、サインします」
最初にペンを取ったのは、あの痩せた青年だった。続くように、一人、また一人と名前を書いていく。
その光景を事務所の隅から見守っていた一鉄が、安煙草の煙を吐きながら、静かに呟いた。
「……探索者を増やすんじゃねぇ。探索者を辞めさせて、工員にするってのか。とんでもねえ発想だ」
だが、その声に否定の色はなかった。かつて造船所で職人として働いていた頃、自分もまた従業員だった。給料日があり、休日があり、仲間がいた。あの当たり前の日常が、ダンジョンの泥の中でどれほど貴重なものだったか、一鉄は誰よりも知っている。
「社長。お前は本当にすげえ奴だよ」
一鉄の呟きは、陽太には届かなかった。
陽太はすでにタブレットを開き、次の工程──作業マニュアルの作成に取りかかっていた。
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