IR情報で読み解くダンジョン経済学   作:カトーユキヒロ

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第3話:大量生産

 建設開始から十二日目。

 

 向島ダンジョンの浅層、かつて陽太が一人で泥にまみれていた広い空洞に、異様な構造物がそびえ立っていた。

 

 高さ約5メートル、直径約8メートルのすり鉢状の巨大な鉄骨構造体。内壁にはスライムを滑り落とすための緩やかな傾斜の溝が螺旋状に刻まれ、底部には耐魔素合金で組み上げられた精密な格子状のトラップが口を開けている。すり鉢の上縁からは、ダンジョンの壁面を伝う魔素を含んだ地下水を引き込む導水路が三本伸び、構造体の内壁をゆっくりと流れ落ちていた。

 

 一鉄の美しい鱗状のビードが鉄骨の接合部を走り、ゲンさんが削り出した精密なトラップ部品が寸分の狂いなく嵌まっている。藤井と山本が組んだコンクリートの導水路は、一滴の漏水もなくダンジョンの地下水を導いていた。

 

 職人たちの技術の粋を結集した、前代未聞のダンジョン内生産設備── スライム集核装置(スライムコレクター)が、ついに完成したのだ。

 

「さて」

 

 陽太は完成したスライム集核装置(スライムコレクター)の前に立ち、導水路のバルブに手をかけた。背後には一鉄、ゲンさん、番犬たち、そして先日雇い入れた十数人の新人作業員が、固唾を呑んで見守っている。

 

「開けるぞ」

 

 ギギギ、と金属の軋む音を立てて、魔素水のバルブが開かれた。

 

 導水路からすり鉢の内壁へ、濁った地下水がゆっくりと流れ込み始める。流れる水から魔素が立ち昇り、洞窟の空気にじわりと広がった。

 

 一分。二分。

 

 何も起きない。

 

「……来ないんじゃねえのか」

 

 藤井が不安げに呟いた。作業員たちの間にもざわつきが広がり始める。

 

 三分。

 

 その時だった。

 

 すり鉢の上縁から、何かがぬるりと姿を現した。

 

 泥色のゼリー状の塊が、導水路の魔素に誘われるように、ゆっくりとすり鉢の縁を乗り越えてくる。一匹、二匹、三匹──暗闇の奥から、際限なく。

 

「……本当に集まってきやがった」

 

 一鉄が、煙草を落としかけた。

 

 泥スライムたちは、魔素水の流れに沿って螺旋状の溝を滑り降りていく。ゼリー状の体組織が溝の傾斜と水流に乗って、ゆるゆると、しかし確実に底部のトラップへ向かっていた。

 

 ポトン。

 

 最初の一匹が、格子状のトラップに落ちた。耐魔素合金の格子がスライムの体を優しく固定し、核の位置が上向きに露出した状態で静止する。

 

 陽太は検査官(インスペクター)スキルを起動した。

 

検査官(インスペクター):泥スライムの核 / 劣化率:0.0% / 表面損傷:皆無 / トラップ固定状態:安定】

 

「完璧だ。格子による固定で損傷なし、核は無傷のまま露出している」

 

 陽太が結果を読み上げると、洞窟に歓声が響いた。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 だが、本番はここからだった。

 

 トラップに次々と落ちてくるスライムから、核を取り出さなければならない。一鉄の閃刃なら一瞬で終わる作業だが、今回の目的は素人でも核を取り出せる仕組みを作ることだ。

 

 陽太は新人作業員たちの前に、あらかじめ用意していた専用工具のセットを並べた。

 

「これが核取り出し用のツールキットだ。ゲンさんが設計し、一鉄さんが製作した」

 

 ツールキットの中身は三点。固定用のトング、核を切り離すための薄刃のヘラ、そして核を受け止めるスライム専用の受け皿だ。いずれも、探索者の武器とは全く異なる、工場の作業工具としてデザインされていた。

 

「手順はシンプルだ。一、トングでスライムの体を固定する。二、ヘラを体組織と核の境界に沿って差し込む。三、核を切り離し、受け皿で受け止める。この三工程だけだ」

 

 陽太がホワイトボードに手順を書き出し、一鉄が実演する。閃刃のような神業ではなく、わざと工具だけを使い、ゆっくりと丁寧に核を取り出してみせた。

 

「簡単に見えるだろ? だが、ヘラの角度がコンマ数ミリずれると核に傷がつく。力加減が強すぎれば潰れる。最初は失敗して当然だ」

 

 一鉄が新人たちに向かってそう釘を刺すと、作業員たちは緊張した面持ちでツールキットを手に取った。

 

「じゃあ、一人ずつやってみろ。まずはお前からだ」

 

 ゲンさんに促され、先日の面接で最初にサインした痩せた青年──田中が、震える手でトングを握った。トラップに固定された泥スライムに、恐る恐るヘラを差し込む。

 

「そ、そーっと……こう、ですか……」

 

 パキッ。

 

 乾いた音がして、核に亀裂が走った。

 

「す、すみません! 割っちゃいました……!」

 

 田中が蒼白になって後ずさる。周囲の作業員たちも息を呑んだ。底辺探索者の世界では、素材を損なえば罵倒され、時には殴られる。それが彼らの知っている当たり前だった。

 

「気にするな」

 

 陽太の声は、淡々としていた。

 

「次だ」

 

 田中は目を丸くした。怒られると思っていた。罵声が飛んでくると身構えていた。だが、目の前の若社長は何事もなかったかのように、トラップに落ちてきた次のスライムを指差しただけだった。

 

「でも、一個1万円の商品を……」

 

「一人が100個中100個完璧に取り出しても、一日100個が限界だ。だが、10人が100個中50個しか成功しなくても、合計で500個になる。歩留まり50%でいい。名人一人より、素人10人の方が生産量は5倍だ」

 

 陽太はホワイトボードに数字を書き出した。

 

「失敗した核の損失は、量産による利益で十分に吸収できる。だから、失敗を恐れるな。数をこなせ。手が慣れれば、歩留まりは勝手に上がる」

 

 作業員たちの表情が、目に見えて変わった。

 

 今まで、一匹のスライムを慎重に、命懸けで狩っていた世界。一つの失敗が致命傷になる世界。そこで生きてきた彼らにとって、失敗しても次がある、数で補えるという発想は、目から鱗が落ちる思いだった。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 最初の一時間は、惨憺たるものだった。

 

 核を潰す者。ヘラを滑らせて指を切る者。力みすぎてスライムごとトラップから引きずり出してしまう者。損傷した核が泥に混じって積み上がっていく。そして辺りに漂うヘドロ臭。

 

 だが陽太は一度も声を荒げなかった。

 

 検査官(インスペクター)スキルを発動しながら作業員の手元を巡回し、一人ひとりに「ヘラの角度をもう少し寝かせろ」「力を抜け、核は自分から離れようとする」「トングの握りが深すぎる、浅く持て」と、具体的な指示だけを淡々と伝え続けた。

 

 二時間目。変化が起き始めた。

 

 あの痩せた田中が、初めて無傷の核を取り出した。

 

検査官(インスペクター):泥スライムの核 / 劣化率:0.0% / 表面損傷:皆無】

 

「……合格だ」

 

「えっ……。ほ、本当っすか!?」

 

 田中の声が裏返った。自分の手で、傷一つない完璧な核を取り出せた。たかがスライムの核。だが、底辺探索者として何もできないと烙印を押されてきた自分が、初めて“合格”と言われた瞬間だった。

 

「次だ。同じ感覚を覚えたまま、もう一個やってみろ」

 

「は、はい!」

 

 田中の手から、明らかに迷いが消えた。

 

 三時間目。

 

 四時間目。

 

 作業場に、リズムが生まれ始めていた。

 

 トラップにスライムが落ちてくる。作業員がトングで固定する。ヘラを入れる。核が受け皿に転がる。隣のテーブルで、番犬たちが保存液に浸して真空パック。さらに隣で、カートリッジに組み込み。

 

 流れ作業だ。一人ひとりの技量は一鉄の足元にも及ばない。だが、工程を分解し、専用の工具と設備で補うことで、素人の集団がシステムとして機能し始めていた。

 

 一鉄は作業場の端に立ち、煙草をくわえたまま、その光景を見つめていた。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 夕方。陽太は事務所のデスクで、初日の生産データをまとめていた。

 

 トラップが自動収集したスライムの総数、421匹。作業員10名による核取り出し、試行回数389回。成功数198個。歩留まり50.9%。

 

 たった一日で、198個。

 

 一鉄が一人で丸一日かけて取り出す100個の、ほぼ倍だ。それを、昨日までハズレアビリティの底辺と呼ばれていた素人たちが達成した。

 

(歩留まりは初日の50%からさらに上がる。人数を増やしてローテーションで回せば、一日1000個も現実的だ)

 

 凪がタンポポコーヒーを差し入れながら、データを覗き込んだ。

 

「初日で198個。悪くないわね」

 

「悪くないどころか、想定以上だ。あと一週間もすれば、手が慣れて歩留まりは70%を超えるはずだ」

 

 陽太はコーヒーを一口飲み、洞窟の奥に目を向けた。暗闇の向こうで、スライム集核装置(スライムコレクター)の導水路から水が流れ落ちる音が、静かに響いている。

 

「鉄道を選択して正解だった」

 

 凪は何も言わず、ただ小さく微笑んだ。

 

 洞窟の奥で、泥スライムがまた一匹、すり鉢の溝をゆるゆると滑り落ちていく音がした。




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