IR情報で読み解くダンジョン経済学   作:カトーユキヒロ

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第4話:産業革命

 スライム集核装置(スライムコレクター)の稼働開始から十日が経過していた。

 

 夜の第二工場・事務所。陽太はタブレットの画面を見つめていた。表示されているのは、過去十日間の生産データをまとめた折れ線グラフだ。

 

 初日。198個。

 三日目。310個。

 五日目。482個。

 七日目。721個。

 そして今日、十日目。1,087個。

 

 右肩上がりの曲線が、画面の上端に迫ろうとしていた。

 

(一鉄さんが一人で丸一日かけて100個。それが十日前の俺たちの限界だった)

 

 歩留まりも順調に改善していた。初日の50%が、十日目には72%に達している。作業員の手が慣れ、工具の扱いに迷いがなくなり、一人あたりの処理速度も上がった。スライム集核装置(スライムコレクター)自体も、ゲンさんの提案で導水路の角度を微調整したことで、スライムの収集効率がさらに向上していた。

 

 陽太はグラフの下に並ぶ売上予測の数字に目を落とした。東朋マテリアルから要請されていた週2000個の増産ラインは余裕でクリア。それどころか、このペースなら週5000個すら可能だ。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 同時刻。向島ダンジョン内、スライム集核装置(スライムコレクター)

 

 夕方のシフト交代の時間を迎え、日勤の作業員たちが工具を片付けていた。一鉄は作業場の端に立ち、安煙草に火をつけながら、その光景を眺めていた。

 

 田中が、隣の新人に核の取り出し方を教えている。

 

「ヘラはもっと寝かせた方がいいっすよ。最初は怖いけど、核の方から離れてくるから。……ほら、こう」

 

 十日前、自分が初めて核を割って蒼白になっていた青年が、今は後輩に指導している。下手くそだが丁寧で、失敗した新人に「気にすんな、次だ次」と声をかけている。社長の口癖が、もう移っていた。

 

 別のテーブルでは、藤井がカートリッジの組み込み作業を監督しながら、冗談を飛ばして作業員を笑わせていた。ゲンさんはトラップの格子に溜まった泥をメンテナンスしながら、無言で、しかし満足げに目を細めている。山本は作業日報を丁寧に記録していた。

 

 汗をかいている。泥にまみれている。だが、怪我人は一人もいない。

 

 そして何より——全員が、笑っていた。

 

 一鉄は煙草の煙をゆっくりと吐き出しながら、天井の岩肌を仰いだ。

 

(俺たちは探索者にならざるを得なかった。命を賭けて魔物と戦い、生きるか死ぬかのギャンブルを毎日繰り返していた。仲間が死んでも立ち止まれない。稼げなければ明日がない。それが探索者の日常だった)

 

 目の前の光景は、その全てと真逆だ。

 

 始業のベルが鳴り、各自が持ち場につく。決められた手順で、決められた工具を使い、一つずつ仕事をこなしていく。失敗しても、「次だ」と言ってもらえる。終業の時間が来れば、工具を片付けて帰る。翌朝には、約束された日給が口座に振り込まれている。

 

(これは……工場だ。ただの、当たり前の工場だ)

 

 一鉄の目頭が、じわりと熱くなった。

 

 造船所をクビになり、詐欺に遭い、娘の学費を失い、底辺探索者として泥を啜ってきた。あの陽太という若社長に拾われるまで、当たり前の労働がこんなにも貴重なものだったことを、忘れかけていた。

 

(探索者よりも、こっちの方がずっとまともな仕事だ)

 

 シフト交代の合図が響く。日勤の作業員たちが、口々に「お疲れ様です」と挨拶を交わしながら洞窟の出口へ向かっていく。その背中を見送りながら、一鉄は短くなった煙草を足元で揉み消した。

 

「……あの坊主に出会えて、良かったぜ」

 

 誰にも聞こえない声で呟いたその一言に、嘘はなかった。

 

 ◇ ◇ ◇

 

「凪。東朋への増産回答、出せる」

 

 第二工場の事務所に戻った陽太が、データを見せながら告げた。凪はタブレットを受け取り、グラフと数字を確認する。

 

「……本当に変えてしまったわね。十日で10倍。常識で考えたらあり得ない数字よ」

 

「常識が間違っていただけだ。探索者という労働形態そのものがボトルネックだったんだよ」

 

 陽太はタンポポコーヒーを啜りながら、ぽつりと続けた。

 

「言ってみれば、ダンジョン経済における産業革命って訳だ」

 

「あはは、何それ。ジェームズ・ワットにでもなるつもり?」

 

 凪は声を立てて笑い、それからふと、その横顔を見つめた。

 

 あの喫茶店で、一杯のコーヒーを粘りながら株のチャートを睨んでいた少年は、もういない。代わりにいるのは、産業そのものを設計し、人を雇い、システムを動かす経営者だった。

 

(……どこまで行くのかしら、この人は)

 

 凪が静かにそう思った時、陽太はすでにタブレットの画面を切り替えていた。売上グラフの画面が消え、代わりに映し出されたのは証券情報サイトだった。

 

 企業名。瀬戸内シーライオン。

 

 瀬戸内海の物流を牛耳る、巨大海運企業。三年前に開発した革命的な魔法船底塗料で、海獣被害の克服と高速航行を実現し、特区間物流の絶対的な覇者として君臨している企業だ。陽太が毎日の通学に利用している高速フェリーも、この会社の船だった。

 

 画面に映し出されているのは、同社が先日公開したIR資料と有価証券報告書。売上高は前年比200%。営業利益は過去最高。瀬戸内海におけるシェアは独占状態。どこからどう見ても、完璧な優良企業だった。

 

 だが、陽太の目はグラフの一点に釘付けになっていた。

 

(……修繕費が、異常に増えている)

 

 売上が倍増しているのに、修繕費だけが前年比で三倍近く膨らんでいる。さらに、雑費の項目にも不可解な支出が紛れ込んでいる。そして、一年半前──開発責任者が突然辞任している。

 

 どれも単体では些末な異常だ。だが、三つが同時期に重なっているとなれば、話は別になる。

 

「また獲物を見つけたの?」

 

 凪が覗き込んできた。陽太は首を横に振った。

 

「いや。……助けを求めている」

 

「……え?」

 

 凪は怪訝な顔をしたが、陽太はそれ以上説明しなかった。

 

 タブレットの画面の中で、瀬戸内シーライオンの株価チャートはゆるやかに右肩上がりを描いている。市場はこの企業の未来を疑っていない。だが陽太の目には、その美しいチャートの裏側で、巨大なクジラが内側から腐り始めている姿が映っていた。

 

(数字は嘘をつかない。……修繕費の異常増加。開発責任者の辞任。そして、雑費に紛れ込んだ何か。三つの点を結ぶ線の先に、何がある?)

 

 陽太はタブレットを閉じず、冷めたタンポポコーヒーを一口含んだ。

 

 相場師の嗅覚が、かつて泥スライムの核にバグを嗅ぎ取った時と同じ、微かなざわめきを告げていた。




佐保風 様
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