それから数日後の朝。陽太はいつものようにフェリーに乗り、甲板から特区の中心街を見つめていた。
12.11以降、日本の物流は陸路から海路へと完全に逆行した。モンスターが跋扈し、地殻変動で寸断された陸上輸送に代わり、比較的安全な海上ルートを巨大な武装輸送船が結ぶようになった。かつて江戸時代に日本の海を席巻した物流の覇者になぞらえ、人々はそれを“
その恩恵を受け、どこにでもある片田舎だった尾道の沿岸部は、欲望渦巻くメガフロート都市へと異常な発展を遂げていた。
これほど発展した街なら、探索者など辞めて安全な仕事に就けばいい。事情を知らない人間は皆そう口を揃える。
だが、現実はそう甘くない。
港の
新・北前船の船員は給料こそ破格だが、出港すれば数週間から数ヶ月は家に戻れない。発作のケアが欠かせない小春を一人残して海に出ることは、陽太にとって妹の死を意味していた。
ギルドの事務員や行政職といった安全なホワイトカラーは、大都市から派遣された特権階級が身内で完全に独占している。
結果として残された、唯一の合法的な仕事。
それが、時間の融通が利き、身元保証人も不要で、ただ己の命と引き換えに小銭を稼ぐだけの探索者だったのだ。
(コネがなくとも、屈強な肉体がなくとも、俺は諦めない)
陽太はリュックの紐を強く握りしめ、海風の吹く甲板から、自身の戦場である島へと鋭い視線を向けた。
◇ ◇ ◇
フェリーを降りた陽太は、向島ダンジョンの入り口へと足を運んでいた。
だが、その日の入り口の光景は、普段のうらぶれた空気とは明らかに異なっていた。
薄暗い洞窟の入り口付近に、簡易的なテントが張られ、数台の大型発電機が低い唸りを上げている。周囲を警戒しているのは、陽太のような底辺探索者とは装備の質が桁違いの、プロの護衛部隊だ。
そしてその中心には、白衣や作業着に身を包んだ見慣れない集団が、いくつものジュラルミンケースや大型の測定機材を運び込んでいた。
「
機材に印字されたロゴマークを目にした瞬間、陽太の足がピタリと止まった。
東朋マテリアル。毎晩のように読み込んでいる企業のIR情報の中で、現在陽太が最も注視している大手精密機器メーカーだ。数日前に発表された中期経営計画には、はっきりとこう書かれていた。
──次世代型・高効率純水プラントの完成に向け、特定の魔力特性を持つ未利用の有機素材の安定調達が急務であり、現在、瀬戸内ダンジョン群にて実証実験を計画。純水の生産能力前年比300%増が目標──と。
(大企業がわざわざ出張ってくるなら、最難関の宮島ダンジョンか素材が豊富な伯方島ダンジョンだと思っていたが……。まさか、泥スライムしか出ない向島ダンジョンで未利用の有機素材の実証実験をしているのか?)
瀬戸内海には700を超える島があり、ダンジョンの数も100を超えると言われている。向島ダンジョンはその中で最も尾道特区に近いが、最も利用価値の低いダンジョンという評価だ。
陽太は彼らに極力気づかれないように、観察と思考を続ける。
(待て。決めつけるのは早計だ。競合他社に対するブラフかもしれない。だが、あんな大掛かりな機材を持ち込んでまで実証実験の振りをするか?)
強烈な違和感を覚えつつも、陽太は彼らと視線を合わせないようにやり過ごし、ダンジョンの奥へと足を踏み入れた。
じめじめとしたカビと泥の匂い。
陽太は立ち止まり、背負っていたお手製槍を手にする。
「気になるが、日課をこなさないとな」
【
「先端の包丁を昨日取り替えたばかりだから、当然ゼロだな」
槍の具合を確かめた直後、前方の泥溜まりがボコッと泡立った。ダンジョン浅層の主役、泥スライムだ。
陽太は慣れた手つきで槍を突き出し、スライムの核を露出させた。ドシャッ、と絶命した魔物の後に残されたのは、ギルド買取価格10円の泥スライムの核。
「さて、今日の稼ぎの第一歩、と」
陽太は泥にまみれたスライムの核を拾い上げ、アビリティのレベル上げを兼ねて、スキルウインドウを向けた。
【
「綺麗に核を取り出した直後だから、劣化ゼロっと。……ん?」
陽太がスライムの核を納品袋に放り込もうとした、その時だった。
ポタッ。
洞窟の天井から滴り落ちたダンジョン特有の淀んだ水滴──魔素をたっぷり含んだ濁り水が、陽太の手にあるスライムの核に落ちた。
直後、奇妙な現象が起きた。
スライムの核がスポンジのように濁り水を吸い込み、内部で微かに脈打ったかと思うと、その底面からツーッと一滴の水滴が零れ落ちたのだ。
陽太は反射的に、空いていた手でその水滴を受け止めた。
「……嘘だろ?」
手の中にあるのは、一切の濁りがない、無色透明な水。
陽太は、手の震えを自覚しながらも、
【
「魔素が抜けてる……? 完全な純水じゃないか……!」
心臓が早鐘のように鳴り始めた。
高濃度の魔素水を、このゴミ素材が一瞬で透過・浄化したというのか。
視界の端で、透き通った泥スライムの核が少しずつ濁り始めているのがわかる。
【
無傷で取り出したにもかかわらず、わずか数十秒ですでに劣化が始まっている。倒してから5分でヘドロにかわるという致命的な欠点。泥スライムの核がゴミ素材と呼ばれることとなった所以である。
(……そういうことか)
陽太は手の中のスライムの核を、食い入るように見つめた。
東朋マテリアルが血眼になって探している未利用の有機素材。それは高ランクのレアアイテムなどではない。彼らが実証実験を行っているこの向島ダンジョンに無数にいる、泥スライムの核だったのだ。
では、なぜ大企業である彼らは実用化できずにいるのか。答えは単純だ。
企業の研究チームが(サンプル採取→測定機材での検査→本土に輸送→精密分析)というプロセスに数日かけるうちに、素材は完全にヘドロになる。魔素を浄化する能力がどこに宿っているか突き止める前に、証拠が消えてしまうのだ。
(……俺なら違う)
陽太には
東朋マテリアルの研究者とは違い、劣化具合を見極めるための大掛かりな測定設備など一切必要ない。傷のない完璧な個体の選別は
あとはその場で劣化を止める保存処理方法さえ確立できれば──。
それは、世界が渇望する純水インフラの要──サプライチェーンを、一個人で完全に独占できることを意味していた。
(さあ俺も実証実験だ……といきたいところだが、ゼロからのスタートでは東朋マテリアルの実験完了までに間に合わない可能性がある。東朋マテリアルがどこで躓いているか、
陽太の口角が、自然と吊り上がった。
病弱な妹を抱え、泥をすするように生きてきたどん底の日常が、今、劇的に反転しようとしていた。
3話のリライト完了です。
話の流れは旧バージョンと変えていませんが、テンポを意識して、読みやすくなったのではないかと思います。
今後も頑張りますので、感想・評価・お気に入り等よろしくお願いいたします。