IR情報で読み解くダンジョン経済学   作:カトーユキヒロ

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第3章:見えざる手は、俺が作る
第1話 歪んだ秤


 瀬戸内シーライオンの買収を発表してから二月が過ぎた。

 

 夕暮れの第二工場。事務所に作業日報を届けに来た田中健太が珍しく帰らずに立っていた。

 

「社長。お忙しいところすいません。……探索者の羽山ってご存知ですか?」

 

「探索者時代のあんたの相棒だろう。解体の腕がいいと聞いた」

 

「流石、社長。よくご存知で。……そいつも近々探索者を辞めるそうです」

 

 田中は日報を握ったまま続けた。羽山は今も尾道特区ゲートの外で角兎を狩っている。解体の腕は自分の知る限り探索者で1番。それでも三年やって手取り額は千円も上がらなかった。近く子供が生まれるから別の仕事を探しているという。

 

「真面目で腕のいい人間から先に潰れていくんですよね。探索者って。それで、もし良かったらウチで雇ってもらえないかなって」

 

 陽太はペンを置いた。個人の努力で覆らない貧しさは個人の問題ではない。仕組みの問題だ。かつて相場を張っていた頃からの持論だった。

 

「本人が納得しているならウチで雇ってもいいが……。明日の納品に同行させてもらえるか聞いてくれ」

 

 ◇ ◇ ◇

 

 翌朝。旧尾道駅跡地に建つ尾道特区ギルドの買取窓口には長い列ができていた。

 

 港から続く道は納品の荷を担いだ探索者で混み合っている。ここは特区の血液が最初に流れ込む心臓部だ。そしてその心臓は国の定めた一つの規則で動いている。

 

日本探索者支援機構(ギルド)。国が特区に敷いた探索者管理組織。だが実態はこの町で唯一の買い手だ)

 

 根拠はダンジョン特措法第三条。探索者が取得した未加工の魔物素材はすべてギルドへ納品する義務を負う。売り先を選ぶ自由は制度の始まりから存在しない。

 

 列に並ぶ顔ぶれは様々だった。傷だらけの中年もいれば制服の上に防具を重ねた学生もいる。スカラーシップ制度で学費を免除される代わりにダンジョンへ通う子供たちだ。誰もが同じ窓口に並び同じ秤で値を付けられる。

 

 列の中ほどに痩せた男がいた。背負い籠の中身は夜明け前に狩った角兎が十二匹。田中の紹介で頭を下げた羽山は年より老けて見えた。

 

「湊社長にお会いできて光栄です。田中から話は聞いてます。でも、俺みたいな個人の納品なんか見ても面白くないでしょう」

 

「俺にとっては、現場が一番面白いところだ」

 

 籠の中の角兎は一匹残らず同じ傷で仕留められていた。喉元の急所をひと突き。毛皮の価値を落とさない狩り方は一朝一夕で身につくものではない。

 

「嫁が妊娠八ヶ月でして。生まれる前に堅気の仕事を探そうかと思ってるんです」

 

「その腕を捨てるのか」

 

「捨てるも何も。この腕は金にならないんすよ」

 

 順番が来た。羽山は角兎を一匹ずつ台に並べていく。喉元の一点を突いた即死の傷。血抜きは完璧で毛皮には汚れひとつなかった。陽太は静かにスキルを起動する。

 

検査官(インスペクター):角兎の毛皮 / 劣化率:6% / 損傷:微小(刺突痕一箇所) / 血液残留:0.2% 】

 

 見事な数字だった。工業製品なら特級の判が押される水準だ。

 

 隣の窓口では強面の男が同じ角兎を無造作に積み上げていた。鈍器で仕留めたのか頭部が潰れ、毛皮には血がこびりつき艶がなく乾燥している。数を確かめると同じ十二匹だった。

 

検査官(インスペクター):角兎の毛皮 / 劣化率:39% / 狩猟後10時間経過 / 損傷:頭部(打撲) / 血液残留:8.7% 】

 

 査定員は羽山の毛皮を一瞥もしなかった。台帳に数を書き付け報奨金の欄に判を押す。品質の欄に費やした時間は一匹あたり二秒に満たない。見る必要がないのだ。どう書いても価格はほとんど動かないのだから。

 

 査定はどちらも数分で終わった。羽山の受け取りは11,640円。隣の男は11,040円。

 

 差額はたった600円だった。

 

「……ね。こういうことなんすよ」

 

 羽山は伝票を折り畳みながら力なく笑った。

 

 からくりは単純だ。買取価格の七割から八割は討伐報奨金が占める。角兎なら一匹700円。魔物の種類ごとに国が定めた固定額であり素材の出来には1円も連動しない。品質査定に割り当てられるのは残る二割から三割だけ。どれほど腕を磨いても報われるのは価格の端数ということになる。

 

(泥スライムの核が一個10円で動かなかった理由も同じだ。あれは納品の時点で必ずヘドロ化している。品質の評価は常に底値。10円は査定の床にへばりついた数字だった。ギルドの秤は品質をほとんど見ていない)

 

 かつての自分の日給計算がよみがえる。泥スライム100匹で5,000円。あの数字もこの秤が生んだものだ。優遇政策という名の固定相場制。底辺だった頃はそれを命綱だと思っていた。飢えないための盾だと。

 

 だが違う。腕を上げても外へ出られないのなら盾ではなく檻だ。

 

「羽山さん。辞めるのは少しだけ待ってもらえないか」

 

「……へ?」

 

「あんたの腕に、相応の値が付く場所を俺が作る」

 

 ◇ ◇ ◇

 

 その夜。事務所のホワイトボードの前に三人が立っていた。陽太と凪。それに月次報告のため本社からやってきた特別顧問の大西である。

 

「では面白い話をひとつ」

 

 老顧問は湯呑みを置いた。

 

「先月うちの船が札幌特区へ防寒具の原料を運びました。ダンジョン産の獣皮です。向こうでは加工業者が奪い合う人気素材ですが、卸元はギルドの払い下げでしてな。その卸値が尾道での買取価格のおよそ三倍でした」

 

「三倍……」

 

「船乗りは荷の値段に敏感です。同じ品が海を渡っただけで三倍になる。昔の商人なら胸を躍らせたでしょうな」

 

 凪が眉を寄せる。陽太はマーカーを手に取った。

 

「ダンジョンは土地ごとに産出物がまるで違う。なのに買取価格は全国一律。需要のある特区へ運ぶだけで理屈の上では差額が丸ごと抜ける。うちにはシーライオンの船が四十隻ある。本来なら今夜にでも始められる商売だ」

 

「それができないのよね。特措法第三条」

 

 凪が引き取った。未加工の魔物素材は採れた特区のギルドへ納める義務がある。探索者から直接買うことも他の特区へ運ぶことも法が許さない。裁定取引の入り口は国の法律で塞がれていた。

 

「違反すれば探索者資格の剥奪と罰金。買った側も同罪よ。闇ルートに素材を流して特区を追放された業者の判例もあるわ」

 

「そこで問題だ。札幌の三倍の差額は今どこへ消えていると思う?」

 

 陽太の問いに事務所が静まった。一律の秤で買い叩き集めた素材を需要地へ回せば差額が生まれる。その金の流れを外から見た者はいない。ギルドの帳簿は公開されていないからだ。

 

(数字の見えない場所には必ず何かが溜まる。相場の鉄則だ)

 

 確証はまだない。だが東証の再開で全財産を失ったあの日から陽太は知っている。ルールを作る側は必ずルールで儲ける。その例外を見たことがない。

 

 陽太はホワイトボードに二つの言葉を書いた。固定価格。納品義務。その周りに格子を描き足すと図はそのまま檻になった。

 

「値段は本来、市場で決まるものだ。品質が良ければ高く売れる。足りなければ値が上がる。その当たり前がこの世界の探索者にだけ存在しない。だから羽山さんのような腕利きから順に潰れていく」

 

「……何を始める気なの」

 

 凪の声には期待と警戒が半分ずつ混ざっていた。この男がこの目をするときは決まって何かが始まる。

 

「取引所を作る。セリで値が決まり品質がそのまま価格に跳ね返る。誰でも売り手になれて誰でも買い手になれる開かれた市場だ」

 

「セリになれば羽山さんの角兎とあの男の角兎に同じ値は付かない。600円の差は6,000円にはなる。腕がそのまま数字になる世界だ」

 

「相手はギルドだけじゃ済まないわよ。納品義務は国の法律。動かすつもりなら喧嘩の相手は──」

 

「国だ。正確には国のルールを作る人間たちだ」

 

 陽太は頷いた。金と数字だけでは越えられない壁がこの世界には確かにある。ならば壁の向こう側に立つ人間を味方にするまでだ。

 

 凪は小さく息を吐き一枚の新聞を机に置いた。特区経済面。規制改革を掲げて官僚機構と衝突を繰り返す若手議員の記事が載っている。

 

 鷹司玲次。三十三歳。

 

「どうせ会いに行くんでしょう」

 

「話が早くて助かる」

 

 歪んだ秤を作り直す戦いはこうして静かに幕を開けた。




第3章始めました。

yau 様 昼月2022 様 Elhest 様 
お気に入り登録ありがとうございます。

Felis0817 様 鋸草 様
評価いただき本当にありがとうございます。

今後も頑張りますので、感想・評価・お気に入り等よろしくお願いいたします。
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