IR情報で読み解くダンジョン経済学   作:カトーユキヒロ

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第2話:成り上がりの握手

 第二世代塗料の塗装が完了した瀬戸内シーライオンのフェリーに乗った陽太は、広島都市圏へ移動していた。

 

「鷹司玲次。三十三歳。当選二回」

 

 フェリーの客室で凪が調べ上げた資料を読み上げる。

 

「京の公家に連なる名門の生まれ。ただし家とは絶縁状態らしいわ。派閥の推す選挙区を蹴って縁もゆかりもない土地から出馬して二回とも自力で勝ってる。学生時代は楕円球の選手。政策は規制改革一本槍。官僚との衝突は数知れず。あだ名は」

 

「あだ名は?」

 

「猪。敵陣に突っ込んで止まらないから」

 

「政治家のあだ名としては褒め言葉なのか悪口なのか分からんな」

 

「両方でしょうね」

 

 凪はタブレットをもう一枚めくり、寄付金の収支報告に目を走らせた。

 

「政治資金も調べたけど、笑っちゃうくらい綺麗。企業献金がほとんど無いの。後援会の会費と個人の小口ばかり。この規模で当選二回はむしろ異常よ」

 

「金で縛られていない、ということか」

 

「そう取れる。裏を返せば、誰も金を出したがらない議員ってことでもあるけど」

 

 陽太は窓の外を流れる島影を眺めながら、その意味を計った。金で動かない政治家は、金で動かせない代わりに金でも黙らせられない。今の自分が探しているのは、まさにそういう相手だった。

 

(金を積めば動く男なら、いくらでも他にいる。だがそういう男は、より多く積んだ者にすぐ寝返る。俺が組むべきは、金では買えない何かで動く人間だ)

 

 資料の写真の男は笑っていなかった。政治家の宣材写真で笑わないのは珍しい。カメラの向こうを睨む目は獲物を探す野生動物のそれだった。

 

 バリケードの内側に広がる都市圏の中枢は災害前と見紛う賑わいを取り戻しつつある。陽太と凪が向かったのは港に近い復興公民館だった。

 

「国政報告会・鷹司玲次」

 

 入口に立つのは手書きの看板が一枚きり。ポスターの類は見当たらない。

 

(金がないのか。それとも飾る気がないのか)

 

 会場は立ち見が出るほど埋まっていた。演台の男は遠目にもわかるほど大きい。長身に仕立ての良くない背広。袖の下で盛り上がる肩の筋肉が布地を持て余していた。

 

「──特措法は緊急避難でした。あの冬を生き残るために必要な法律だった。俺もそう思っています」

 

 鷹司玲次の声は拡声器なしで最後列まで届いた。

 

「だが四年が経った。緊急避難のまま組み上げた制度の軋みがあちこちで人を潰し始めている。特区の恩恵は誰のものですか。制度の内側で肥える者と外側で擦り切れる者に分かれていませんか」

 

「具体例を挙げましょう。特区の探索者の平均日給は四年間ほぼ横ばいです。同じ四年で特区の物価は三割上がった。つまり実質の稼ぎは目減りし続けている。一方である組織の職員数と施設は四年で倍以上に膨らんだ。名指しはしません。皆さんの頭に浮かんだ組織で正解です」

 

 会場のあちこちで苦い笑いが起きた。

 

 質疑では水道と年金の話が続いた。鷹司はどの問いにも数字で答え、答えられない問いには調べて事務所報で必ず答えると約束した。ごまかしの言葉が一つもない演説を陽太は初めて聞いた。

 

 客席から野次が飛んだ。綺麗事だと。鷹司は野次の主をまっすぐ指差した。

 

「そのとおり。綺麗事です。だから俺は綺麗事を実現する具体案を探している。良い案のある人はいつでも事務所に来てください。誰でも会います」

 

 凪が小さく笑った。

 

「面白い人ね」

 

「ああ。根回しという言葉を知らなそうだ」

 

 陽太は演台の男を見つめたまま続けた。

 

「だが演説はうまい。数字で語り、答えられない問いは逃げずに持ち帰る。あれは頭の良い人間のやり方だ。猪と呼ばれているが、突っ込む先を間違える馬鹿じゃない」

 

「気に入った?」

 

「品定めの途中だ。……ただ、一つだけ確かなことがある」

 

「何?」

 

「あの男は、伝票を見て笑わない」

 

 凪は横目で陽太を見た。その言葉の重さを、弁護士の彼女はすぐに理解した。羽山の査定伝票を突きつけられて、制度の歪みを一目で読み取れる政治家がどれだけいるか。陽太が今日ここまで足を運んだ理由は、それを見極めるためだった。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 報告会の後。控室の前で秘書らしき青年に止められた。

 

「アポイントのない方はご遠慮──」

 

「構わん。通してくれ」

 

 扉の奥から本人の声がした。鷹司は立ち上がって陽太を迎えた。間近に立つと壁と向き合っているようだった。

 

「瀬戸内シーライオンの湊社長でしょう。買収会見の映像は三度観ました。二十三歳であの仕掛け。いつか会いたいと思っていた」

 

「光栄です。今日は投資の話ではなく制度の話を持ってきました」

 

「制度の話」

 

 鷹司は面白そうに片眉を上げ、向かいの椅子を勧めた。

 

「金の話で来る人間なら毎日来ます。うちの事務所の椅子は、金を置いて去る人と、頼み事を置いて去る人でいつも埋まっている。制度の話を持ってくる経営者は珍しい。しかも二十三の若さでね」

 

「珍しいものが嫌いですか」

 

「まさか。珍しいものにしか興味がない」

 

 鷹司は身を乗り出した。大きな体が机越しに影を落とす。

 

 応接の椅子が軋む。陽太は一枚の伝票を机に置いた。羽山と名前も知らないあの男の査定伝票である。劣化率6%の毛皮と39%の毛皮。差額は600円。鷹司の眉が動いた。

 

「ギルドの固定価格は探索者を守る盾だと国会では説明されています。実態は檻です。腕を磨いても値段に映らない。産地が違っても値段は同じ。だから腕利きから順に現場を去っていく」

 

「……続けてください」

 

「解決策は市場です。セリで値が決まり品質が価格に跳ね返る取引所を尾道に作りたい。誰でも売り手になれて誰でも買い手になれる開かれた市場です」

 

 鷹司はしばらく伝票を見つめていた。やがて上げた顔は値踏みをする政治家の目になっていた。

 

「良い話に聞こえます。だからこそ聞く。それはあなたが儲かるだけの話では? ギルドという独占を倒して湊陽太という新しい独占が生まれるだけなら俺は乗らない」

 

「もっともな懸念です」

 

 陽太は二枚目の紙を重ねた。運営構想の素案である。

 

「取引所の運営は中立の委員会に委ねます。探索者代表と買い手代表と行政と学識者。うちは設立の費用と仕組みを提供するだけで価格にも運営にも介入しない。手数料率さえ委員会が決める。俺が裏切れない仕組みを最初から組み込みます」

 

「もう一つあります。取引所は敵も守る仕組みです」

 

「敵も?」

 

「ギルドの職員は全国に数万人いる。制度が変われば彼らの仕事は査定の独占から市場の管理へ変わるだけで消えはしません。潰したいのは組織ではなく歪みです。ここを間違えると改革は復讐になる。復讐は必ず次の復讐を生みます」

 

 鷹司はしばらく黙った。それから、独り言のように呟いた。

 

「……復讐は次の復讐を生む、か」

 

 その声には演説の張りがなかった。ふと、家を捨てて出た男の素顔がのぞいた気がした。

 

「俺は家を出るとき、実家の派閥を一つ残らず潰してやると思っていました。既得権益の塊だ。潰して当然だと。だが叩き潰したところで、その椅子に別の誰かが座るだけだと、初当選してすぐに気づいた」

 

「制度を変えなければ、人を替えても同じことが起きる」

 

「そのとおり。あなたはそれを最初から分かっている」

 

 鷹司の目の色が変わった。値踏みの色が薄れ代わりに熱が差した。

 

「あなたの得はどこにある」

 

「市場が立てば物流が増える。うちは船会社です。それに公正な市場はいずれ売る側に回るうちの製品にとっても長期の利益になる。綺麗事と実利が一致している。だから信用に値するはずです」

 

 沈黙が落ちた。先に破ったのは低い笑い声だった。

 

「綺麗事を実現する具体案。さっき俺が客席に求めたものを本当に控室へ持ってくる人がいるとは」

 

 鷹司は立ち上がって手を差し出した。

 

「俺は名門の生まれですが家を出た口です。派閥の椅子取りが性に合わなかった。地盤も看板も鞄もない成り上がりでしてね。あなたも底辺探索者からの成り上がりと聞いた」

 

「事実です」

 

「なら話が早い。成り上がりには正面突破しか道がありません。政治は楕円球の競技に似ている。ボールを前へは投げられない。仲間と横に繋ぎながら体ごと前へ出るしかない」

 

 握った手は万力のようだった。骨が軋む。学生時代は楕円球を追っていたという経歴は本当らしい。

 

「……痛いですよ。鷹司さん」

 

「これでも加減しています」

 

 凪が呆れ顔で二人を眺めていた。

 

「握手で相手の骨を折る政治家、初めて見ました」

 

「折れる程度の骨なら、どのみち共には戦えません」

 

 鷹司は悪びれもせず笑った。陽太も手を握り返しながら、久しく忘れていた感覚を思い出していた。

 

(対等の同盟か)

 

 これまで組んできた相手とは、いつも力の差があった。純水プラントのコアとなるフィルターと、間欠加圧の技術を売った東朋マテリアルの木崎とは取引先だった。相手の経営判断ミスを突いて、会社を従業員と船ごと呑み込んだ瀬戸内シーライオンの大西とは買収する側とされる側だった。

 

 社会的地位は圧倒的にこちらが下だった。それでも情報や技術という実弾とハッタリで常に主導権を握り、最終的には上に立つ関係だった。

 

 だがこの男とは貸しも借りもない。力はあるが政治の足場のない自分と、志はあるが実弾のない議員。どちらも一人では届かない。互いに欠けた部分が噛み合う音を、陽太は確かに聞いた気がした。

 

 妹一人を守るために泥スライムの核を拾った日から、ずいぶん遠くまで来た。初めての対等な盟友になるのかもしれなかった。

 

「ただし湊さん。宿題を一つ」

 

 別れ際に鷹司は真顔へ戻った。

 

「この構想はこのままだと開業初日に関係者全員が逮捕されます。特措法三条。納品義務です。あれを崩す理屈を見つけてください。政治の入口はそこからだ」

 

 ◇ ◇ ◇

 

 帰りのフェリー。夜の瀬戸内は凪いでいた。

 

「大収穫ね。でも」

 

 凪は手帳を開いた。恋人の顔から弁護士の顔に切り替わっていた。

 

「別れ際に鷹司さんも言ってたでしょう。この構想には生まれる前から死んでいる部分があるって」

 

「特措法三条か」

 

「そう。未加工素材の納品義務。取引所に品物が並ぶこと自体が違法になる。志と票をどれだけ集めてもあの一条がある限り市場は開けない」

 

 法律の壁。金でも数字でも殴れない敵が正面に立っていた。

 

 これまで陽太が越えてきた壁は、すべて数字で殴れるものだった。相場の歪み、生産の限界、物流の非効率。どれも計算すれば穴が見えた。だが法律は違う。条文は市場のように動かない。石のように、ただそこにある。

 

「正直に言うわ」

 

 凪が窓の外の暗い海を見ながら口を開いた。

 

「弁護士としては、これはかなり分が悪い。三条は特措法の背骨よ。あれを外せば、緊急避難で作った法律そのものが崩れかねない。役所が命がけで守るはずの一条なの」

 

「勝ち目はあるか」

 

 凪はしばらく黙り、それから陽太に向き直った。恋人の顔ではなく、法を武器にする者の顔だった。

 

「あなたが泥スライムの核に値段をつけた時も、周りは全員ゴミだと言ったんでしょう」

 

「言われたな」

 

「なら同じよ。誰も見ていない一行が、必ずどこかにある。それを見つけるのが私の仕事。壁の崩し方を考えましょう。今夜から」

 

 凪は手帳に特措法と書き付けた。その三文字を丸で囲む。

 

「言っておくけど相手は六法全書よ。あなたの検査官でも条文の意味までは読めないんだから徹夜に付き合いなさい」

 

「望むところだ」

 

 フェリーは静かな海を滑っていく。金でも力でも殴れない敵を前に、二人は初めて同じ武器を持たずに並んでいた。だが不思議と負ける気はしなかった。




夜市よい 様 acedia 様
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