IR情報で読み解くダンジョン経済学   作:カトーユキヒロ

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第3話:納品義務の壁

 特定迷宮資源開発及び管理に関する特別措置法。通称ダンジョン特措法。

 

 その条文の写しが第二工場の事務所の机を埋め尽くしていた。

 

 三日前から凪はここに泊まり込んでいる。差し入れのマカロンの空き箱が条文の隙間に積み上がっていた。壁には法律の構造図が貼られ、赤い線が第三条の周りだけ何重にも引かれている。要塞の見取り図のようだった。

 

「第三条。探索者が取得した未加工の魔物素材は指定機関に納品しなければならない。指定機関とは各特区のギルドのこと。違反は探索者資格の剥奪と罰金。買い受けた側も同罪」

 

 凪が条文を読み上げる。徹夜明けの声だった。目の下には濃い隈が浮いている。

 

「凪。少し寝ろ。倒れられたら困る」

 

「あなたが言う? 誰にも言わずに徹夜で向島ダンジョンに潜ってたこと、私忘れてないわよ」

 

「それを出されると弱いが……。あの時はすまなかった。ただ心配なんだ」

 

「今頑張らないで、いつ頑張るのよ。法律で殴ってくる相手には、私が盾になるって決めてるの」

 

 凪はマカロンを一つ口に放り込み、条文に赤線を引き直した。かつて世の理不尽に怒りだけで立ち向かっていた頃の彼女なら、この壁を前に苛立って机を叩いていたかもしれない。今は違う。目は疲れていても、その奥にあるのは怒りではなく静かな熱だった。

 

「罰則は探索者資格の剥奪に加えて罰金は最高1億円。法人にはさらに重くて特区からの追放まである。国は本気でこの独占を守る気なのよ」

 

 陽太は窓の外の夜を見た。四年前のあの朝。突如再開した東証で全財産が溶けていく画面の光を思い出す。ルールはいつも自分の知らない場所で書き換えられ、書き換えた側だけが儲けてきた。今度はこちらが書き換える側に回る。ただし全部を白日の下で。

 

「発泡酒のスキームは使えないよな」

 

「無理ね。三条二項の特例は採取後に著しく品質が劣化する素材を加工する場合の話。うちのフィルターはあれで通った。でも取引所は未加工素材の流通そのものよ。加工してしまったら市場に並べる意味がなくなる」

 

「条文の穴は」

 

「三日探して見つからない。この法律は急ごしらえの穴だらけなのに三条だけは要塞なの。当然よね。ギルドの独占はこの一条の上に建ってるんだから」

 

 机の端には潰れた検討案の山があった。委託販売の形式を取る案は納品義務の潜脱と判定される可能性が高い。ダンジョン外で繁殖させた個体という理屈は魔物の飼育自体が別の法で禁じられていた。特区外の島を使う案は特措法の適用が日本全国である以上意味がない。三日で二十一の案が死んだ。

 

 陽太は死んだ案の一枚を手に取り、静かに裏返した。

 

(搦め手はどれも通らない。……当然だ)

 

 抜け道を探せば探すほど、後ろめたさが残る道ばかりが見つかった。委託販売も繁殖個体も、要は法の目をかいくぐる小細工だ。そんなやり方で市場を作れば、いずれ同じ小細工で市場を崩される。金で転んだ票の上に市場が建てられないのと同じで、抜け道の上に信頼は建たない。

 

(正面から堂々と通せる道でなければ意味がない。裏口から入った市場を、誰が信じる)

 

「ねえ。いっそ法律ができる前に戻れたらいいのに」

 

「戻れない。なら前に進めるだけだ」

 

 陽太は腕を組んだ。壁は本物だ。ならば壊すのではなく通り道を作らせる方法を探すしかない。

 

「小春。悪いがお茶をもう一杯頼む」

 

「はーい」

 

 日曜の事務所には小春が遊びに来ていた。宿題を広げていた小春は湯呑みを運びながら机の条文を覗き込む。

 

「お兄ちゃんたち何と戦ってるの」

 

「法律だ」

 

「法律って悪いものなの? 学校では守りましょうって習ったけど」

 

「悪くない。ただ古くなる。四年前に正しかったものが今も正しいとは限らない」

 

「ふうん」

 

 小春は宿題のノートに視線を戻した。社会科の書き取りである。市場という字が並んでいた。

 

「ねえ。お兄ちゃんが作りたい取引所って何をするところ?」

 

「頑張った人が頑張った分だけ認められる場所だ」

 

「それって普通のことじゃないの?」

 

 陽太と凪は顔を見合わせた。普通。その普通がこの世界のダンジョンの周りにだけ存在しない。妹の一言が問題の芯を撃ち抜いていた。

 

「……普通のことなんだよ。本当はな」

 

 小春は鉛筆を置いて兄を見た。

 

「じゃあお兄ちゃんは普通を作ろうとしてるんだね。難しいの?」

 

「ああ。とびきりな」

 

「ふうん。でもお兄ちゃんはやるんでしょ」

 

 断定だった。疑問の形すら取らない絶対の信頼がそこにある。

 

 この妹のために泥スライムの核を拾った。純水を精製し、フィルターを売り、船を手に入れた。すべては小春が普通の暮らしを送れるようにするためだった。そして今、その妹が「普通」という言葉で、陽太が本当に作りたかったものの正体を言い当てている。

 

(頑張った奴が報われる。それだけのことが、この世界のダンジョンの周りにだけ無い)

 

 陽太は苦笑して妹の頭に手を置いた。硬い条文の山を三日睨んでも解けなかった問いの答えが、宿題のノートを広げる妹の口から転がり出た気がした。

 

「ああ。やる」

 

 ◇ ◇ ◇

 

 転機は翌週に訪れた。条文の海に潜り続けた凪が附則のページで手を止めたのである。

 

「予備試験の勉強で叩き込んだの。本則で勝てないときは附則を読めって。本体の陰に例外の種が埋まっていることがあるから」

 

 凪の目は充血していたが爛々と輝いていた。

 

「陽太。これ見て。附則第八条」

 

 政府は本法の施行後三年を目途として施行の状況を勘案し必要があると認めるときは所要の措置を講ずるものとする。

 

「見直し条項……」

 

「そう。しかも施行からもう四年。見直しの目途はとっくに過ぎているのに一度も検証されていない。これは政治の側の不作為よ。突ける」

 

 凪はページを陽太の眼前に突き出した。三日間の徹夜が報われた瞬間の顔だった。

 

「三年を目途に見直すと自分たちで書いておいて、四年放置した。この不作為は責められる。役所は言い逃れできない。彼らが一番嫌うのは、自分で決めた約束を守っていないと指摘されることだから」

 

「よく見つけたな。この一行を」

 

「言ったでしょう。誰も見ていない一行が必ずどこかにあるって」

 

 凪は得意げに胸を張り、それからくしゃりと相好を崩した。疲労と達成感がないまぜになった、恋人の顔だった。

 

「三条そのものを消すのは無理でも」

 

「ええ。全国一律で消すのは無理。でも限られた場所で試験的に例外を認めさせることならできるかもしれない」

 

 陽太の頭の中で歯車が噛み合った。プラントのオーバーヒートを解決したあの夜と同じ感触だった。全体を一度に変えようとするから壊れる。小さく区切って試せばいい。加圧と排圧。制度も同じだ。

 

「規制改革の実証区域。尾道特区を指定して期間限定で三条の適用を外す。取引所はその実験装置として開く」

 

「実験という形なら反対派も呑みやすい。失敗したら元に戻せばいいだけだもの。成功すれば数字が残ってそのまま全国の制度改革に繋がる」

 

「数字で語るのは得意分野だ」

 

 構想は三日で骨組みになった。実証の期間は二年。対象は尾道特区で産出する素材に限定。取引所を通る全取引の記録を行政に開示し、混乱が生じた場合は行政の判断で即時停止できる条項まで自ら盛り込んだ。

 

「停止条項まで入れるの? 自分の首を絞めるかもしれないのよ」

 

「入れるからこそ通る。逃げ道のない実験にしか役人は判を押さない。それに」

 

 陽太は設計書の一点を叩いた。

 

「停止されない自信のある実験だけが停止条項を書ける」

 

「あと名前も決めましょう。実証区域じゃ固すぎるわ。世の中に売り込む旗が要る」

 

「それなら決めてある」

 

 陽太はホワイトボードに書いた。瀬戸内素材取引所。

 

「素っ気ないわね。あなたらしいけど」

 

「名前で稼ぐ気はない。中身で覚えてもらう」

 

 凪は笑って構想書の表紙にその名を清書した。乾いた世界に水脈を通した会社が今度は市場という水路を掘ろうとしていた。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 三日後。広島都市圏の鷹司事務所。構想を聞き終えた鷹司は腕を組んで唸った。

 

「附則の見直し条項を根拠にした実証区域。考えましたな。三条を正面から書き換えるなら国会で大戦争になる。だが実証実験の認定という形なら政府の判断で道が開ける。俺の攻めどころもあります」

 

「通せますか」

 

「楽ではない。手続きは三段の関門になるでしょう」

 

 鷹司は指を三本立てた。

 

「一つ。地元の意思。尾道特区協議会の議決。二つ。広域の承認。広島都市圏規制改革会議での可決。三つ。国の認定。この順番で積み上げてようやく実証区域が生まれる。一段でも落とせば終わりです」

 

「三段すべてにギルドが座っている」

 

「そのとおり。特に最初の協議会には尾道特区ギルドの理事長が委員として座る。あなたを一度潰し損ねた男だ」

 

「面識はあります。俺の素材を買い叩いていた側の、頂点にいた男だ」

 

「向こうもあなたをよく覚えているでしょう。底辺の探索者だったはずの男が、船会社の社長になって制度そのものを変えに来た。理事長にとっては悪夢のような話だ」

 

 鷹司は資料に目を落とし、協議会の委員名簿を指でなぞった。

 

「委員は十一人。理事長の息のかかった者が何人いるか、こちらで洗っておきます。ただ、地元の協議会は情よりも損得で動く。尾道の探索者や商店にとって取引所が得だと分かれば、票は動きます」

 

「損得なら数字で示せます」

 

「そこがあなたの強みだ。俺は正面から吠える。あなたは数字で足場を固める。役割分担といきましょう」

 

 陽太は頷いた。四年前に国が組んだ制度の中へ正面から入り込み内側から書き換える。相場の外の戦いだ。それでも原理は変わらない。歪みを見つけて突く。

 

「最初の関門はいつ開けられますか」

 

「来月の定例協議会に間に合わせましょう。議題化は俺が地元経由で仕掛けます。──湊さん。ここから先は敵の見える戦いになる。覚悟は」

 

「四年前からできています」

 

 鷹司は満足げに頷き、それから初めて声を低くした。

 

「一つだけ耳に入れておきます。日本探索者支援機構(ギルド)中央本部の後ろには与党の重鎮が何人かいる。地方の会議で勝っても最後の関門でその壁に当たる。だから地方では綺麗に勝ってください。一点の曇りもなく。中央で戦うときの弾は綺麗な勝ち方そのものです」

 

「汚い手を使えば、それが中央での弾切れになる、と」

 

「そういうことです。相手はあなたが一度でも足を滑らせるのを待っている。地方で買収の一つでも噂されれば、中央では正義の顔でそれを叩いてくる。逆に言えば」

 

 鷹司はにやりと笑った。

 

「一点の曇りもなく勝ち続ければ、最後の壁に穴を開けるのはあなた自身の勝ち方になる」

 

 事務所を出ると、都市圏の夜は思いのほか明るかった。陽太は隣を歩く凪に呟いた。

 

「綺麗に勝て、か。俺の戦い方そのものだな」

 

「ええ。搦め手には搦め手で返さない。あなたがずっとそうしてきたこと」

 

 最初の関門まで一ヶ月。潰し損ねた男が、今度は委員として正面に座っている。




狼狼狼 様 YTM 様
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ありがとうございました。

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