IR情報で読み解くダンジョン経済学   作:カトーユキヒロ

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第6話:揺さぶりと評定

 ギルド広島本部の最上階会議室。長机の上座に黒崎は着いた。

 

 居並ぶのは広島本部の幹部と尾道から呼び出された理事長である。理事長は額の汗を拭いながら経過を弁明した。協議会の敗因。東朋と病院と商工会が賛成に回った経緯。黒崎は手帳に目を落としたまま一度も相槌を打たなかった。

 

「──以上です。しかし都市圏会議では必ず」

 

「弁明は結構」

 

 声に感情はなかった。

 

「敗因は単純です。あなたは議論をした。議論には負ける可能性がある。だから私は議論をしません」

 

「は……」

 

「会議は始まる前に終わらせるものです」

 

 誰も口を挟めなかった。中央本部が各地の火消しに送り込む調整役の中でも黒崎の名は別格とされる。この男が入った案件でギルドは過去に一度も負けていない。

 

「一つ伺いたい」

 

 黒崎は初めて理事長を正面から見た。

 

「あなたは、あの湊という男をどう見ましたか」

 

「……小賢しい若造です。数字を並べて場を丸め込む口の上手い」

 

「違いますね」

 

 黒崎は静かに首を振った。

 

「口の上手い人間なら、私は恐れません。言葉で場を動かす者は、言葉で崩せる。だがあの男は言葉で動かしていない。数字と、その裏にある仕組みで動かしている。仕組みを作る人間は、厄介です」

 

 理事長が言葉に詰まった。黒崎はもう理事長を見ていなかった。

 

 黒崎は手帳を開いた。十五人の名簿が挟まれている。

 

「都市圏会議の委員は十五名。行政推薦が五。経済団体が四。学識が三。探索者と市民の代表が三。このうち固い反対は六。固い賛成は五。残る四人のうち二人は風向きで動く。そして」

 

 細い指が二つの名前の上で止まった。

 

「本田。藤岡。どちらの旗も持たない本物の中立が二人。勝敗はこの二人で決まります」

 

「買収を?」

 

 理事長の問いに黒崎は初めて顔を上げた。侮蔑とも憐憫ともつかない目だった。

 

「品のない言葉を使わないでいただきたい。人は必ず何かを恐れ何かを欲しがっています。我々はその恐れと欲に選択肢を提示するだけです。決めるのはご本人。それは買収とは呼びません」

 

 黒崎は名簿を閉じた。

 

「並行して三つ進めます。一つ。審議の引き延ばし。資料要求と手続き論で会議を空転させ相手の資金と熱を削る。二つ。世論。取引所は投機家の賭場であり学生探索者を博打に引き込むという論調を都市圏の媒体に順次。三つ。湊陽太個人の信用。あの男の経歴には必ず埃がある。週刊誌が既に動いています」

 

「……手回しの良いことで」

 

 理事長が皮肉とも感嘆ともつかない声を漏らした。黒崎は顔も上げなかった。

 

「仕事ですので」

 

 幹部の一人が恐る恐る問うた。予算はどれほど使えるのかと。黒崎は初めて笑った。笑うと余計に温度の下がる顔だった。

 

「ご心配なく。ギルドの年間予算をご存じでしょう。あちらは一社と一議員。こちらは全国組織です。消耗戦になった時点で勝敗は決まっています」

 

 黒崎は最後に理事長を見た。

 

「あなたには一つだけお願いがあります。何もしないでください。尾道で下手に動かれると設計が崩れる。監査官を使った兵糧攻めのような失敗を二度は見たくありません」

 

 理事長は屈辱に頬を染めたまま頭を下げた。この部屋の序列は最初から決まっていた。

 

 散会後。黒崎は一人会議室に残り窓から広島の街を見下ろした。手帳を開く。最初の頁には赤字で一行だけ書かれていた。感情は経費である。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 揺さぶりは三日後から着弾し始めた。

 

 最初は工員たちだった。ウォーター・ベインの工員はダンジョン内で作業するため全員が探索者資格を維持している。その更新申請が書類不備を理由に三人まとめて差し戻された。訂正して出し直せば今度は別の欄に不備が見つかる。田中が窓口に掛け合っても規則ですの一点張りだった。

 

 次は海だった。特区港湾の使用料が改定されるらしいという観測記事が業界紙に載った。名指しはされていない。だが値上げの条件を読めば瀬戸内シーライオンの主力航路だけが狙い撃ちになる書き方だった。

 

 凪の反撃は早かった。差し戻しの記録を揃えて行政不服の構えを見せると資格更新は三日で通った。役所は記録に弱い。戦いを書面に残す者が最後に勝つと凪は知っていた。

 

 現場からも報せが届いた。羽山の納品だけが査定の列で後回しにされるという。協議会で使った伝票の日付と金額から納品者が割り出されたらしい。半日待たされて素材が傷めば査定はさらに下がる。嫌がらせとしては小粒だが生活には確実に刺さる棘だった。

 

「羽山さんには済まないことをした。伝票の使用は本人の了解を取ったが矢面に立たせるつもりはなかった」

 

 陽太の声が低く沈んだ。羽山の顔が浮かぶ。劣化率6%の毛皮を納品した、腕は良いが報われない探索者。あの伝票を協議会で使ったのは陽太の判断だった。歪みを証明する何よりの一枚だったが、その代償を今、羽山一人が背負わされている。

 

「本人は笑ってましたよ。査定で嫌がらせされるってことは俺の伝票にも意味があるんすねって」

 

 田中が伝えると、陽太は少しだけ目を伏せた。

 

「……あいつの表情変わりました。社長の約束を本気で待ってます」

 

「約束、か」

 

「頑張った奴が頑張った分だけ報われる場所を作る。社長が羽山に言ったんでしょう。あいつ、あれからずっと素材の質を上げる工夫ばっかりしてるんです。値が付かないのに」

 

 陽太は拳を握った。羽山のような男が損をしない世界。それを作ると決めた以上、この嫌がらせは陽太自身への挑戦でもあった。

 

 だが陽太の胸には、もう一つ引っかかるものがあった。

 

「田中。協議会で使った伝票は二枚だ。羽山さんの11,640円の毛皮と、もう一枚。11,040円の毛皮だ」

 

「ああ……名前も分からない、あの強面の男の伝票ですね」

 

「羽山さんが特定されたなら、その男も特定されているはずだ」

 

 田中の顔が強張った。そこまで頭が回っていなかったという顔だった。

 

「調べてくれ。その場で伝票を買い取ったが、迷惑料は入れてない。放っておくわけにはいかない」

 

 二日後。田中が渋い顔で戻ってきた。

 

「割り出しました。椎名って探索者です。嫌がらせは羽山と同じで納品の後回し。ただ本人がまるで堪えてないんです。どうせ何を持ってっても変わらねぇ、後回しで傷もうが痛くも痒くもねえって、査定場で言い放ったそうで」

 

「昔はそこそこ腕の立つ探索者だったらしいんです。丁寧な仕事をする男だったって、古株が言ってました。でも何年か前から人が変わったみたいに雑になって。今じゃ数だけ狩って質は捨ててる。劣化率39%なんてのは、あいつにとっちゃ普通なんです」

 

 陽太はしばらく黙った。羽山とは正反対の男だ。片や報われないと知りながら腕を磨き続け、片や報われないと悟って腕を捨てた。同じ固定価格が生んだ二つの姿だった。

 

「会ってくる」

 

「やめといた方が。あいつ、社長のこと逆恨みしてます。はした金で伝票を晒された、有名人の売名に使われたって」

 

「なおさら会わなきゃならない。俺が使った伝票だ」

 

 ◇ ◇ ◇

 

 椎名は港の外れの安酒場にいた。まだ日も高いのに一人で杯を傾けている。

 

 陽太が名乗って頭を下げると、椎名は虚を突かれた顔をした。それから苛立たしげに杯を置いた。

 

「わざわざ社長さんが謝りに来たのか。俺の伝票で議員先生に取り入っといて」

 

「言い訳はしない。すまなかった」

 

「……謝られても困る。俺は羽山みたいに立派なもんじゃない。あの伝票の金額は、俺が手を抜いた結果だ。同情されるようなタマじゃねえよ」

 

「手を抜くようになった理由は」

 

「決まってるだろ。丁寧にやっても変わらないからだ」

 

 椎名は吐き捨てた。

 

「昔はな、俺だって一頭ずつ丁寧に処理してた。血抜きも剥ぎも時間をかけてな。だが査定はいつも同じだ。隣で雑に数を狩ってる奴の方が儲けてんだから、馬鹿らしくなった。それだけの話だ」

 

 その声の底に、拭いきれない悔しさが沈んでいた。腕を捨てた男は、惜しんでいるからこそ捨てたことにしていた。

 

「あんたの39%は、ただの手抜きの数字じゃない」

 

「あ?」

 

「俺のスキルは素材の状態を数値で読める。あの毛皮の劣化率39%は、雑に狩った個体の数字じゃない。頭を一撃で潰していた。その上で、血抜き不足と保管で劣化した数字だ。あんたは今でも、狩る時だけは手を抜いていない」

 

 椎名の手が止まった。図星だった。

 

「……見えるのかよ、そんなことまで」

 

「見える。だから言える。あんたの腕はまだ死んでいない。錆びついているだけだ」

 

 陽太は椅子に座り、椎名の正面を見た。

 

「取引所を作る。丁寧に狩った素材が、丁寧に狩った分だけ高く売れる場所だ。そこでなら、あんたの腕はもう一度値段になる」

 

「……できもしない夢を語るなよ」

 

「夢じゃない。数字で通す。あんたが試す価値があると思った時に、いつでも来てくれ。想定外の嫌がらせに巻き込んだ詫びだ。最初の一頭は、俺が正しい値で買い取る」

 

 椎名は答えなかった。ただ、杯に伸ばしかけた手を、途中で止めていた。

 

 陽太は長居せず店を出た。今日は口説き落とせなくていい。錆びた腕の男が、酒の手を止めた。それだけで種は蒔けた。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 世論の紙面にも矢は現れ始めた。都市圏の情報紙に載った論説の見出しは特区に賭場は要らないだった。学生探索者が投機に巻き込まれる懸念を煽り、識者の談話で不安を裏打ちする手際の良い記事である。その識者の経歴を凪が調べると日本探索者支援機構(ギルド)の研究会の常連だと分かった。

 

 そして事務所には週刊誌を名乗る取材申込みが届いた。湊社長の学生時代と闇市場との関わりについて。文面は慇懃で悪意は行間に沈めてあった。凪は封筒の消印と文面の癖を記録してから返信の文案を作った。戦場が増えるほど記録も増える。事務所の棚には闘いの帳簿が一冊ずつ積み上がっていった。

 

「宣戦布告ね。しかも全部が合法すれすれ」

 

 凪は三つの案件を机に並べて腕を組んだ。

 

「資格更新の件は記録がものを言ったでしょう。日付と担当者名を控えるのは今後も徹底して。港湾使用料は改定案が出た瞬間に意見書と公開質問状。週刊誌は──」

 

「受けて立つ。逃げれば書かれ放題になる」

 

「同感。ただし単独取材は受けない。書かせるなら公開の場でよ」

 

 陽太は頷いてから全員を見渡した。工員の若手には不安の色がある。

 

「いいか。敵の狙いは記事でも手数料でもない。俺たちを怒らせることだ。怒った人間は失点する。会議の場で俺たちが冷静さを欠けばそれがそのまま向こうの得点になる。だから淡々といく。全部記録して全部言い返して一度も声を荒げない」

 

 言いながら陽太は内心で敵の設計を測っていた。資格更新も港湾使用料も週刊誌も本命ではない。あれは注意を散らす囮だ。黒崎の本命はもっと静かな場所へ打ち込まれる。人の心の中に。

 

 若手の一人が手を挙げた。まだ二十歳そこそこの、去年雇い入れたばかりの工員だった。

 

「あの。俺たちにできることはないんすか。社長がこんなに叩かれてるのに、ただ働いてるだけじゃ悪い気がして」

 

 陽太はその若者を見た。かつての自分と同じ、底辺から這い上がろうとする目だった。

 

「ある。いつもどおり働いてくれ。核を摘出して数字を出す。うちの本業が揺らがないことが一番の反撃だ。敵は俺たちが本業を疎かにする瞬間を待っている」

 

「それだけでいいんすか」

 

「それが一番難しい。周りが騒いでいる時に、平常心で自分の仕事をやり切る。相場で生き残る奴はそれができる奴だけだ」

 

「地味っすねえ」

 

「地味が一番強い。相場も政治も同じだ」

 

 若手が照れ臭そうに笑い、工員たちの間に少しだけ緊張が緩んだ。陽太は内心で、この空気こそ守るべきものだと思った。敵が壊したいのはまさにこれだった。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 その夜。凪は十五人の委員名簿を机に広げていた。

 

「陽太。この二人が鍵になるわ」

 

 指が止まったのは本田と藤岡の名前だった。

 

 港湾資材卸の会社を営む本田。大学で探索者の労働環境を研究してきた藤岡。どちらの陣営にも属さない正真正銘の中立委員。

 

「本田さんは12.11の後に一度会社を畳みかけて従業員ごと踏み止まった人。義理堅くて計算高い。藤岡先生は探索者の労働環境の研究一筋。地味だけど筋が通ってる。……どちらも金では動かないわ。でも」

 

「守るものがある人間は恐怖で動く」

 

 陽太が引き取った。凪が頷く。

 

「本田さんには従業員がいる。藤岡先生には守りたい研究と学生がいる。黒崎はそこを突いてくる。買収じゃない。あなたが賛成すれば従業員や学生が困りますよ、という囁きよ」

 

「それが黒崎のやり方か。金を渡すより質が悪い」

 

「ええ。金なら証拠が残る。でも恐怖は何も残さない。本人が自分の意思で反対したように見えるの」

 

 陽太はしばらく名簿を見つめた。黒崎の顔は知らない。だが、そのやり口の輪郭ははっきりと見えた。人の弱みに選択肢を差し出し、自分の手は汚さず相手に決めさせる。

 

「なら、こっちは逆をやる」

 

「逆?」

 

「恐怖を取り除く。従業員が困らない、学生も研究も守られる。そう思ってもらえれば、二人は自分の判断で正しい方に立てる。恐怖で縛る相手には、安心で応じる」

 

 凪は少し目を見開き、それからやわらかく笑った。

 

「あなたのそういうところ、嫌いじゃないわ」

 

「だから急ぎましょう。こちらが話を聞いてもらう前に敵の楔が入ったら厄介よ」

 

「調べるのはいいが探偵の真似事はしない。表の情報と足で拾える話だけだ」

 

「私の台詞よ。それ」

 

 軽口で返しながら凪の目は笑っていなかった。名簿の十五人のうち何人が既に敵の手の中にあるのか。それはこちらからは見えない。見えない駒を数えながら指す将棋が始まろうとしていた。

 

 同じ二つの名前を敵も見つめていることを、このときの二人はまだ知らない。




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お気に入りの登録ありがとうございます。

グラタンパスタ様、イロワケカワウソ様
高評価いただき誠にありがとうございます。

また、星1、2の厳しい評価もいただきました。
真摯に受け止め精進していきたいと思います。
図々しいお願いかもしれませんが、改善点を教えていただけると嬉しいです。

今後も頑張りますので、感想・評価・お気に入り等よろしくお願いいたします。

8:50追記
修正前の物を上げてました。申し訳ございません。
ギルド連合→ギルド中央本部に修正しています。
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