IR情報で読み解くダンジョン経済学   作:カトーユキヒロ

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第12話:黒船来航

 サンダーソン・グループ。米国のダンジョン資源複合企業である。

 

 石油と穀物の商いで財を築いた一族が災害後にいち早くダンジョン開発へ舵を切り、今や資産規模は、12.11からの復興途上である日本の経済をすべて束ねたより大きいと言われる。素材の採掘から加工と取引までを一手に握る経済の巨人だった。

 

 ダンジョンの出現は日本だけの現象ではない。ただし、国によって向き合い方がまるで違った。米国のダンジョン出現数は日本の半分以下であり、社会的な混乱は比較的軽微であった。最初から魔物素材を資源と位置付け、桁違いの資本を注ぎ込んで開発を行い、産業に変えるだけの余裕があった。

 

 最初に魔石がエネルギー源であることを発見したのは、日本の国立研究所であった。しかし、米国はいち早くダンジョンを経済に落とし込んだ。素材の相場も先物の市場も米国にはとうにある。日本が固定価格で四年眠っている間に、海の向こうでは値段が世界を駆け回っていた。

 

 ダンジョン経済の旗手とも呼ばれるサンダーソン・グループ。その日本における全権代表が、広島都市圏で講演を行ったのは来日から三日後だった。

 

 会場は広島都市圏で一番大きい復興ホールだった。財界人と行政と報道で席が埋まり、立ち見には学生の姿もある。海の向こうの大物の来訪そのものが12.11以来の出来事なのだ。

 

「ハワードと申します。どうぞよろしく」

 

 壇上の男は五十絡みで、流暢すぎるほどの日本語を話した。銀髪を綺麗に撫でつけ、笑顔は開けっ放しの窓のようだった。

 

「率直に言いましょう。私は尾道の挑戦に感動しています。固定価格は資源を眠らせる。市場は資源を目覚めさせる。我々は同じ景色を見ている。日本の皆さん。市場を開くなら世界に開くべきだ。資本も技術も買い手も、海の向こうにいくらでもいます」

 

 質疑で記者が投資額の規模を尋ねた。ハワードは両手を広げてみせた。

 

「上限はありません。良い市場に上限を設けるほど無粋なことはない」

 

 講演は喝采で終わった。翌日の経済紙は好意的だった。世界が尾道を見ている。見出しの熱にどこか浮ついたものが混ざり始めていた。

 

 その講演を陽太は会場の隅で聞いていた。隣で凪が小声で呟く。

 

「上手いわね。市場を開くなら世界に、なんて。誰も反対できない正論よ」

 

「ああ。だが正論ほど、その裏を見ないと危ない。あの男は市場を開けと言いながら、開いた市場に一番大きく入ってくる者の顔をしている」

 

「あなたの取引所を、踏み台にする気かしら」

 

「踏み台か、乗っ取りか。……近いうちに本人が確かめさせてくれるだろう」

 

 陽太の予感は外れなかった。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 ハワードが尾道に現れたのは講演の二日後である。面会の申し込みは正式に取られていた。断る理由を探す間もない鮮やかさだった。

 

「素晴らしい町だ。海と坂と、働く人の顔がいい」

 

 第二工場の応接でハワードは出された茶を旨そうに飲んだ。値踏みの気配を見せない。それがかえって値踏みの深さを物語っていた。

 

 同席する凪を一瞥してハワードは目を細めた。

 

「顧問弁護士の瀬戸さんですね。買収の契約書は拝見しました。美しい仕事だ。あなたのような方が味方にいる経営者は幸運です」

 

「褒めていただくと構えたくなりますね

 

「賢明です。では構えていただいたところで、単刀直入に。サンダーソンは三つ提案します」

 

 指が三本立った。鷹司と同じ仕草なのに温度がまるで違う。

 

「一つ。取引所の運営会社への出資。四割九分で結構です。経営権はあなたに残す。二つ。決済と電子取引の仕組みの提供。石油と穀物の市場で鍛えた数十年の蓄積があります。三つ。販路です。あなたの特別競売に並ぶ最上位の素材、世界には桁の違う買い手がいますよ」

 

「魅力的な提案です」

 

 陽太は率直に認めた。事実どれも喉から手が出るほど欲しいものだった。金も仕組みも販路も、この若い市場にはまだない。四割九分の出資を受ければ、資金繰りの苦労は一夜で消える。決済の仕組みを借りれば、畑違いの事業にかかる手間も資金も要らなくなる。

 

 だからこそ危ういと分かっていた。喉の渇いた者に差し出される水には、たいてい値札が付いている。

 

「ですが一つ目はお受けできません。運営会社への出資は中立性の設計と両立しない。取引所は誰のものにもならないことで信用を保ちます。私のものにすらしないつもりです」

 

「ほう。では二つ目と三つ目は」

 

 ハワードは断られてなお、まるで応えた様子がなかった。断られることまで織り込んでいる顔だった。

 

「取引として検討します。技術の対価は使用料で。販路は買い手として市場に参加していただく形で。──サンダーソンが一参加者として最も良い品を競り落とすことを歓迎します。ですが、市場の支配者になることは歓迎しません」

 

「支配者、ね」

 

 ハワードは面白そうに顎を撫でた。

 

「ミナトさん。四割九分は経営権を渡さない数字ですよ。あなたに主導権は残る」

 

「四割九分は、一割を誰かから借りれば過半になる数字でもあります。私は相場師でした。持ち分の意味は骨身で知っている」

 

 断りの言葉を聞いてもハワードの笑顔は揺らがなかった。むしろ楽しんでいるように見えた。持ち込まれた技術提供の契約案を凪が検めると、使用料の料率を後から動かせる条項が三箇所も埋め込まれていた。

 

「気づきましたか。それに気づいた方は日本で三人目です」

 

「前の二人はどうなりました」

 

「うちと組んで大きくなりましたよ。気づく人としか長い商売はしない主義でしてね」

 

 ハワードはしばらく陽太を見つめ、それから声を上げて笑った。

 

「実に良い。公平だ。……いいでしょう。参加者として登録しましょう。あなたの市場は開かれているのでしょう?」

 

「規則の内側では、どこまでも」

 

「では規則の内側で買わせてもらう」

 

 立ち上がったハワードは、帰り際に倉庫の改装現場を見たいと言った。組み上がったばかりの競り台の骨組みを眺め、男は目を細めた。

 

「小さい。実に小さい。……だが取引所は大きさで始まるものではない。信用で始まる。ここには信用の匂いがしますよ」

 

 それから、思い出したように振り返った。

 

「ミナトさん。一つだけ忠告を」

 

 ハワードの顔から、初めて笑顔が消えた。

 

「我々は目に見える買い手だ。自由には責任が伴うことを骨の髄から知っている。だから、名を名乗り正面から来ました。厄介なのは名乗らない買い手です。この国の素材に興味を持っているのは自由の国だけではありませんよ」

 

「……名乗らない買い手」

 

「ええ。我々は市場が好きだ。ルールが好きだ。ルールの中で勝つのが好きなのです。ですが世界には、ルールごと呑み込むのを好む者もいる。あなたの開けた門は、そういう連中にとっても、ちょうどいい大きさに見えるかもしれない」

 

 言い残して、男は高級車へ乗り込んだ。

 

 世辞なのか本心なのか。おそらく両方なのだろう。去っていく車を見送りながら陽太は思った。この男は敵ではない。だが味方でもない。ただ利のある場所に正確に現れる。市場そのもののような男だった。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 黒船の余波は永田町を揺らした。

 

 評価会議では鬼頭側の委員が勢いづいた。それ見たことか。外資が来た。市場を開けば国富が流れ出す。実証は凍結すべきだ──。

 

 鬼頭は凍結論の先頭には立たなかった。ただ静かに油を注いだ。凍結とまでは申しません。ですが国民の不安には応える必要がございましょう──。自らの手は汚さず流れだけを作る。あの男の手口が見え始めていた。

 

 流れを変えたのは鷹司だった。

 

「諸君は歴史を逆さに読んでいる」

 

 国会の委員会質疑で鷹司は吼えた。

 

「黒船が来てから慌てて港を叩き壊した国がどうなったか。開国を止められた国は歴史上一つもない。選べるのは開き方だけだ。規則なき開国か規則ある開国か。実証区域はその規則を日本が自分の手で作るための装置である。外資が来るから止めるのではない。外資が来るからこそ急ぐのです」

 

 議場の空気が変わる音がした、と後に鷹司は笑った。外圧は恐怖にもなれば追い風にもなる。舵を握った者の勝ちだった。

 

 黒船を恐怖として使おうとした鬼頭に対し、鷹司は同じ黒船を追い風に変えてみせた。同じ一枚の札が、切り方次第で毒にも薬にもなる。

 

 陽太はその答弁を傍聴席で聞きながら、この盟友を得たことの幸運を噛みしめていた。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 一週間後。内閣府は規制改革実証区域の認定を発表した。

 

 期間は二年。対象は尾道特区。全取引の行政報告と緊急停止条項。そして大口取引の届出義務。日本で初めて、ダンジョン素材の自由市場が法の中に生まれた瞬間だった。

 

 認定書の写しを手にした夜、事務所では小さな祝杯が上がった。田中が泣き笑いし、一鉄が珍しく祝いの酒を注いで回った。

 

「社長。俺、四年前は査定場で安値に判を押されてた底辺探索者ですよ。それが今、国が認めた市場の立ち上げに立ち会ってる。……夢みてえだ」

 

 田中の目が赤かった。羽山から預かってきたという伝言もあった。開場したら一番乗りで角兎を並べる、それまで腕を錆びさせない、と。

 

 その場に椎名の名はなかった。だが田中がぽつりと言った。椎名さんも、酒場でこの認定の記事を読んでいるはずだ、と。錆びた腕の男が新聞をどんな顔で見ているか、陽太には少しだけ想像がついた。

 

 鷹司からの電話は祝辞より檄の方が長かった。

 

「認定はゴールじゃない。号砲です。二年後に数字で勝てなければ全部ひっくり返される。空白期間を短くするために立法も取り組まなければ。……ですが今夜くらいは飲んでください」

 

 陽太だけが窓の外の海を見ていた。祝いの輪の中で、一人だけ静かだった。

 

(三段目を越えた。ここからが本番だ。市場は作るより保つ方が難しい)

 

 妹一人を守るために泥スライムの核を拾った日から、ずいぶん遠くまで来た。あの頃は自分と小春の明日だけを考えていればよかった。今は羽山や椎名、まだ顔も知らない何万人もの探索者の明日が、この市場の上に載っている。

 

 胸の奥で二つの忠告が重なって響いていた。名乗らない買い手。合法の顔で来る脅威。鬼頭とハワード。立場の違う二人の男が、同じ方角を指差していた。

 

 海の向こう。開いた門の先。守るべきものが増えたぶん、失うわけにはいかないものも増えていた。




itinisan 様
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