IR情報で読み解くダンジョン経済学   作:カトーユキヒロ

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第15話:経済安全保障

 委員会室の傍聴席は開会前に埋まっていた。取引所の一件以来、鷹司の質疑は中継の再生数が議員随一だという。

 

 質問に立った鷹司は一枚のパネルを掲げた。

 

 取引所の台帳から起こした買い付けの推移である。名義は伏せてある。それでも五本の折れ線が同じ呼吸で動く様は誰の目にも異様だった。

 

「政府に伺う。ダンジョン産の医療用薬草と動力用魔石が特定の勢力に組織的に買い集められ、国外へ搬出されている。現行法でこれを止める規定はあるか」

 

 答弁席の官僚は書類をめくり、長い前置きの末に認めた。

 

「……未加工素材の納品義務を除き、取得後の素材の移転および輸出を直接規制する法令は現行制度上存在いたしません」

 

「では重ねて伺う。政府はこの買い集めの事実を把握していたか」

 

「個別の取引に関する答弁は差し控え──」

 

「把握する法的権限そのものが存在しないのではないかと聞いている」

 

 答弁席が沈黙した。権限がないから知らない。知らないから問題もない。四年間の論理が衆人環視の下で裸にされていた。

 

 傍聴席の陽太は、答弁に詰まる官僚の背中を見ていた。この人たちが悪いわけではない。誰も法律を作らなかっただけだ。作らせなかった誰かがいたのだとしても、それは今この場では証明できない。

 

 鷹司が壇上で息を吸う音が、傍聴席まで届いた気がした。

 

「存在しない。つまりこの国は自分の血液の行き先を知る手段を持たない。四年前に作った制度は素材を独占する仕組みであって守る仕組みではなかった。委員長、私はダンジョン資源の対外取引に届出と審査を課す新法をこの国会に提案する準備がある」

 

 質疑は各紙の一面に載った。経済安全保障。四年間誰も使わなかった言葉が急に世の中の真ん中に置かれた。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 風向きが変わったのは三日後である。

 

「予想通りですが、部会で吊るし上げを食いましてね」

 

 電話越しの鷹司の声には珍しく疲れが滲んでいた。

 

「証拠なき憶測で隣国を刺激するな。国益を弁えろ。若造が功を焦るな。……絵に描いたような正論の集中砲火です。次の質問時間も削られました」

 

 圧力は数字にも表れた。鷹司の次の質問時間は十五分から五分に削られ、党の部会では発言の順番すら回ってこなくなった。正面突破の男の前で、正面の扉が静かに閉められつつあった。

 

「鷹司さん。無理はしないでください」

 

 陽太が言うと、受話器の向こうで乾いた笑いが返ってきた。

 

「無理をしないなら、俺は最初から議員になっていない。地盤も看板も鞄もない男が、無理を通す以外に何ができます」

 

「……」

 

「それに、殴られるのには慣れています。楕円球の選手でしたのでね。倒されても、ボールだけは味方に託して倒れる。それが仕事です」

 

 その声に悲壮さはなかった。ただ、静かな覚悟だけがあった。

 

「音頭を取ったのは誰ですか」

 

「城島先生。特措法の生みの親です」

 

 鷹司の説明は簡潔だった。城島。当選十一回の与党重鎮。仙台都市圏選出。寒村の出身で鞄持ちのからの叩き上げ。12.11の冬に固定価格と配給の制度を一晩で通し、寒さと飢えから何十万人も救った英雄と言われる男。特区制度に関わる人事と予算はこの老人の判を経ずに動かないという。

 

 城島の顔は新聞で何度も見ていた。だが鷹司の語る人物像は紙面より立体的だった。派閥の長ではない。党の金庫番でもない。ただ特区制度に関わる全てがあの老人の目を通る。制度を作った者だけが持つ、地図の上の権力だった。

 

「あの冬の英雄が、なぜ今この話を潰しに来るんです」

 

「分からん」

 

 鷹司は正直に言った。

 

「俺は城島先生を尊敬していました。今でも半分は尊敬している。あの冬、誰もが死にかけていたとき、一晩で制度を作って何十万人も救った。あれは政治にしかできない仕事です。俺が政治に絶望しなかった理由の一つでもある」

 

「その人が、今は」

 

「今は、自分の作った制度を守るためなら何でもする人になった。……いや、違うな。制度を守っているんじゃない。制度に群がった連中を守っている。どこで道を間違えたのか、俺には分かりません」

 

 陽太は黙って聞いていた。善意で作られた制度が、いつのまにか誰かの財布になる。歪んだ秤の一番奥に座っているのは、かつて秤を作った男だった。

 

「湊さん。例の設立代理人の線、続けて洗ってください。俺は国会で殴られ役をやります。殴られている間は敵がよく見えるはずだ」

 

 ◇ ◇ ◇

 

 凪と大西の調査は一週間で二つの事実を積んだ。

 

 一つ。東洋振興投資の設立代理人を務めた行政書士は、城島の公設秘書を十年務めた男だった。独立後も城島の資金管理団体である政経懇話会の事務を請け負っている。

 

 二つ。その政経懇話会の政治資金収支報告書に、この一年でパーティー券の大口購入が並んでいた。購入者は名も知れぬ複数の企業。所在地を辿ると、あの貸事務所の周辺に行き着いた。

 

 収支報告書の読み合わせは深夜に及んだ。大口購入者の企業名を一つずつ登記に当てていく。三社目で凪の手が止まり、五社目で確信に変わった。所在地も設立代理人も、あの五名義と同じ土壌から生えていた。

 

「線は繋がってる。でも全部が状況証拠よ。秘書は独立した他人。パーティー券は合法。城島本人の指紋はどこにもない」

 

「黒崎と同じ造りだな。手口が組織の癖になってる」

 

「ええ。それにこれを今出せば、鷹司さんの二の舞。憶測で重鎮を撃った若造として二人まとめて潰されるわ」

 

 田中が机を叩いた。

 

「じゃあ何もできねえんですか。目の前で薬草が持っていかれてるってのに」

 

「今は、な」

 

 陽太は静かに言った。田中の怒りは正しい。だが正しい怒りで間違った手を打てば、全部が崩れる。それは栗山の紙を受け取った夜に決めたことだった。

 

「証拠が半分の状態で撃てば、向こうは半分だけ切り捨てて生き延びる。秘書一人が責任を取って終わりだ。そして二度と同じ尻尾は掴めなくなる」

 

「じゃあ、いつ撃つんです」

 

「言い逃れができなくなった時だ。それまでは、俺たちが撃たれ続ける」

 

 切り札はまだ切れない。金庫の中の紙が増えただけだった。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 同じ頃。東京の料亭の奥座敷に二人の男がいた。

 

「鷹司の坊やは元気がいいのう」

 

 盃を置いた老人が笑った。城島である。座敷の下座で鬼頭は静かに酌をした。

 

「威勢は買います。ですが新法は困る。届出と審査が入れば東洋振興の仕事が続きません。あちらのお客様は納期に厳しい」

 

「分かっとる。部会で首根っこは押さえた。じゃが世論が煩い。あの取引所の台帳とやらのせいで、見えんでよいものが見え過ぎる。若造の玩具と思うておったがな。台帳というのは思ったより煩いのう」

 

「ええ。ですから止めるのです。彼らが一番誇る安全装置で」

 

 鬼頭は盃を満たしながら事もなげに言った。

 

「買い付けの足をあと二月速めます。医療用の薬草を先に。品薄になれば病院が悲鳴を上げ、世論は市場の失敗を叫びます。実証区域の認定には緊急停止の条項がございましてな。混乱が生じた場合、行政の判断で市場を止められる」

 

「……ほう。あの若造が自分で入れた条項か」

 

「はい。自分の書いた安全装置で自分の市場が止まる。美しい絵だと思いませんか。市場が死ねば素材は元の窓口に戻ります。先生の取り分もこれまで通りに」

 

「……薬が足りんようになれば、死人が出るぞ」

 

 城島の声が、初めてわずかに低くなった。

 

「一時的な品薄でございます。市場が止まれば配給に戻り、供給は安定いたします。……先生。あの冬、先生は何十万人を飢えと寒さから救われた。今また同じことをなさるだけです。混乱を鎮め、秩序を取り戻す。先生にしかできぬお仕事かと」

 

 鬼頭の声には、少しの熱もなかった。人の命を救う話も潰す話も、この男の口から出ると同じ温度をしていた。

 

 老人はしばらく黙って盃を眺めていた。皺の刻まれた手が、わずかに震えていた。あの冬、一晩で制度を作った手だった。

 

「……鬼頭よ。お前は昔から、算盤の音しかせん男じゃな」

 

「恐れ入ります」

 

「褒めておらん」

 

 城島は盃を干した。それきり、何も言わなかった。

 

 座敷を辞した鬼頭は、廊下で待つ黒崎に短く告げた。

 

「買い付けは二月前倒し。名義の予備も起こしておきなさい」

 

 ◇ ◇ ◇

 

 翌週にはセリ場の空気が変わり始めた。薬草の台に載る札が跳ね上がり、病院の調達係が青い顔で予算表を睨む。

 

「社長。これ、おかしいっすよ」

 

 田中が血相を変えて事務所に駆け込んできた。

 

「薬草の値が、先週の三倍です。病院が競り負けてる。……ウチの市場で、病院が薬を買えなくなってるんです」

 

 陽太は言葉を失った。この市場は、品質と需要を正しく値段に映すために作った。今、その正しさが、病院から薬を奪っている。

 

 競り負けた調達係の肩を、羽山が黙って叩く姿があった。何を言えばいいのか、探索者代表も分からずにいた。

 

 市場は正直だ。正直すぎて、仕組まれた需要にも正直に応えてしまう。

 

(……俺の作った秤が、人を殺しかけている)

 

 背筋が凍った。四年前、固定価格が生まれたあの冬。値段も秩序もない奪い合いで人が死んだと聞いた。その景色を、今度は自分の市場が作ろうとしていた。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 一週間後。特区総合病院から取引所の運営委員会に一通の文書が届いた。

 

 医療用薬草の在庫が急速に逼迫している。原因は市場での継続的な買い負けである。至急の対応を求む──。

 

 文書を読み上げる凪の声は硬かった。

 

「陽太。これ、実証区域の緊急停止条項の発動要件を満たしかけてる。混乱が生じた場合、行政の判断で市場を止められる。……あなたが自分で入れた条項よ」

 

「ああ」

 

 陽太は自分の書いた設計書を思い出した。停止されない自信のある実験だけが停止条項を書ける。鷹司の前でそう言い切った自分を、今は殴りたかった。

 

「敵は、市場を止めるために市場を使っている」

 

 凪の言葉が事務所に重く落ちた。

 

 四年前に固定価格が生まれたあの冬の景色を、今度は人の手で作ろうとしていた。そして市場が死ねば、素材は元の窓口へ戻る。歪んだ秤が、何ごともなかったように返り咲く。

 

 混乱は始まっていた。設計図どおりに。敵の。




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