IR情報で読み解くダンジョン経済学   作:カトーユキヒロ

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第18話:旧大陸からの使者

 欧州国際資源評議会。その正体を凪が調べ上げるのに三日かかった。

 

 母体は欧州各国のダンジョン資源財閥と老舗取引所の連合体である。災害後の混乱期に国ごとにばらばらだった素材の等級と検査と決済の仕組みを、一つの規格に束ね上げた。今や欧州圏で素材を商うには評議会の認証が事実上の通行証だという。

 

「書簡の中身を要約するとこう。おたくの等級認証は国際規格と適合しない。適合審査を受けなさい。審査と認証は評議会の指定機関が行う。費用はそちら持ち。……ご丁寧に追伸まであるわ。不適合のままなら評議会加盟圏への流通で尾道産の等級表示は一切認めないって」

 

「断れば締め出し。受ければ首輪か」

 

「そういうこと。しかも法律じゃないから政府も抗議しにくい。民間の規格団体が民間の基準を運用しているだけという建前だもの」

 

 届いた書簡は上質の紙に紋章の透かし入りだった。文面は丁寧で慇懃で、それでいて一分の交渉の余地も匂わせなかった。

 

 委員会は書簡の写しを回覧して沈黙した。

 

 羽山が紙を裏返し、また表に戻した。読めない外国語ではない。丁寧すぎる日本語で書かれている。だからこそ、何を言われているのか分かるまでに時間がかかった。

 

「これ……要するに、うちの等級印は世界じゃ通用しねえって話ですか」

 

「そうよ。しかも通用させたければ、あちらの言うとおりにしろ、と」

 

 最初に口を開いたのは本田だった。

 

「商売人の目で言わせてもらうがの。これは新しい取引先が持ってくる顔の文章じゃない。債権者の顔じゃ。まだ一円も貸しとらんくせに」

 

 力は札束で来た。次の敵は判子で来る。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 使節は一週間後に来日した。

 

 クローネの一行は広島の宿を取らず、尾道の古い旅館に入ったという。畳の宿を所望したらしい。敵情の視察か本物の敬意か。おそらく両方だろうと凪は言った。

 

 評議会常任理事クローネ。銀縁の眼鏡に一分の隙もない身なりの老紳士である。通訳を連れていたがほとんど使わなかった。話す日本語は硬質だが正確だった。

 

「はるばる旧大陸から参りました。まず敬意を。噂によると、構想から半年程度でこの市場を建てたとか。その手腕は賞賛に値します」

 

 取引所の視察でクローネはセリを長く眺め、台帳の仕組みを細かく質問した。途中、競り落とされた毛皮の伝票を手に取って目を細めた。

 

「売り手の名が入るのですね」

 

「腕に名が付く市場です」

 

「……ふむ。良い思想だ。思想だけは」

 

 思想だけは、という一言に棘があった。だが不思議と侮蔑の響きはない。この老人は本当に思想を評価し、そして本当にそれ以外を評価していないのだった。

 

 陽太はクローネの目を追った。セリを見る目でも、台帳を見る目でもない。この老紳士が見ているのは、仕組みの継ぎ目だった。どこが人の手に依存し、どこが機械的に回っているか。それだけを正確に選り分けている。

 

(この人は、市場を見に来たんじゃない。急所を探しに来ている)

 

 そして老紳士は鑑定室の前で足を止めた。

 

「ここが問題です」

 

 老紳士は等級印を指した。

 

「貴市場の等級は、ミナト氏個人のアビリティによる判定を最終の根拠としている。相違ありませんか」

 

「特別競売の真贋保証は私のアビリティです。日々のセリの等級は鑑定人の目視と照合を──」

 

「つまり頂点は個人です。ミナトさん。規格とは何か、ご存じですか」

 

 クローネは眼鏡を押し上げた。

 

「誰がやっても同じ結果が出ること。人が代わっても壊れないこと。あなたが明日倒れたら、この市場の信用はどうなります。あなたのアビリティは強力だが、私が検証できますか。できない。検証できないものを文明は信用と呼びません。属人の技と呼びます」

 

 一度も声を荒げない。それでいて一言ずつが正確に急所へ届いた。

 

 陽太はすぐに反論できなかった。

 

 黒崎の恐怖には正攻法で応じられた。鬼頭の取り込みには数字で応じられた。だがこの老人が突いているのは、敵の理屈ではない。こちらの設計の穴だった。反論しようとするたび、自分の内側から「その通りだ」という声が返ってくる。

 

(俺が明日倒れたら、この市場は──)

 

 考えたことがなかった。アビリティが当たり前になっていて、完全に盲点だった。

 

「評議会の提案は温情です。我々の認証機関を受け入れなさい。等級は我々の検査員が付け直す。さすれば貴市場の品は明日から世界で売れる。東アジアで最初の公認市場という栄誉も付きます」

 

「等級の決定権を外に渡せと」

 

「権威に預けると言っていただきたい。若い市場が老いた権威に預ける。ごく自然な秩序でしょう」

 

 クローネは帽子を取って一礼した。

 

「二週間後に公開の協議の席を設けます。そこでご回答を。……良い市場だ。だからこそ、正しい鎖に繋がれるべきです」

 

 ◇ ◇ ◇

 

 委員会でも意見は割れた。東アジア初の公認という栄誉を取るべきだという声。等級の決定権を渡せば市場の背骨を抜かれるという声。

 

「わしは反対じゃ」

 

 本田が机を叩いた。

 

「等級を人任せにするいうんは、目利きを人任せにするいうことじゃ。商売人が自分の目を捨てて何が残る」

 

「ですが本田さん。世界で売れなければ、探索者の稼ぎも増えません」

 

 買い手代表の言葉にも理があった。羽山が黙り込む。探索者代表として、仲間の稼ぎを増やすのが仕事だ。だが等級を売り渡した市場で、腕に名が付くと言えるのか。

 

 議論を引き取ったのは藤岡だった。

 

「二週間あります。感情ではなく設計で答えましょう」

 

 クローネの来訪は各紙が報じた。論調は割れた。国際標準に乗り遅れるなという声。日本の市場を外圧から守れという声。黒船のときの議論が、今度は権威の顔で繰り返されていた。

 

 気になる報せも届いた。クローネの来日日程を調整した招聘元の一つに、ギルド中央本部の名が入っていたという。鬼頭の算盤は、もう次の局面を弾き始めていたのだ。

 

 鷹司からの電話は珍しく歯切れが悪かった。

 

「厄介ですよ。今度のは。相手は国じゃない。民間の規格団体だ。外交でも法律でも殴れない。永田町にできることがほとんどない」

 

「つまり今回は、市場が自分で戦うしかない」

 

「そういうことです。……すまないが、今回俺はフィールドに立てそうにない」

 

「謝らないでください。これは俺の持ち場です」

 

 電話の向こうで、鷹司が息を吐く音がした。

 

「湊さん。一つだけ。あの人たちは百年以上、規格を作ってきた連中です。先端技術が米国や日本、中国で生まれるようになっても、規格を作ることで生きながらえてきた化け物だ。理屈で勝とうとしても、たぶん勝てない。理屈の量が違いすぎる」

 

「では、どうしろと」

 

「それは分かりません。……ただ、あなたは相場で化け物と何度も向き合ってきた男だ。化け物に勝つ方法は、化け物になることじゃないでしょう」

 

 その言葉が、妙に耳に残った。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 この日の夜。事務所で陽太は珍しく言葉が少なかった。

 

「……図星なんだ。凪」

 

検査官(インスペクター)スキルのこと?」

 

「ああ。この市場の信用の土台は俺のアビリティだ。俺は独占しないと言い続けてきた。運営も価格も等級の判定さえ委員会に渡したつもりでいた。だが一番深いところ、等級の最終保証だけは俺個人に残っていた。残していたことに気づいてすらいなかった」

 

「陽太……」

 

「クローネの言うとおりだ。俺が倒れればこの市場は信用ごと倒れる。そんなものは制度じゃない。──皮肉だな。一番遠くから来た敵が、一番深い急所を教えてくれた」

 

「一つだけ言わせて。気づいていなかったのはあなただけじゃないわ。私も委員会も誰も気づかなかった。あなたのスキルが正確すぎて、疑う機会そのものがなかったのよ」

 

「慰めか」

 

「分析よ。正確すぎる基準は制度の目を曇らせる。これも規格作りの教訓に入れるべきね」

 

 凪は湯呑みを陽太の前に置いた。

 

「ねえ陽太。あなた、自分のスキルを一度も特別だと思ったことがないでしょう」

 

「便利な道具だと思ってた」

 

「認識のギャップが深刻ね。私を含めてあなたのスキルを近くで見た人は、神の御業か何かだと思ってるわよ。東朋のエンジニアとかつむつむとか」

 

「それは言い過ぎじゃないか?」

 

「言い過ぎじゃないわ。あなたにとっては当たり前でも、他の人には再現できない奇跡よ。だからこそ、誰も検証できない」

 

 陽太は湯呑みを見つめた。泥スライムの核を拾ったあの日から、この目は一度も自分を裏切らなかった。だからこそ疑わなかった。疑う理由がなかった。

 

(俺は、自分の目だけは委員会に渡していなかった)

 

 沈黙を破ったのは階段の足音だった。鑑定室から上がってきた栗山が、風呂敷包みを机に置いた。

 

「お話は聞こえておりました。湊社長。目利きの技は言葉にできますぞ」

 

 包みの中身は分厚い帳面の束だった。

 

「査定場での四年間、私は判を押した理由を毎日書き留めてまいりました。色。艶。匂い。手触り。重さの狂い。あちらさんの言う属人の技とやらを、紙に写し続けた四年分でございます」

 

 陽太は帳面を一冊、手に取った。

 

 几帳面な字がびっしりと並んでいる。角兎の毛皮。良。冬毛の密度が高く、脇腹の毛流れが揃う。ただし血抜きの遅れにより根元にわずかな濁り。──劣化の兆候は根元から出る。

 

 次の頁。次の頁。四年分。二千を超える記述。

 

「なぜ、こんなものを」

 

「規定が変わらぬのなら、せめて理由だけは残そうと思いましてな」

 

 栗山は静かに言った。

 

「安値の判を押すたび、私はなぜこの品が良いのかを書きました。誰に見せるあてもございません。ただ、書いておかねば、私の目が死んでしまう気がしたのです。……四年間、これだけが私の抵抗でした」

 

 陽太は帳面から目を上げられなかった。

 

 この男は査定台の内側で、たった一人で歪んだ秤に抗い続けていた。判を押す手は止められなかった。だが、目だけは売らなかった。

 

 目利きの記録。検査官(インスペクター)の数値。二つが机の上で並んだとき、陽太の頭の中で歯車の噛み合う音がした。

 

 スキルは数値を出す。だがなぜその数値になるのかを語れない。栗山の帳面は言葉で語る。だが数値の裏付けがない。片方だけでは規格にならない。だが二つを突き合わせれば──

 

(属人の技が言葉になる。言葉になれば誰でも使える)

 

「栗山さん。あなたの四年と俺のスキルで規格を作りましょう。誰がやっても同じ結果の出る、うちの規格を」




カオ 様 OTOR 様 九八 様 みゃあ ありす 様
お気に入りに登録いただきありがとうございます。
ここ数日忙しくて反応できず申し訳ありません。

シナリオP91_4_◆イベント様におかれましては、評価もしていただき、
本当にありがとうございます。

今後も頑張りますので、お気に入り、評価、感想いただければ幸いです。
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