IR情報で読み解くダンジョン経済学   作:カトーユキヒロ

65 / 65
第19話:第三の道

 選択肢は三つあると凪は整理した。

 

「一つ。拒否する。欧州の市場を失うけど独立は守れる。鎖国ね。二つ。受け入れる。世界で売れるようになるけど等級の決定権を外に渡す。植民地ね。そして三つ──」

 

「第三の道。対等の相互承認だ。うちの規格とあちらの規格を互いに認め合う」

 

「言うのは簡単よ。相互承認は規格同士の条約。こちらに文書化された規格がなければ土俵にすら上がれない。今あるのはあなたのスキルと栗山さんの帳面だけ」

 

「規格はこれから作る」

 

「二週間で? 欧州が百年かけたものを?」

 

 凪の声には呆れと、それを上回る何かが混じっていた。

 

「百年かけたのは、ゼロから手探りしたからだ。俺たちには答えがある。栗山さんの四年分の帳面と、俺の目だ。あとは翻訳するだけだ」

 

「翻訳」

 

「そうだ。ないものを作るんじゃない。あるものを、誰にでも読める言葉に置き換える。それなら二週間でできる」

 

 凪はしばらく陽太を見て、それから机の日程表を引き寄せた。もう反論はしなかった。

 

「わかった。なら二週間で作りましょう。私たちならできる」

 

 回答の期限まで十四日。事務所の壁に日めくりが貼られ、毎朝一枚ずつ剥がされていった。

 

 プロジェクトは三本立てで走り出した。

 

 一本目は藤岡の研究室が担った。栗山ら目利き三人の判定と検査官(インスペクター)スキルの判定を突き合わせる検証である。同じ素材百点を判定させ、一致率を測る。数値で語れる項目と語れない項目を切り分ける。研究室の院生たちは徹夜を苦にしなかった。読まれない紀要を書き続けた研究室に、今度は世界を相手にする仕事が来たのだ。

 

 二本目は機器だった。つむつむの事前実験で検査官(インスペクター)スキルで表示される劣化率は、水分と魔素残量の測定で近似できることが判明した。その実験結果を基に、東朋マテリアルが計測器の試作を三日で仕上げてきた。木崎は納品書に一筆添えてきた。国際規格の共同開発者の座で手を打ちましょう、と。

 

「ちゃっかりしてるわね」

 

「大企業はこうでなくちゃ困る。共犯者は多いほどいい」

 

 陽太は納品書の一筆を眺めて笑った。かつて自分に首を持っていかれかけた男が、今は自ら共犯者の席を求めてくる。

 

 三日で計測器を仕上げてきたのも、恩でも義理でもないだろう。この規格が世界標準になれば、計測器を作った東朋が最初に儲かる。木崎はそう計算している。

 

(それでいい。善意より計算の方が長持ちする)

 

 東朋の計測器は検査官(インスペクター)との照合で癖を洗い出された。水分の多い素材では数値が甘く出る。魔石の高等級では辛く出る。癖は補正表にまとめられ、補正表もまた規格の一部になった。機械もまた、目利きに育てられていった。

 

 三本目は文書化である。栗山の四年分の帳面から判定の基準を条文に起こす作業だ。色艶の基準は色見本の番号に。手触りは器具の目盛りに。匂いは成分の数値に。目利きの言葉が一つずつ、誰にでも読める規格の言葉へ翻訳されていった。

 

「妙な気分でございますなあ」

 

 深夜の作業場で栗山が呟いた。

 

「目利きの技は盗んで覚えろと言われて育ちました。それを世界中の誰でも読める紙にしとる。師匠が見たら卒倒しますわ」

 

「公開を取りやめますか?」

 

「まさか。技を隠して守れるのは技だけです。紙にして開けば市場ごと守れる。……娘にも言えますしな。父ちゃんの目は世界の物差しになったと」

 

 陽太は帳面を繰る栗山の手を見ていた。四年間、歪んだ秤に判を押し続けた手だ。その同じ手が、今は世界の物差しを刻んでいる。

 

「栗山さん。一つだけ聞かせてください」

 

「なんでございましょう」

 

「悔しくないですか。この規格が完成すれば、あなたの技を、経験の浅い若い連中でも使えるようになる。四年かけて磨いた目が、紙一枚に化ける」

 

 栗山は手を止め、それからゆっくりと笑った。

 

「湊社長。目利きの誇りというのはですな、自分だけが分かることではございません。……良い品に、正しい値が付くことでございます」

 

 その一言に、陽太は言葉を失った。

 

「若い衆が私の紙を読んで、良い品に正しい値を付ける。それを見て死ねるなら、目利き冥利に尽きますわ」

 

 検証の現場は静かな熱気に包まれた。番号だけを振られた素材が台に並び、栗山たちが一点ずつ判を置いていく。別室では陽太が同じ素材に視線を走らせた。

 

検査官(インスペクター):緋薬草 / 劣化率:2% / 有効成分残存:96% 】

 

 双方の判定は封をして藤岡の研究室へ運ばれる。突き合わせの瞬間だけは、部屋の全員が息を止めた。

 

 検証用の素材集めには羽山や椎名たちが走り回った。等級の分布に偏りが出ないよう、上物からくず物まで満遍なく揃える。くず物の調達は任せてくれと椎名は苦笑いした。昔の俺の隣にいくらでも積んである。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 検証の結果は五日目に出た。藤岡の声は電話越しでも上ずっていた。

 

「一致率97%です。しかも不一致だった3%を精査したら、全て目視側の誤りでした。湊さん、あなたのスキルは基準器になります。規格の世界で言う原器です。個人の技ではなく、規格全体を校正する物差しとして位置づけられる」

 

 属人だから駄目なのではない。属人のままにしておくから駄目なのだ。

 

 受話器を握ったまま、陽太はしばらく動けなかった。

 

 原器。世界のどこかに一つだけ置かれ、他の全ての物差しがそれに合わせて校正される、基準の中の基準。

 

 自分の目がそれになる。原器は日々の計測には使われない。倉庫の奥で静かに眠り、時折、他の物差しの狂いを正すためだけに取り出される。

 

(これで、完全に俺の手から市場が離れるんだな)

 

 寂しさはあった。だがそれ以上に、正しさがあった。市場が自分を必要としなくなる日。それこそが、この半年間目指してきた場所だったはずだ。

 

 設計は一気に固まった。 検査官(インスペクター)スキルの判定を頂点の基準器に置く。日々の等級は機器と有資格の鑑定人が付ける。鑑定人の資格試験と定期の照合検査は運営委員会が司る。陽太が明日倒れても、明後日の等級は同じ物差しで付けられる。

 

 瀬戸内等級規格。委員会の議決でそう名付けられた。制定の主体は湊陽太ではない。運営委員会である。

 

 鑑定人資格の一期生には栗山の推す目利き二人に加え、若手の探索者や仲買人の名が並んだ。技が資格になり、資格が職になる。市場は値段だけでなく仕事まで生み始めていた。

 

「これでいい」

 

 規格書の表紙に委員会の印が押されるのを見届けて、陽太は静かに言った。

 

「取引所を作ったとき、価格と運営を手放した。今日、等級を手放した。これで本当にこの市場は誰のものでもなくなった」

 

「寂しい?」

 

「多少はある。でも、軽くなった」

 

 陽太は規格書の表紙を撫でた。制定者の欄に自分の名はない。運営委員会とだけある。

 

「この四年間、俺は手札を隠すのが仕事だった。誰も知らない情報を握って、握っている間だけ勝てた。……握るのをやめたのは、これが初めてだ」

 

「怖くないの? 手札がなくなるのよ」

 

「問題ない。手札を配ってしまえば、盤ごと自分のものになる」

 

 凪は少し目を見開き、それから笑った。

 

「やっぱり相場師ね、あなた」

 

 ◇ ◇ ◇

 

 公開協議の三日前、陽太は一本の国際電話をかけた。

 

「ハワードさん。貸しを返す機会と新しい貸しを作る機会、どちらの話がお好みですか」

 

「両方に決まっているでしょう」

 

 事情を聞き終えたハワードは受話器の向こうで笑った。

 

「クローネ卿ですか。よく知っていますよ。規格で大陸と大陸で商売する部外者を締め上げてきた古狸だ。……いいでしょう。協議の当日、公開の席でうちの購買方針を発表しましょう。瀬戸内等級規格をサンダーソンは自社の購買基準として採用する。欧州が扉を閉めるならうちが全部買う。それだけで卿の椅子は半分燃えます」

 

「恩に着ます」

 

「なに、良い市場への投資です。それにねミナトさん。権威と権威をぶつけて漁夫の利を取る。あなたもだいぶ悪い顔になってきましたね」

 

「相場師の顔に戻っただけですよ」

 

「結構。……ミナトさん。一つだけ確認しても? あなたの規格、本当に誰でも使えるのですか」

 

「使えます。試験に受かれば、明日からでも」

 

「では、うちの検査員にも受けさせましょう」

 

 ハワードの声から、笑いが消えていた。

 

「我々は世界中の市場で規格を押し付けられ、そのたびに金を払ってきました。……初めてです。金を払わずに受け取れる規格は」

 

「うちは通行料を取らない主義でして」

 

「その主義で世界が回るなら、私は喜んで失業しますよ」

 

 通話を切ると凪が呆れ顔で言った。

 

「借りがまた増えたわね。あの人に」

 

「ああ。だが金の借りじゃない。市場の借りだ。市場の借りは市場で返せる。良い品を出し続ければいい」

 

「緊張してる?」

 

「してる。だが良い緊張だ。負けても俺一人の負けじゃない代わりに、勝てば全員の勝ちになる」

 

 ◇ ◇ ◇

 

 協議の前夜。閉場後の取引所の黒板の前に、委員たちが自然と集まっていた。

 

 誰が呼んだわけでもない。ただ、明日を前にして、この場所に来ずにいられなかった。

 

 藤岡は規格書を抱えている。栗山は四年分の帳面を。羽山は現場の探索者百人分の署名を。本田は買い手側の賛同書を。それぞれの紙が、それぞれの四年間だった。

 

「一つだけ、確認させてください」

 

 藤岡が口を開いた。委員長としてではなく、一人の研究者としての顔だった。

 

「明日、もし負けたら。この規格はどうなりますか」

 

「規格は残ります」

 

 陽太は即答した。

 

「欧州が認めなくてもこの規格は正しい。正しいものはいつか必ず認められる。……時間はかかるでしょうが」

 

 陽太は周りを見渡して、一人一人の顔を見た。

 

「時間がかかっても待てますか」

 

「待ちます。四年待ったんだ。あと少しくらい、どーってこたないっすよ。」

 

 羽山が笑った。田中も笑った。栗山が静かに頷いた。

 

「明日は俺一人が戦うんじゃありません」

 

 陽太は黒板を背に全員を見渡した。

 

 この場所に立つ一人ひとりに、四年間があった。値が付かない毛皮を担いだ日々。誰にも読まれない論文。査定台の内側の孤独。畳みかけた会社。腕を捨てた男。全部が、明日、一枚の規格書になって世界と向き合う。

 

「規格書が戦う。帳面が戦う。署名が戦う。──この市場が、市場ごと戦う。全員で行きましょう」




バベル 様 Noir15 様 YTM 様
お気に入り登録ありがとうございます。

お読みいただきありがとうございました。
今後も頑張りますので、よろしくお願いいたします。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

リーガル・レジスタンス 〜ファンタジー世界で立憲国家を求める〜 (作者:ムササビ・モマ)(オリジナルファンタジー/戦記)

【あらすじ】▼黒髪赤眼の「忌み子」として生を受けた第二王子リュート。前世の法曹としての記憶を持つ彼は、狂った血統主義と特権階級の傲慢さが支配するこの国で、息を潜めて生きていた。▼だが、貴族たちの理不尽な悪意が彼のささやかな居場所を無残に蹂躙した時、絶望の淵で、少年の中に眠る冷酷な怪物が目を覚ます。▼剣も魔法も使わない。彼が選んだ復讐の刃は、前世の知識である「…


総合評価:223/評価:7.27/連載:382話/更新日時:2026年07月27日(月) 12:00 小説情報

拓銀令嬢世界で女神転生のデビルサマナーをするのはちょっと大変(作者:一宮 千歳)(原作:現代社会で乙女ゲームの悪役令嬢をするのはちょっと大変)

拓銀令嬢の原作で語られる政争と陰謀をほぼ全部悪魔のせいにしていくスタイル(本当に?)のタイトル一本釣りモノとなります。よろしくお願いします。


総合評価:815/評価:8.26/連載:12話/更新日時:2026年07月19日(日) 14:51 小説情報

オホーツクの暁鐘 ~アイヌと極寒の諸民族を導き巨大連邦国家を創る~(作者:サウス)(オリジナル歴史/戦記)

あと十数年で「シャクシャインの戦い」が起き、アイヌは松前藩の圧倒的な武力と騙し討ちの前に敗北し、終わりのない搾取が始まってしまう——。▼バブル崩壊で実家の会社が倒産し、氷河期のブラック企業で「経理・総務」として血を吐くような労働の末に過労死した男。▼彼が目を覚ましたのは、1650年代のアイヌモシㇼ(北海道)——小さなコタン(村)の跡継ぎとしてだった。▼歴史知…


総合評価:1379/評価:8.73/連載:57話/更新日時:2026年07月23日(木) 07:15 小説情報

ウチの庭にダンジョンがあります(作者:ShilonkS)(オリジナル現代/冒険・バトル)

 棟区(むねまち) 秋水(しゅうすい)という少年が暮らしている家の庭に、モンスターの跋扈するロクでもないダンジョンがある。▼ 不思議なことが起こるダンジョンに、殺意ありで襲いかかるモンスター。▼ どうする。逃げるか。通報するか。引っ越すか。▼ とんでもない。▼ 殺し合いが出来るだなんて最高じゃないか。▼ これはダンジョンを探索し、嬉々としてモンスターをぶっ殺…


総合評価:3432/評価:8.31/連載:285話/更新日時:2026年07月25日(土) 18:00 小説情報

ドールマスターヒロシ(作者:我島甲太郎)(オリジナルSF/冒険・バトル)

人形使いは木製のマネキン人形を召喚して戦わせる職業だ。▼ゴーレムより脆く、精霊よりも火力がない木偶人形にも一つだけ利点があった。▼それはレベルを上げていけば、人間並みの知能を得られるということ。▼――なら、人工声帯とオナホ仕込んで嫁にするしかないよね。▼そんな性欲に脳を犯された猿どものせいで風評被害に塗れたとある人形使いの少年は、ある日に飛び降り自殺を図って…


総合評価:1764/評価:8.39/連載:70話/更新日時:2026年07月27日(月) 18:00 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>