IR情報で読み解くダンジョン経済学   作:カトーユキヒロ

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第6話:合成酒と、日給5万円の片腕職人

 尾道特区の裏路地。新・北前船がもたらす富でギラギラと輝く港湾部から少し外れた、うらぶれた歓楽街。

 

 スラムとまではいかないが、その日暮らしの探索者や荷役労働者が集まる治安の悪いエリアに、赤提灯を下げる大衆食堂平山はあった。

 

 店内には、ツンと鼻を突く安価なアルコールの匂いと、焦げたタレの香りが充満している。

 

 気候激変と降水量の減少による食糧危機で、まともな肉や野菜は一般市場からほとんど消え去ってしまった。現在の主流は、工場栽培の大豆を原料とした合成肉(ダイズミート)やコオロギ粉末の成形肉、そしてダンジョンから供給される可食モンスターの肉だ。

 

 店の一角。油で黒ずんだカウンター席で、男が一人、合成焼酎が入ったグラスを傾けていた。

 

 村上(むらかみ) 一鉄(いってつ)

 

 白髪交じりの短髪に、深い皺が刻まれた厳つい顔つき。かつては尾道の造船所で名を馳せた多能工の職人だったが、ダンジョン発生時の事故で右腕の肘から先を失っている。

 

 今はその右腕に、無骨な真鍮色の義手を接続していた。

 

「親父、コオロギのつくねと、ダンジョンボアのモツ煮。あと合成酒のロックだ」

 

 陽太は一鉄の隣の丸椅子に腰を下ろし、店主に向けて注文を投げた。

 

 一鉄は隣に座った若い男をチラリと一瞥したが、すぐに興味を失ったように視線を合成酒へ戻す。

 

「……ここは学生が来るような店じゃねえぞ、坊主。火傷する前に、表の大通りに帰りな」

 

 しゃがれた、ドスの効いた声。

 

 陽太は運ばれてきた合成酒のグラスを手に取ると、一鉄に向けて軽く掲げた。

 

「俺は学生じゃありません。あなたと同じ、泥にまみれる探索者ですよ。……村上一鉄さん。かつて1ミリの誤差もない神の手と評された、造船所の特級溶接工」

 

 ピタリ、と一鉄のグラスが止まった。

 

「……誰だ、てめえは」

 

「底辺探索者兼株式会社ウォーター・ベイン社長の湊です。仕事(ビジネス)のオファーに来ました。俺の会社の、生産ラインのトップになってほしい」

 

「ハッ。からかってんのか?」

 

 一鉄は自嘲するような笑みを浮かべた。

 

「俺は造船所をクビになった鉄屑だぜ。今は適当なダンジョンの浅層で、残った片手でゴブリンを狩るのが関の山の老いぼれだぞ」

 

「ええ、事情は知ってます。退職金で高性能義手を手に入れようとして詐欺にあったことも、そのせいで娘さんの高校の学費が厳しいことも」

 

「喧嘩売ってんのかテメェ!」

 

 一鉄は右腕の義手をガチャンとテーブルに叩きつけた。

 

「クソッ……そうだよ! 俺はろくでなしの父親だ! 有りもしねぇ義手に娘の学費も突っ込んじまった。摑まされたのは、指も満足に動きゃしねえポンコツだ……」

 

「だが、あなたの本当の凄さも俺は知っている」

 

 陽太は真っ直ぐに一鉄の目を見据えた。

 

「重さのバランスも狂っているポンコツの義手をあえて支点にし、残された左手と、何十年も体に染み込んだ職人の重心移動だけで、対象の急所をミリ単位で捉えている。……ダンジョンの素材を、一切の傷をつけずに無傷の状態で解体できるのは、この特区であなたの経験(ぎじゅつ)だけだ」

 

 陽太の言葉に、一鉄の目が微かに見開かれた。

 

 ただのポンコツを抱えながら、己の経験と意地だけで精度を保ち続けている──その血の滲むような技巧を、なぜこの若造が見抜いているのか。

 

「俺が欲しいのは、泥スライムの核です。それも、表面に傷一つない、完璧な状態のものだけ。それを、週に500個」

 

「泥スライムだと? あの10円のゴミをか? ……しかも傷なしで週500。頭がイカれてんのか、坊主。あんな脆いモン、ちょっとでも刃先がブレりゃ一瞬で傷モノになるんだぞ」

 

「ええ。だから、神の手を持つあなたをスカウトしに来たんです。日給は──5万でいかがです?」

 

「……は?」

 

 一鉄の口から、間抜けな声が漏れた。

 

 底辺探索者の平均日給が1万円行けば御の字のこの世界で、日給5万円。一ヶ月休まず働けば150万円という、狂ったような好条件だ。

 

「なめた口叩くんじゃねえぞ。そんな金、泥スライムなんぞでどうやって……」

 

「今ここでの詮索は無しだ。俺と契約してくれたら話しますよ」

 

「そんなんで信用しろってか? バカにすんなよ」

 

 陽太はサッと懐から茶封筒を取り出すと、一鉄に手渡した。

 

「20万ある。これは契約を断ったとしても一鉄さん──あなたのものだ。娘さんの受験料や入学金には足りるはずです」

 

「なん……だと……」

 

「もし、少しでも恩に感じてくれるなら、明日午前九時に向島ダンジョンの入り口に来てください。それでは失礼します」

 

 陽太はそう告げると、勘定をしてから店を後にした。

 

(法人設立でスッカラカンの俺に残された、最後の弾丸(タネ銭)だ。……頼むぜ、一鉄さん)

 

 残された一鉄は陽太の内心などつゆ知らず、動揺を押し殺すように茶封筒を握り締めていた。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 翌朝、午前八時五十分。

 

 向島ダンジョンの入り口である採石場跡地には、すでに村上一鉄の姿があった。

 

 海風に吹かれながら、落ち着かない様子で安煙草を吹かしている。懐には、昨日陽太から渡された20万円入りの茶封筒が、鉛のように重く沈んでいた。

 

(……俺も焼きが回ったな。あんな胡散臭えガキのハッタリに振り回されて、ノコノコやって来ちまうとは)

 

 娘の学費。職人としてのプライド。一鉄の胸中では、期待と疑念がぐちゃぐちゃに渦巻いていた。騙されているなら、この20万を顔面に叩き返して帰るだけだ。そう自分に言い聞かせていた時だった。

 

「──おはようございます、一鉄さん。十時間ぶりの再会ですね」

 

 時間きっちりに現れた陽太が、リュックを背負って歩み寄ってきた。

 

「早く来ていただいて助かります。逃げられなくて安心しましたよ」

 

「……てめえの詐欺の手口を暴いて、この金をつっ返すために来ただけだ。さっさとタネ明かしをしろ。日給5万の仕事とやらをな」

 

 凄む一鉄に対し、陽太は涼しい顔で首を振った。

 

「言葉で説明するより、見てもらった方が早い。中へ入りましょう」

 

 二人は薄暗いダンジョンへと足を踏み入れた。

 

 少し歩くと、前方の泥溜まりがボコッと泡立ち、向島ダンジョンの主役である泥スライムが姿を現した。

 

「まずは、素人である俺の仕事をお見せします」

 

 陽太はお手製の槍を構え、慣れた手つきでスライムに突き入れた。ドシャッという音と共に魔物が弾け、ヘドロの元である泥スライムの核が転がり落ちる。

 

 陽太はそれを素手で拾い上げ、一鉄の前に突き出した。

 

「昨日も少し説明しましたが、この泥スライムの核を集めるのが仕事です」

 

「あ? だからゴミ拾いでどうやって稼ぐのかって聞いてんじゃねえか!」

 

「こいつはただのゴミじゃないんです。見ててください」

 

 陽太はリュックから、厳重に密閉されたガラスの小瓶を取り出した。

 

 中には、毒々しい紫色に濁った液体がタプタプと揺れている。

 

「おい、冗談だろ……? それはまさか」

 

「ええ。ダンジョンの中層以降で湧き出ている高濃度魔素水(こうのうどまそすい)です。深層に潜る様な探索者ならいざ知らず、俺たちのような浅層の探索者なら、触れることすらままならず、一口飲めば魔素にあてられて内臓が焼けただれ、確実に死に至る致死量の劇物だ」

 

 陽太は迷いなく小瓶の蓋を開けると、その紫色の劇物を、手の中にある泥スライムの核にドバドバと注ぎ込んだ。

 

 一鉄が止めに入る間もない。

 

 だが直後、一鉄の目が信じられないものでも見るように見開かれた。

 

 スポンジのように劇物を吸い込んだスライムの核が、微かに脈打つ。そして、核の底面からポタポタと零れ落ちた水滴は──一切の濁りがない、無色透明な水に変わっていた。

 

 陽太は空いた手でその水滴を受け止めると、一切の躊躇なく、自らの口に含み、ゴクリと飲み込んだ。

 

「なっ……! てめえ、気でも狂ったか!?」

 

 一鉄が血相を変えて叫ぶ。だが、数秒待っても、数十秒待っても、陽太は血を吐くことも倒れることもなく、ただ平然と口元を拭った。

 

「……美味いですよ。魔素も不純物も一切含まれていない、世界最高の純水だ」

 

「な……」

 

「これが泥スライムの真価です。高濃度魔素水すら浄化する、天然の超高性能フィルター。大企業はこれに気づきながらも、鮮度を保てず実用化に失敗した。だが俺は、この核の劣化を完全に止めるパッケージングの技術を確立しました。すでに時価総額数千億の大企業から、一つ1万円で納品する契約をもぎ取ってある」

 

 ただのゴミが、一つ1万円の純水フィルターになる。

 

 その途方もないビジネスの全貌と、自らの命をチップの代わりにベットした陽太の狂気的な覚悟を前に、一鉄は絶句した。

 

 だが、すぐに職人としての鋭い視線を取り戻す。

 

「……なるほどな。話のスケールは分かった。だが、それならてめえ一人でやりゃあいいだろうが。なんで俺みたいなポンコツに日給5万も払う必要がある?」

 

「俺の解体を見たでしょう。俺のやり方だと、どう頑張っても核を無傷で取り出せる成功率は半々です」

 

 陽太は手の中の核を指差した。すでに端の方からヘドロ化が始まっている。

 

「核は傷がついた瞬間から、凄まじいスピードで劣化が始まる。一度傷ついてしまえば、どんなに素晴らしい保存方法だったとしても、細胞が崩壊してしまうんです」

 

「週に500個の契約を満たすには、歩留まり(成功率)80%が最低ラインと推定しています。余白のないスケジュールは必ずどこかで破綻します。時間的余裕を作ろうと思えば、歩留まりがほぼ100%のラインを作らなければならない」

 

「……だから、刃先を1ミリも狂わせず、核を無傷で取り出せるあなたの神業が必要なんです」

 

「……」

 

「俺が声をかけた理由は納得いただけましたか? 俺の話は終わりました。次は、一鉄さん。あなたの番です」

 

 陽太の視線の先。新たな泥溜まりから、二匹目の泥スライムがポップした。

 

「あなたの腕が本物なら、このビジネスの生産ラインは完成する。……見せてください。神の手を」

 

 一鉄は、スライムと、陽太の真っ直ぐな目を交互に見つめた。

 

 娘の顔が脳裏をよぎる。そして何より──この若造の命懸けの覚悟が、冷え切っていた一鉄の職人魂に、強烈な火をつけていた。

 

「……後悔すんじゃねえぞ、坊主。人を雇うってことは、そいつの人生を背負うってことだ。俺の人生を預けるぞ」

 

 一鉄は腰に差していた解体用のナイフを、左手でゆっくりと引き抜いた。

 

 彼がスライムの前に立つ。

 

 その瞬間、ただのくたびれた老人の空気が、一変した。

 

 右腕の重く不格好な真鍮の義手を、わずかに前方へ突き出す。それは無駄な重りではない。義手の自重を振り子の支点とし、体の重心を完璧にコントロールするためのカウンターウェイトだった。

 

 泥スライムが飛びかかってくる。

 

 一鉄は微動だにしない。スライムが間合いに入ったその刹那──。

 

 閃刃。

 

 陽太の目には、ナイフが動いた軌跡すら見えなかった。

 

 無駄な力みも、風切り音すらない。極限まで洗練された、静かで、ただひたすらに美しい一閃。

 

 パチン、と水風船が弾けるような軽快な音と共に、泥スライムが真っ二つに分かたれ、その中心から傷一つない、完全な球体の核が、ポンッと宙に浮いた。

 

 一鉄はそれを左手でふわりと受け止め、陽太へと放り投げる。

 

「……検品しな。社長さんよ」

 

 陽太は受け取った核に、震える目で監査官(インスペクター)スキルを起動した。

 

監査官(インスペクター):泥スライムの核 / 劣化率:0.0% / ヘドロ化まで残り9分50秒 / 表面損傷:皆無】

 

 完璧だった。ヘドロ化までの時間すら伸びる完全な無傷。

 

 大企業が喉から手が出るほど欲しがった奇跡の素材が、熟練の職人の技術によって、量産可能な製品へと昇華された瞬間だった。

 

「…………ッ!!」

 

 陽太は歓喜のあまり、言葉を失い、ただ深く、深く頷いた。

 

 アービトラージの種を見つけたのは陽太の頭脳だが、それを現実の富に変換するには、この男の圧倒的な技術が必要不可欠だったのだ。

 

「見事です……。いや、最高だ。一鉄さん、今日からあなたが、株式会社ウォーター・ベインの工場長です。よろしく頼みます」

 

 陽太が右手を差し出す。

 

 一鉄はふっと口角を上げると、自らの真鍮の義手をガチャンと鳴らし、陽太の右手を力強く握り返した。

 

「悪くねえ響きだ。……こき使ってやるから覚悟しろよ、若社長」

 

 薄暗いダンジョンの中で交わされた、鋼鉄のように固い握手。

 

 日本の経済を根底からひっくり返す、最強のベンチャー企業が、ここに実働を開始した。




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