「湊さん。厄介なことになりました」
鷹司からの電話は、朝一番に入った。
「国際会議の件で、政府内の調整が始まっております。日本から誰を出すかという話です」
「機構が名乗りを上げましたか」
「その通りです。手が早い」
鷹司の声は苦かった。
「全国のダンジョンと探索者を把握する唯一の全国組織である。国際交渉の窓口は一元化すべきである。……理屈は通っております。実際、あそこ以外に全国を代表できる組織はありません」
「こちらは」
「湊さんは、一民間企業の社長です。それも、この議題で最も利害のある当事者だ。……特定企業を国の代表団に入れれば、なぜあの会社だけを優遇するのかという話になります。役所が最も嫌う形です」
陽太は窓の外を見た。
筋は通っている。だからこそ厄介だった。
「鷹司さん。仮に機構が日本代表として会議に出たら、何が起きますか」
「そこが一番の問題です」
鷹司の声が低くなった。
「国際会議で決まったことは、条約や取り決めの形で国内に持ち帰られます。国内法より上に来ることもある。……つまり、こういうことです。今、国内で戦略機構の中身をどう書くかを争っております」
「争っています」
「その議論の途中で、国際の場で先に枠組みが決まってしまえば。……国内の議論は、その枠に合わせるだけの作業になります。何を書くかではなく、決まったものをどう写すか、の話になる」
陽太は息を吐いた。
「国内で門番の椅子を争っている間に、外で椅子の形を決められる」
「そういうことです。あの人は、国内の議論が固まる前に、外側から枠を嵌めるつもりです」
「間に合いますか」
「代表団の決定は、来月です。……三週間、と見てください」
◇ ◇ ◇
その日の午後、陽太は取引所の運営委員会に出席した。
議題として国際会議の件を上げると、委員たちの反応は鈍かった。国際交渉という言葉は、この場の誰にとっても遠い。
「湊さん。それは、我々に何の関係が」
買い手代表の本田が首を傾げた。
「国と国の話でしょうが。うちら、素材を売り買いしとるだけの商売人ですぞ」
「関係、大有りです。」
陽太はホワイトボードに書いた。会議の議題。
「議題は二つです。一つは、各国の等級規格の相互承認網をどう作るか。もう一つは、資源取引の共通原則」
陽太は最初の一行を指した。
「その相互承認網の基軸の候補として、うちの規格が挙がっています」
場が、静かになった。
「……瀬戸内等級規格が、ですか」
藤岡が眼鏡を押し上げた。
「クローネ卿の書簡に、そう書かれています。世界中の規格を突き合わせる、その真ん中に置く候補の一つとして」
「それは、大変名誉なことでは」
「名誉です。ただし、その席に規格を作った人間が誰も座らないなら話は別です」
陽太はホワイトボードにもう一行足した。日本代表・未定。
「今のままだと、機構が日本代表として出ます。うちの規格の扱いを、うちの規格を作っていない組織が交渉することになる」
羽山が眉を寄せた。
「それ、まずくないっすか。……あの規格って、栗山さんの帳面と湊さんの目、それに藤岡先生の検証で作ったもんでしょう。作ってない人が、あれの何を説明するんです」
「説明はできます。文書は公開されていますから」
「いや、そういうことじゃなくて」
羽山は言葉を探した。
「説明はできても、譲るところと譲らねえところが分かんないでしょう。交渉ってのは、どっかでお互いに引く話じゃないんですか。どこを引いたら規格が死ぬのか、作った人間じゃないと分からんでしょう」
陽太は羽山を見た。この男は、いつも一番大事なところを、一番簡単な言葉で言う。
「そのとおりです。だから、この席は取りに行きたい」
「ですが湊さん」
藤岡が慎重に口を開いた。
「あなたは一企業の社長です。国の代表団に、特定企業の社長が入る。……役所が首を縦に振りますか」
「入りません。俺個人としては」
陽太は静かに言った。
「ですが、瀬戸内等級規格の制定主体は、俺ではありません」
藤岡が、はっとした顔をした。
「……運営委員会です」
「そうです。規格書の制定者の欄に俺の名前はない。あるのは瀬戸内素材取引所運営委員会だけです」
陽太はホワイトボードに書いた。制定主体・運営委員会。
「委員会は、一企業のものじゃない。売り手も買い手も行政も学識者も探索者代表も入っている。……この委員会が規格の当事者として席を求めるなら、それは特定企業の優遇にはならない。公共の規格の、制定主体が出るという話になります」
本田が唸った。
「なるほどな。……あんたが等級を手放しとったのが、こんなところで効くとは」
「あのときは、こんな日が来るとは思っていませんでした」
陽太は正直に言った。市場を私物にしないために手放した。それだけの話だった。手放したものが一年後に武器になるとは、当時は考えていない。
「ただし、もう一点あります」
陽太は続けた。
「規格の頂点には、基準器が置かれています。日々の等級は機器と鑑定人が付ける。ですが、その物差しが狂っていないかを校正する原器が要る。……それが、俺の目です」
委員たちが、ゆっくりと理解の色を浮かべた。
「相互承認の技術協議では、必ずそこを突かれます。おたくの規格の基準器は何か、どうやって校正しているのか、と。……その説明ができるのは、俺だけです」
「制定主体は委員会。技術の基準器は湊さん個人」
藤岡が整理した。
「委員会が席を求め、その技術説明者として湊さんが同行する。……これなら、筋が通ります」
「委員会として、この線で動いていただけますか」
委員たちは顔を見合わせた。最初に頷いたのは、栗山だった。
「私の帳面が、世界の物差しの元になっているのでしたら」
栗山は静かに言った。
「その物差しの話をする席に、作った者が誰もおらんというのは、少々寂しゅうございます」
◇ ◇ ◇
委員会が正式に要望を出して十日後、鷹司から続報が入った。
「湊さん。向こうが動きました」
「機構が、ですか」
「鬼頭専務理事のご提案です。……これがまた、実に嫌な形でしてね」
鷹司は前置きしてから告げた。
「機構と運営委員会の、合同代表団にしましょう、と」
陽太は一瞬、言葉を失った。
「……合同」
「そうです。全国の網を持つ機構と、規格を作った委員会。両方が入れば、日本は最強の布陣になる。……専務理事は、そう仰っております」
「反対しにくいですね」
「しにくいどころじゃない。委員会の要望を、あの人は全面的に認めた形になっとります。役所は喜んでおりますよ。争っていた二者が手を組んでくれた、と」
三度目だった。
国の委員会で、賛成の顔で場を支配された。共同提案には主権という言葉ごと乗ってきた。そして今度は、こちらの要望を丸ごと呑んだ上で、合同という形に持ち込んでくる。
「団長は」
「そこです」
鷹司の声が硬くなった。
「代表団の長は、政府代表。これは動きません。問題はその次だ。……副団長を機構から出す、という案が付いております。理由は、全国組織として国内調整の責任を持つから」
「委員会は」
「専門委員という扱いです。技術的な助言を行う立場。……発言は、副団長の求めに応じて行う」
「発言権を機構が握る」
「そういう形です。合同とは名ばかりで、実質は機構の代表団に、こちらが専門家として付いていくだけになります」
陽太は目を閉じた。
鬼頭のやり方は、いつも同じだった。正面から拒まない。全部を受け入れて、配置で骨を抜く。
だが、と陽太は思った。
同じ手を三度見れば、対処の仕方も分かる。
「鷹司さん。合同案は受けます」
「……受けるんですか」
「受けます。断れば、こちらが手を組むのを拒んだという形になる。それは避けたい」
陽太はホワイトボードの前に立ち、代表団の図を描き始めた。
「その代わり、こちらから代表団の設計案を出します。合同を受け入れた上で、中身の設計を先に出す」
「設計案」
「議題は二つあります。等級規格の相互承認と、資源取引の共通原則。前者は技術の話で、後者は政治の話です。……この二つを、代表団の中で分ける」
陽太は図に線を引いた。
「規格の相互承認に関する交渉は、規格の制定主体が担当する。共通原則に関する交渉は、政府と機構が担当する。担当の分野ごとに、発言権を分ける」
「……ほう」
受話器の向こうで、鷹司の声が変わった。
「それは、断りにくい」
「断る理由がありません。技術のことは技術の当事者が話す。当たり前の話です。……機構が規格の技術交渉を担当すると言い出せば、その根拠を説明しなきゃいけなくなる」
「規格を作っていない組織が、なぜ規格の交渉をするのか、と」
「そうです。専務理事は、正論には正論でしか返せない人です。……こちらが先に、正論の形で設計を置く」
鷹司が、電話の向こうで笑い出した。
「湊さん。あなた、あの人の手口を覚えましたな」
「三度も食らえば、覚えます」
◇ ◇ ◇
その週の終わり、国際電話が入った。
サンダーソン・グループのハワードだった。
「ミナトさん。お久しぶりです。会議の件、耳に入りましたよ」
「早いですね」
「うちは世界中で素材を買っていますからね。誰が何を決めようとしているかは、飯の種です」
ハワードの声は相変わらず軽い。
「それで、伺いたいのですが。日本の代表団の話、揉めているそうじゃないですか」
「調整中です」
「ふむ。……ミナトさん。一つ、はっきりさせておきたいことがあります」
ハワードの声が、少しだけ真面目になった。
「あなた、まだ私に借りがあると思っておいでですか」
陽太は言葉に詰まった。
思っていた。欧州との協議の前、この男は公開の席で購買方針を発表し、こちらの窮地を救った。あれは大きな借りだった。金では返せない類の借りである。
「……返せていないと、思っています」
「返してもらっていますよ。とっくに」
ハワードは、あっさりと言った。
「うちが瀬戸内等級規格を購買基準に採用してから、一年になります。この間に、うちの調達部門の経費は目に見えて落ちました。等級印を信じて買えるので、検査の手間が要らない。品質のばらつきで揉めることもない。……取扱高は伸び、利益率も上がりました。今年も過去最高の最終利益を叩き出すことになるでしょう」
「それは」
「それに、尾道からの調達量はうちの東アジア部門で一番になりました。良い品が、揃った規格で、安定して出てくる市場だからです。……ミナトさん。私は商売人です。稼がせてもらった相手に、貸しがあるとは言いません」
陽太は受話器を握ったまま、しばらく黙った。
良い市場を作ることが、この男への返し方だと思っていた。それは間違っていなかった。だが返し終わったかどうかは、こちらが決めることではなかった。相手がそう言った時点でようやく終わりなのだ。
「……ありがとうございます」
「礼を言われることでもない。事実の確認です」
ハワードは軽く笑った。
「その上で、これは貸し借りとは無関係の話をします。うちは、この会議に強い関心があります」
「サンダーソンとして、ですか」
「ええ。共通原則の中身次第で、うちの商売が大きく変わりますからね」
ハワードの声が、また少しだけ低くなった。
「ミナトさん。この会議の共通原則には、金融取引の扱いが入ります」
陽太の目が細くなった。
「金融取引」
「素材そのものの取引ではなく、素材の値段を対象にした取引です。指数、先物、その手の話。……各国の資源市場で、この数年、値動きだけを狙った売買が増えています。日本でも起きていると聞きましたが」
「……起きています」
「でしょうな。この会議で共通原則を作れば、そこに規律の話が入る。どの取引を認めて、どれを認めないか。……そうなると、困る人間がいます」
「困る人間」
「顔のない連中ですよ」
ハワードは言った。名前は出さなかった。
「うちは現物を買う商売です。値段が壊れると仕入れができない。だから、うちの利益にとって、あの連中の存在は邪魔なんです。……この会議で規律ができるなら、うちはその側に立ちます。恩でも義理でもなく、うちが儲かるからです」
「分かりやすくて助かります」
「善意より計算の方が長持ちする。……あなたに教わった気がしますが」
通話を切って、陽太は椅子に深く身を沈めた。
国際会議は、規格の話だけではなかった。値段の規律の話でもある。
そして、それを最も嫌う相手が、既にこの国の市場で値段を揺らしている。
◇ ◇ ◇
日本代表団の構成が決まったのは、三週間後だった。
団長は政府の担当部局の局長。副団長に機構から一名。そして、瀬戸内素材取引所運営委員会が、規格の制定主体として代表団に加わる。規格の相互承認に関する交渉については、委員会が担当する旨が明記された。
陽太の肩書きは、代表団の技術顧問である。瀬戸内等級規格の基準器としての立場で、規格の技術的な説明と検証に責任を持つ。
完全な勝ちではなかった。副団長の席は機構が取り、共通原則の交渉は政府と機構が担当する。だが、規格の交渉権はこちらが握った。
「席は取ったわね」
凪が決定通知を読みながら言った。
「半分だけな」
「半分でも、この短期間なら上出来よ。……それより、会議の日程を見た?」
陽太は書面をめくった。
開催地は、欧州の都市。日程は二ヶ月後の三日間。
「二ヶ月」
「その二ヶ月で、規格の技術説明の準備をしないといけない。藤岡先生の検証データも、全部英文に直さないと」
凪はそこで言葉を切った。
「……それと、もう一つ。気になることがあるの」
「なんだ」
「この会議で、値段の規律の話が出るのよね。ハワードさんの言うとおりなら」
凪は書面を置いた。
「値段を揺らして稼いでいる相手にとって、この会議は、いちばん都合が悪い場所じゃない?」
陽太は、その言葉を受け止めた。
顔のない巨人にとって、国際的な規律の枠組みほど邪魔なものはない。
放っておけば、二ヶ月後に規律の議論が始まる。ならば、どうするか。
相場師なら、答えは決まっている。議論が始まる前に、勝負を仕掛ける。
陽太は窓の外の海を見た。
二ヶ月ある。だがその二ヶ月は、こちらの準備期間であると同時に、向こうにとっての残り時間でもあった。