ウィィィン……ジュッ。
薄暗くカビ臭い向島ダンジョンの片隅に、不釣り合いなモーター音とビニールが溶ける音が響き渡る。
持ち込んだキャンプ用の折り畳みテーブルの上には、ポータブル電源、5000円の家庭用真空パック機、そして陽太が調合した0.9%生理食塩水とクエン酸緩衝液の保存液を満たしたポリタンクが鎮座している。たったこれだけの機材。それが、株式会社ウォーター・ベインの製造ラインの全貌だった。
「──次、行くぞ」
一鉄の低い声と共に、泥溜まりから3匹の泥スライムが同時にポップした。普通の底辺探索者なら舌打ちして後ずさる数だが、一鉄はくわえ煙草のまま一歩も引かない。
右腕の真鍮の義手が、カウンターウェイトとして空を切る。連動して、左手のナイフが閃いた。
一閃、二閃、三閃。
風切り音すら生じさせない極限の太刀筋が、スライムの体組織だけを寸分違わず切り裂く。パチン、パチンと小気味良い破裂音を立てて泥が崩れ落ち、その中心から淡く発光する完璧な球体が、文字通り無傷で空中に放り出された。
一鉄はそれを左手で器用に掬い取り、テーブルの上のバットに転がす。
「一丁上がりだ。検品を頼むぜ、若社長」
「見事な手際ですね。確認します」
陽太はピンセットで核をつまみ上げ、息を詰めて
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陽太の視線が、三つ目の核でピタリと止まった。
「……一鉄さん。二つは合格ですが、最後の一つはハネます。コンマ数ミリですが、傷がある」
「チッ。三匹目の飛び込みが想定より半歩浅かったか……。すまねえ、俺のミスだ。廃棄にしといてくれ」
一鉄は忌々しそうに舌打ちをすると、義手をガチャンと鳴らして次の獲物を探しに奥へと歩いていく。自分のミスを一切言い訳しない、純粋な職人の背中だった。
陽太は合格した二つの核を保存液で満たしたビニール袋に沈め、真空パック機で空気を一切残さずに密閉する。これで、1個一万円の製品が2つ完成した計算だ。
そして、傷が入ったと宣告した三つ目の核を、テーブルの下に置いた廃棄用の黒いクーラーボックスへ丁寧に放り込んだ。
◇ ◇ ◇
そんな怒涛の狩りとパッキングを繰り返し、時刻は夕方の五時を回っていた。
「……今日のノルマ、100個完了です。お疲れ様でした、一鉄さん」
陽太が完成品の入ったコンテナにシートを被せながら告げると、泥まみれになった一鉄が、大きく伸びをしながら戻ってきた。
「おう。だが、今日の歩留まりはどうだった? 俺の感覚じゃ、120匹は狩ったはずだが」
「最終的な合格品が100個、微小な傷による廃棄が20個です。歩留まり約83%。初日にしては上出来すぎる数字ですよ」
陽太が労いの言葉をかけるが、一鉄は不満げに鼻を鳴らした。
「甘えこと言ってんじゃねえ。20個も不良品を出したってことは、利益を20万もドブに捨てさせたってことだろ。……明日は絶対に取りこぼさねえ。歩留まり100%のラインを見せてやるよ」
「頼もしいですね。では、本日の日給です」
陽太はスマホを操作し、一鉄の口座に即座に5万円を振り込んだ。
着金通知を確認した一鉄は、軽く右手の義手を上げて背を向ける。
「じゃあな。俺は病院に寄ってから帰る。若社長もあんまり根を詰めすぎるなよ」
一鉄の足音がダンジョンの奥へと消えていく。
静寂が戻った洞窟の中。モーターの駆動音だけが微かに響く中、陽太は一人、折り畳みテーブルの前に立ち尽くしていた。
周囲に完全に誰もいなくなったことを確認すると。
陽太の顔から人の良い若社長の仮面が剥がれ落ち、冷徹な相場師の顔が露わになった。
彼は足元の保存液に満たされた廃棄用の黒いクーラーボックスを引き寄せ、蓋を開ける。中には、一鉄のミスで傷がついたとしてハネた、20個の泥スライムの核が漂っていた。
陽太はピンセットでその一つをつまみ上げ、無機質な声で呟く。
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──視界に浮かび上がったウィンドウの数値は、そのすべてが無傷であることを示していた。
「……あなたの腕は、間違いなく神の手だよ。一鉄さん」
一鉄の解体に、ミスなど一つもなかった。歩留まりは初日から100%だったのだ。陽太は意図的に完璧な核を不良品と偽って、裏に弾き続けていたのである。
陽太は手際よく、その20個の核を改めて保存液に浸し、パッキングしていく。東朋マテリアルに納品する週500個のロットを表とするなら、これはまさしく裏帳簿だ。
陽太は完成した20個のパッケージを、自分のリュックの底にある隠しポケットへと滑り込ませた。
(木崎さんは、あの大企業でプロジェクトのトップをやっているだけあって、油断できない相手だ。だが、こちらが利用価値を示し、自分の立場さえ安泰なら裏切らない。……注意すべきは、東朋という巨大な組織そのものだ)
ダンジョンの淀んだ空気を吸い込みながら、陽太はお手製の槍を手に取った。
(東朋がいつまでも週500万の金を払い続けるとは思えない。末端研究員のプライドも厄介だ。あの手この手で生産ノウハウを探り、バレた瞬間に大資本の力で俺たちを潰しに来る。最悪の事態に備えたヘッジが絶対に必要だ)
東朋に納品する500個とは別に、誰の目にも触れない純水フィルターの
「一鉄さんの前では、これ以上ハネると不自然だ」
一鉄は信用に足る人物ではあるが、秘密を共有する人間は少なければ少ないほど良い。
……凪にも、話していなかった。
「ここから先は、俺一人で残業だな」
陽太は首をポキリと鳴らすと、泥溜まりの奥へと歩を進める。
一鉄のいない洞窟は静かだ。一人でスライムを狩り、半々の確率で核を傷つけながら、それでも手を止めない。泥と血の匂いが全身に染みついていく。
「泥にまみれるのは、慣れてる」
誰もいない深夜のダンジョンで、若き相場師の密かな狩りは、まだ終わらない。
7話のリライト完了です。
話の流れは旧バージョンと変えていません。
今後も頑張りますので、感想・評価・お気に入り等よろしくお願いいたします。