IR情報で読み解くダンジョン経済学   作:カトーユキヒロ

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第7話:泥の工場と、若社長の裏帳簿

 ウィィィン……ジュッ。

 

 薄暗くカビ臭い向島ダンジョンの片隅に、不釣り合いなモーター音とビニールが溶ける音が響き渡る。

 

 持ち込んだキャンプ用の折り畳みテーブルの上には、ポータブル電源、5000円の家庭用真空パック機、そして陽太が調合した保存液*1を満たしたポリタンクが鎮座している。

 

 たったこれだけの機材。それが、株式会社ウォーター・ベインの製造ラインの全貌だった。

 

「──次、行くぞ」

 

 一鉄の低い声と共に、泥溜まりから3匹の泥スライムが同時にポップした。

 

 普通の底辺探索者なら舌打ちして後ずさる数だが、一鉄はくわえ煙草のまま一歩も引かない。

 

 右腕の真鍮の義手が、カウンターウェイトとして空を切る。

 

 連動して、左手のナイフが閃いた。

 

 一閃、二閃、三閃。

 

 風切り音すら生じさせない極限の太刀筋が、スライムの体組織だけを寸分違わず切り裂く。

 

 パチン、パチンと小気味良い破裂音を立てて泥が崩れ落ち、その中心から淡く発光する完璧な球体が、文字通り無傷で空中に放り出された。

 

 一鉄はそれを左手で器用に掬い取り、テーブルの上のバットに転がす。

 

「一丁上がりだ。検品を頼むぜ、若社長」

 

「見事な手際ですね。確認します」

 

 陽太はピンセットで核をつまみ上げ、息を詰めて検査官(インスペクター)スキルを起動した。

 

検査官(インスペクター):泥スライムの核(1) / 劣化率:0.0% / ヘドロ化まで残り9分50秒 / 表面損傷:皆無】

 

検査官(インスペクター):泥スライムの核(2) / 劣化率:0.0% / ヘドロ化まで残り9分49秒 / 表面損傷:皆無】

 

 陽太の視線が、三つ目の核でピタリと止まった。

 

「……一鉄さん。二つは合格ですが、最後の一つはハネます。コンマ数ミリですが、傷がある」

 

「チッ。三匹目の飛び込みが想定より半歩浅かったか……。すまねえ、俺のミスだ。廃棄にしといてくれ」

 

 一鉄は忌々しそうに舌打ちをすると、義手をガチャンと鳴らして次の獲物を探しに奥へと歩いていく。自分のミスを一切言い訳しない、純粋な職人の背中だった。

 

 陽太は合格した二つの核を保存液で満たしたビニール袋に沈め、真空パック機で空気を一切残さずに密閉する。これで、1個一万円の製品が2つ完成した計算だ。

 

 そして、傷が入ったと宣告した三つ目の核を、テーブルの下に置いた廃棄用の黒いクーラーボックスへ丁寧に放り込んだ。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 そんな怒涛の狩りとパッキングを繰り返し、時刻は夕方の五時を回っていた。

 

「……今日のノルマ、100個完了です。お疲れ様でした、一鉄さん」

 

 陽太が完成品の入ったコンテナにシートを被せながら告げると、泥まみれになった一鉄が、大きく伸びをしながら戻ってきた。

 

「おう。だが、今日の歩留まりはどうだった? 俺の感覚じゃ、120匹は狩ったはずだが」

 

「最終的な合格品が100個、微小な傷による廃棄が20個です。歩留まり約83%。初日にしては上出来すぎる数字ですよ」

 

 陽太が労いの言葉をかけるが、一鉄は不満げに鼻を鳴らした。

 

「甘えこと言ってんじゃねえ。20個も不良品を出したってことは、利益を20万もドブに捨てさせたってことだろ。……明日は絶対に取りこぼさねえ。歩留まり100%のラインを見せてやるよ」

 

「頼もしいですね。では、本日の日給です」

 

 陽太はスマホを操作し、一鉄の口座に即座に5万円を振り込んだ。

 

 着金通知を確認した一鉄は、軽く右手の義手を上げて背を向ける。

 

「じゃあな。俺は病院に寄ってから帰る。若社長もあんまり根を詰めすぎるなよ」

 

 一鉄の足音がダンジョンの奥へと消えていく。

 

 静寂が戻った洞窟の中。モーターの駆動音だけが微かに響く中、陽太は一人、折り畳みテーブルの前に立ち尽くしていた。

 

 周囲に完全に誰もいなくなったことを確認すると。

 

 陽太の顔から人の良い若社長の仮面が剥がれ落ち、冷徹な相場師の顔が露わになった。

 

 彼は足元の保存液に満たされた廃棄用の黒いクーラーボックスを引き寄せ、蓋を開ける。中には、一鉄のミスで傷がついたとしてハネた、20個の泥スライムの核が漂っていた。

 

 陽太はピンセットでその一つをつまみ上げ、無機質な声で呟く。

 

検査官(インスペクター)

 

検査官(インスペクター):泥スライムの核(1) / 劣化率:0.0% / ヘドロ化まで残り9分38秒 / 表面損傷:皆無】

 

検査官(インスペクター):泥スライムの核(2) / 劣化率:0.0% / ヘドロ化まで残り8分43秒 / 表面損傷:皆無】

 

検査官(インスペクター):泥スライムの核(3) / 劣化率:0.0% / ヘドロ化まで残り9分06秒 / 表面損傷:皆無】

 

 ──視界に浮かび上がったウィンドウの数値は、そのすべてが無傷であることを示していた。

 

「……あなたの腕は、間違いなく神の手だよ。一鉄さん」

 

 一鉄の解体に、ミスなど一つもなかった。歩留まりは初日から100%だったのだ。陽太は意図的に完璧な核を不良品と偽って、裏に弾き続けていたのである。

 

 陽太は手際よく、その20個の核を改めて保存液に浸し、パッキングしていく。

 

 東朋マテリアルに納品する週500個のロットを表とするなら、これはまさしく裏帳簿。

 

 陽太は完成した20個のパッケージを、自分のリュックの底にある隠しポケットへと滑り込ませた。

 

(木崎さんは、あの大企業で巨大プロジェクトのトップをやっているだけあって、油断できない相手だ。だが、こちらが利用価値を示し、自分の立場さえ安泰なら裏切らない。……注意すべきは、東朋という巨大な組織だ)

 

 ダンジョンの淀んだ空気を吸い込みながら、陽太はお手製の槍を手に取った。

 

(東朋が素直に週500万の金を払い続ける可能性は低い。経営陣が納得していないのもそうだが、末端研究員のプライドもやっかいだ。あの手この手で生産ノウハウを探り、バレた瞬間に大資本の力で俺たちを潰しに来る)

 

(東朋との専属契約はいつまで持つか……。この契約はあくまでギルドへの牽制であり、最初のタネ銭と割り切った方が良いだろう。最悪の事態に備えたヘッジが絶対に必要だ)

 

 最悪の事態を想定すれば、大企業が牙を剥いた時、対抗するための交渉材料(カード)あるいは、他の巨大資本に売り込むための見本(サンプル)の準備は必要不可欠だ。

 

 東朋に納品する500個とは別に、誰の目にも触れない純水フィルターの裏在庫(ストック)を極秘裏に積み上げる。これが陽太渾身の生存戦略であった。

 

「一鉄さんの前では、これ以上ハネると不自然だ」

 

 一鉄は信用に足る人物ではあるが、秘密を共有する人間は少なければ少ないほど良い。

 

 このことは、凪にも秘密であった。

 

「……ここから先は、俺一人で残業だな」

 

 陽太は首をポキリと鳴らすと、泥溜まりの奥へと歩を進める。

 

 陽太自身の解体技術では、無傷の核を取り出せる確率はせいぜい半々。裏在庫(ストック)をさらに増やすためには、傷モノのゴミを大量に生産しながら、当たりを引くまでひたすら数をこなすしかなかった。

 

「泥にまみれるのは、慣れてる」

 

 東朋マテリアルという巨大なクジラと渡り合い、ダンジョン経済という大海原を泳ぎ切るための、孤独で周到な備え。

 

 誰もいない深夜のダンジョンで、若き相場師の密かな狩りが始まった。

 

 

*1
0.9%生理食塩水とクエン酸緩衝液




読んでいただきありがとうございます。
この話はちょっと短くなってしまいました。

評価・感想をいただけたら嬉しいです。
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