IR情報で読み解くダンジョン経済学   作:カトーユキヒロ

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第8話:500万の着金と、クジラの探り

 週明けの月曜日。尾道港の片隅、東朋マテリアル実証実験センターの搬入口に、一台の年季の入った軽トラックが止まった。一鉄のツテで格安で手に入った軽トラだ。

 

 運転席にはスーツを端正に着こなした陽太。助手席には、タブレット端末を片手に事務的な無表情を貫く凪が座っている。

 

「……500個、積み残しはないわね、社長」

 

「ああ。俺と一鉄さんで徹夜で仕上げた。ダブルチェックもしたし、品質は完璧だ」

 

 荷台のコンテナには、一鉄の神業によって生み出された、500個の純水フィルタ──―ウォーター・ベイン・フィルターV1が整然と並んでいる。

 

 搬入口から現れたのは、先週よりもさらに隈が深くなった木崎だった。背後には数人の研究員と、物々しい検収用の機材が控えている。

 

 木崎はくたびれた笑顔で陽太を出迎えた。

 

「お世話になります。木崎さん。契約通りの品をお持ちしました」

 

「やあやあ。湊君。今日という日を心待ちにしていたよ。見てくれこの隈、昨日は楽しみで寝れなくてね」

 

 木崎は面白くもない冗談で、表面上はにこやかに対応する。つい30分前まで、実験が上手くいかないストレスと経営陣からのプレッシャーで、嘔吐していたことなどおくびにも出さない。

 

 木崎と陽太はしばらく雑談に興じる。

 

「さて……おしゃべりはほどほどにしよう。早速、本当に500個揃えたか確認させてもらおう」

 

検品(チェック)はご自由に。こちらは自信を持って納品しています」

 

 陽太が促すと、木崎の部下たちが次々とコンテナの中身を運び出し、高精度な検査器にかけていく。

 

 一分、二分……。沈黙の時間が流れる。

 

 やがて、検査機を覗き込んでいた研究員の一人が、信じられないという声を上げた。

 

「……全数、劣化率0.0%。魔素透過率、理論値通り。傷……一つもありません。完全に生きたまま静止しています」

 

「全く……どうやっている。うちの最新鋭の保存装置でも、採取から一時間持たせれば御の字だった。それを、こんな安っぽいビニールで……」

 

 報告を聞いた木崎が、苦虫を噛み潰したような顔で思わず呟いた。木崎はしばらく考え込んでいたが、わざとらしい笑顔を浮かべて、陽太の肩に手を置いた。

 

「なあ、湊君。我々はパートナーだろう? ……例えばだ、君たちの工場を一度見学させてもらえないか? 輸送効率や衛生管理を考えれば、我が社のセンター内に製造ラインを移した方が、君たちにとってもメリットがあると思うんだが」

 

 木崎の親しげな口調の裏に、ノウハウを手に入れようとする魂胆が透けて見える。視線が、陽太の指先や、軽トラの荷台に落ちたわずかな水滴の痕跡を舐めるように動く。

 

「木崎主任、その提案は先週提示した独占契約書の第十二条技術的独立性の担保に抵触します」

 

 背後から、凪の氷のように冷たい声が飛んだ。

 

「当社の製造拠点、および製造プロセスの開示義務は一切ありません。もしこれ以上の執拗な接触を続けるのであれば、契約違反として、本日の納品を全数引き上げ、違約金の請求手続きに入りますが?」

 

 凪がタブレットの画面を木崎の鼻先に突きつける。そこには赤字で強調された条文が映し出されていた。

 

「……エリートの弁護士様はこれだから困る。冗談だよ、冗談」

 

 木崎は忌々しそうに手を離すと、陽太に質問した。

 

「確認だが、このフィルターを採取したのはいつだ? それと、使用期限はいつまでだ? これくらいなら購入者の権利の範疇だろう?」

 

「それくらいなら良いでしょう。採取したのは契約締結日から昨日までです。また、期限については、我々独自の保存処理を施しているので、パッケージに物理的な破損がない限りは、数ヶ月はその状態で保管できますよ」

 

 陽太が淡々と答える。

 

「そうか……。数ヶ月も持つのか……」

 

 木崎はそう呟いてから、事務員に向けて合図を送った。

 

「検収完了だ。……振り込め」

 

 直後、陽太のポケットの中でスマートフォンが小さく震えた。

 

 画面を確認すると、そこには予定通り、しかし、信じられない数字が並んでいた。

 

『20XX/06/21 入金:カ)トウホウマテリアル 5,000,000円』

 

 500万円。

 

 つい先日まで、泥にまみれて日給5000円を稼いでいた男の口座に、一瞬で1000日分の、いや、妹を救うための戦いを継続させるに十分な弾丸が着弾した。

 

(……一歩目だ。まずは、この一歩だ)

 

 陽太は込み上げる高揚感を無理やり押し殺し、木崎に向けて深く頭を下げた。

 

「ありがとうございます。次回の納品も月曜日の九時、同数を用意します」

 

「……ああ。期待しているよ。まあ、せいぜい欠品だけは起こさないようにな、社長さん」

 

 含み笑いを残して、木崎はセンターの奥へと消えていった。

 

 軽トラを走らせ、センターのゲートを出たところで、陽太はハンドルを握る手に力を込めた。

 

「凪。奴ら、パッケージの素材や溶液を分析し始めるぞ」

 

「当然ね。数時間後には、それがただのホームセンターで買ったフィルムと生理食塩水とクエン酸溶液だとバレるわ」

 

「ああ。だが、それだけじゃ何も再現できない。一鉄さんの神業か俺の目(アナリティクス)がなければ、溶液に漬ける前に自壊が始まる。そもそも溶液のレシピは東朋のものだしな」

 

「ええ。だからこそ、工場長を絶対に他勢力に接触させてはダメよ」

 

 凪はそう言うと、不意に視線を窓の外に投げた。

 

「……ねえ、陽太。今日の夕飯は合成肉じゃないものを食べない? 500万円も入ったんだし、これくらいは経費で落ちるわ」

 

「……そうだな。小春にも、たまには美味いものを食べさせてやらないと」

 

(それに、フィルターのストックも溜まってきた。小春のために使っても、十分ヘッジとして効くだろう)

 

 初めて手にした莫大な富。

 

 だが、それが巨大なクジラの胃袋の中で踊らされているだけの幻影なのか、それとも、この世界を変える真の源泉となるのか。

 

 陽太はバックミラーに映る、自分たちを監視するように設置されたセンターのカメラを見つめながら、アクセルを踏み込んだ。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 その日の夕方。東朋マテリアル実証実験センターの奥深く、無機質なLEDライトに照らされた第一研究室に、険しい怒号が響き渡っていた。

 

「納得がいきません! なぜ、我々があんな底辺探索者に毎週500万も支払わなければならないのですか!」

 

 研究員の高橋が、血走った目でステンレスの作業台をバンッと叩きつけた。エリートとしてのプライドに満ちていた彼の顔は、連日の徹夜と極度のストレスで蒼白に歪んでいる。

 

「我々が失敗し続けているからに決まってるじゃないか」

 

「だから、無理矢理にでもノウハウを提供させればいいじゃないですか!」

 

「はぁぁぁ……。だからさっきも言ったが、契約で縛られているんだ。いかに我々が大企業と言っても無理なものは無理だ」

 

 木崎もまた、限界だった。いつもなら飄々とあしらうはずが、高橋を真っ向から否定してしまっている。高橋はさらにヒートアップして、木崎に食ってかかった。

 

「その契約をしたのは木崎主任でしょう? 責任は木崎主任にあると思いますが?」

 

「そもそも、核の保存方法の研究担当者は君だろう? 悔しく無いのか? 底辺探索者ができることができないなんて?」

 

「それは論点のすり替えです!」

 

 作業台の上には、陽太たちが納品していった安っぽい真空パッケージが置かれていた。その中で青白く、完璧な透明度を保って輝くスライムの核が、何十億円もの機材に囲まれたエリート研究者たちを嘲笑っているかのようだった。

 

 徹夜に次ぐ徹夜で神経がすり減り、精神的におかしくなっていた所に突きつけられた、純然たる敗北。陽太達が持ち込んだ完璧な製品は、大企業の最先端技術を自負していた彼らのプライドをズタボロに引き裂いていた。

 

「ハァ……ハァ……ッ」

 

 高橋の荒い息遣いだけが、冷え切った研究室に響く。

 

 互いに睨み合い、重い沈黙の後。木崎が顔を覆い、絞り出すような声で沈黙を破った。

 

「……もう止そう。我々がいがみ合っても仕方がない。それよりもプラント完成に向けて装置への組み込み実験を行うぞ」

 

「……分かりました」

 

 高橋はギリッと奥歯を噛み締め、不承不承といった様子で頷いた。

 

「すまない。我々にはもう時間が無いのだ」

 

 木崎の力ない謝罪も、高橋の耳には届いていない。彼の視線は、すでに安っぽいパッケージに包まれたフィルターに向いていた。

 

(木崎はもうダメだ。上層部の顔色を伺い底辺探索者の言いなりになっている無能とはやっていけない。あいつらが契約を盾にするならそれを利用すれば良い。要は契約不履行に追い込み、ノウハウをいただけば良いだけだ。ついでに木崎が失脚するよう、ちょっと泳がせとくか……)

 

 二人の心に落ちた暗く淀んだ蟠りは解消されないまま、経営陣から一方的に告げられたタイムリミットが迫る。無機質な部屋で、息の詰まる実験が続けられるのであった。




桶の桃ジュース 様 評価ありがとうございます。
イシュリー様 宵々宵々 様 お気に入りの登録ありがとうございます
評価・お気に入り本当に嬉しいです。
今後とも頑張りますので、どうぞよろしくお願いいたします。
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