刹那の夏――預言者はもう一度、あの海へと還る

あの鋼鉄大陸攻略から半年、キヴォトス各地の放浪を続けていたマルクトは、微弱ではあるが鋼鉄大陸の跡地から預言者の信号をキャッチする。急行するマルクトが見たのは――あの日沈んだはずの鋼鉄大陸であった……。


マルクトが3人と夏休みを過ごし始めるお話です。

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マルクト・ばけ~しょん!

 雲一つない、見上げれば果てしなく続く青空に、白き少女は飛翔する。

 

 何かを求めて、飛んでいる。

 

 山を越え、街を越え、透き通る青の海を越え、雲を突き抜け、ジンジンと照り付ける日差しをその身に受けながら、あてもなく飛び続けている。

 

 妹たちの分まで――自由に生き続けている。

 

 

 少女は今も、あの妹たちの言葉を覚えていた。

 

 

 

 ……少女は気づいた。懐かしい声がした。

 

 かつて証明するはずであった主に刃向かい、最後は主と共に海に眠った同志の声。

 

 あの日、確かに沈んだはずの鋼鉄の王国(マルクト)から、か細いけれど確かに聞こえる声。

 

 

『忘れられた意味を見つけるため、砂上の楼閣は再誕せり』

 

 

 どこまでも届きそうな青空にターンの軌跡を残し、彼女は旋回した。

 

 ――最後の預言者はもう一度、彼の地へと還る。

 

 

 

 ◇

 

 

 

 民家に囲まれた田舎道。

 

 上を向けないほどの眩しさと、加熱した鉄板のようなアスファルトに挟まれながら、白髪の3人の少女が他愛もない話をし、歩き続けている。

 

「いや~今日の補修も何てことなく終わりましたね~」

 

「そうだねー。あの教師ったら、毎日毎日学校に来て飽きないのかな?」

 

「そ、そんなこと言っちゃダメですよ!私たちのために来てもらってるんですから……」

 

 その中の一人が一歩前に出て、二人に向き合う。

 

「でもこれで補修期間は終了したわけだし、明日から遊び放題だよ!何して遊ぼっか?」

 

「そうですねぇ……海とか行きます?」

 

「……オウル泳げないじゃん。何で海?」

 

「もちろん……ソフが派手な水着を着て、羞恥から顔を赤く染めているのを見たいから、です!」

 

「フンッ!」

 

「あ痛ッ⁉」

 

 ソフがオウルの額をひっぱたいた。張りの良い音とともに、オウルが苦悶の表情で額を抑える。

 

「馬鹿なこと言ってないで真面目に考えて。……私たちの中学最後の夏休みなんだよ?」

 

 3人の肩にはスクールバックが掛けてあり、黒のラインが入った白い制服を着ていることからも、彼女たちが学生の身分であることが分かる。

 

「でもソフの家庭菜園がありますから……あまり遠くへは行けないですよね……」

 

「そうなんだよね。私は行けて日帰りの範囲かな」

 

「いてて……大家に頼めばいいんじゃないですか?あの人滅多に町の外に出ませんし……」

 

「ネ、ネツァクさん⁉この前私たちがブレーカー落として怒られたばかりじゃないですか!」

 

「ちょっと今頼める雰囲気じゃないよねー……」

 

 

「……まあ夏休みも始まったばかりですし?これから考えればいいんじゃないですか?」

 

「そ、そうですね!」

 

 

 夏休みはまるで無限に続くようで、毎日いろんな場所でいろんな遊びをして、たまには家でダラダラと過ごして、それでも終わらないものだということを、3人は記憶していた。

 

 だから後回しにする。あとから決めたとしても、夏休みは残っているだろうから。

 

 平凡な日はこの先も続いていくのだから。

 

 

「……ソフ?どうしたんですか?」

 

 信号待ちでもないのにソフがピタリと足を止め、上を見上げている。

 

 2人もその方向を見る。

 

 その方向には一本のひこうき雲が入道雲から飛び出るように長く、蛇行して伸びているのが見える。

 

「う~ん?いや、あのひこうき雲がさっきから変な動きをしてるなって思って…さ……」

 

 ひこうき雲はこの街をぐるりと一周するように伸びており、もう一度入道雲に突っ込もうかというところで方向を急に変え、3人の方へと一直線に伸びつつあった。

 

「わ、私たちの方へ来てませんか⁉」

 

「!!ひとまずどこかに隠れましょう!」

 

 オウルは棒立ちになっている二人の手を引いて、近くに見える民家の陰に隠れようとする。

 

 しかしそれよりも早く、雲の尾を引く飛翔体はオウルたちの真上を通過し、20m先の民家に追突した。

 

 ドオォン!!!

 

 

周辺の木々にとまっていたセミや小鳥が一斉に散っていく。

 

民家から粉塵が吹き荒れ、轟音と送り風が3人を襲った。

 

「きゃあああっ⁉」

 

 

 ……謎の飛来から数十秒後。

 

 

「ひぃん……砂まみれです……」

 

「何が落ちてきたの⁉」

 

 巻きあがった砂ぼこりが落ち着いて視界がはっきりしてくる頃。

 

 汗でべとついた肌に砂ぼこりがついた3人は、たった今壊された民家の方へ目を向ける。

 

 

「――アイン?ソフ?オウル?」

 

 そこから出てきたのは大きな被り物をした、全身を白でまとめた長身の女性。

 

 加えて後ろにはユニットのような物が浮いていて、3人の名を知っている。

 

 そんな目に涙を浮かべながら自分たちの名前を呼ぶ存在に3人が覚えたのは、恐怖以外の何物でもなかった。

 

「やばいよアイツ、私たちが狙いだ!」

 

「生身で空を飛ぶだなんて信じられません!逃げましょう!」

 

「ま、待ってください…!……あっ!」

 

 空から落ちてきた女性に背を向けて一目散に逃げる3人。だがアインがつまずいてしまう。

 

「「アイン!」」

 

「あ、あわわ……」

 

 アインに駆け寄ろうとする2人。だがそれよりも早く、長身の女性は倒れこんだアインに近づき、その両腕でアインの身を締め付けた。

 

 

「生きてたんですね……!」

 

 ……そんな言葉をかけながら。

 

 

「………えっ?」

 

 

 ◇

 

 

 

 マルクトは驚愕した。

 

 かつて鋼鉄大陸が沈んだ氷河の地、そこに着いたマルクト目の前にあるのは氷河ではなく、再び空に浮き上がった大陸であったからだ。

 

 ただマルクトの知る鋼鉄大陸と違う部分もあった。

 

 大陸全体が妙な靄に覆われており、外周を観察してみるとその靄は端から徐々に消滅していっているのだ。

 

 

 ……先生に相談することも考えたが、靄が徐々に消えつつある事実を踏まえると、そのような悠長な時間は無い。

 

 そう考えたマルクトは意を決して大陸内に突入した。

 

 

 何の迎撃もなくすんなりと侵入できたマルクトは全容を把握するために大陸内の空を、ホログラムで空に見立てた壁に沿ってぐるりと巡回。

 

 そこでもう一度驚愕した。

 

 

 ――生きていた。

 

 あの日、デカグラマトンを弱体化させるために力尽きた3人の妹たち。

 

 それが目の前で息をし、話をし、体を動かしている。

 

 

 偽物の可能性などを考えるよりも先に身体が動いた。

 

 ブースターが一分一秒でも早く、マルクトを妹たちに会わせようと全速で躍動する。

 

 ドオォン!!!

 

 止まることすら考えていなかった。ダメージはない。

 

 それよりも3人の前…に……、

 

 

「――アイン…ソフ…オウル……っ!」

 

 いた。

 

 

 アインが、転んでいる。

 

 

 その場を飛び出してアインを抱きしめるマルクト。

 

 その眼からは涙が溢れてくる。

 

「生きてたんですね……!」

 

 アインは困惑の表情を浮かべながら、何とか言葉を紡ぎだす。

 

「……えっ?だ、誰ですか?」

 

 少し遅れてソフとオウルも駆けつけ、気づいた。

 

 ……彼女たちがマルクトに怯えていることに。

 

 

「アインをは、離せ!このッ化け物!」

 

「ば、化け物?ソフは我のことを忘れてしまったのですか?」

 

「知らない!会ったこともない!」

 

 

 混乱するマルクト。目の前の3人は確かに自分の知るアイン・ソフ・オウルに違いないのに、本人たちがそれを否定している。

 

 冷静さを取り戻していくにつれて疑問も浮かんでくる。

 

 彼女たちはなぜ生きているのだろうか?

 

 

「……どうやら、私たちを攫いにきた……ということでもなさそうですね。何か勘違いされているようですけど、私たちはあなたのことなんて知らないのですよ。逆に聞きたいんですけど、なぜ私たちの名前を知っているのですか?」

 

「我があなたたちの姉であるからです」

 

 マルクトの言葉を聞くと、ソフとオウルは2人で顔を突き合わせてマルクトの耳に入らないように相談し合う。

 

「私たちに姉っていましたっけ……?」

 

「一応アインがそうじゃない?姉っぽくないけど」

 

 2人そろってアインをじっと見る。アインはマルクトに抱きしめられたままキョトンとしていた。

 

「でも、アインより上の姉はいませんよね?」

 

「うん。何とかしてあの不審者からアインを取り戻さなきゃ!」

 

「でも、民家を破壊するようなヤツですよ。しかもアインは腕の中に抱えられています。非力な私たちだけでは難しいと言わざるを得ません」

 

「ケセドもこの時間帯だとまだ学校だろうし、どっちかが大人を呼んでくるとか?」

 

「」「」

 

 2人がアインをマルクトから取り返す算段を立てている間、マルクトは辺りを見回す。

 

 背後には自らがクッションに使った壊れた民家があり、その隣にも立て続けに民家が並んでいる。

 

 遠くには鋼鉄大陸の頃には考えられない新緑の山があり、車と呼ばれる機械が往来しているのも見える。

 

 何よりここにはセミや鳥をはじめとした生き物がいる。

 

 いずれも無機質な鋼鉄大陸とは似ても似つかない景色である。

 

「アイン、質問してもいいでしょうか」

 

「は、はい⁉」

 

 いきなりの呼びかけにびくつくアイン。

 

「ここは鋼鉄大陸なのですか?」

 

「い、いえ違います。ここは……あれ、ここはどこなんでしょう?ここは……」

 

 アインはマルクトの手の中で考え込む。

 

 この街で暮らして、この街の学校に通っている。

 

 にもかかわらず自分が過ごしている街の漢字を思い出せないどころか、名前すら思い出せないのはなぜか?

 

 自問自答を繰り返すアイン。

 

「あれ?私たちはこの街で長いこと暮らしているのに、なんで?どうして知らないの?学校の名前にだって……なんだっけ学校の名前。あの日ドキドキしながらソフとオウルと一緒に書いたはずなのに……なんで」

 

 いくら考えたとしても答えは見つからない。

 

 それどころか見つかった知識のほころびは広がり、やがては穴のように無視できないものとなって果てには自己崩壊が始ま……

 

「待たせたね化け物!」

 

 始まりかけた寸前で話をまとめたソフとオウルの叫び声が聞こえ、アインは思考を止める。

 

 

「……我の名はマルクトです。あなたたちに化け物と呼ばれるのは耐えられません……」

 

「じゃあマルクト!あんたこの街のこと知らないんでしょ?私たちが教えてあげるから、代わりにアインを放して!」

 

 ソフとオウルの結論は交換条件であった。

 

「ありがとうございます。昔のように教えてくれるのですね……」

 

「交渉成立ですね。ひとまずは……場所を変えませんか?あなたがどうかは知りませんが、ここにいると私たちは干からびてしまいそうなので」

 

 そう言って舌を出し、けだるげな顔を見せてみせるオウルにマルクトは優しく頷き、4人は場所を変えるのだった。

 

 

 

 

 灼熱の太陽の下、4人はなるべく日陰に入れるように道を進み続ける。

 

 日差しで温め続けられたアスファルトはより一層その温度を上げ、先の方の民家は揺らめいて見えた。

 

 そのうえ、3人はジージーと鳴りやまないセミの声がこの暑さを増幅させているような気さえしていた。

 

「あ、暑い……後のことは頼みました……カハァ…」

 

「お、オウル⁉しっかりしてください……!ここで倒れたら熱中症になっちゃいますよ!」

 

「構わないでいいよアイン。そいつまだ余裕あるから…って重い”ー……寄りかかるなっ!」

 

「ふっふっふー。おんぶしてくださいソフ~」

 

「……我がおんぶしましょうか?」

 

「いえ、急に元気になった気がしますね。大丈夫です」

 

 3人はその間も雑談したりダルがらみしたりと元気であったが、日差しは確実に3人の体力を蝕んでおり、限界が近づきつつあった。

 

「……目的の場所はあとどのくらい先にあるのですか?」

 

「えっ…、え~とここからだと2つ目の信号を右に曲がって坂を上るから……大体10分ぐらいだね……うん」

 

「つらいのでしたら我があなたたちを抱えて飛ぶこともできますが……」

 

 マルクトの提案を聞いて話し合う3人。

 

 知らない不審者の提案など怪しいにもほどがあるが、夏の暑さにやられている3人にはあまりに魅力的な提案であった。

 

「……えっと、じゃあお願いできる?」

 

「ええ、いいですよ」

 

 妹たちの期待に応えるために、マルクトは3人の小さな体を落とさないようしっかりと抱きしめると、空へと舞い上がった。

 

 

「「「うわー!」」」

 

 3人が初めて見る上空からの光景に、心地よく吹き付けるそよ風に驚嘆の声を上げる。

 

 そんな姿を見て、マルクトは鋼鉄大陸にいた頃にはこうしてあげられなかったことを思い出し、自然と笑みをこぼしたのだった。

 

「建物はどのあたりにありますか?」

 

「あ、あそこです!茶色の屋根に煙突があるところです!」

 

 下を向くと、確かに飛び立った位置の先に煙突の生えた一軒家が見える。

 

 ゆっくりとホバリングして着陸するマルクト。

 

 その間も、3人は街中を一望できる景色に夢中になったいた。

 

「……はい、到着しましたよ」

 

「あ、ありがとうございます……!」

 

「まあ、凄かったかな……ありがと」

 

「おお、ソフが珍しくお礼を言ってます!あのソフが、ですよ⁉」

 

「オウル!」

 

 

 オウルを追い掛け回すソフ。

 

 2人の姿を眺めていたマルクトは、ふと建物に看板がついていることに気づいた。

 

『喫茶セフィラ』

 

 それが看板に書かれた店名だった。

 

 ――いる。

 

 誰かは分からないが、マルクトがキャッチした預言者の信号が今もこの場所から感じ取れる。

 

 

「ほら、早く入って涼も!」

 

 ソフたちが次々に店の扉を開け、中に入っていく。

 

 

 誰であろうと預言者には違いない。

 

 マルクトが意を決して店内に入ると、正面のカウンターに見知らぬ、しかして信号を発しているエプロンを付けた女性が、マグを拭きながら待機していた。

 

 店内は銃への耐性など微塵もない暗めな木造建築で、正面左にカウンター、右奥にはテーブル席が設けられている。

 

 また、カウンターの後ろには食器や、原材料となる豆や茶葉が並べられており、その横には2階へと続く階段が設けられていた。

 

 天井では年季の入ったシーリングファンが音もなく回り、店内を冷やしていた。

 

「いらっしゃい」

 

「あー涼しい。ケテル、私コーラね」

 

「私はミルクコーヒーを所望します!」

 

「こ、こんにちはケテルちゃん……私はウーロン茶でお願いします……!」

 

「了解した」

 

 3人が慣れたように注文してテーブル席に陣取るなか、ケテルと呼ばれた女性はその場にいつまでも立ち尽くすマルクトの方をちらりと見やると微笑し、席に着くよう促す。

 

 ケテルの正面のカウンター席に着席するマルクト。

 

「こんにちは。……訂正、初めましてか?最後の預言者、マルクト」

 

「……こんにちは。いくつか質問しても」

 

「構わない。……注文は?」

 

「コーヒーで。あなたは預言者ケテルなのですか?」

 

「肯定。形が変化しても私は私。言語出力すらままならない第1のセフィラ」

 

「私をここに呼んだのもあなたですね。ここは何なんですか?」

 

「肯定。私は信号でお前を呼んだ。理由は……少し待て」

 

 そう言うとケテルは話している間に用意したドリンクをトレーに乗せ、それを3人の方へと渡しに行った。

 

 はしゃぎつつ、スクールバッグを開けて夏休みの課題を広げる3人。

 

「ごゆっくり」

 

 提供を終えたケテルがカウンターの方へと戻ってくる。

 

「理由はこの街がお前の助けになるから。この世界を説明する。まずは成り立ちからだ」

 

 マルクトにコーヒーを差し出しながらケテルは話し続ける。

 

「鋼鉄大陸は海の底に沈んだ。だが、いくつかの機能は生きていた。海底には捻じ曲げる力もあった。だからネツァクが()()()()()()()()()()()。」

 

「つまりここはネツァクなのですか?」

 

「否定。ネツァクは書き換えただけ。テクスチャの影響で預言者は人型となった。この世界には私、ネツァク、ビナー、ゲブラ、ホド、ケセドがいる。」

 

「残りの預言者は来なかったのですか?」

 

「否定。彼らは少女たちを安定させている。コクマーがアインのコア、ティファレトがソフのコア。イェソドがオウルのコアだ。だから彼女たちは生きている」

 

「……そうですか、ありがとうございます」

 

「なぜ礼を言う?」

 

「我は妹たちを救うことができなかった。それを救ってくれたので感謝したのです」

 

「否定。お前は間違ってる」

 

「??どういうことですか?」

 

「彼女たちは生きている。だが生き返ってはいない。ネツァクは神ではなく、この世界は不完全だ。お前も崩壊を見ただろう」

 

 マルクトは思い出す、侵入する前にこの世界の外装を包む靄が徐々に剥がれ落ちていたことを。

 

「この世界は消えかけの預言者の力の結晶だ。砂上の楼閣はいずれ崩壊する。その時彼女らも一緒に消える。お前にも伝えたはずだ。」

 

「『砂上の楼閣は再誕せり』というのは、そういうことなのですね。では『忘れられた意味を見つけるため』というのは?」

 

「お前も意味を探しているから。」

 

「『も』?」

 

「探しているのはお前だけではない。この世界を作ったのはお前のためではない」

 

 頭に疑問符を浮かべているマルクトを横目に、ケテルは手元にあるボタンを押す。

 

 すると2回からストストと階段を下りる音が聞こえた。

 

 下りてきた音の主の背丈は小学生ほどで、白の長髪。

 

 「ケテルさん、お会計ですか?」

 

 ――そしてマルクトと同じような顔をしていた。

 

 ガタリと椅子を倒すマルクト。

 

 その顔は恐怖、あるいは畏敬によって歪み、冷や汗が出てくる。

 

「あなたは……いやこのお方は……!」

 

「黙れ」

 

 ケテルが平坦な声でマルクトを制止する。

 

「この方に一切の記憶はない。何も知らない。余計な知識を植え付けるな」

 

 

「あっマスターだ!」

 

 その時、二階から下りてきた少女に気づいた3人が少女の方へと近づき、少女の頭をなでる。

 

「いらっしゃいませ。アインさん、ソフさん、オウルさん」

 

「え、えへへ……。私のことをお姉さん扱いしてくれるのは、マスターちゃんだけです……」

 

「今日はもう宿題終わったの?だったら私たちと遊ばない?」

 

「あなたに頼まれていたものができてますよ。いつ渡しましょうか?」

 

 鋼鉄大陸にいたときには絶対に見られないと断言できる、創造主の頭をなでる光景。

 

 マルクトは頭での理解が追い付かなくとも、感覚的に小さな少女の存在を理解した。

 

 そういう子になったのだ、と。

 

 

「ネツァクはあの時、あの方を止めるのに賛成した。だが奴は中立だ。だからもう一度あの方の存在証明のための場を作った。それがこの世界だ」

 

「??どうかしたんですか、ケテルさん?……あっ初めてのお客さんへの挨拶ですね。こんにちは。私はこの店の会計とお手伝いをしている者です。名前がないので、みんなからはマスターと呼ばれています。」

 

 丁寧で驕っていない挨拶。

 

 そんなあの頃とは違うマスターに、マルクトは自分にすら答えが出せていない『存在』について聞いてみたいと思った。

 

「……マスターさんですね。私はマルクトです。……一つマスターさんに聞きたいことがあるのですがいいですか?」

 

「おい。話聞いてたか?」

 

「いいですよ。私に応えられることであれば」

 

「マスターさんは自分がなぜこの世界にいるのだと思いますか?」

 

 聞いた。聞いてしまった。

 

 マスターはその質問について少しの時間考え、ゆっくりと言葉にしていく。

 

「……難しい質問ですね。私は何者か?……実のところ私もわかっていません。なにせ自分の名前すら知りませんから。でも一つだけ確かなのは、私はお店のお会計ができて、この街の皆と仲良くなれる人ってことです。今はそれでいいと思ってます。……答えになってますかね?」

 

「……はい、ありがとうございます」

 

「いえいえ、いいですよ」

 

「挨拶させただけだ。戻っていいぞ」

 

「はい、失礼しますね」

 

 要件が終わったことを知ってマスターは2階へと帰っていく。

 

「ちょっと待ってくださいケテル!まだ私たちが構い足りないのですが⁉」

 

「知らん」

 

 

 マスターが2階に消えたことを確認すると、ケテルはマルクトを恨むような眼でにらみつける。

 

「……肝が冷えたぞ。二度とするな。あの方はあの方自身で証明すべきなのだ」

 

「……申し訳ありません」

 

 

 この世界でだけ生きるアイン・ソフ・オウル。

 

 記憶を失ったデカグラマトン。

 

 預言者の作った猶予の世界。

 

 この短時間で考えるべきことが増えすぎている、とマルクトは感じていた。

 

 マルクトはコーヒーを啜る。アイスコーヒーだった。

 

 

 

 ――もっとたくさん、 あの子たちと話をしてあげるべきだった。

 

 思い出すのはある日の後悔。

 

 2度と叶うことはないと思っていた願い。

 

 だが、それが今、叶っている世界にマルクトはいる。

 

 

 この世界でマルクトの求めるものが見つかるかは分からない、

 

 この世界のアイン・ソフ・オウルは妹ではない。

 

「だとしても、我はここで過ごしたいと思っている。……たとえ波によって消え去る砂上の楼閣であろうとも」

 

 

 ―――最後の預言者マルクト、彼女の長く短い夏休み。

 

    遠い過去に零れ落ちたものを追いかける日々が始まった。


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