狩人は獲物を殺す。当然のことだろう。
ヤーナム市街は血の匂いに包まれ、臭い雨が降った後の姿は糞にも劣らぬ醜さだった。
『俺』は濡れた街路を「こつん、こつん。」と鳴らす男を見つめ息を殺す。血に塗れた獲物と腑の滓が残る腕が己に向けられることのないように。
『ヤツ』に狩られる事がないよう、狩人から距離を取り続ける。捲し立てるように近づく足音を背にして。
ひとまず逃げ延びた『俺』は物陰で泥のような一息をだらしなく吐く。艶やかに光るナメクジ共とハエの羽音が揃う最悪なこの環境でもまるでオアシスのようで、後は女がいれば安眠できそうにも『俺』は思えた。
なんで俺がこんな目に遭うんだ——
悪態を思わずついてしまう。獣狩りの夜、戦わないものは家の中に引きこもるのが常。かつて『俺』も街に跋扈する怪物に怯えながら身を硬くしていた。獣の吐息に肉の裂ける音、そして骨が砕ける音。外から得られる情報はそんなもんである。
だが、そうじゃなかった。窓を何かが突き破り、飛び入ってきた。それは出来立ての獣と化した人。辛うじて息があるようで『俺』に手を伸ばしたところ、首を背骨ごと引き抜かれ動かなくなった。
そこにもう一人、ロングコートと短いマントを靡かせる羽付き帽の男がいた。男の左手には大きな銃、右手にはノコギリのような変な形の武器。いつの間にか侵入した話の通じなさそうな『ヤツ』は『俺』を見据えている。
なんだよ。用が済んだらさっさと出ていってくれ——
ぶっきらぼうに吼えた瞬間、『ヤツ』は飛びかかり乱暴に武器を振り下ろしてきた。『俺』はなんとか避け、やめてくれと叫び汚く伸びた爪を備える手を突きつけると指を二本落とされてしまった。
「ぐううううううっ!!」
唸りながら涙で誤魔化したくなる痛みを抱え、『俺』は飛び出しなんとか撒くことができた。それが今。
今いるのはなんかの倉庫のようで、奥に進むとちょっとした飯屋だとすぐに理解した。そこにはなんとか逃げ延びた連中もいたようで、一人よりはマシだと中に踏み入る。声を掛ければ、
「お前も逃げ延びたのか。ここなら安心だ」
腕毛の濃い男がにこやかに歓迎する。酷い訛りだったがなんとか聞き取れた。他には酷い猫背の男に、ノッポな女。腰が悪いのか四つん這いで動く老人もいた。
なんでみんなここにいるんだ——
「なんでって、イカれた狩人様にみんな追われてんだ。今回の獣狩りの夜はどうも様子がおかしいぜ」
腕毛の男がつぶやくと周りの連中も頷く。皆俺と同じ境遇らしい。『俺』がそう勝手に同情していると猫背の男が口を重く開いた。
「俺はあいつらに妻子もやられた。首がもげてるわ腑をこぼしてるわで酷い亡骸だったんだ。まるでこれからシチューでも作るみてえにな。俺も殴られたからか記憶がぐちゃぐちゃさ」
猫背の男はその証拠にか、たしかに血まみれだった。かなり堪えているのか焦点の合わない両目は不気味でおおよそ人がしていいものではなかった。
他にも恋人を殺された、友人を殺されたと次々に応酬が繰り広げられる。恨みか哀しみか。はたまた別の何かが店の中に満ちていた。
「全員でここを、この街を出るんだ。そうしてまた自由を得ようぜ。まずは生き延びるんだ」
腕毛の男が店の空気に耐えかねたのか、弱々しく、かつ大袈裟に啖呵を切った。右手にはいつの間にか用意したのか先端にナイフを括り付けた長い棒を持っている。
その大見得は効果があったようでいきり出した皆は武器になるようなものを手に取り始める。しかし『俺』だけはついていけず何も持たなかった。
「よし、行くぞ」
そう声が響いた瞬間、扉が勝手に開き中に何かが飛んでくる。
鋭い刃がついた瓶だった。やたらと凝った仕掛けがカチカチと数回鳴り、見計らうように爆炎が巻き上がった。
「がうっ」
『俺』は吹き飛ばされ背中を強打する。痛みに耐えながら立ち上がると同時に煙が晴れた。
シルクハットと鉄の杖、小さな銃で飾られた男が転がる死体の中心で『俺』達を蔑むように見つめている。他の生き残りがナイフを持って突っ込むが杖を喉に突き刺され、首をちぎられる。鮮血が噴水かまたは花弁のようにして男を彩った。
キザな振る舞いをする男の背後から腕毛の男が叫びながら襲い掛かる。だがシルクハットの男は雑な突撃に慣れているようであった。肩を撃ち抜き片膝つく腕毛の男の腹、そこを一切の躊躇いもなく杖で貫いた。
「逃げろぉ……」
杖から音がした、何か外れるような音が。杖が引き抜かれようとした瞬間、それは背骨のようにバラバラになり臓物を巻き取りながら飛び出した。そして杖を一度払うとぐちゃぐちゃになった細かい肉片が撒き散らされる。まるで赤いナメクジだ。
苦悶の表情を浮かべ砕けた男とシルクハットの座りを直す男。その対比構図が『俺』恐怖を植え付けるには十分すぎた。
嫌だ! しっ、死にたくねぇっ!——
杖が横薙ぎに振られると、それは伸び、鞭のようにして辺りを薙いだ。その一振りで『俺』以外全員真っ二つになってしまった。
極限状況で頭をぶん回し、『俺』は考える。そして棚にあった瓶と布、そしてカウンターに置いてあったマッチ棒で即席の火炎瓶を作り上げた。
これでも食らいやがれ!!——
それを投げると男は後ろに飛び下がる。当たりはしなかったが炎が道を阻み、時間稼ぎはできそうだ。
まさに尻尾巻いて裏口から脱出、銃を撃たれ、耳を削がれてしまったが命を拾った。
改めて見ると街は酷い有り様だった。あちこちで死骸が焼かれ、気狂い共が血を吸った斧を引き摺る。残った汚い雨水と溢れた体液が混ざり合い、石畳のはずが雑踏は粘着質なものである。他所に目をやれば大きな獣が食うぞ殺すぞと叫ぶ。口から赤ん坊のものであろう腕が落ちるのが見えた。実に胸糞悪いと『俺』は目を背けた。
そして頭をつんざくような絶叫が響く。音の方角には大きな橋、そこから頭が砕け、腹がズタズタになった一際大きな獣が身の丈もある片腕を先頭にして下に力なく落ちていき、大きな衝突音が鳴り渡った。
ふと上を見上げると月がてらてらと輝いている。不衛生なこの地獄が広がっているというのに、あれは空気を読まず綺麗なままだ。馬鹿野郎と吠えたくなる。
だがそんな暇はない。『俺』に襲いかかった『ヤツ』が目の前にいた。
嘘だろおい——
すぐに『ヤツ』は駆け出した。それに応えるのは当然で『俺』も後ろに走り出す。『俺』は足が遅い方だが今回は足の速い『ヤツ』といい勝負ができる速さを出せている。そのまま裏路地に入り、物を倒しながら距離を離そうとする。『ヤツ』はそれを片手間に破壊しながら追いかけるが追いつけないでいた。
『俺』はそれを認識しながらもとにかく走り続ける。せめて『ヤツ』の視界から消えるまで走ろうと体を酷使する。
だが、運が悪かった。
痛っ! なっなんだ!?——
角を曲がった瞬間、何かにぶつかり情けなく尻餅が決まった。視線を上げ直した時、すぐに絶望が湧き上がるのがわかる。目の前には大きな布と鎧を纏い、出鱈目な斧を持ったナニカがいた。
「ひいいぃぃぃ!!」
すり抜けもできず、すぐ踵を返すがナニカは追ってくる。恐怖で乱れた足では逃げ切ることは当然できず、ついに角の手前で転んでしまった。
斧が振り上げられる。もうだめだ、ここで死ぬんだと『俺』は腕を出し無駄で愚かな防御を選んだ。
だが待っていたのは斧の打撃音ではなかった。
銃声————。ナニカはよろけ、体勢を崩した。そして…………。
『ヤツ』が右手をナニカの胸に突き刺し、そのまま脈動する臓物をもぎ取った。
苦しむナニカを蹴り倒し、ゆっくり『俺』へと向き直ろうとする。どうやら角から飛び出した瞬間、ナニカの攻撃に巻き込まれそうだったため、反撃をしたようであった。
『俺』はこの一瞬を見逃さなかった。飛びかかると長い距離を走り疲労困憊だったらしい『ヤツ』を押し倒すことができ、武器を引っ手繰ることも容易だった。
そして馬乗りになりながらノコギリの歯を何度も何度も乱雑に、まるで獣のように叩きつけた。抵抗はあったがそれすらねじ伏せて、普段の自分には似合わない怪力で『ヤツ』をズタズタにする。それは武器が壊れるまで続いた。
『ヤツ』が動かなくなったのを確認して『俺』は歩み出す。悪夢のようなこの街から出ていくために。
汚いし陰気臭い街だ。だが『俺』は不思議と嫌いにはなれなかった。よく通った酒場に友人と一緒に大負けした賭場。子供の頃によく悪戯を仕掛けた家。善き過去ではないが良き思い出だ。そんなこの街にはもういられないと思うと寂しさを感じるのは間違いではないはずであろう。
ここを出たら、もう外か——
呟いた。最後に思い出を軽く一瞥しようと後ろを振り向く。
『ヤツ』がいた。
なんで——
死んだはずの『ヤツ』が近づいてくる。
『俺』はまた考える。さっき気づいたが今日は体の調子が良い。武器を振り下ろした瞬間、一瞬下がってすぐ飛びかかればいい。そう思った。そして実行した。
振りかぶる。そして刃が向かってくる。
一瞬『俺』は飛び退いた。
そして『俺』の片腕が地面に落ちた。
「ぎゃあああああっっっ!!」
武器が開くように変形していた。鉈のように大きくなった武器が『俺』を見逃さなかったのだ。
苦し紛れに残った腕の長い爪を叩き込もうとする。が、大きな銃で残った腕も吹き飛ばされ、その勢いで地面に仰向けで倒れた。
『俺』は苦肉の策で命乞いを選ぶ。一度殺しておいて勝手なのはわかるが縋るしか無かった。そして叫んだ。一所懸命にひたすら叫んだ。
「があああああ!! ぐっ、がるるらああぁぁぁ!!!!」
だが飛び出たのは獣と変わらない叫び。『ヤツ』は意に介さず『俺』の側頭部に足を乗せる。
無理やり向かされた先には立てかかるガラスの大きな破片があった。そこに映る『俺』は獣そのものだった。
乗せられた足に力がかかる。メキメキと鳴る死へのカウントダウンは耐え難い痛みと絶望と共に現れた。
(ふざけんな)
視界が自身の血で赤くなる。
(いやだ、こんなのいやだ)
最期に聞いたのは獣の吐息に肉の裂ける音では無かった。
(こんなの、悪夢に決まってる)
ぐしゃ。