機動戦士ガンダム 宇宙世紀0010 重力より重い住宅ローンに魂を引かれた男 連邦軍の社畜、有給申請を宇宙の塵にされる   作:寝て起きたら異世界じゃなくて会議室だった

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惑い人、あるいは真空の亡霊(※なお、ハチローが命綱なしで船外に身を乗り出した時、ハキムが『おい馬鹿、お前が落ちたら帰りの運転(操縦)のシフトが全部俺になるんだよ!』と本気で焦っていたことは内緒である)

宇宙世紀0010年、厳冬。往還船「ジュピター・ワン」は、危険な小惑星帯(※飛び石が多すぎる宇宙の悪路)を命からがら乗り越え、ついに目的地の木星圏へと突入しつつあった。

 

しかし、船内の完全に密閉されたコクピットの中で、ハチロー・アマダは、長旅によるストレスと孤独の限界突破によって、「宇宙病」の末期症状ともいえる、自分の身体がどこにあるか分からなくなる重度の感覚解離(=要するにウルトラ超弩級のホームシック)に陥っていたのである。ハチロー、メンタルが限界だ!

 

「……クソッ、ここには、本当に何もないじゃないか。お上のうるさい重力も、空気も、デブリ課のみんなの笑い声も……」

 

ハチローの虚ろな視界には、連邦のお上がパンフレットで約束していた「人類の輝かしい未来!」なんていうキラキラしたおとぎ話は、1ミリも映っていなかった。

 

あるのは、エンジンの不気味な微かな振動と、窓の外に無限に広がる、脳みそが吸い込まれそうな絶望的で冷たい虚無。

 

彼は、地球連邦が掲げる「全人類の偉大なる進化の物語」という都合のいいお芝居から、一人だけポツンと脱落し、宇宙の迷子(精神のデブリ)と化していたのだ。

 

その頃、地球の古びた病院に強制収容されていたサハラは、ケガのリハビリの合間に、病室の窓から青い空をじっと見上げていた。

 

彼女は、木星へ向かって飛んでいった黄金の光の矢の中に、かつて自分が大好きだった「あの泥臭いレンチのハチロー」が、もうお上の手によって中身を漂白されて存在しないのではないかと、切ない胸騒ぎで予感していたのである。サハラ、胸のセンサーがビンビンだ!

 

そう、ハチローを襲っているこの強烈な虚無感は、かつて大昔の西暦の時代に、イギリスやアメリカといった大国が「未開のフロンティアを切り拓くぜ!」と言って、一番キツい現場に送り込んだ若者たちの兵士や探検家たちが、例外なく味わわされた「国家の身勝手な使い捨てシステム」の精神的代償の完全な再来だったのだ。

 

地球連邦政府は、この「現場の人間をただの消耗品(電池)として使い潰すシステム」を、宇宙世紀において完璧に完成させていた。

 

連邦は、木星という人間が住めない極限の地獄環境へハチローたちを送り込む際、彼らの心が受ける「凄まじい精神的重圧(孤独)」なんてものを、ロケットエンジンの「ただの排熱」程度にしか考えていないのだ。

 

かつて大昔の英米が、砂漠のド真ん中や極寒の北極圏で心が壊れて死んでいった開拓者たちを「我が国の偉大な開拓の礎(ヒーロー)である!」と都合よく呼んで歴史の教科書に片付けたように、連邦もまた、ハチローのこの胸が張り裂けそうな孤独を、木星のヘリウム3(お宝資源)を手に入れるための「ただの必要経費(コスト)」として右から左へ処理しているのである。お上のソロバンはどこまでも血も涙もない!

 

ハチローはついに頭が完全にフットーし、機体のハッチを独断でプシューと開き、あろうことか命綱(テザー)を付けずに、剥き出しの船外へとフラフラ身を乗り出したのだ! 自殺行為だぞハチロー!

 

漆黒の宇宙のド真ん中で、彼は、酸欠の脳裏に自分を呼ぶ「たくさんの亡霊(デブリ)」たちの幻影を見る。

 

それは、連邦の汚い圧政に抗って歴史の闇に消された過激派テロリストたちであり、ダウン・軌道(スラム)の街でお上のコストカットによって窒息していった哀れな老人たちであり……そして何より、自分自身がエリートの席と引き換えに切り捨ててきてしまった、サハラとの「愛の残骸」だったのである。

 

「俺は……俺はただ、あんな汚い地球を飛び出して木星に行きさえすれば、誰にも邪魔されない自分だけの最高の自由な場所が見つかると思ってたんだ! でもよ……どこまで遠くへ逃げても、連邦の黒い影が、地球のドロドロした重力が、俺の魂のツナギにしがみついて離れねえんだよォォォ!」

 

ハチローの魂の咆哮は、音の伝わらない真空の宇宙に虚しく吸い込まれ、誰の耳にも届かない。

 

彼は、大昔の英米から連邦へと脈々と引き継がれた「冷酷な支配の歴史」の最先端のピエロ(担い手)に自分を据えられながら、その巨大すぎる歴史のシステムの重みに、今まさにベキベキに押し潰されようとしていたのだ。

 

その瞬間、彼の脳裏に、かつてあのボロっちいつぎはぎの防護服を着て、それでも「これが私の仕事ですから!」と元気にデブリを拾い続けていたサハラの、あの不器用な笑顔が強烈にフラッシュバックした!

 

彼女の言っていた「愛」は、連邦のお偉いさんがドヤ顔で語るシステム的な救済なんかじゃない。目の前で困っているマヌケな男(ハチロー)に向かって、ただ無骨なレンチを差し出すような、どこまでも泥臭くて不器用な、個人的な執着(人情)そのものだったのだ!

 

「おい馬鹿、何やってる! そこで死にたきゃ勝手にしろと言いたいが、お前の葬式報告書を俺に書かせるな!」

 

間一髪のところで、ハチローの宇宙服の襟首が、あの元エリート・ハキムのがっしりした手によって、船内へと強引にガシッと引き戻された! ハチロー、命拾いしたな!

 

ハッチを閉めたハキムの目は、相変わらず氷のように冷たかった。

 

「アマダ、悲劇のヒーローを気取って勘違いするな。お前がここで勝手に絶望して犬死にしようが、お上の連邦政府は明日には次の『代わりの部品(パイロット)』をニコニコしながら送り込んでくるだけだ。それどころか、お前のその無駄な死さえも、彼らは『木星に命を捧げた偉大な若者の愛!』とテレビのニュースで都合よくプロパガンダ(やらせ)に利用するだろうさ」

 

ハチローは、宇宙服のヘルメットの内側で、情けなくボロボロと涙を流しながら、へらへらと自虐的に笑った。

 

「……へっ、ああ……全くだよ、ハキム。本当にな……俺はどこまで行っても、ただのしぶといゴミ拾い(デブリ課)なんだ。たとえこんな木星の最果てまで来たってよ、俺のこのひねくれた心の中にある『連邦という名のお上のクソゴミ』を、自分で一生ガリガリと拾い続けなきゃならない運命なんだよ……!」

 

宇宙世紀0010年。往還船ジュピター・ワンは、ついに人類の夢の終着点である、木星の巨大な衛星軌道へと到達した。

 

しかし、そこに記念すべき第一歩を刻むはずのハチロー・アマダの男の魂は、かつて大昔に英米の偉い奴らがフロンティアの荒野にポイ捨てしてきた、数多くの名もなき開拓者の亡霊たちと全く同じように、決して癒えることのない深い傷を胸に抱えたまま、真空の中で迷子のように惑い続けていたのである。

 

一年戦争まで、あと69年。

 

この「木星へ行って、お上の汚い真実を見て心が空っぽになって帰ってきた生存者たち」が抱える凄まじい精神的な空洞(闇)こそが、後々の時代に「木星帰り(パプテマス・シロッコやシャリア・ブル等)」と呼ばれるニュータイプたちの、常人を超越した異様なまでの天才的なカリスマ性と、それと同時に「あいつら地球の重力に魂を引かれた奴らは全員消去だ!」という、剥き出しの狂気の根源(ルーツ)になっていくのである。すべての歪みは、この宇宙世紀0010年の木星の空から始まっていたのだ!

 

ハチローは、コクピットの防弾ガラスの眼下に広がる、すべてをドロドロに飲み込もうとする巨大なガスの渦(大赤斑)を、ただじっと見つめていた。

 

それは、現場の人間たちの血と涙を綺麗にペンキで塗りつぶして進んでいく、冷酷な「地球連邦の歴史の巨大な口」そのもののように、ハチローの目には寂しく映っていたのである。ハチロー、お前のそのレンチで、いつかその巨大な渦のネジを全部締め直してやれよ!




この「フロンティア(境界)へ人間を送り込み、その精神的な摩耗を無視して成果のみを享受する」手法は、19世紀の米国における「西部開拓時代」や、イギリスによる「極地探検」にその原型がある。彼らは「冒険心」や「愛国心」という美しい言葉で若者を煽り、過酷な自然環境へ放り込んだ。結果として、多くの開拓者や探検隊員が孤独、壊血病、あるいは精神錯乱によって命を落としたが、本国の英米政府は彼らを「偉大な犠牲」として英雄化し、その陰にある個人の崩壊を歴史から抹消した。
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