アストレア家の長女   作:slo-pe

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ひどく酷なこと

 

 

 ──白鯨を討つ。

 

 交渉が終わり、討伐の二文字が具体性を帯びれば、その後の関係者の動きは早い。

 アナスタシアとラッセルは武器と物資をかき集め、クルシュはかねてより準備していた討伐隊を招集する。竜車の手配から補給路の確保まで、夜を徹して進められる作業に、部外者であるスバルの出る幕はなかった。

 

 そして翌朝、白鯨討伐までのタイムリミット、十七時間半。

 

「フェリス、こいつにする。一目惚れだ」

 

 スバルは白鯨戦で命を預けることになる、黒い地竜──後のスバルの相棒、パトラッシュと出会った。

 

「はいはーい。お、いい子選んだネ。スバルきゅんもなかなか図々しい……あと、レムちゃんが拗ねてるから一目惚れとか言わない」

「別に拗ねてませんよ。ちゃんと仲良くします。できます」

 

 確かめるように言葉を重ねるあたりが少し不安だが、レムの許可も出たことでスバルの騎竜がこれにて決まった。

 

 スバルが屋敷の中へ戻ると、続々と討伐隊に組み込まれる人員が集まり始めていた。

 ホーシン商会専属の傭兵団『鉄の牙』、カルステン領の領軍、クルシュが声を掛けた白鯨に縁のある義勇兵たち。

 

 討伐隊の主要メンバーが揃う。いよいよ決起直前の機運が高まってくる。当たり前だが、負けられない気持ちが強くなり、スバルの胸に緊張感が込み上げてきた。

 だが出発予定時刻が迫っても、かの『剣聖』は現れない。入口の魔刻結晶を見上げ、スバルはレムに訊ねる。

 

「レム、アストレア領ってこっからどのくらいかかるんだ?」

「地竜を潰す気で、休み無しで走らせても半日は掛かります」 

「まじかよ!?」

 

 片道で半日、往復で丸一日。どうやっても出発には間に合わない計算になる。となると現地集合になるのかと、スバルが思考を巡らせていると──

 

 ──次の瞬間、窓の外の景色に、煌々と眩く輝く炎が天から飛来した。

 

「な、なんだ!? 何が起きた!?」

 

 慌てふためくスバルだが、この屋敷内でそんな行動をしているのは彼しかいない。クルシュやフェリス、リカード、レムまでもが、薄く驚きを浮かべるのみ。

 また自分が知らない異世界特有の何か、今までの周回に無いイレギュラーが起きたのか。スバルは恐怖に駆られて屋敷の外へ走り出す。

 

「フェルト様、姉上、到着しました」

「……ご苦労様」

「ラインハルト、お疲れ様」

 

 そこには、鮮やかな赤のジャケットに、細身でぴったりとした白いズボン、足下は焦げ茶の牛革ロングブーツ。お揃いの乗馬──乗竜服に身を包んだ二人の淑女。

 そして、彼女たちの傍で炎が揺らめいている。スバルはそう錯覚した。

 

 真っ赤に燃える炎のような髪に、澄み渡る青空を閉じ込めた双眸、近衛騎士団の白い制服。一度目にすれば、永劫に魂に焼き付くほどに整った顔立ち。

 全身に突き抜ける衝撃は、凡人が英雄を目の当たりにしたときに感じるそれに違いない。そして、その邂逅はまさしくその通りの出来事であったのだ。

 見間違えるとすれば、炎としか見間違えない。そんな男の名前は──、

 

「──ラインハルト」

 

 息を抜くようなスバルの囁き声に、青年が振り向き、柔らかく微笑む。途端、今まで味わっていた驚きと緊迫感が強制的に溶かされ、甘い安堵に変わるのをスバルは感じた。

 ただ微笑むだけで、他者を絶対の安心感に包み込む。それは、隔絶した強さの証だ。

 そして、青年はスバルに一度頷きかけて──、

 

「やあ、4日ぶりだねスバル。思っていたより、ずっと元気そうで何よりだ」

 

 そう、『剣聖』ラインハルト・ヴァン・アストレアは変わらない親しみを抱いたまま、スバルとの再会を喜ぶように笑った。

 

「え、いや、おま、どうやって……」

「『雲の加護』だよ。雲の上を歩くことができるんだ」

「は?」

 

 呆然と、スバルが口を開ける。だが、彼がそんな顔になるのも当然だ。今のラインハルトの発言は、他の意味に受け取りようがない。

 まさか、地竜でさえ半日かかるはずの道のりを、雲の上を通ることでたった一時間かそこらで走破してきたとしか思えないコメントだ。

 

 そんなスバルを余所に、ラインハルトの隣から、一筋の白金色を宿した金髪の淑女が一歩進み出た。

 

「ナツキ・スバルさん、でよろしいでしょうか?」

「はい。あの、貴女は……?」

 

 おそらく外れてはいない推測を確かめるスバルに、淑女はうっすらと微笑んでみせた。

 

 スバルの心の一番目と二番目は、既に埋まっている。エミリアとレム、二人の少女にスバルは首ったけだ。

 だが、そのスバルをして、一瞬ぐらつくほどの衝撃を、目の前の淑女は微笑み一つでもたらした。

 

「申し遅れました。アストレア家当主代理、アリーゼ・アストレアと申します。この度はこのような無作法な来訪となってしまい、誠に申し訳ありません」

 

 アリーゼ・アストレアの披露するカーテシーに目を奪われながら。ナツキ・スバルは彼女が『剣聖』の姉であり、一筋縄ではいかない交渉相手であると、再度認識を固めた。

 

 

◇◇◇

 

 

 アリーゼ・アストレア。

 アストレア家当主代理、王選におけるフェルトの後援者。そして、当代『剣聖』の姉。

 彼女との交渉に向けて、スバルは昨晩レムから情報を得ていた。

 

 曰く、アストレアの落ちこぼれであり異端児。燃えるような赤髪を持たず、剣の才能もない。

 曰く、崩れかけていたアストレア領の経営を立て直し、さらに騎士・衛兵養成所の設立により王国に多大な貢献をした女傑。

 徽章に選ばれなかった際も、「婚約者がいるから」「巫女に選ばれ、二人の仲を引き裂くのを神龍が躊躇ったのだろう」と、人々は噂したという。

 

「──なるほど、お話は理解しました」

 

 そんなアリーゼ・アストレアは、スバルの長い説明に、一つ頷いた。

 

 場所は王都貴族街、カルステン公爵別邸の応接間。

 白鯨討伐を直前にした会談の焦点は、アストレア家に『剣聖』ラインハルトの協力を要請すること。

 

 会談の参加者はスバルを除き7名。

 ソファでスバルと相対するのは、フェルトとアリーゼ。その背後には、会談の中心である『剣聖』が控えている。

 一方、スバルの背後にはクルシュ、フェリス、アナスタシアがおり、そして隣にはレムもいる。心強さという点では、決して劣るものではなかった。

 

「白鯨の出現場所とその時間を知っている──伺いたい点、腑に落ちない点は様々ありますが、ここでは問わないことにしましょう」

「……いいのか?」

「クルシュやアナ、ここにはいませんがラッセル・フェロー様も、その情報を信じていらっしゃるのでしょう? ここでその真偽を言い争っても野暮になるだけです」

 

 淑やかに微笑むアリーゼに、ここが一番の難関だと想定していたスバルは、肩透かしを食らった気分になる。

 

「話が早くて助かる。それで、アリーゼさんには、アストレア家にはその討伐に協力してほしい」

「弟の、『剣聖』の力を貸してほしい、と?」

「ああ。ラインハルトの力があれば、討伐の可能性が大きく上がる、出てしまうであろう犠牲者だって減らせるはずだ」

 

 スバルとて、あのバケモノを犠牲者ゼロで乗り越えられるとは思っていない。

 領地を預かるアリーゼなら、その数を減らすことの価値が分かるはずだと、スバルはそう踏んでいた。

 

「──スバルさんは、ひどく酷な事を言いますね」

 

 だが、アリーゼは変わらず穏やかに微笑み、言外に拒否の意を示した。

 

「え……」

 

 スバルは思わず喉を鳴らした。

 ここで口説き落とせると楽観していたわけではない。だが、最低限次の段階へ、クルシュやアナスタシアのように陣営として取引の話に持ち込めると思っていた。

 

 彼女の浮かべる微笑みは、あまりにも自然で、優しげですらあったからこそ、そこに込められた断固とした冷徹さがスバルの胸を突いた。

 

「どういう、ことだ……?  酷って、どこに酷な要素が──」

「──スバルさんは私たちに、クルシュが得られるはずの栄誉を横取りしろと仰っているのですよ」

 

 絶句するスバルに、アリーゼは淑やかに続ける。

 

「白鯨は400年もの間、人類を苦しめ続けた厄災。ですが、それは所詮、一体の巨大な魔獣に過ぎない──出現場所と時間が分かっているのであれば、ラインハルトが一撃で仕留めるでしょう。仮にそれができないほどの相手であれば、その他の兵力は足手まといでしかありません」

「なっ……」

 

 スバルが息を呑む。

 咄嗟に隣へ、後ろへ視線を向ける。レムも、クルシュも、フェリスも、アナスタシアも、口を開かない。

 誰もがそれを否定できないからだ。

 

「白鯨討伐は、クルシュが王選に向けて成そうとしている偉業です。協力したアナやエミリア様の陣営にとっても、大きな実績となるでしょう」

 

 そこでアリーゼは、一度だけラインハルトを振り返った。

 

「ですが、ラインハルト単独で白鯨を討てば、その功績はすべて『剣聖』個人のものとなります。三陣営が協力して成し遂げた偉業ではなく、『剣聖が片付けた問題』として終わってしまう」

 

 アリーゼの言いたいことが、ようやく分かった。

 ナツキ・スバルは間違えた。ラインハルトを、『剣聖』の力を甘く見ていた。

 彼ならば、物語に出てくるような英雄として、たった一人であの霧の魔獣を葬ることができる──できてしまうのだ。

 

「犠牲をゼロにする。そのためなら、兵も騎士も必要ありません。エミリア陣営のナツキ・スバルがもたらした情報をもとに、フェルト陣営の『剣聖』が白鯨を討つ──ただ、それだけで終わります」

「……じゃあ、四陣営で、協力して白鯨を倒せば……」

 

 言いかけて、スバルはハッとした。失言だと即座に気付いた。

 けれど、交渉の場において、吐いた言葉を飲み込むことは許されない。

 

「それはつまり、ラインハルトに全力を尽くすなと? 功績を分け合うために、避けられるはずの犠牲を許容しろと? クルシュやアナ、エミリア様のため。救えたはずの命を見捨て、その責任を、その重荷を、弟に背負わせると?」

 

 言葉の苛烈さとは裏腹に、アリーゼはひどく凪いだ声で言う。

 

「──スバルさんは、ひどく酷なことを仰るのですね」

 

 そして、先ほどの同じ言葉を繰り返した。

 

 アリーゼは穏やかに笑い、フェルトは唇を引き結び佇む。ラインハルトはひたすら沈黙に徹して表情を変えず、場の趨勢を見守っている。

 

 対面する彼らの反応を見ながら、スバルは深呼吸し、自分の気持ちを落ち着かせる。

 心臓が速く、強く鳴るのを感じる。血が全身に巡り、同時に大きな不安が首をもたげて目の前が暗くなりそうだ。

 だが、

 

「スバルくん」

 

 そっと、隣にいるレムが不安になるスバルを安心させるように袖に触れる。

 手を握り、自分の存在を殊更に主張するわけではない。そんなレムらしいささやかな気遣い。スバルはまるで万の助勢を得たような安心感を抱いた。

 レムが見ている。格好の悪い真似など、それこそできるはずがない。

 

「──うし」

 

 不敵に笑い、恐怖をその笑みの裏に隠して、スバルは正面に意識を戻す。

 針の穴を通すような条件を掻い潜り、ハッピーエンドを迎えるために。自分を好きだと言ってくれた女の子が信じる、英雄に一歩でも近付くために。

 

 とはいえ、アリーゼの理論は完成されている。「栄誉を得る」「犠牲は減らしたい」という理想論から、アリーゼの懸念を理解した上で、それに見合う対価を提示する必要がある。

 クルシュとの交渉で用いたエリオール大森林の採掘権のような目に見える対価があれば、それを提示することもできた。しかし、今回そんなものはない。

 

「────」

 

 押し黙るスバルを、背後に控えるクルシュやアナスタシアは口出しせずに見守っている。

 仮にこの場でスバルが助言を願い出れば、彼女らは『クルシュ陣営』『アナスタシア陣営』からの働きかけという形で、『剣聖』の助力を請う方策を示してくれるだろう。

 だが、それは貸しを作る相手が別の相手に代わるだけの話だ。

 現状、スバルとクルシュとの間には貸し借りが一つずつある対等な状態であり、このバランスを崩すことは正直したくない。

 アナスタシアには対しては借りの方が大きいため、言うまでもない。

 

「────」

 

 スバルは考えて、

 

 考えて。

 

 考えて──

 

「……違う」

 

 そうして、ゆっくりと首を振った。

 

「俺は、ラインハルトに全部押し付けたいわけじゃない」

 

 アリーゼは何も言わない。ただ、続きを促すように静かに視線を向けてくる。

 

「確かに、俺は犠牲を減らしたい。できることなら、一人だって死なせたくない」

 

 拳を握る。

 脳裏に浮かぶのは、これまで失ってきた命の数々だ。自分の腕の中で冷たくなった少女。目の前で殺された人々。守れなかった後悔。

 

「でも、それだけじゃない」

 

 スバルは真っ直ぐにアリーゼを見据えた。

 

「白鯨は四百年、誰にも倒せなかった。だからみんな、恐れてるんだ」

 

「だったら、王選候補が協力して、その恐怖を終わらせたってことに意味があるんじゃないのか?」

 

「一人の英雄が全部解決した、じゃ駄目なんだ」

 

「白鯨討伐を『剣聖』の功績にしない。ラインハルトを、都合の良い英雄にしない」

 

「クルシュさんも、アナスタシアさんも、フェルトも、エミリアも。王選候補である4人が、手を組んで戦って、勝つ」

 

「この国には、それができるんだって。それを証明することに意味がある」

 

「だから、俺が欲しいのは『剣聖』の力じゃない。フェルト陣営の協力が欲しいんだ」

 

 目に見える無難な択を、綺麗事で、泥臭い感情で捻じ伏せる。似たような経験は今までにもあったが、今回のは段違いに説得力が薄い。なにせ一番肝心な部分が、ただ言葉をすり替えただけなのだ。

 繋ぎ合わせてそれらしい形にはしてみたものの、これで説得できるかはわからない。駄目でも、せめて交渉を継続する糸口になってくれれば──、

 

「及第点、ということにしましょうか」

 

「へ?」

「もう少し、交渉の場に立つ上で考えてほしいことはありますが、概ね主張自体は間違っていません。王族が尽く亡くなったルグニカが、周辺諸国にその力を示す。白鯨討伐はそれにうってつけでしょう」

「ちょ、ちょっと待て!」

 

 物分かりの良すぎるアリーゼの返答に、スバルの方が慌てて声を上げる。しかし、アリーゼは慌てるスバルに首を傾げ、

 

「どうかなさいました? 心配せずとも、アストレア家として、白鯨討伐への協力はお約束しましょう」

「そんなあっさり……ってか、なんだよ、その物分かりの良さは……え、さっきの……はぁ?」

 

 最低限の礼儀も忘れて、スバルは独りごつ。

 

「兄ちゃん、一旦落ち着け」

 

 そこで初めて、沈黙を守っていたフェルトが口を開いた。

 

「つまりな、アリーゼは筋を通せ、揃えるモンを揃えろって言ってんだよ」

 

 フェルトはスバルに合わせたのか、彼女本来のざっくばらんな口調で告げる。

 

「貴族や騎士、国のお偉方を動かすには、それなりの綺麗事やら口実が要る。その場凌ぎで動くチンピラとか、利益で動く商人とはわけが違うって話だ」

「な、るほど……」

 

 フェルトが語るのは、スバルには無かった視点。きっとフェルトがこの2ヶ月で学び、玉座の間で披露した淑女な振る舞いの根本にある考えだ。

 

「そもそもアタシらがここに、文字通り飛んできた時点で、断るつもりはねーって察しろ」

「……それもそうか」

 

 そもそもがラインハルトの韋駄天を前提とした急日程。断るつもりなら、使者に間に合うはずのない返事を託せばいいだけの話だ。

 安堵の息を漏らしたスバルへ、狙いすましたかのようにフェルトの声が滑り込む。

 

「とはいえな、アタシたちも利益が要らねえってわけじゃねえんだ」

「……だよな」

 

 当然だ、とスバルは気を引き締め直す。

 クルシュやアナスタシアとの交渉も、互いの利益を交換することで成立したものだ。フェルト陣営だけが無償で協力する道理はない。

 

 フェルトが、スバルの背後に立つ人物たちへ視線を上げる。

 

「クルシュさん、アナスタシアさんには、王選が終わるまでそれぞれの陣営で得た情報を共有してもらう」

「なるほど。アストレア領は王都から離れた辺境の地だ。王選の活動を行う上で、王都や各地の情勢を把握できる情報網は何よりの財産となる」

「それはクルシュさんの言う通りやけど……フェルトさんは、何の情報をどこまで明かしてほしいん? それが分からんと返事のしようがないよ」

「おおよそ、私の言いたいこともアナスタシアの繰り返しになる。卿の求める情報、その範囲や質を聞かせてもらいたいところだな」

 

 意地悪く笑ったアナスタシアの問い返しに、クルシュも薄く微笑みながら続いた。

 王選の大本命二人からの反問に、フェルトは負けず劣らずの、悪ガキの笑みを浮かべてみせた。

 

「任せるぜ。カルステン家、ホーシン商会、それぞれの秘密に関わる部分はそっちの判断で伏せてくれて。二人が『剣聖』の重さに見合うと判断できる分だけ、情報を流してくれよ」

 

「『剣聖』の重さに見合う、か……」

「そんなこと言われたら、隠し事できひんやんなぁ」

 

 クルシュもアナスタシアも、顔には苦笑いを浮かべているが、そのセリフにはかなり本気が混じっていた。

 各々の判断で情報にフィルターを掛けても構わないとフェルトは言っているが、『剣聖』の名と釣り合うほどの秘密など、探す方が難しい。

 

「引き受けよう。カルステン家が掴んだ情報は、それが『剣聖』の名を超えるものでない限り、アストレア家に、そしてフェルトに共有しよう」

「ウチもやね。情報は鮮度が命やし、ちょくちょく遊びに行かせてもらうわ」

 

 クルシュもアナスタシアも、異論はないとばかりに静かに頷いた。

 

 そして、フェルトの赤い瞳がスバルへ向く。

 

「んで、次はエミリア陣営な」

「……っ」

 

 スバルの肩が強張る。

 エミリア陣営に差し出せるものなどあるだろうか。

 王選候補であるエミリア自身でさえ、後ろ盾に乏しい立場だ。有形無形、差し出せるものはないに等しい。

 

 何を求められる。何を差し出せる。

 固唾を呑んで待つスバルへ、フェルトはニヤリと口角を吊り上げた。

 

「盗品蔵で、アタシとロム爺を助けてくれた恩。これでチャラな」

 

 一瞬、言葉の意味を理解できなかった。

 

「……は?」

「だーかーら、これで貸し借りなしってことだよ」

 

 肩を竦めるフェルトに、スバルも思い出した。

 王都に来たばかりのあの日。盗品蔵で、無茶をして、命懸けで、フェルトとロム爺を助けたこと。

 あれはスバルにとって、見返りを求めた行動ではなかった。ただエミリアを助けたかったから、彼女の名前を知りたかったから。ただそれだけの行動だった。

 

「アタシは貸したままも、借りたままも嫌いなんだ」

 

 そう言って話を切ると、フェルトは立ち上がる。ソファからずれた場所へ移動すると、ラインハルトも彼女の前に動いた。

 

「ラインハルト」

「はっ」

「お前には白鯨討伐に出てもらう。クルシュさんの指揮に入って、手を抜きながら、華を持たせるための戦いになるだろうけど……犠牲が出ても、それはお前の責任じゃねえ」

 

 応接間の空気が、静まり返る。

 

「王選のために栄誉を捨てられない、クルシュ陣営、アナスタシア陣営、エミリア陣営の責任で」

 

 スバルは顔をしかめ、クルシュは静かに目を閉じ、アナスタシアは小さく息を吐く。

 だが、誰も反論しない。それが自分たちの選択だと理解しているから。

 

「兄ちゃんの屁理屈を認めたアリーゼの責任」

 

 アリーゼは、ラインハルトから向けられた視線に確かに頷く。

 

「そんで、それら全部引っくるめて、一の騎士を貸し出すと決めたアタシの責任だ」

 

 フェルトは胸を張ることも声を荒げることもしない。王選候補として、ラインハルトの主として。その責任を、誰よりも堂々と引き受けてみせる。

 ラインハルトの瞳が、わずかに揺れた。

 

「お前が背負い込む必要はねえ。上手く、程々に、好きに暴れろ」

「──はっ」

 

 ラインハルトは深く、深く頭を垂れた。

 それは騎士の礼であると同時に、主君へ捧げる、心からの感謝の証のようにスバルには見えた。

 

 

 





ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
感想や評価など、いつも楽しく拝見しています。
個別の返信はしていませんが、一つひとつ大切に読ませていただいており、更新の励みになっています。

これからも少しずつ更新していきますので、引き続きお付き合いいただけると嬉しいです。
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