白鯨討伐の本編。
今朝にも開戦までのお話を投稿しています。
まだの方はそちらからお読みください。
また、前・中・後編と続けて投稿しますので、白鯨戦の決着までお楽しみください。
「──ぶちかませぇッ!!」
「──アル・ヒューマ!!」
「全員──あの馬鹿共に続け!!」
レムが生み出した四本の凶悪な氷槍を皮切りに、クルシュの号令に従った討伐隊が一斉に動き出す。
砲筒に着火──大砲のような砲筒に魔鉱石を詰め、弾丸として射出する魔石砲だ。その一斉砲撃が爆音を上げて着弾し、破壊の力で白鯨の体を蹂躙する。
直撃の瞬間、魔鉱石に込められたマナが対応した属性の魔力に変換され、炎が、氷が、光が、レムの作った傷口を押し広げ、街道にどす黒い血の雨が降り注いだ。
鮮血が霧雨のように降る中、スバルたちの地竜は機敏な動きで白鯨の背後を取るように大きく回り込む。打ち合わせ通りの動きだ。
「白鯨に俺の存在を意識させて、討伐隊に背中向けさせるように立ち回る──!」
「空! 『夜払い』がきます! 目をつむってください!!」
戦闘状態に入り、その額に純白の角を覗かせるレムが頭上を見上げて叫ぶ。彼女の指示に慌てて従い、スバルが下を向いて目をつむる──直後、世界が瞬いた。
白光は空で爆発し、一瞬で夜の世界を白い輝きが焼き尽くす。閉じた瞼越しでも視神経を侵す光の強さに、スバルの喉が驚きに詰まる。
そして数秒後、恐る恐る瞼を開けたスバルの目の前には、
「うおお! 聞いてた通りだ、すげぇ!」
リーファウス街道から、夜の気配が完全に消え去っていた。数秒の間に何があったのか、世界の昼夜が反転し、真昼の明るさが平原を照らす。
頭上、すでに沈んだはずの太陽の代わりに輝くのは、白鯨への攻撃とは別に打ち上げられた『夜払い』と呼ばれる効果を持った特殊な魔石だ。その効果は本来、込められたマナの分だけ光の塊を具象化し、薄闇を照らす程度のものでしかないとのことだが、
「そいつを財力に飽かして山ほど買い込んで、疑似太陽の出来上がりってわけだ」
「白鯨に夜に潜られては捕捉が困難ですから。──さあ、ここからですよ!」
王都でも有数の商人二強が手を組み、方々を走り回って集めた魔石の本領だ。
範囲は大樹の一帯、制限時間は一時間弱──決戦を終えるには十分すぎる。
宵闇を失った平原の空に、くっきりと浮かび上がる巨体。それは──、
「あれが……!」
これまで一度も、はっきり確認できていなかった白鯨の存在が日の下に晒される。
「────ッッッ!!」
夜空から引きずり出されたことに激昂するように、白鯨が巨体を震わせ咆哮する。
発される轟音はもはや騒音の域に留まらず、一種の破壊行為に近い。大気が鳴動し、訓練された地竜すら本能的に怯える、暴悪的な雄叫びだ。
全身から血を流す異貌だが、その泳ぐ姿には負傷の影響が見られない。白鯨は平原の空で首を巡らせ、自分に挑みかかる小さな人間たちを悠然と見下ろしていた。
「なんて、でかさだ……」
こぼした声が震え、スバルは手足が痺れたように動かなくなる感覚を止められない。
それまでスバルが見て、触れて、憎悪してきた白鯨という存在の脅威が、その存在のほんの一端でしかなかったのだと、全容を前にして初めて理解した。
白鯨──その異名で呼ばれるだけあって、その魔獣の姿は白に覆われていた。魔獣として醜悪な差異はあれど、なるほど白鯨の姿はスバルの知識にある鯨に酷似していた。
──だが、その大きさが予想を二回りは裏切っている。
スバルの知る限り、世界最大の鯨はシロナガスクジラ──全長は三十メートル前後で、まさに地球上最大の哺乳類であるといえる。
しかし、遠目から見える白鯨の巨躯は三十メートルを軽々と越えて、五十メートルに迫ろうかという規模だ。その巨体は生物というより、もはや一つの山に近い。
一つの白い岩山が、何の冗談なのか空を悠々と泳いでいる。
「スバルくん」
歯の根が噛み合わず、今にも震え出しそうなスバルを呼ぶ声がした。
それはこちらに背中を向け、小さな体の腰にスバルを抱き着かせるレムの声だ。すぐ目の前、息遣いさえ聞こえそうな距離で彼女はスバルの方を振り返らず問うた。
「怖いですか?」
挑発ではなく、信頼が呼びかけてくる。グッと、歯の根を噛んでスバルは口を強引に捻じ曲げると、
「ああ、怖いね。──アレを倒して称賛される、俺の未来の輝きっぷりが!」
軽口を叩いてレムの期待に応えると、スバルはその肩を後ろから叩いた。
「俺の命は全部預ける! さあ、逃げまくってやろうぜ!」
「レムの命も、スバルくんのものです。──では、そうしましょう」
覚悟を決め、勇ましく逃げ回る宣言をするスバルに、そっと微笑むレムが手綱を荒々しく鳴らす。漆黒の地竜が嘶き、白鯨の異形にも怖じることなく大地を蹴った。
正面、こちらを向く白鯨の右下を斜めに駆け抜け、尾の側へと回り込む狙いだ。
討伐隊から突出し、接近するスバルたちに白鯨が巨大な眼を向ける。大型の竜車すら一呑みにする顎が開かれ、石臼のような歯が並ぶ口が咆哮の構えに入った。
破壊すら伴う音の洗礼、その予感に地竜に跨るスバルは身構える。
その頭上を──、
「余所見とはずいぶんと、安く見られたものだ──!!」
勇ましい女傑の声がした次の瞬間、白鯨の頭部が真一文字に浅く斬り裂かれた。強固な岩肌を撫で斬る見えない斬撃に、白鯨の巨体から再び血が噴出する。
振り向き、斬撃の出所に視線を走らせたスバルは、後続の先頭を走る白い地竜──その背に立ち、腕を振り切った姿勢にあるクルシュを見た。だが彼女の手には、
「何も持ってない……!?」
「射程を無視した無形の剣──百人一太刀で有名な、クルシュ様の剣技です」
スバルの驚愕に、レムが手綱を操ったまま答える。
目に見えない斬撃に初動を潰され、動きの停滞した白鯨へ追撃が入る。魔石砲が再び稼働し、火力を集中された白鯨の巨体に次々と着弾によるダメージが蓄積され、宙で悶える魔獣の高度が落ちてくる。
雲と同じ高さにあった白鯨の位置が、首を真上に傾けるほどでなくなればそこは──、
「刃の届く距離、だ」
なおもスバルを追ってくる白鯨。
その一頭のライガーが地を蹴って跳躍し、その体躯に見合った軽やかさで空へ駆け上がる。
「余所見すんなや、ダボが! おどれの相手にゃワイらもおんねや!!」
大鉈の一発が振り返りざまに白鯨の顎を直撃、抱え込むほど巨大な白鯨の歯を根本から抉り、鈍い音を立てて黄色がかった奥歯が吹っ飛ぶ。
そのまま白鯨の顔面を斜めに駆け上がるのは、ライガーに跨ったまま喊声を上げるリカードだ。地竜と比べて身軽と語っていた通り、猛犬はその俊敏さを遺憾なく発揮し、主人を乗せたまま上空へ昇る白鯨の体を駆け回る。
「そらそらまだまだ終わらんでぇッ!!」
疾駆するライガーの上で、獣より獣のような雄叫びを上げるリカードが大鉈を振るう。外皮を砕き、肉を抉り、奮迅の活躍ぶりだ。そしてそのリカードに続き、
「そりゃー、いっくぞー!」
「お姉ちゃんは前に出すぎないで! みんな、今だよ!」
小型のライガーに跨る双子の副団長が散開し、後続の傭兵団に指示を出す。猛然と跳躍するライガーの群れが白鯨に取りつき、その巨躯を足場に蹂躙が始まった。
剣や槍を振るい、白鯨にダメージを与える姿は毒虫が群がっているかのようだ。
白鯨は自身に取りつく外敵を振り払うために、巨躯を踊らせる以外に対策がない。巨体故の、小回りが利かない弱点が露呈している。さらにそこへ、
「総員、離れろ!!」
戦場を貫くクルシュの号令がかかり、取りついていた『鉄の牙』が一斉に白鯨の体から飛び退く。全てのライガーが身軽に着地し、解放された白鯨がやっと反撃に移ろうと大きく旋回した。──その判断は誤りだ。
「横腹をさらしたな──!」
大上段からのクルシュの二撃目、袈裟切りの斬撃が白鯨の側面を斜めに走り、その一太刀を先触れに三陣目がここで加わる。
これまで攻撃に参加せず、ひたすら魔法の詠唱に集中していた魔法隊の攻撃だ。
「──アル・ゴーア!!」
複数の人員の詠唱が重なり、生み出されるのは赤熱の極光だ。直径十メートル以上に及ぶ大火球の熱波は、離れた位置からでも肌を焼き、瞼に守られる眼球の水分を奪い尽くそうと燃え盛る。
大火球が揺らめき、白鯨へと撃ち出される。
「うおおお!」
火球が白鯨の横腹へ直撃する。蓄積した傷から炎が体内を焼き、内臓を沸騰させられる白鯨の絶叫が響き渡った。
スバルとレムも地竜を走らせながら、激しく炎上する白鯨の姿を目で追い続けた。
「かなり効いた感じがするぜ! このままいけるんじゃねぇか!?」
炎の余波が届かない位置で、地竜の背から白鯨を見るスバルは拳を握り固める。
ここまでは白鯨を完全に抑え込み、少なくない被害を与えているはずだ。
その圧倒的な戦果──一方的ともいえる戦況は、これ以上ない形で奇襲が成功したからに他ならない。
事前に用意した策のことごとくが嵌まり、400年続いた厄災を相手に、このまま何もさせずに討伐できるのではないか──そんな高揚感が、早くも胸を満たしていた。
しかし、そんなスバルの楽観的な意見に、
「いいえ。──本当なら、今の奇襲で地に落としてしまいたかったです」
首を振るレムが悔しげに、炎を纏う魔獣を睨みつける。
彼女の言葉に目を丸くし、スバルは何事かと白鯨の様子に目を向ける。
魔獣の半身は今の大魔法に焼かれ、体毛に延焼する炎は消える気配がない。魔石砲や直接攻撃による傷も多く、血を滴らせる姿は見るからに痛々しい。
だが、
「高度が……下がってねぇ」
依然、白鯨の存在は見上げた空の中にある。
騎獣の跳躍で届かない高さではないが、単身で人が挑むには困難を極める。何より、魔獣を地に落とさなくては次の作戦に移ることができない。
「初っ端に切れる手札はぜぇんぶ切ったった。それでも落ちんちゅーことは、こら向こうのタフさが一枚上手やいう話やな」
大鉈を肩に担ぎ、返り血に顔の毛を濡らすリカードが隣にやってくる。
彼は犬面の鼻を鳴らし、尖った耳をぴくぴくと震わせ、
「一当たりした感じやと、分厚い肌の下に攻撃通すんは楽やないな。ワイの得物みたいに力ずくか、よほどの技量がないとジリ貧やぞ」
「物理攻撃はそうかもだけど、魔法攻撃は通ってる風に見えるぜ?」
「それも微妙なところです。一見、派手に当たっているように見えますけど、あの白い毛がマナを散らして威力を殺しています。見た目ほど、レムの魔法も効いていません」
レムは口惜しげに、自分の最大火力の魔法が通じていないことを口にする。
彼女の言葉にスバルが顔を向ければ、確かに白鯨の肉体には浅い傷が多数あるが、戦力の低下に繋がる深手は負っていないようだ。
だが少なくとも、
「さすがにさっきの火の魔法は、毛を焼いたからか効いてるように見えるな」
「魔力散らす毛ぇ焼いて、その下の炙った鯨肉なら料理できる──単純やな」
スバルの推察にリカードが獰猛に牙を剥いて同意する。
「──つーことで、第一陣最後、来いや剣聖ぇ!」
「──承知した」
大鉈を構えたリカードの叫びに、暖かな声が応じた。
「ほいさぁっ!」
真下から、タイミングを合わせたリカードの大鉈が振り上げられる。峰を向けた大鉈が、跳躍してきたラインハルトを狙い、剣聖は迫る鉈の打撃に足裏を合わせ、
「し──ッ!!」
リカードの膂力が起点となり、ラインハルトの踏み込みを加速させる。
射出されたラインハルトは白鯨の眼前で一回転、勢いそのままにその鼻先へ踵落としを叩き込んだ。
「────ッ!!」
白鯨が急落下する。高速で地面に叩きつけられ、白鯨の絶叫が響き渡った。
砕け散る地面の破片と衝撃波が平原に飛び散り、巻き添えを避ける傭兵たちが慌てて避難し、スバルとレムもその避難に紛れる。
「やべぇやべぇとは思ってたが、あいつ本当にやっべぇな……」
討伐隊総出での先制攻撃で地に落とせなかった白鯨を、ラインハルトはただの蹴りで落として見せた。
しかもあれで手加減しているというのだ。もう意味がわからない。
砂埃が止み、白鯨の姿が間近に捉えられるようになる。
この世界で、空を飛べるというのは途轍もないアドバンテージだ。
飛竜という竜種もいるらしいが、それ以外ではロズワールクラスの魔法使いでないと宙を舞うことはできない。
そして今、白鯨が脅威であることの理由を、一つ潰した。
白鯨は、ついに空の支配者であることを許されなかった。
400年もの間、誰にも届かなかった怪物が、今この瞬間、初めて大地へ引きずり下ろされたのだ。
「──さあ、勝負といこうぜ。白鯨さんよ」
そびえ立つ白鯨を真正面から見据え、スバルは己を鼓舞するように口角を吊り上げた。
◇◇◇
ラインハルトにより白鯨を地に落とした後、討伐隊も速やかに次の行動に移っている。
即ち、総攻撃の第二陣だ。
「現状だと、火力が白鯨に集中してるから俺らが近付くと邪魔になるな。レム、さっきみたいに魔法はぶち込めねぇか?」
「さっきと同規模の詠唱は時間がかかるのと、水属性の魔法だとマナが散らされてダメージが通りません。あれ以下の威力ではそもそも火力不足になってしまいますし」
先ほどのリカードの結論に倣えば、レムも得物のモーニングスター片手に最前線へ参戦し、打撃力を活かして白鯨に攻撃を加えるのが正しい選択だろう。
しかし、それをさせるにはスバルが枷となる。情けない話だが、スバルの体質を利用した囮作戦を実行するには、レムとスバルが分断されるわけにはいかないのだ。
「悔しいけど、動きがあるまで見てるしかねぇのか……」
「歯痒い気持ちはこっちもおんなじなんだけど、ネ」
言いながら、スローペースで戦場を俯瞰するスバルたちの地竜に別の地竜が並ぶ。騎竜用の甲冑を装備した、重装甲地竜に跨るフェリスだ。
「フェリちゃんってば攻撃手段ないから、基本見てるしかできないし? 慣れてるっていえば慣れてるんだけど、歯痒い気持ちはいつだってあるよネ」
「その分、お前は回復特化の討伐隊の生命線だ。前に出てもらっちゃ困る。その役割だけビシッとこなしてくれ、頼むからよ」
この期に及んで普段の調子で接してくるフェリスに、スバルははっきりと念を押す。その答えにフェリスは「ふーん」と片目をつむった。
「ホント、たった一日の間に変わったよネ。いったい、何があったの?」
「しいて言えば、ちょっとマシな男になったんだよ」
動く戦況に目を走らせながら、スバルは苦い思いを噛んで仏頂面で答える。
そのスバルの態度に、フェリスは意味ありげに指を頬に立てると、
「ひょっとして、レムちゃんがスバルきゅんを男にしたのかにゃ?」
その答えはイエスであり、ノーでもある。場違いな下世話さを発揮するフェリスを、スバルは黙らせようかと怒鳴りかけた。
「白鯨が──!」
だが、それはレムの叫び、その危急の響きに遮られた。
慌ててレムの見る方角に視線を合わせれば、白鯨が暴れ回っていた。
おびただしい血を流しながら、白鯨は巨体を狂ったように振り回していた。
怪物に相応しい、芸のない振る舞いだが、白鯨に攻撃を与え続けていた討伐隊は、圧倒的な暴力に蹂躙されている。
百を超える討伐隊の技と連携が、億の質量で捻り潰される。目の前のそれは、もはやそういう戦いだった。
「総員、退避──!」
あまりのなりふり構わない動きに、クルシュは無視できない犠牲が生じると判断し、退避を命じる。
取りついていた戦士たちが一斉に白鯨の体から飛び退く。全ての地竜とライガーが離脱し、本陣であるクルシュのもとに集まる。
彼らの視線の先、解放された白鯨。その口が、開いた。
「総員、退避──っ!!」
クルシュの怒号が響く。一瞬の判断で地竜が体勢を変え、遠心力に振り回される体は左へ。前方、同じように急旋回するフェリスの地竜は右へ、スバルたちは二手に分かれた形になる。
そのまま駆け出した地竜たちによって開けた進路のど真ん中に、濃密な質量を伴う霧が一気に吹き寄せる。
──躱せない、飲み込まれる
何度も死を味わってきたスバルだからこその、死の直感。
だが、それが結実することはなかった。
極光が霧を引き裂き、空間ごと真っ二つに斬り裂いた。
世界がずれたとしか思えない光景、放たれた極光は一瞬の間、平原を白く塗り潰していたが、光が晴れた直後に世界が激変する。ずれた空間が元に戻ろうと収束を始め、大気が歪曲するほどの威力の余波が暴風となって荒れ狂う。
その二次災害から身を守るため、スバルは必死でレムにしがみつき、痛みと風を耐えしのぐ。
やがて、暴威はその威力を弱め、吹き散らされた衝撃波は終焉を告げた。
「助かった、ラインハルト!」
スバルは霧から陣営を守った張本人、ラインハルトに感謝を叫ぶ。
突き抜ける霧は高波の勢いで、彼がいなければ陣営の過半数が呑まれていただろう。
たかが霧に何を大袈裟な、と実物を見ていなければ笑い飛ばせたかもしれない。が、間近でその『霧』の異質さを目の当たりにすれば、そんな軽口は誰にも言えまい。
霧は撫でた平原の地面を溶かすように抉り、進路上を根こそぎ霧散させている。
もしもあの霧をまともに浴びれば、人体すらも同じ末路は逃れられない。
だが、破壊と救済の立役者。振り返ったラインハルトは、崩壊していく両手剣を手に苦渋の表情を浮かべていた。
「総員、ラインハルトのもとに集まれ!」
クルシュの勇ましい声に促され、燃えるような赤髪を目印に、散り散りになった討伐隊が急ぎ集まり始めた。
集合する各小隊、クルシュはそんな部下たちを見回し、
「──何人がやられた?」
「我が隊の隊員数は十四名、一人、足りませぬ」
「……誰がやられた」
「わかりませぬ……!」
クルシュの焦燥感に、壮年の人物が絞り出すように応じて首を横に振る。
それは本来、意味のわからないやり取りであった。隊員の数を把握する小隊長が、脱落した隊員の名前も思い出せないと報告する。
そんな馬鹿げたことがあるはずがない。だが、
「こちらは十四名、一名が脱落」
「我が隊は十五名、全員無事」
同様の報告が再度と上がり、かの小隊長からも消えた仲間の名前が出ない。『鉄の牙』のメンバーも、三十人揃った団員が二人欠けていた。
その異常事態こそが、白鯨の放つ『霧』の本当の脅威だ。
「消滅の、霧……!!」
『霧の魔獣』と呼ばれる白鯨、その『霧』の性質には大きく二つの種類がある。
一つは街道を覆い尽くしたように、自らの泳ぐ領域を広げるための拡散型の霧。
そしてもう一つがたった今、目の前でごっそりと大地を消失させた消滅型の霧だ。
ここまで見せなかった攻撃手段が、後者の破壊を伴う消滅型の霧だった。
戦慄が喉を駆け上がり、スバルは奥歯を震わせてそうこぼす。
文字通り、『霧』を浴びて消滅した存在は、その存在の記憶ごと世界から消えるのだ。
誰が消失してしまったのか、事実は残っても誰の記憶にもその存在は残らない。
クルシュが討伐隊の各小隊を十五名ずつに揃えたのも、『鉄の牙』が同じく十五名ずつの二小隊を派遣した真意もそこにある。『霧』で小隊に欠員が発生した場合、誰がやられたのかすらわからなくなってしまう。それでも、欠けた事実だけを把握するそのために、小隊の数は揃えられているのだ。
「犠牲者は五人、うち消失した者は三人か」
各隊長から報告を聞き終えたクルシュが呟く。それはつまり、残りの名前が残る二人は──
「申し訳ありません、僕の剣撃に二人が巻き込まれました」
『霧』ではなく、『剣』により命を落とした。
クルシュは汗の張り付いた額を乱暴に拭い、地竜の上で荒い息を吐く。
「ラインハルト、卿の一撃が無ければ被害は今の比ではなかった。卿は我々の命を救い、亡くなった二人の名と記憶を残したのだ」
クルシュは即座に『剣聖』に告げる。クルシュだけではない、他の誰も、彼を責めることはしない。
彼を責めるのは、彼を許さないのは、彼自身だった。
「さて、戦況は振り出しに戻った……それ以上に厄介になったわけだが」
クルシュは再び気休めを口にすることなく、上空を見上げた。
一度地に落ちた白鯨は、再度高度を上げ、天上で悠然と漂っている。
しかし、そこには遭遇当初のような油断はない。明確な敵意を持って、討伐隊を見下ろしていた。
そして、白鯨の様子が一変する。
「白鯨の目の色が……!」
「くるぞ!!」
「スバルくん、頭を下げていてください──!!」
その変化にスバルが気付いた瞬間、クルシュが叫び、レムが地竜を加速させる。
「────ッ!!」
咆哮を上げ、怒りに魔獣の瞳が真っ赤に染まった。
血色に染まる眼光が、距離を取ろうと下がる討伐隊に突き刺さる。直後、白鯨が憎悪と憤怒に身震いし、その肉体に変化が生じた。
──変化が始まった瞬間、スバルは言葉にし難い嫌悪感を堪え切れなかった。
白鯨の、口が開いたのだ。
否、その言葉は正しいようで正しくない。事実を正確に伝えるなら、こうだ。
──白鯨の全身にあった無数の窪みが一斉に口を開け、声を上げ始めていたのだ。
「────ッ!!」
金切り声のような響きは、魔獣の全身に生まれた無数の口から溢れ出すものだ。
この世のものとは思えぬ不協和音は、聞いた者の精神を直接爪で掻き毟り、聴覚から脳神経を犯して凌辱していく。被害は人間だけに留まらない。地竜やライガーといった騎獣も、本能そのものに訴えかける根源的恐怖に足が竦んでしまった。
この瞬間、白鯨討伐戦が始まって以来、最悪の無防備が討伐隊を支配していた。
そして、
「……ぁ」
嬌声を上げる無数の口から、おびただしい量の『霧』が放出される。
それは瞬く間に平原に降り注ぎ、『夜払い』の効果で照らされた世界を白く塗り潰す。
視界が遮られ、全身が竦み、スバルは白鯨がこちらを敵と認めたことを理解する。
──『霧の魔獣』が雄叫びを上げ、戦端が本当の意味で開かれる。