白鯨討伐の本編その2。
本日3話目ですので、まだの方はそちらからお読みください。
前・中・後編と続けて投稿しますので、白鯨戦の決着までお楽しみください。
──リーファウス街道に哄笑が響き渡っていた。
巨体で悠々と空を泳ぐ白鯨は、全身に開いた小さな口から不協和音を垂れ流す。
本来の口が咆哮するとき、それは大地を揺るがし破壊を伴った。だが、不揃いな数多の口から発される音は、風を掻き毟るように歪でおぞましい。
鼓膜を殴られるのではなく、脳を細い針で掻き回されるような不快感なのだ。
その不気味な白鯨の変化と同時に、風向きの変化もスバルは感じ取っていた。
あれほど盛大に先制攻撃を打ち込み、討伐隊と傭兵団の密集攻撃を加え、ラインハルトにより地に落とした。白鯨に与えたダメージは決して少なくない。
総火力はスバルが百回死んでもお釣りがくるほどだし、比較対象をもっと魔獣に寄せるのなら、ウルガルムの群れですら十回は殲滅できそうな攻撃力だった。
だがそれ故に──、
「やべぇ、霧が……ッ!」
金切り声を上げ続ける白鯨は、その無数の口から『霧』を撒き散らしている。
街道の広範囲にわたり、空から降り積もる霧の浸食が進む。視界は徐々に白みがかったものへと変わり、『夜払い』の魔石の効果が失われつつあった。
──『霧の魔獣』、その本領発揮だ。
視界が悪くなり、霧に覆われる平原では討伐隊の連携が噛み合わなくなる。
何より、白鯨の姿そのものが、霧の海の中に溶けるように消えていくではないか。
「嘘だろ……!?」
「総員、その場から動くな!」
消える巨体に動揺するスバルに、霧の内側から怒号が響く。
「せぇい!!」
気合い一閃、勇ましい声が霧を薙ぎ払い、眼前の白い景色が唐突に切り開かれる。
霧の向こうから現れたのは、白い地竜の背に立つクルシュだ。おそらく、不可視の斬撃の超射程で、彼方までの霧を払って視界を確保したのだろう。
「霧に潜られた以上、どこから奴が襲ってくるかはわからない。本来なら密集していては下策もいいところだが──」
クルシュが討伐隊や傭兵団の顔ぶれを見回し、そしてラインハルトを見やる。
彼もしかと頷いた。
「負傷者の治癒が必要でしょう。フェリスたちの守護はお任せください」
「よし。負傷者は大樹の傍へ移動し、治癒を受ける。動ける者は散開し、霧に紛れた白鯨を探す。退魔石を使うぞ」
希少な退魔石の使用。使い所を見極めなければならないそれに、クルシュは反対意見がないことを確認する。
「フェリス、退魔石を魔石砲から打ち上げろ。二回分しかない。扱いは慎重に、だ」
「すでに準備は完了してまーす。いつでも、ご命令とあらば」
胸を叩くフェリスにクルシュが顎を引き、彼女は戦いの再開前に再び全員を見た。
「ここからが正念場だ! 白鯨に我らの攻撃が通じるのは、卿らの手の中に残る手応えが証明している! 確かに奴は強大だ。得体が知れぬ。我らの死は最悪、誰の記憶にも残らぬかもしれぬ。だが!」
無手で斬撃を放てる彼女には無用の長物だろう腰の剣──カルステン家の宝剣を抜き、空にかざすクルシュが声高らかに、
「墓標に名を残せなかった死者のためにも、この先の世界で霧の脅威にさらされるだろう弱者のためにも、我らは犠牲を払おうとも奴を討つ! ──ついてこい!!」
「──おお!!」
各々が武器を空に掲げて、一斉に快哉を叫ぶ。 凄まじい士気の高まりが霧を震わせ、沈みかけた戦意に着火して猛らせる。
「退魔石、打ち上げぇ!!」
クルシュの号令に、フェリスの指揮下の面子が一斉に魔石砲を上へ──直後、爆音と共に霧の上空へ魔石が打ち上がり、
「霧が、晴れる──!」
天上で砕け散った魔石の輝きが、視界を覆っていた白い霧を一気に掻き消す。
もっとも、平原の四方に満ちていた霧の全てが払えたわけではない。あくまで霧の濃度を薄れさせ、視界確保すら困難だった状態を解消したに過ぎない状態だ。
だが、それだけでも効果は十分にあったといえる。
白鯨の『霧』は、奴の持つ莫大なマナが変異したものであるらしい。
それを退魔石──本来の効果は、周囲のマナを強制的に無色のマナに還元、無効化する類の魔石だが、その力で『霧』のマナを無害化し、吹き飛ばしたのだ。
「──っしゃぁ! ビビってられねぇ。ここまで何の役にも立ってねぇんだ。そろそろ俺らの出番といこうじゃねぇか!」
「はい! 行きます!」
レムが地竜の手綱を操り、嘶きに合わせてスバルの尻が弾む。
走り出す地竜の上でレムの腰に掴まる。霧の向こうにうっすら見える大樹、それとは反対側に駆けながら白鯨の姿を探し求める。
クルシュを先頭に駆け出した討伐隊も、それぞれ散開しながら巨躯を探す。いつ再び戦端が開かれるかわからない緊張感に、急速な喉の渇きをスバルは感じていた。
白鯨の出現は依然、見られない。
それは戦いが始まる前、夜の空に白鯨が現れるのを待っていたときの感覚に似て、
「──霧」
ふいに、嫌な予感がスバルの脳裏を過った。
特にこれといった根拠があったわけではない。退魔石の効果や、その中での魔法の運用。作戦前の話し合いの数々に加え、以前の周回で白鯨と出くわした経験などが思い出され、その不安はふいに湧き上がった。
大気中に残留するのは、拡散型の『霧』だ。
白鯨の領域を拡大し、視界を攪乱する『霧の魔獣』の十八番。前もって知らされた情報はそれだけだが、この怖気の理由をそれだけだと断じていいものか。
だが、その疑問が頭の中で形になるより、
「────ッ!!」
霧の薄れたリーファウス街道に、軋るような嬌声が響き渡る方が早かった。
「なんだなんだなんだなんだ!?」
甲高い鳴き声は女の悲鳴に似ていて、込み上げる嫌悪感に耳を塞ぎたくなる。咆哮とも哄笑とも別次元のおぞましさは、霧を伝搬して平原中を舐め回していった。
「今のは……っ」
疑問を言葉にしようとして、スバルは気付いた。全身に纏わりつく『霧』が、溶け込むようにして体内に侵入しようとしていることに。
そして──、
「あァあァあァあァ──!?」
最初に異変が生じたのは、隣を並走していた騎竜の小隊だ。
正気の人間が上げる声とは思えず、スバルはその奇声に肩を跳ねさせた。異変を察して振り向けば、すぐ横を走る騎兵たちが次々と地竜から振り落とされていく。
「おい! どうした!?」
叫ぶスバルの意思に従い、地竜がUターンして彼らの下へ向かう。騎手を失い、右往左往する地竜の合間を抜け、スバルは転落した男たちに声をかけた。
「大丈夫か!? 落馬するとただのケガじゃ済まねぇって……」
「うゥうゥうゥあァ──」
奇声は人間に上げられるものではなく、それは獣の唸り声に近い。
泡を吹き、白目を剥いて痙攣する男がいる。呻き声を上げ、必死に自分の腕を掻き毟る男がいる。奥歯が砕けるまで歯を食い縛り、地面に頭を打ち付ける男がいる。
症状は一貫していないが、それでもわかることがあった。
狂気。
それが『霧』を媒介に伝染しているのだと。
「これって……」
「さっきの声で、『霧』が精神に直接……マナ酔いに似ていますけど、ひどい……っ」
スバルの押し殺した声に、額に手を当てたレムが苦しげな顔で答える。
「マナ酔い……? やっぱり、ただの『霧』じゃなかったってことか!?」
レムの様子と、体に纏わりつく霧の感触に、スバルは『霧』本来の効果を理解する。
拡散型の霧は範囲内の存在に、回避不能の状態異常をもたらす罠だったのだ。その絶大な効果に、受けた被害はご覧の有様だ。
『霧』に影響を受けたのが、スバルたちと周りの小隊だけとは思えない。事実、遠目に窺える範囲だけでも、複数の小隊が足を止め、味方の異常に対処するのが見えていた。
「霧に耐性のある奴と、ない奴がいるのか……? 俺は何も感じねぇってのに!」
「レムは少しだけ、頭が……今、落ち着きます」
深呼吸を繰り返し、額の角に触れながらレムが自分を落ち着かせる。
その間、スバルは地竜から降りると、自傷する彼らを止めようと駆け寄る。だが、彼らの自傷はエスカレートするばかりで、止まる気配がない。
「スバルくん、落ち着きました!」
「さすがレム! それで、これをどうにかしないとみんな自滅しちまう! どうにかならないか?」
駆け寄るレムに聞き返すも、彼女は狂乱する騎兵たちに難しい顔で首を横に振る。
「残念ですが、レムの治癒魔法でどこまで効果があるか。肉体だけでなく、ゲートを通して直接オドに干渉しています。こんな強力なマナ汚染、フェリックス様しか……」
「そもそも、この精神汚染ってどれぐらいレジストできてんだ? こっちは俺とレム以外はほぼ全滅だぞ!?」
スバルたちと並走していた一隊はほぼ壊滅──無事な数名だけが、スバルと同じように自傷する仲間を止めようと躍起になっている。
「肝心のフェリスが汚染喰らってたら完全に詰みだぞ、どうする……」
スバルに見える範囲だけでこれだ。他も同じ状態なら絶望的でしかない。
クルシュやリカードといった主力に加えて、フェリスのような支援の要が落ちてしまえばそれまでだ。戦闘継続さえも困難になる。
「動ける者は負傷者を大樹の傍に! 多少の実力行使はやむを得ん!」
だが、霧の向こうからまたしてもクルシュの声が聞こえた。応じる声も連鎖し、どうやらクルシュは霧の影響を免れたらしい。同じ脅威に対処しているのが伝わってきた。
──再攻勢を指示した直後、即座の方針転換だ。
クルシュの声には歯痒さがあり、白鯨の悪辣なやり口にスバルも怒りを覚える。
「殺すよりケガ人出す方が戦力的にキツイって話だが、それを怪物がやるかよ……!」
「フェリックス様もご無事みたいです。あの方が治療に回れば、少なくとも汚染の効果は剥がせるはずですが……」
口ごもるレムの言いたいことがスバルにもわかる。
これだけ被害が出れば、フェリスの手は完全に塞がってしまう。負傷者を回収するために人手が割かれ、それだけ戦力は不足する。そして何より──、
「時間が足りない。フェリスが全員を治すまで、ずっと無防備ではいられねぇぞ」
「最悪、白鯨は密集した討伐隊を丸ごと霧で呑み込むかもしれません。そこまで知能があるとは思いたくありませんが……この状況を作り上げた以上、楽観は」
「治療組はラインハルトが護衛に付いている……いや、どっちにしろ野性は馬鹿にできねぇ」
その危険性は覚悟の上で、クルシュは負傷した討伐隊をフェリスに預ける気だ。
当然、白鯨を負傷者に近付けないために、時間稼ぎを行う必要がある。まとめて敵を叩くより、魅力的な餌をぶら下げる必要が。
「──ふぅ」
息を深く吐き、肺の中を空っぽにする。
限界まで酸素を体から絞り出すと、自然と窮屈に感じる胸の中──心臓の鼓動がゆっくりと、確かなリズムを刻んでいるのが自分でわかった。
意外なほど落ち着いている自分に、スバルは思わず苦笑する。
いつだって状況に流されるままで、目の前の事態に翻弄されては、この心臓はスバルの心情を反映するように暴走を繰り返していたものだ。
それがどうして今、この土壇場の決断を前にこれほど落ち着いているのか。
「……借り物でも、勇気は勇気ってことか」
胸を叩き、スバルは大きく息を吸い込む。一度止めて、目をつむり、それから息を吐き出して目を開く。前を向く。正面、地竜に乗るレムがスバルを見下ろしている。
スバルが何を言うのか、何を望むのか、それを待ってくれている。
「レム、一番危ないところに付き合ってくれ」
「はい。──どこまででも」
スバルの頼みをレムは躊躇なく、微笑みすら浮かべて受け入れる。
それを受け、スバルは地竜に駆け寄る。レムの手を借り、飛ぶように地竜に跨ると、地上で暴れる仲間たちを引き留める騎士たちへ、
「俺とレムが白鯨を引きつける! その間にあんたらはフェリスの治療を受けてくれ。大丈夫そうな奴らはフェリスに預けた後、クルシュさんに合流だ!」
「引きつけるだと!? いったい、どうやって……」
「こうやるんだよ」
疑惑の声を上げる老兵に笑いかけ、スバルは息を吸い込んで喉を開け、
「──聞こえる奴らは耳を塞げ!! それどころじゃない奴らはそのままで!!」
スバルの全力の声が、霧の平原に響き渡る。
そのスバルの大声をレムは心地良さげに聞き、それから両耳に手を当てる。近くにいた騎士たちも慌てて耳を塞ぎ、おそらく声の届く範囲の討伐隊はそうしたはずだ。
作戦前のブリーフィングで、スバルが頼み込んだ通りに。
そして、スバルは禁忌に自ら触れる──。
「俺は『死に戻り』して──」
そう口にした直後、それは訪れた。
『愛してる』
耳元で囁きかけられるような、弱々しくか細い声だ。
しかし、そこに込められた熱情、胸を震わせるものはなんだったのか。
思わず目尻に涙が浮かび、息の詰まる感覚にスバルは打ちのめされる。遠のいていく声を追いかけ、今すぐに抱きしめたい衝動に駆られる。
愛おしさが全身を支配する熱の中、意識は真っ白に燃え上がり──、
「……戻った」
刹那の邂逅で、スバルの意識は現実に覚醒する。
寸前までスバルを支配していた熱が遠ざかり、それまでどんな感慨を得ていたのかも思い出せなくなる。
「レム、どうだ。俺から魔女の臭いは……」
「はい、臭いです!」
「狙い通りだけど言い方悪くねぇ!?」
レムのお墨付きを受けて、釈然としないながらも目的は達した。
魔女の瘴気を身に纏い、スバルは周囲の騎士たちに振り返って声を上げる。
「俺たちはすぐここを離れる! なるべく大樹に近付かないようにすっから、クルシュさんたちとうまく落ち合ってくれ!」
「わ、わかった! 武運を祈る!」
「お互いにな!」
騎士たちに送り出され、スバルがレムの肩を叩くのを合図に地竜が走り出す。
現状、スバルの体からは新鮮な魔女の残り香──字面で見ると矛盾に満ちた臭いが漂っているはずだ。問題はこれがどれほど白鯨に効果があるか、だが。
「ウルガルムのときは、森全体をカバーできるぐらい効果あったけど今回はどうだ……正直、未知数なんだが」
前回の世界で白鯨と遭遇したとき、オットーの竜車に移ったスバルを白鯨は執拗に追跡してきた。魔女関連の発言をしていなかったときでそれだ。あのときより強い臭いを放つスバルは、白鯨にとって格好の餌のはずだが──、
と、思った直後だ。
「──!?」
直進する地竜が何かに気付き、そのまま自分の判断で急旋回──遠心力にスバルが「うげぇ!」と悲鳴を上げ、慌てて目の前のレムを縋るように抱きしめる。
「何が……っ」
「白鯨です!!」
密着するレムが叫ぶ真横を、ふいに霧を突き破る巨大な大顎が姿を現す。
間一髪、進路上から外れていたスバルたちを避け、わずかに左を滑るように白鯨の大口が大地を咀嚼、途上にあった草原を丸呑みにしていく。
岩壁めいた外皮を掠めるように駆け抜け、魔獣の顎が地面を噛み砕く音を間近に聞いた。白鯨は口内に血肉の味がないことに気付くと、その巨体で宙を切り返す。
そして、咆哮がスバルたちを追いかけてきた。
「うおおおおお──!?」
背後から迫ってくる、圧倒的質量によるプレッシャー。
叫ぶスバルを乗せた地竜は懸命に大地を蹴るが、追い縋ってくる白鯨の遊泳速度は尋常ではない。山のような巨体で空を泳ぎ、風を追い越すような勢いで距離が一気に詰まる。
ぐんぐんと、世界を飲み干す顎が押し寄せてくる。その鼻面がすぐ背後に、生臭い息が浴びせかけられる距離まできて、
「レム!」
「ウル・ヒューマ!!」
レムの詠唱に呼応して、三本の氷の槍が大地から一斉に突き出してくる。
それは狙い違わず、スバルたちを追っていた白鯨を真下からぶち抜き、その下腹を串刺しにして動きを止めようとする。だが、
「止まらねぇ──!」
槍百本を束ねたような太さの氷槍が根本からへし折られ、甲高い音を立てて氷が砕け散る。破壊された氷槍は瞬時にマナへ還元され、傷を塞ぐものを失った白鯨の傷口から血が噴出するが、その動きに影響はない。
あれほど負傷し、血を流し、それでも精彩を欠かない耐久力の果てはどこにあるというのか。改めて、白鯨を落とすという難事のハードルの高さに戦慄する。
しかし、
「ウルガルムのときと違って、こっちゃタイマンじゃねぇんだよ!」
「────ッ!!」
中指を立てて、距離の離れた白鯨をスバルが挑発。その仕草に激昂し、白鯨の咆哮が平原に轟く。だが、その胴体を横合いから、
「お姉ちゃん、合わせて!」
「いっくぞー! ヘータロー!!」
二頭のライガーに跨る子猫の姉弟が顔を見合わせ、交差するライガーから飛び降り、互いに手を取ったミミとヘータロー。二人はその口を大きく開けて、
「わ──!」
「は──!!」
二人の声が重なり、波状的に広がる音波が凄まじい破壊の力をもたらした。
傷口から衝撃波が伝わり、白鯨の全身の傷が再び出血する。苦しげに悶え、痛みに堪える声を上げ、巨体が揺らぐ。自らの意思と無関係に白鯨の高度が一気に落ちる。
「切り札シューリョー!」
「団長、お願いします!」
「おうおう、任せぃ! チビ共が頑張ったんなら、ワイもやらなあかんわなぁ!!」
着地する双子と交代し、大型のライガーが尾の方から白鯨の体をよじ登る。
大鉈を振り上げ、リカードは霧を生む無数の口を叩いて回った。邪魔な口へ斬撃を叩き込み、次から次へと黙らせていく。
だが、白鯨も黙って攻撃手段を潰されっ放しではない。潰しても潰してもなくならない無数の口から、それこそ弾幕のように消滅型の霧が放出される。
リカードはライガー任せの機動で、その霧を避ける、避ける、避け続ける。
討伐隊と『鉄の牙』が再集結し、近接戦闘組を援護するように魔石砲の射撃が再開する。
自分の攻撃が当たらず、羽虫にダメージを蓄積させられる現状に焦れたように白鯨が、巨体をよじって霧をばらまくために大口を開けた。
「レム──!!」
スバルの呼びかけよりも早く、レムが地竜を白鯨の鼻先へ飛び込ませる。魔女の臭いを漂わせるスバルの接近に、集中力を乱された白鯨が反射的にこちらを見やり、飛びついてこようとする──が、その視界に揺らめいた『赤』に、白鯨はそれを突如中断させた。
「ど、わぁぁぁ!?」
それまでと異なる魔獣の挙動。白鯨は首を上へ向けると一気に急上昇し、その勢いにリカードがライガーごと振り落とされる。
「ラインハルト!」
「白鯨と接敵したなら、こちらへ向かえとクルシュ様が」
英雄的登場に沸き立つスバルに、ラインハルトは端的に事情を説明し、今も急上昇を続ける白鯨を目で追いかけている。
つられて上を見るスバルは、上空を泳ぐ白鯨の尾を視界に捉えた。まさかスバルも、このまま白鯨が逃亡するものとは思わないが、魔獣が上空へ向かった狙いは今のところ不明だ。ただラインハルトから逃げただけなら分かりやすいが、あの悪辣な戦術を披露した白鯨が、そんな単純なはずがない。
『鉄の牙』や討伐隊も不安げに空を見上げ、大樹の根元に集まる負傷者勢の状況がスバルには危ぶまれる。
「くる」
小さく、空を見上げるラインハルトが呟いた。
目を細めて、残った一本の両手剣を鞘から抜く『剣聖』の姿に全員の警戒心が跳ね上がった。
そして、変化を固唾を呑んで待ち構え──後悔する。
頭上に浮かぶ白鯨の行動など待たず、即座に散開すべきだったのだと。
「──霧が落ちてきやがるぞぉ!!」
スバルが声の限りに叫び、レムが地竜を一気に反転させて戦線を離脱する。
周囲の地竜やライガーも一斉に駆け出すが、もはや他の者の無事を確認するために顔を上げている余裕すらない。
空を一面、覆うような勢いで膨れ上がる消滅型の霧が、大地へ落ちてきている。
雲そのものが落ちてくるような『霧』だ。回避には範囲から逃れる以外にない。
──だが、存在を消滅させる『霧』は、再び『剣』により消し飛ばされた。
散開しようとしていた者たちも、脚を止めてラインハルトのもとに戻る。
視界が限られ、頭上を取られた今、あの『霧』に対抗するには『剣聖』に頼るしかなかった。
「ラインハルト、また助かっ、た……」
その背中に声をかけようとして、気付いた。ラインハルトが訝しげな表情を浮かべている。
「どうした」
「何故、白鯨は『霧』を放ってきた?」
「え?」
「不意打ちや大樹を狙うならともかく、僕がいる場所に正面に『霧』を撃っても意味がないと、かの魔獣は理解しているはずだ──何より、『霧』が軽かった」
「軽かった……?」
言われてみれば、ラインハルトが手にしている両手剣は崩壊していない。その実力故に抱いた疑念、誰もがその思考に沈んだ。
その一瞬、ラインハルトは見た。
──濃霧の向こう側から、大口を開いた魔獣がスバルに迫るのを。
「──スバル!」
「ぬわぁ──!?」
ラインハルトの叫びと、レムがスバルごと地竜を蹴り飛ばしたのはほぼ同時。
それは、間一髪での反応に過ぎなかった。音もなく接近した白鯨の顎が、大地ごとレムを呑み込む。
地を削り、レムを中心に地面が丸々抉られ、全て白鯨の口の中だ。
「あ……」
その衝撃的な光景を前に、地を転がったスバルは絶句する。
好きだと言ってくれた女の子が、飲み込まれた。その事実をようやく脳が受け入れた。
「レムぅ────!」
咄嗟に跳ね起き、かの白鯨に吶喊しようとしたスバルだが、
「あかんぞ!!」
と、今度はすぐ傍らで別の人物の声が上がった。
その声に反応するより早く、スバルが横合いからぶつかってきたライガーによって吹き飛ばされる。
「うおお!?」
地面を転がり、あちこち打ったスバルは痛みに顔をしかめる。
「てめぇ、何しやが──」
突然の暴挙の下手人は声からしてリカードだが、その真意を問い質す前に、
「──が」
バッと、目の前で赤い華が散るのをスバルは見た。
「え?」
千切れ飛び、肉片を飛び散らせるライガーの無残な死骸が平原に転がった。そしてその上に跨っていたはずの大柄の獣人は、大量の鮮血を残して姿を消した。
そのリカードの血を浴びる尾を振り、白鯨が巨体を揺らして低空を泳いでいる。
庇われた、であるとか。
リカードはどうなったのか、であるとか。
様々な疑問が浮かんだが、それよりも無視できない事実がスバルに訴えかける。
目の前に、リカードを尾で薙ぎ払った白鯨。
そして、
「嘘、だろ……」
振り返れば、レムを大地ごと呑み込んだ白鯨が咀嚼を始めているのが見える。
正面と、背後──見上げた上空にはいまだ、霧を撒き散らす魚影があり、
──三体の白鯨が無数の口で哄笑し、人間たちの絶望を掻き立てる。
じわじわ、じわじわと、悪夢が再び希望を塗り潰すのをスバルは感じていた。