「──ここに、白鯨は沈んだ」
ぽつりと、凛とした声音が平原の夜に静かに響く。
白い地竜に跨り、悠然と宝剣を天に突き上げ、少女はその誇りを全員に見せつける。
長い緑髪はほつれ、戦いの最中に受けた傷で装飾の類は無残になり、その顔を自身の血で汚した、あまりにみすぼらしい格好の人物だ。
しかしその姿は、戦乙女の体現者として、この上なく輝いて見えた。
「400年の歳月を生き、世界を脅かしてきた霧の魔獣──ラインハルト・ヴァン・アストレアが討ち取ったり!!」
「──おお!!」
「この戦い、我々の勝利だ──!!」
高らかに勝利の宣告が主君クルシュ・カルステンから上がり、騎士たちが歓声を上げる。
霧の晴れた平原に、再び夜の兆しが戻る。月の光があまねく地上の人々を照らす、あるべき正しい夜の姿として。
──ここに数百年の時間をまたぎ、白鯨戦が終結した。
歓声が、月明かりの満ちる平原に広がっていく。騎士たちの掲げる剣がその月光を映し、光り輝く光景は美しくすらあった。
両断された白鯨の巨躯が『剣聖』の前に晒され、それを囲む一団を熱狂が押し包んでいる。誰もが勝利に浮かれ、悲願を果たしたことに感涙をこぼしていた。
だが──、
「浮かれてばかりもいられまいよ」
胸に手を当て、その内側に高揚感があるのを自覚しながら、しかしクルシュは感慨を面に出さずに首を横に振る。
悪い魔獣を皆で協力して倒し、物語はめでたしめでたしで終わる。現実はそう単純な話では終われない。
やらなければならないことは無尽にある。生き残った負傷者を救護し、亡骸の残る死者を手厚く葬り、亡骸の残らない死者の足跡を辿ってやらなくてはならないのだから。
そして、それらの後始末を思案するクルシュは気付いた。白鯨の屍から少し離れた場所で、必死に声を上げる功労者の姿があったことに。
◆
「レム! レム、目ぇ開けろ……!」
少女の胸に抱かれながら、スバルはその感触を味わう余裕もなく必死で声を上げていた。
すぐ傍らに寄り添う地竜が、その黒い鼻先を心配げに背中に擦りつけてくる。だが、その気遣いにも応じてやれないほど、今のスバルを包む焦燥感は強い。
──スバルの臭いを追わせ、白鯨をラインハルトの前に誘き出す作戦は見事に成功した。
三分割している白鯨ならば、ラインハルトが両断しても不自然ではないと、スバルやクルシュが判断しての作戦だった。
結果、立案したスバル自身が多大なリスクを背負う作戦は実行に移され、結果としてこれ以上ない戦果をもたらしてくれたといっていい。
しかし、その代償がこれであるのだとしたら、それはあまりにあんまりだった。
「これは、駄目だろ……頼むよ、レム……お前が、いなくちゃ……っ」
依然、レムは呼びかけに反応する気配がない。手足にはスバルを抱きしめる以外意思が通う様子はなく、名前を呼ぶ涙声は彼女の鼓膜を素通りして空しく虚空に木霊していた。
そこに、地竜が駆け寄ってくる足音がした。
「スバルきゅん、おまたせ」
「フェリスか!?」
「そうそう、可愛い可愛いフェリちゃんですよ〜」
怒鳴りつけるスバルなどどこ吹く風で、フェリスはへらへらと笑っている。いや、顔は見えないのだが、声が笑っていた。
「レムが! レムが起きないんだ!」
「大丈夫だって、色々終わって眠ってるだけ」
「ホントか?!」
「ホントホント。そもそも、冷静になればわかるじゃにゃい。負傷者の手当てして回ってるフェリちゃんがすぐ行かない時点で、レムちゃんの傷が命に関わるほどじゃないってさぁー」
「冷静になれる場面かぁ! 好きって、言ってくれた……大事な女……の子がケガして意識ないんだぞ。混乱して当たり前だろうが!」
「色んな場面で言い切れない部分が男の子の純情だよネ~。それに、その女の子の胸の中にいちゃ、カッコもつかないし?」
怒鳴りつけるスバルなどどこ吹く風で、フェリスは掌に浮かぶ青い光をレムへと向ける。その飄々さに苛立ちを覚えながらも、スバルは安堵の気持ちを隠せないでいた。
重傷者から順番に治療を施していたフェリスがレムを後回しにしたということは、それは事実なのだろう。白鯨討伐の功労者であり、余所の陣営の戦力であるレムやスバルを軽々しく扱うことなど彼の主が決して許すまい。
そんな思考の帰結を見るスバルの頭上に、
「なんや兄ちゃん、見せつけてからに。白鯨よりやわっこい
「違ぇよ! 抜けらんねぇんだ!」
「がはは! 将来は尻に敷かれるん確定やな!」
と、様子を見に来たリカードが笑う。
ガハハと笑い声が遠ざかった頃、レムの身体がピクリと動いた。
「レム?」
「……スバル、くん」
返事と共に、ぎゅっと腕の力が込められた。
「あの、レムさん?」
「……レムは今、死に際にいるようです。誰かに引き留めてもらわないと、このまま消えてしまいそうです」
死に際とは思えないほど理知的な返事が返ってきた。
「あー、その、レムさんは何と言われるのをご所望で?」
「好きって、言ってほしい……です」
掠れた声で、恥ずかしそうな声音で、レムが小さくこぼす。
あれほどの大勝負を乗り切ったご褒美がそれかと拍子抜けし、けれどスバルは首を横に振った。自分だって以前はエミリアの名前を聞くためだけに命を張った。レムだって、あのときの自分と同じように思ってくれているのだろう。
スバルは、自分からも彼女を抱き寄せて、
「好きだ」
「────」
「大好きだ。決まってるだろ……お前がいなきゃ、やっていけない」
本心からの言葉だった。この瞬間にスバルの全てを注ぎ込むのならば、それは掛け値のない本音だった。
「──もっと」
「俺の傍にいてくれ。手繰り寄せた未来の中に、レムがいないなんて耐えられない」
「もっと」
「笑って話す未来には、お前がいてほしい。レムが一緒にいなくちゃ俺は嫌だよ」
「もっと」
再三のおねだりに、スバルは抱きかかえる彼女に回す腕に強く力を込めて。
そして、言い切った。
「お前は俺のものだ。誰にも、渡さねぇ」
「──ふふっ」
レムが堪えきれないと笑みを漏らすと、腕の拘束を緩める。スバルはレムを見上げると、その愛らしい表情は幸せに彩られていた。
「スバルくんのお傍はレムの予約済みです。……撤回は、できませんよ?」
「死んでもしねぇ。むしろ嫌だっつっても離さねぇ」
「言いませんよ」
レムはまるで求めていた答えを得たかのような顔で笑い、再びスバルを胸の中に抱え込んだ。
「──お二人さん、もうそろそろいいんじゃにゃいかにゃ?」
それまで二人のいちゃつきを静観していたフェリスが、呆れを隠しもせずに割り込んだ。
レムの治療のため離れられず、けれどもこの空気に耐えられず、ずっと居た堪れなかっただろう。
──申し訳ないと、スバルは珍しく素直に省みた。
◇◇◇
「無事か、ナツキ・スバル」
レムの治療が一段落し、フェリスが場を離れた頃。彼の主であるクルシュが、ゆったりと草を踏みながら現れる。
「どうにかこうにか、な。クルシュさんも無事そうで何よりだ」
「私はな。だが討伐隊の損耗は、恐ろしいほどに少ないとはいえ、ゼロではない。白鯨を討ってなお、消えたものたちは戻らないのだから」
手を掲げて応じるスバルに顎を引き、クルシュは微かに沈痛を瞳に宿す。
今回の討伐での犠牲者は、霧で消滅した3名を含めて7人。損耗率3%未満という、驚異的な戦果だ。
けれど、失われた命があるという事実は厳然としてあった。
その重みを意識したスバルが、元凶である白鯨の屍に目を向けた。
「──? 何をやってんだ、ありゃ」
「白鯨の屍を運び出さなくてはならない」
「運び出すって……あのどでかい死体を?」
ラインハルトに両断された白鯨、その全長は五十メートルにも及ぼうかという巨躯だ。
「無理臭くね?」
「できない、では話にならない。400年、世界の空を泳ぎ続けた脅威だ。その屍という確かな証拠があってこそ、人心は真の安堵を得る。最悪、頭だけでも持ち帰らねばな」
仰々しいクルシュの言葉だが、スバルはその判断も当たり前だと思い直した。クルシュにとって、白鯨の討伐は王選における目に見える成果。
王選の最有力候補として国民からの支持も高く、懸念されていた商人勢からの好感度も今回稼いだのであれば、クルシュの立ち位置は盤石で──、
「あれ、ひょっとして結構マズい後押ししてねぇ?」
今さらだが、他陣営への肩入れにしては取り返しのつかないレベルな気がしてきた。全てはエミリア陣営に戻るための行動、だがそれにしてもやりすぎてやいないか。
そんな予感に、スバルが遅すぎる後悔をしていると、
「ずいぶんと暗い顔をするものだな。──白鯨を落とした英雄の顔には見えん」
「エミリアたんに開口一番裏切り者って罵られ……え、今なんて言った?」
「白鯨を落とした英雄、だ。──卿らの功績を、そのまま全て当家の手柄にするほど恥知らずではありたくない」
白鯨の亡骸から視線を戻し、クルシュは剣のような眼差しでスバルを射抜く。その誠実な輝きに瞬きして、スバルも彼女と真正面から向き合った。
「此度の協力、感謝に堪えない。卿がいなければ白鯨の討伐は成らず、私の道は半ばで潰えていたことだろう」
クルシュはゆっくりと己の胸に手を当てると、深々とスバルに対して礼の姿勢を取った。
「────」
高潔なクルシュに向けられる真摯な謝意、その熱にスバルは思わず硬直する。
これまで、彼女のような立場の人間に、こんな言葉をかけられたことなど記憶にない。
「い、いや……やめてくれって。俺、そんな大したことしてねぇし……ラインハルトの方が」
「確かに白鯨を落としたのはかの『剣聖』だ。しかし、白鯨の出現の時と場所を言い当て、討伐隊だけでは足りぬ戦力を整えるのに奔走し、士気が折れかけた騎士たちの覚悟を奮い立たせ、自らの身が危うくなる起死回生の献策をし、その上で見事にそれをやり遂げ、勝利を手繰り寄せてみせた──その功績は、決して『剣聖』に劣るものではない」
途切れ途切れに言葉を返すスバルに、クルシュはこの戦いにおけるスバルの行動の結果を列挙してみせる。
「我ながら頭おかしいとしか思えない活躍してんな……」
「獅子奮迅、では言葉が違うな。しかし、卿は間違いなくこの戦いにおける立役者の一人だ。その行いが軽んじられるのであれば、私は私の名誉に誓ってそれを正すだろう」
「ずいぶんと評価が改善されたみたいで、驚きだよ」
「謙遜することはない。そして、私の数日前までの見立てが大いに間違っていたことは認めざるを得まい。卿は、得難き幸いを運んできた。本来ならばその功績、当家に迎え入れて相応に報いたいところではあるが」
「そりゃ勘弁してくれ」
目を細めるクルシュが、低い声でスバルを自分の懐へ誘う。だが、スバルはそんな彼女の勧誘に、手を挙げると即断で断った。
「忠誠とも忠義とも違うけど、俺の信頼はもう預けるべきところに預けてある。あんたはいい奴だし、王様になってもきっとうまくやってけると本気で思うけど……」
クルシュならばきっと、誰よりも高潔に民を導く王になれるだろう。
それだけの器があるし、そうするだけの理由が彼女にあることも少しだけ知った。正当な理由が、それに応える覚悟が、きっと彼女に託された遺志があるのだ。
そんな彼女の人柄は、スバルのように嘘をつき続けてきた小さな人間には眩しくて、羨望を抱いて憧れる理想そのものであったけれど。
「──俺は、エミリアを王にするよ。誰のためでもなく、俺がそれをしたいんだ」
「……わかっていたことではあるが、それなりに堪えるものだな」
スバルの答えを受け、クルシュはその唇を綻ばせると顎を引く。
それから組んだ腕を解き、その白い指を拳の形に固めると、スバルに向けた。
「良いだろう。卿の功績には別の形で報いる。クルシュ・カルステンの名に誓い、その約束は果たされよう」
厳かに言い切り、クルシュは固めた拳を開いて自分の掌を見る。それからわずかにその声の調子を落とし、
「思えばこれほど気持ちよく、誘いかけを断られるのは初めての経験だな。悩む素振りすら見せられないとは、いっそ清々しい敗北感だ」
「……クルシュさんは、すげぇ人だと思うぜ。俺だってふらふら一人なら間違いなく、その手を支えにしようって思っただろうさ」
今のスバルには手を伸ばして掴まっていたい相手がいて、ふらふらと揺れる背中を支えてくれる掌の持ち主がいる。
だからその手は取れないけれど、クルシュに抱く尊敬の念は本物だ。
「同盟の件は、よろしく頼むよ。最終的にどんな形で敵対することになっても、それまではきっと仲良くやっていこうぜ」
「──ナツキ・スバル。一つ、考えを正そう」
スバルの返答に笑みを消して、クルシュは厳しい顔つきで唇を引き結ぶ。再び空気の張り詰める気配に驚き、スバルはクルシュを見る目を見張った。
クルシュは指を一つ立て、それをこちらの顔に突き付けると、
「雌雄を決する機会がきたとしても、私は卿に対して友好的であろう」
「────」
「いずれ必ず来る決別の日にあっても、今日の日の卿への恩義を私は忘れまい。故に敵対する時がきたとて、私は卿に最後まで敬意を払い、友好的である」
指を立てた腕を振り下ろし、クルシュは凛とした声音ではっきり断言する。
今度こそ、スバルの背筋を寒気が走り抜けた。それは負の感情からではない。ただただ、偉大なものに圧倒されたが故の感情だ。
──これがカルステン公爵、クルシュ・カルステンという人物なのだ。
「俺の心の一番目と二番目が埋まってなかったら、かなり危ないとこだった」
「──ふ。女として、卿をどうこうというところまでは考えていない」
動揺を軽口で誤魔化すスバルに、クルシュも薄く笑いながら応じる。
「さて、できるなら私はこのまま、負傷者と白鯨の屍を王都へ運びたいところだ。が、卿にはまだ何か使命が残っているようだな」
「……やっぱ、加護持ちにはわかるか」
「男児のその目を見ればようと知れる。加護の力など必要あるまい」
スバルの黒瞳を覗き込み、片目をつむるクルシュがそう答える。それから彼女はスバルの姿を上から下まで確かめて、
「卿も無傷ではないはずだ。それを押して、やらなければならないことか」
「重傷でもやらなきゃならねぇことだな。ある意味じゃ、それをやってのけるための鯨狩りだ。言っちゃ悪いけどな」
「ほう、この白鯨討伐がついでか」
聞こえの悪いだろう言い方に、しかしクルシュが腹を立てる様子はない。むしろその逆で、
「興味深いな。──当家との同盟も、それを考慮してのものだろう。なれば、求められている役割も思い当たらないでもない。……手が、必要か」
「必要だ」
白鯨討伐を終えたスバルを待つのは、エミリアの待つメイザース領への帰還であり、それは忌まわしき集団との相対を意味する。
その強敵との戦いにこそ、クルシュたちの力が必要だった。
「ただ、今度の相手は魔女教、その『怠惰』だ。クルシュさんも感情だけじゃなくて、当主としての立場も意見もあるだろ……どのくらい協力を要請できる?」
「負傷の少ない者、その半数は貸し出そう」
「それは超助かるけど、マジで?」
確認のために問えば、クルシュは顎を引いてそれを肯定する。
まさかの残り戦力の半数──クルシュの協力は、戦力の充実が少しでも望まれる現状、スバルにとって願ったり叶ったりだ。
「フェリス!」
「は~い、クルシュ様!」
鋭いクルシュの呼びかけに、呼ばれたフェリスがさっと滑るように現れる。彼は弾む足取りでクルシュの隣に並ぶと、その頭の猫耳を小刻みに揺らし、
「なんです、クルシュ様。フェリちゃんてばただいまお仕事大回転中につき、クルシュ様のお願い事を聞くのはもちろん一番だから最優先にゃんですけどぉ」
「お前、自分の発言の途中には責任持てよ!」
あっさり治癒術師としての使命感を投げ出そうとする発言に突っ込む。そんな彼らにクルシュは討伐隊を眺め、
「命に関わる負傷者は?」
「重傷者から処置しましたけど、危なくにゃった人はきっちりゼロで~す。他の人の応急処置もバッチリ、フェリちゃんできる子。褒めてくださいにゃ」
頬に指を当てて媚びるフェリスに、スバルはホッと胸を押さえる。名も知らぬ者たちとはいえ、これ以上誰かが零れ落ちるのは見たくなかった。
「そうか。ならばフェリス、この場の治療はここまででいい。お前はこの後、ナツキ・スバルに同行し、同盟としての役割を果たせ」
「──え!?」
クルシュの下したその指示に、スバルは驚きの声を上げた。
この場からフェリスを外し、スバルに同行させる。それは自陣営の負傷者より、同盟相手であるスバルの判断を優先させる指示に他ならない。当然、それはクルシュ陣営の身を切る判断であり、フェリスの反感を──、
「了解しました。フェリちゃんはこのままスバルきゅんに同行します。道すがら、軽傷の皆の怪我も治しちゃいますネ」
「手間をかけるな」
「その分、皆には剣を振ってもらわなきゃだしお相子ですって」
買わなかった。
フェリスは当たり前のように指示を受け入れ、ヴィルヘルムもその指示に驚く素振りを見せない。主と二人の従者のやり取りに、スバルは困惑が隠せなかった。
そんなスバルにフェリスはちらりと流し目を送り、
「そんにゃわけで、大丈夫そうな討伐隊の残り半数……70人ちょっとかにゃ? それを連れてスバルきゅんに協力するネ。よろしく~」
「よろしくーって軽いな! いいのかよ?」
「いいのかって、にゃにが?」
「何がって……色々だよ。お前、俺の判断とか信用できんのかよ」
思い返せば思い返すほど、フェリスはスバルに対して、傷口を抉るような接し方をしてきた。
いつだって友好的な笑みを浮かべて、いつだって可憐な態度を装いながらではあったけれど。彼がスバルの弱さに強い軽蔑を抱いていたことはなんとなくわかっている。
そんな相手に従うことに、忌避感があるのは当然だとスバルは思ったのだが、
「スバルきゅんを信じるんじゃなくて、スバルきゅんを信じようって決めたクルシュ様の判断を疑ってないの。そこ、間違っちゃやーだかんネ?」
「お、おう……ありがとよ」
念押しするように、スバルの考えを鼻で笑ってみせるフェリス。その態度にスバルはバツが悪くなり、言葉を詰まらせながらなんとか礼を言う。
そんなスバルにますます笑みを深め、フェリスは小さく、
「……ただの、同族嫌悪みたいなものだったんだから」
「──? 今、なんて言った?」
「べっつにー? なんでもないってば。あ、そーだ」
聞き取れなかった言葉をうやむやにし、フェリスはわざとらしく手を叩くと、
「ラインハルトはどうするの? このままスバルきゅんについて行くの?」
「本来ならそうしたいところなんだけどね」
水を向けられた『剣聖』は、やるせないとばかりに苦い笑みを見せる。
「僕が貸し出されているのは白鯨討伐まで。『怠惰』までとなると、さらに陣営同士の貸し借りが増えてしまう」
「だよな……」
「すまない」
分かってはいたが、それでも僅かな期待を持っていたスバルは肩を落とす。
「そうそう。言い忘れてたけど、レムちゃんはお留守番……っていうか、クルシュ様と一緒に王都に戻ってお休みでーす。わかってネ」
「──どうしてですか!」
暗くなりかけた雰囲気を払拭するようにウィンクするフェリスの宣言に、強い反発の声が上がった。それは負傷者の列で、こちらのやり取りに耳を傾けていたレムだ。彼女はフェリスを強く睨みつけると、
「レムなら! レムなら大丈夫です。スバルくんがこれからまだ危ないところに向かうのに、レムがいなくてどうして……」
「そんなこと言っても、体、動かないでしょ? 白鯨に食べられて、それでもなんとか生還して……レムちゃんのお体は今、すっかり消耗してマナがスカスカ状態にゃの。治癒術師として、これ以上の無理はさせられませ~ん。おわかり?」
「でも!」
納得いかない、とばかりにレムは立ち上がって言い募ろうとする。
が、起き上がろうと立てた腕に力が入らず、震える体を支え切れずにその場に倒れ込みそうになる。慌てて駆け寄ったスバルが、その肩をそっと支えた。
「危ねぇって。……頼むからフェリスの言う通り、あんまし無茶すんなよ」
「でも! 嫌なんです。苦しいんです。耐えられないんです」
傍らのスバルを見つめ返し、レムはその青い瞳に大粒の涙を湛えていた。
置き去りにされることではない。彼女が何より恐れていること、それは──、
「スバルくんが困っているとき、誰よりも先に手を差し伸べるのはレムでありたい。スバルくんが道に迷っているとき、背中を押してあげられる存在でいたい。スバルくんが何かに挑むとき、隣にいて震えを止めてあげたい。それだけがレムの、それだけがレムの望みなんです。ですから……」
「それなら心配なんか、いらねぇよ」
「え?」
泣きそうなレムの声、その愛しさ募る言葉の数々に、スバルは自然と面映ゆくなる。
肩を支えながら、スバルはそっと彼女の頭を撫でて、
「手はいつだって繋いだままだし、背中なら何度も押してもらった。震えるのだって、お前を思うだけでどうとでもなる。──俺はお前にもう、ずっと救われてる」
「……ぁ」
「大丈夫だ、レム。全部丸ごと、俺がどうにかしてきてやる。俺はお前の英雄だ。その一歩を踏むと、そう決めたんだ。だから、何も心配いらない」
震える瞳がスバルを見上げ、熱を持った頬が赤く染まる。
そんな彼女にスバルは笑顔を向けて、歯を剥くように獰猛に笑い、
「鯨狩りもやってのけた。お前の英雄は超、鬼がかってんだろうが」
「スバル、く……」
込み上げる感情が堪え切れず、スバルを呼ぼうとしたレムの言葉が途中で途切れる。
それから彼女は何度かその衝動を呑み込もうと苦心し、幾度も息を呑んだ後、抑えられなかった溢れるものを眦からぽろぽろとこぼし、
「──はい。レムの英雄は、世界一です」
と、泣きながら微笑んだのだった。
原作では、クルシュが貸し出したのは20名ほど。
ラインハルトのお陰で犠牲者激減。
次回、オリ主の出番が戻ってきます。
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