ルグニカ王国の南東にあるハクチュリ。
主な産業である農畜産業と、近くにある大都市フランダースで需要が大きい地竜関係の仕事に頼っている小さな町。
そして、『剣聖』を輩出する家系として名高いアストレア家の直轄領である。
王国における『剣聖』という立場の重要性と比較して、あまりにもささやかな領地だ。
これは不必要に地位や力を持ちすぎないことで王国への忠誠心を証し続けるという、連綿と受け継がれてきたアストレア家の方針によるものだった。
◆
白鯨や怠惰討伐隊の帰還、その後の祝勝会や後始末の話し合いを終えて、アストレア領に戻ってきたフェルト。
彼女は現在、アストレア領内を見学している真っ最中だ。
「つっても、幾らなんでもやり過ぎだろ……」
街道を歩きながら、フェルトはドン引きしたように呟く。
生まれも育ちも王都のフェルトにとって、大げさに言えば初めての外の世界──目に留まるもの全てが新鮮で、目新しく感じられる。女三人で会話も弾み、ぶらり旅を楽しんでいた。
ただ、ほんの数時間で案内が終わってしまう領地には、流石に本音が零れてしまった。
「そうですね。好意的に捉えれば、アストレアに領地経営の任を負わせないためとも言えますが……実際は、王国が如何に『剣聖』を都合の良い道具として扱っているか、その象徴と言えるでしょう」
案内役の一人であるアリーゼが、穏やかな口調ながら毒の入った相槌を打ったことに、フェルトは思わずギョッとした。
「アリーゼ、滅多なことを言ってはダメよ」
そこに、反対側から発言を窘める声が上がった。
「事実ですよ、お祖母様」
「事実でも、言ってはダメな事もあります」
「それならば、言わなければならないことだと思いますよ。フェルト様は、足元の見えていない者たちを叩き落として、王国の風通しを良くしてくださるそうですので」
「……全く、口ばっかり上手くなっちゃって」
もう一人の案内人、アリーゼとラインハルトの祖母、テレシア・ヴァン・アストレアが、諦めたようにため息をついた。
「フェルト様、今の発言はご内密に。お願いしますね」
「…っす」
テレシアは人差し指を立てて、フェルトにそう微笑む。茶目っ気と淑やかさ、色気、そんな様々が混ざりあった要請に、フェルトはこくりと頷いていた。
「あ、あー、そんで、次が最後なんだよな?」
フェルトは己の不用意な発言の呪いながら、あからさまな話題転換を試みる。
「ええ。王都にいる際にもお話しました、我がアストレア領一番の特色、騎士・衛兵養成所です」
「アリーゼやヴィルヘルムたちが作り上げた施設です。フェルト様もきっと楽しんでいただけると思いますよ」
アリーゼもテレシアも、フェルトの不自然な態度をツッコむことはしない。
視線の先に見えてきた建物を誇るように、二人は微笑むのだった。
そこは、フェルトの想像していたような養成所ではなかった。
王都にある騎士団の詰所のような高い石壁もなければ、威厳に満ちた門もない。広大な敷地を囲う木柵とそれなりに広い訓練場、そこに宿舎や講義棟が付いただけの、簡素な場所だった。
「屋敷の雰囲気に似てるな」
現在フェルトが滞在しているアストレア本邸。その印象は、質素ではなく簡素。
新しく清潔で、テレシアの趣味のため庭もそれなりの広さはあるが、それ以上の装飾はない。良く言えば実用性重視だ。
目の前の養成所にも、それと同じ雰囲気があった。
「ええ、ここは王都ではありませんから」
つまり、見栄を張る必要もないと。
王都にあったアストレア別邸は、『剣聖』を輩出する家名に見合ったものをという、王国側の意向が大きいのだろう。
中に入ると、訓練場ではヴィルヘルムに加え、教官らしき男性が二人と、剣を振っている三十人弱の少年少女がいた。
彼らは教官の号令一つで動きを止め、一斉にフェルトたちの前に整列した。
壮年の男性が、強く踵を鳴らす。それに合わせ、整列していた者たちが一糸乱れぬ動きで踵を鳴らし、剣を掲げて敬礼を捧げる。
「──わ」
その迫力にフェルトは感嘆を漏らし、アリーゼは悠然と前に出た。そして振り返り、
「フェルト様、彼らがこの養成所の三回生、あと一年もしないうちにアストレアを旅立ち、ルグニカを守護する卵たちです」
胸を張って、整列する少年少女たちを示した。
そこに、傍で控えていたヴィルヘルムが前に出る。
「フェルト様、ここにいる者たちは、誉れある騎士を夢見る者ばかりではありません。食い物に困った者、継ぐ畑がない者、都に憧れた者。危険と報酬を秤にかけ、将来を考えた際に戦いを選ぶ者」
それは、半ば成り行きに背中を押され、王選へ踏み込んだ自分とどこか重なって見えた。
「剣を取る理由は様々あれど、それを振るう者として我々は自覚と意識を高く持つ。決して力に溺れ、不用意に力を振るう荒くれではない」
言葉を重ねる。ただそれだけで、これほど人間は気圧されるものなのだ。
ヴィルヘルムは今、フェルトを威圧するつもりなどない。彼は純粋に、鋼に魅入られた者として、剣を取る心意気を語っているだけ。かつて『剣鬼』と呼ばれた王国最強、その存在感そのものが、これほどの力を持っているのだ。
──これが、ヴィルヘルム・ヴァン・アストレア
鳥肌が浮かび、感嘆符が頭の中を入り乱れる。そんな静かな動揺に震えるフェルトに、隣からテレシアがそっと声を掛ける。
「フェルト様がこちらに来ることはそれほどないでしょうが、この子たちのこと、大切にしてくださると嬉しいです」
かつて王国を救った『剣聖』はフェルトを重圧から解き放つように微笑み、そして少しだけ、自慢げに胸を張った。
◆
領地の見学を終えて、夕食と湯浴みを済ませたフェルトは自室で共に寛いでいた。
「いやー、やっぱでけー風呂はいいな」
「浴場は王都の別邸にも見劣りしないよう作っていますから。喜んでいただけて何よりです」
フェルトと同じく、ラフな寝衣姿のラインハルトが微笑む。だが、その美しいかんばせが憂いへと移り変わった。
「……フェルト様、本当に現場と座学の両方をやるおつもりですか?」
「なんだお前、アタシに吐いた言葉を取り消せってのか?」
「そうではありませんが、何せあのお祖母様が渋ったとなると……」
ラインハルトの懸念はただ一つ。
明日から始まる、王選に向けてフェルトが行うカリキュラムについてだ。
座学か現場かどちらがいいか、というアリーゼの問いに、フェルトは両方と答えた。
王選開始前には礼儀作法だけでなく、ラインハルトやロム爺たちが選び抜いた参考書相手に、最低限の教養を身に着けさせられた。フェルトも自分の知識不足の自覚があるし、足りない知識を埋めるのも案外悪くなかった。
しかし、連日そればかりでは息が詰まる。何よりフェルトには、身体を使ってなんぼという意識が根付いていた。
それに対して、テレシアは「やめたほうがいいのでは」「後々両方やるのだから、まずは片方からでも」と進言してきた。
「大丈夫だって、アリーゼもガキんとき両方やってたんだろ。アタシはその倍歳食ってんだ、何とかなるって」
アリーゼが7歳で領地に移った際、保護者としてついてきたのがテレシアだ。つまり、アリーゼが熟してきたそれを間近で見ていた彼女から、ストップが掛かったのだ。
だが、フェルトは引かなかった。
心に宿る確かな熱に導かれ、幼いアリーゼが熟したという事実に対抗心を燃やし、そんなに止めるのならと怖いもの見たさも相まって、フェルトは完全に前のめりになっていた。
「だといいのですが」
実際のところ、ラインハルトも過去の詳細は知らない。
アリーゼが領地へ移った頃、彼は王都に残っていた。だから姉がどのような日々を送り、何を学び、何を積み重ねてきたのか、その過程を知らない。
ただ、いくら才覚があったとしても、それだけで傾きかけた領地経営を立て直すことはできない。幼少期のアリーゼがそれこそ血の滲むような努力をしてきたことは想像に容易い。
やる気に満ち溢れたフェルトに、『剣聖』は祖母の忠告が杞憂であってくれと願った。
◇◇◇
領地に戻って1ヶ月。
フェルトは日夜アリーゼの組んだ鬼カリキュラムを何とか耐えていた。
辛い。それはもう辛い。
日中は現場に出て、オーバーオールに安全靴を身に着け、牧場の親方に付きっきりで教えてもらう。実際に肉体労働をするわけではなく、話を聞きメモを取り、その実態を知る。
日が暮れて屋敷に戻れば、ラインハルトやロム爺が選び抜いた参考書と格闘する。二人の求めるレベルは非常に高く、気が抜けない。
あまりの辛さに、フェルトは一度それに食らいつくのを諦めた。理解したフリをして、うまくサボろうとした。
けれど、バレた。速攻でバレた。
直接何かを言われたわけではない。けれど、雰囲気が「まあ精々こんなもんか」と語っていた。毛刈りや作物の収穫で現場は修羅場だったこともあり、一瞬で見捨てられたのが分かった。
「っ……」
それが、腹立たしかった。
一見王選と無関係のカリキュラムを組んできたアリーゼに、日中の過酷さも知らずに座学を叩き込んでくるラインハルトたちに、自分を見切った目の前の髭面オヤジに。
そして何より、自分自身に。
──アタシもお人好しじゃねーから、やる気の無い奴を引き留めるつもりはねえ
──逃げるんなら、勝手にすればいい
──ここに残るってんなら、これで最後だ
以前、トン・チン・カンの三人に告げた言葉が、そのまま自分に返ってきた気分だった。
それからは必死だった。
分からないなら聞く。聞いても分からないならもう一度聞く。それでも分からないなら、帰宅後アリーゼたちに教えてもらう。
分かったつもりにならない。知ったふりをしない。
コイツらは、アリーゼやラインハルトのように保護者なわけじゃない。努力しない厄介者なんて、相手にされない。
そう覚悟を決めて食らいついた。
すると、不思議なことに見える景色が変わり始めた。少しだけ俯瞰して、場の流れを見る意識が付いた。
今までの人生で例えるなら、手癖が悪いだけの盗人フェルトから、それを目利きして買い手や時期を見定めるロム爺へ。
物事を見る視点が、一段高くなった気がした。
もちろん、まだ気がしただけかもしれない。思い上がりかもしれない。
それでも以前の自分とは違う何かを掴み始めていると、フェルトはそう思うことにした。
そして今日。領内の修羅場が過ぎたことで、フェルトは完全休養日を勝ち取っていた。
「あ゙あー……」
淑女にあるまじき声を上げ、ベッドにうつ伏せに寝転ぶフェルト。その背中にそっと手を添えるのはアリーゼ。
マッサージするにしては力の入らない体勢、アリーゼはそのまま静かに目を閉じた。
──温かみが、アリーゼの掌を通じてフェルトの肩から全身を循環し始める。
アリーゼの掌から発されるマナの力が、フェルトの体の内側にあるゲートと呼ばれる魔法器官を巡り、力が充溢していくのがわかった。
「どうですか、フェルト様」
「いいかんじだぜー……」
「それはよかったです」
フェルトが夢心地のままぼんやりしていると、外野から呆れた声が掛かった。
「当主代理にさせる事ではないな」
「なんだロムじぃ、文句あんのか?」
「お前さんの図々しさに、教育を間違えたかと省みとったところじゃ。アリーゼ・アストレアの方が忙しいじゃろうに、何をさせておるのか」
「だってよぉ、アリーゼがやってくれるっつーからさ」
間延びした声で返すフェルトに、ロム爺は額に手を当てて深いため息を漏らす。
確かに毎晩のアリーゼからの治癒魔法がなければ、フェルトはとうにギブアップしていただろう。根性ではどうにもならない、回復量の限界というものはある。
だが、それはそれとして、可愛がってきた孫娘の厚かましさはロム爺の予想を超えていた。
「大丈夫ですよ、ロム爺。忙しさの峠は過ぎましたし、私も手が空いている状態ですので」
「あー確かに、殆どアタシに付きっきりだもんな。夜中にやってんのかと思ってたわ」
「まさかそんな。元々私はユークリウスに嫁いでいる予定だったので、実務の引継ぎは終わっているんです」
「なんで嫁いでないんだ?」
「王族が次々に亡くなっている中で婚姻が躊躇われて流れ、その後にはアナが王選候補に選ばれてしまったので」
「……あーそっか。ホーシン商会に『最優』、それに『剣聖』の家系まで後ろについたら、そりゃ駄目か」
「ええ。そうなってはクルシュすら越す大本命になってしまいますから」
王都を歩くだけで犯罪率が下がるとまで言われる男。それが『剣聖』ラインハルト・ヴァン・アストレアだ。
貧民街で育ったフェルトですら、国王の名は知らなくとも『剣聖』の名だけは知っていた。
ただでさえクルシュの対抗馬と目されるアナスタシアに『剣聖』の家名まで加われば、誰も本命視せずにはいられない。
「そうか、そうなのか。……まぁ、なんだ。強く生きろよ」
「ありがとうございます」
首だけで振り返り、親指を立てたフェルトの応援を、アリーゼは素直に受け取る。
「話を戻しましょうか。なので今の私は時折、関係各所に挨拶に行くくらいで、基本的に暇を持て余しているんです」
「挨拶って……ああ、アタシが王選候補者になったからか」
「ええ。周辺の有力者や、今回フェルト様がお世話になった牧場など、色々と」
「なるほどなぁ」
なんてことないように話すアリーゼに、フェルトも快楽と共に聞き流している。だが傍で聞いていたロム爺は、その挨拶──顔を通すことが一番の面倒だと理解していた。
ふと、アリーゼと目が合った。彼女は手元のマナを途切らせないまま、ロム爺へ微笑んだ。
──知らせなくていい。
──今はまだ、自分のことだけで。
そう言われた気がした。
「……『剣鬼』や『剣聖』の方が、まだ御し易いかもしれんな」
ロム爺の呟きは、極楽の最中にいるフェルトには届かず、虚空へと消えた。