アストレア家の長女   作:slo-pe

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ハクチュリの五日目

 

 

 捨て子のイリアについて、ラインハルトや三馬鹿に親の捜索を任せ、フェルトは当初の計画通りアストレア領地の徴税記録を学んでいた。

 

「はぁー……よくこれで領地が回ってたな」

 

 捜索開始から5日が経過し、一通りロム爺からの解説を理解し終えたフェルトは、ソファにもたれて呟いた。その口調は呆れを隠していない。

 

「前の前、二代前の当主のやり方を続けておったからな。当時はそれでよくても、時代の流れにも王国の風潮にも合っておらんかった」

「アリーゼたちのそーそふ、だろ?」

「そうじゃな。ベルトール・アストレア、亜人戦争で国内が不安定な状態にありながら、善良な領主として人徳と善政で親しまれ、領民に愛されていたらしい」

「それだけではありませんよ。曽祖父は、剣士としての記録は何故か全く残っていませんが、同じ剣士である祖父が尊敬した方と聞くので、剣の腕も相当だったはずです。きっと亜人戦争の際には、領の運営と同時に剣を振るっていたのでしょう」

「へえ」

 

 ロム爺とラインハルト、二人からそれぞれの視点で説明され、フェルトは感心したように頷く。

 

「じゃが、その先々代が帝国とのイザコザで亡くなってからは、中々に悲惨だったな。先代夫婦は揃って当主教育など受けておらんかった」

「あー、この辺か。どうせこれより前も似たような記録なんだろ?」

「毎年殆ど同じ記録が続いておる」

 

 フェルトに課せられたのは、直近20年の徴税記録の理解。それより前に遡らなかったのは、フェルトの負担を考慮してではない。

 45年前にベルトールが亡くなって以降、14年前にアリーゼが当主代理となるまでは、どれも似たような記録しか残っていないからだ。

 

「だからこそ、これを一から叩き直すのは骨だったろう」

「ロム爺でも難しいのかよ」

「所詮、儂も数字は見れても門外漢じゃ。領自体が小さい故、数年掛ければ立て直すことくらいはできたじゃろうが、今のようにはなっとらん」

「なんでだ? 要はやり過ぎず、経営が黒字になればいいんだろ?」

 

 パラパラと報告書の束をめくり、フェルトが首を傾げる。書面には知らない単語と数字が羅列されていて、最初はチンプンカンプンだった。

 ロム爺の解説を受けて、見るべき場所を理解したフェルトは、要するに最後が黒字であればいいと結論付けていた。

 

「領地経営は、金が動くのと同時に人を動かすこと。そう単純なものではない」

 

 太い眉を太い指で掻きながら、ロム爺が難しい顔をした。そして、フェルトからラインハルトに視線を移す。

 

「『剣聖』、当時のアストレア領の徴税で、最も問題となる点は何だと思う?」

「徴税の管理を、徴税される領民が行っていたこと、でしょうか」

「そうだ。記録は丁寧じゃが、どこの町村も馬鹿正直に帳簿を書きすぎとる。農家と商人の税収も無駄が多い」

 

 正しく答えを言い当てた『剣聖』に、ロム爺は太い腕を組んだ。

 

「杜撰な徴税管理、ここに極まれりだ。恐ろしいのは帳簿を見る限り、担当者が徴税を誤魔化そうとした形跡もない。つまり無知な善人が起こした奇跡の不足内政処理──管理するはずの領主の能が足りんかったのを、領民の善性がぎりぎりで支えていただけの死に体だったというわけじゃ」

 

 ラインハルトは、父や祖父母の手腕不足と言われ、しかしそれを否定できずに表情を曇らせている。

 それに対して、フェルトは気がかりだった本筋に話を戻した。

 

「んで、なんでロム爺じゃ領の経営ができねーんだ?」

「外から来た、正体も分からん老人に、『今日から儂が仕切る』『税の取り方が悪いから変える』などと言われても納得いかんじゃろ……それをアリーゼ・アストレアは、2年でやってのけた。まだ七つの幼子が、よくやったもんじゃ」

 

 ガキだからと舐められる。それは貧民街でも貴族でも大して変わらないだろう。可愛がられこそすれ、領主として敬意を表されることはまずない。

 

「のう『剣聖』、あやつはあと3年もすれば嫁いでしまうのだろう? 父親やあの双子に引き継ぎはしとるようじゃが、王選で何かが起こるかもわからん。お前さんもしっかり学んでおけ」

「はい」

 

 老婆心からの言葉に、ラインハルトもしかと頷いた。

 

 

 

 一段落した一行は、執務室から談話室へ向かった。

 

「ぁぁぁぁん──っ!」

 

 赤ん坊の声は、防音設計されている壁越しにもうっすらと聞こえてくる。中ではさぞ力一杯泣き叫んでいることだろう。

 

「──おーよラチンス! しっかりイリアのめんどー見てるか?」

 

 フェルトの声には強い力が入っている。それは彼女が感情的になっているからではなく、そうしないと声が届かないからだ。

 なにせ今、扉を開けた瞬間、フェルトが耳を塞ぐか迷うほどの勢いで、赤ん坊は泣き続けているのだから。

 

「うるせえな。見りゃ分かんだろ。こちとらどーすりゃガキが泣き止むか必死に試してんだよ」

 

 泣き叫ぶイリアを抱くラチンスは憎まれ口を叩きながらも、今までのように怒鳴り声を上げたりはしない。

 何とか赤子を宥めようと優しく体を揺すり、ぽんぽんとその背中を撫でる。

 

「ぁぁぁぁん──っ!」

 

 しかし泣き喚く赤ん坊、イリアは全力で不平不満を訴えている。

 屋敷で預かると決めてから、ラチンスは手を尽くして世話をしているのだが、イリアは自分が赤ん坊であることを盾に歩み寄る姿勢が全く見られない。

 もちろん、赤ん坊相手にそこまで大人げないことを言いたくはないが──、

 

「つーか、いくら何でも泣きすぎだろ。一日中、ずーっと泣いてんじゃねーか?」

「一日中は言いすぎです。実際の頻度は数時間置きですよ。ただ、赤ん坊には朝と夜の区別がないので、そう感じやすいだけです」

「そんな細けーことアタシが気にしてる風に聞こえたか? そんなこと言ってる暇があんなら、お前が泣きやませてやれよ」

 

 フェルトが投げやりにラインハルトに命令する。しかしその命令に、ラインハルトは「いいえ」と首を横に振った。

 

「あれはラチンスに与えられた仕事ですので。今、僕が泣きやませるのはその場しのぎでしかありません。根本的な解決がなされなければ、イリアは何度も泣き濡れることでしょう。僕にはそれは耐えられない」

「悲劇ぶってんじゃねーよ。根本的な解決って何の話だ」

「それはもちろん、ラチンスにあります。今、イリアが泣いている理由ですよ。おしめではない、ミルクでもない、ゲップや室内環境でもないでしょう。おそらく何かを欲しているわけではなく、ただ泣いているだけ。ラチンスのあやし方が雑なのでしょう」

「お前、容赦ねえな」

「聞こえてんぞお前らっ」

 

 二人は内緒話(になっていない大声)で品評し、それにラチンスがキレる。

 

「アリーゼ! 助けろ!」

 

 とうとう音を上げたラチンスは、離れた位置に控えていたアリーゼに駆け寄る。抱かれていたイリアも、先ほどから振り回していた紅葉のような小さな手を彼女へ伸ばす。

 

「クソ、こんな世話してるってのに可愛くねえガキだ」

 

 悪態こそ抜けないが、赤ん坊を渡すラチンスの手つきはひどく優しい。壊れものを扱うような手つきに、アリーゼもそっと受け取る。

 そして、自身の首筋にしがみついてくるイリア、その背中をぽんぽんと叩いてやる。

 

「……これで泣き止むんだもんなぁ」

「ほんと、やってらんねえよ」

 

 フェルトの呟きに、ラチンスはそう吐き捨てた。

 

「ラチンス、君はまださっさと泣き止めと思っているだろう。だから泣き止まないんじゃないか?」

 

 そこに、ラインハルトが苦言を呈した。

 

「穏やかに、健やかに育ってほしいと願いながら抱けば、きっとイリアにも伝わる。赤ん坊は、とても敏感だから」

「てめえ、これ数時間置きにやられてみろ。キレ散らかしてねえだけ、オレはよくやってんだろ」

「それな。アタシも壁越しに聞こえてくるけど、ほんとよくやってるよ」

「赤子は泣くのが仕事とは言え、面倒を見る者の負担は気にしちゃくれんからな」

 

 ただ、彼の意見は周囲の共感を得られるものではなかった。ラチンスからは恨み節が飛び、フェルトやロム爺は、むしろラチンスを褒め称えている。

 

「何が泣くのが仕事だ。腹が減った、糞が出て気持ち悪いはまだいい。籠に置いたら泣く、眠いから泣く、挙句の果てには暇だから泣くだと? ふざけんものいい加減にしろってんだ」

 

 ぶつくさと、アリーゼから告げられた『泣く理由』を並べるラチンスに、フェルトもうんうんと頷く。

 

「これ、日中だけならともかく夜中もやられたらたまんねえぞ」

「夜中も泣いてんぞ。全部アリーゼが面倒見てるけどな」

「バケモンかよ」

 

 ラチンスは二重の意味でそう零した。

 一つは、朝も夜もなく暴君ぶりを発揮し、命を主張する赤ん坊イリアに対して。

 

 そしてもう一つは、そんなイリアの面倒を見ながらも、それを微塵も感じさせずに淑やかに微笑むアリーゼにだ。

 アリーゼとて、いつもすぐに泣き止ませられるわけではない。どうしようもない時だってある。

 けれど、彼女は一度たりともあの微笑みを崩していない。少なくともここにいる誰も、綻びすら見ていない。

 

「とっとと親を見つけねーと、見つかった親に何しでかすか、オレは自分が信じられなくなってきてんぞ」

「……そんなときは、あのイリアの顔を見たほうがいい。無垢な姿に心が洗われて、自然と気持ちが楽になっていくはずだ」

「今まさに、オレを追い詰めてる原因があの笑顔なんだよ」

 

 見ているだけなら天使のような笑顔かもしれないが、それを任される人間にとってはとても割に合わない。言ってしまえば悪魔の笑顔だ。

 

「これ、親は金じゃなくて、夜泣きが理由で捨てたんじゃねーだろうな」

「さすがにそれは……ねーだろ」

 

 ラチンスの怨念を、フェルトは自信なさげに否定する。

 夜泣きを理由に赤ん坊を捨てられては、世の中捨て子だらけになる。王様になるならない以前に、自分の暮らす国がそこまで世知辛い状態とは思いたくなかった。

 

 

◇◇◇

 

 

 イリアの母親が見つかった。

 昼食を食べ終えた頃、ガストンとカンバリーに連れられた女性は、領主の屋敷の雰囲気に気圧され、恐縮した様子でおどおどした様子だった。

 

 名はカリファ、年齢は二十歳そこそこ。

 柔和な雰囲気を持つ彼女だが、首から胸にかけてひどく怪我をしており、言葉も話せない状態だった。

 

「どーだ? 治るか?」

 

 アリーゼは掌から淡く青い光を放ち、それをカリファに当てる。その様子にフェルトが訊ねた。

 

「私では厳しいですが、養成所の治癒術師なら治すことは出来るでしょう」

「よし……おい、双子」

「お呼びですか」「フェルト様お呼ばれ」

「養成所行って、治癒術師呼んでこい。二人いるんだろ、腕のいいほうだ」

「では師匠の方を」「行ってまいります」

 

 伝法なフェルトの指示に、フラムとグラシスが文字通り消え去った。その得体の知れない動きに三馬鹿がギョッとし、女性も目を丸くした。

 しかし、フェルトはそれを当然のように受け入れ、

 

「とりあえず、治療が一段落したらイリアに会わせるか」

 

 頭の後ろで手を組み、状況が進展したことを喜ぶことにした。

 

 

 

 

「ぁー」

 

 母の腕の中でご満悦のイリア、その姿はアリーゼが抱いていたときよりも自然だった。

 

「これではっきりしたな」

 

 応接間、中央のソファに腰掛ける女性はイリアの母親だ。

 それは彼女に抱かれたイリアと、そのイリアを見つめる女性の慈しみの眼差しが証明している。そこは、疑う余地はないだろう。

 

「これだけ愛おしげに娘を抱く女性が、イリアを捨てたがるはずがない、か」

「あと、美人だしな」

「おお、それ大事な」

「オイラ、年上も大歓迎だし」

 

 ラインハルトの納得に、三馬鹿の低俗な判断が重なって価値が下がった気がした。

 その余計な一言を差し込んだ三人が、フラムとグラシスに睨まれて小さくなる。それを横目にフェルトは鼻を鳴らし、ラインハルトに目を向けた。

 すると、彼はフェルトの視線に恭しく頭を垂れ、

 

「ご安心ください。僕はフェルト様の騎士、その忠義は揺るぎません」

「何も言ってねーのに心配してたことにすんな。あと、今はアタシより、イリアとその母ちゃんの方を心配してろ。今はな」

 

 女性が『剣聖』を頼ったなら、その望み通りにしてやるのが今は一番いい。

 ケガの手当ても無事に済み、今は人心地ついたところだ。この辺りで一つ、カリファを傷付け、イリアを危険に晒した相手について詳しく知りたいところだが。

 

「これで、単に旦那が嫁と娘に暴力振るってたってだけなら楽なんだけどな」

「楽だなんてことは。それは、この世で最も辛い悲劇の一つですよ」

「別に家族がギスギスしててほしいって話じゃねーよ。解決すんのが楽って話だ」

 

 妙な食いつき方をするラインハルトを窘め、フェルトは肩をすくめた。

 そう、問題が母娘とその夫、つまりは家族の中だけで完結していれば話は早い。とっちめる相手が一人で済むからだ。しかし──、

 

「まだ父親の名前は書けねーか?」

「────」

 

 フェルトの問い掛けに、カリファは言葉を発しようとして、掠れた音しか漏れない。やがて苦しげに首を横へ振った。

 カリファは、治療前に自身と父親の名前を書くように言われ、けれどその片方にのみ従った。父親の名前は、未だ分からない。

 

「イリアをどうして屋敷に置き去りにしたのかが分かんねーと、アタシたちも手詰まりなままだぜ」

「────」

 

 フェルトがそう促すも、カリファは頑なに筆を手にしようとしない。

 どうしたものか、とフェルトはソファに沈み込むように体重を預ける。その傍に控えるラインハルトは、母親の腕の中でご満悦なイリアに慈しむ目を向けていた。

 停滞を打破するための行動を。と、そんな風にフェルトが考えていたところだ。

 

 ──コンコン、とノックの音が響いた。

 

 ふいに割り込んだその音に、応接間を微かな驚きが支配する。音の主は「アリーゼ、入るわね」と告げると部屋の中に足を踏み入れた。

 

「お祖父様、お祖母様、おかえりなさい」

「ただいま。久しぶりの旅行、楽しかったわ。これお土産ね」

 

 淑やかに挨拶を告げるアリーゼに、テレシアも微笑んで紙袋を手渡す。

 

「テレシアさん、ヴィルヘルムさん。今帰ってきたのか」

「はい。先ほどまでフランダースに居ましたが、イリアの母親が見つかったとのことで戻ってきました」

 

 フェルトの呼び掛けに、テレシアは簡潔に答える。

 ちなみに、フェルトは元々『爺さん・婆さん』と呼ぶつもりだったのだが、テレシアの美貌に『婆』はあまりにも不釣り合いだったため、名前呼びとなっている。

 

「それで、貴女がカリファさんね」

「────」

 

 テレシアからの視線に、カリファが身を強張らせる。

 

「怖がらないでいいの。ただ、フランダースがちょっとだけ慌ただしかったから、その確認をと思って」

 

 テレシアは穏やかにそう前置きするが、カリファの緊張は高まるばかりだった。

 

「『黒銀貨』、あの構成員たちは貴女を探している。間違いないかしら?」

 

 そして、決定的な一言を告げた。

 

 

 

 

『黒銀貨』

 正直、王都育ちのフェルトは王都の外の事情にはそれほど詳しくない。

 

「はぁ!? 『黒銀貨』ァ!?」

 

 それでも、親探しで大活躍したラチンスたちが仰天したのを見れば、『黒銀貨』と呼ばれる連中が何者で、何を生業にした集まりなのかは想像がついた。

 

「『黒銀貨』は五大都市のフランダースを拠点とした組織です。表向きは都市の酒場だったり、地竜の竜具関係のまとめ役という話ですが……」

「実態は街の裏の顔、黒社会のてっぺんってんだろ。よくある話じゃねーか」

 

 ラインハルトの説明に、フェルトは驚きはしなかった。

 王都にも、名前は違えど実態は同じような存在はいた。フェルトは関わらないようにしていたが、全くの無縁でいられないのも社会の狭さというやつで。

 

 一方で、三馬鹿は「冗談じゃねえ……」と顔面を蒼白にした。

 

「お前、『黒銀貨』っつったら、五大都市の一つを仕切ってる顔だぞ、顔!」

「逆らう奴には容赦しねえし!」

「逆らう馬鹿は川に浮かぶし!」

 

 相手が悪い、と必死に訴える三人。その言葉にフェルトも「そーだよな」と自分の金髪を乱暴に掻きながら、

 

「相手がでけーと、ただお話して終わりってわけにはいかねーもんな」

「「「そういう問題じゃねえし!?」」」

 

 三馬鹿が声を揃えたが、フェルトの方針は曲がらない。

 アリーゼが指示を出し、テレシアとヴィルヘルムが夫婦水入らずの旅行と併せて持ってきた情報だ。相手がデカいからといって、尻込みする理由にはならない。

 

 フェルトは筆を取り、改めてカリファへ差し出した。

 

「書け。父親の名前をだ」

「────」

「悪ぃけどアタシらも慈善活動じゃねーんだ。アンタがどういう考えで、何を背負ってイリアを置いてったのかは知らねえ──そんなのは関係ねえ。ここで書かなきゃ、アンタら二人とも叩き出す。『剣聖』に頼るんなら、これで最後だ」

 

 フェルトの言葉を、部屋にいる誰も、ラインハルトすらもその脅迫とも取れる要請を咎めない。

 特にトン・チン・カンの三人は、自分たちがフェルトについて行くと決めた言葉を、否定するはずもなかった。

 

 カリファは目をつむった。

 そして、目を開け、イリアをアリーゼに差し出す。筆を受け取り、紙に走らせる。

 父親、頑なに隠していたその名前は『ドルテロ』と。そう記された。

 

「──ドルテロ、それが父親の名前か」

「いやぁぁぁぁ──!!」

 

 その名前を読み上げた瞬間、後ろで三馬鹿が崩れ落ちた。

 裏返った悲鳴を上げた三人は、手を取り合って必死に嫌々と首を横に振っている。

 

「なんだよ! さっきっからうるせーな! せっかく上げた男が下がんだろ!」

「下がっても仕方ねえよ! ドルテロ? 馬鹿か! そりゃ『黒銀貨』のボスの名前じゃねえか! ああ、そうか! 同じ名前なだけか! 紛らわしいな!」

 

 よほど絶望的に思えたのか、ラチンスたちは必死に現実を書き直そうと努力する。が、カリファはそこに、家名を書き加えた。

 

「ドルテロ・アムル、だってよ」

「────」

 

 今度こそ打つ手なしと、三馬鹿はへなへなとその場に脱力した。どうやら、家名も彼らの知る『黒銀貨』のてっぺんと一致したらしい。

 

「つまり、イリアの素性は『黒銀貨』の頭目、その血縁……」

「どーりで狙われるわけだ……って、なんかおかしくねーか?」

 

『黒銀貨』のボスの娘を、『黒銀貨』の人間が連れ戻そうとすることに不思議はない。

 しかし、『黒銀貨』のボスの嫁──この場合、カリファは情婦か愛人だろうか。呼び方はどうでもいいが、彼女は決して軽くはない怪我をしている。逃げ出したのも、身の危険を感じてのはずだ。

 

「敵が『黒銀貨』じゃねーってんならわかる。けどテレシアさんの言い方だと、騒がしいのは『黒銀貨』だけなんだろ。なんでそうなる? 大体……」

「────」

「なんで、カリファは『黒銀貨』のボスを頼らねーんだ?」

 

 自分の愛人と娘が危機に陥れば、『黒銀貨』のボスも黙ってはいまい。イリアの身の安全を思えば、カリファもそうした判断に従うのが自然だ。

 それをしなかった。──否、できなかったとしたら。

 

「キナ臭くなってきやがったな。いっぺん、そのドルテロってヤツにガツンとかましてやりてーとこだが……」

「フェルト様のお考えはわかりますが、そう簡単にはいきません。相手が『黒銀貨』、それもその頭目となると、接触するには相応の用意が……」

「いや、その必要ねーと思うぜ」

 

 ラインハルトの懸念を、フェルトはぶった切った。そして、イリアを抱いて、場の趨勢を見守っている彼女に視線を向けた。

 

「アリーゼ」

「はい」

「お前、ドルテロって奴と知り合いか?」

「ええ。つい先日も、フェルト様がハクチュリを拠点とすると伝えたばかりです」

 

 ラインハルトや三馬鹿はギョッとする。

 だが、祖父母はもちろん、ロム爺、そしてフェルトはそれを当然と受け取っていた。

 

「なら話ははえーな。会えるか、そのドルテロに」

「今日の今日というわけにもいきませんから、明日ですね。ただ、一つ確認が」

「……なんだよ」

 

 今回のイリアの件で、アリーゼはフェルトの方針に沿って動いていた。

 イリアを探すためラインハルトや三馬鹿に指示を出し、必要な物は双子に用意させ、周辺のきな臭い情報を得るために祖父母を旅行に向かわせた。

 

 今回の一件、初めての問い掛けに身を固くするフェルトに、アリーゼはこう訊ねた。

 

「その対談、私の随行は必要ですか?」

 

 

 




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