アストレア家の長女   作:slo-pe

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想うが故に

 

 

『豚王』ドルテロ・アムル。

 ルグニカ五大都市、フランダースの黒社会で最大の力を持つ『黒銀貨』の総帥。

 豚人族であり、王国で多くの亜人が排斥された『亜人戦争』があってなお、彼を中心とした『黒銀貨』の組織力が損なわれることはなかった。

 

 そんな大物は、現在アストレア家にいる面々とはそれなりに顔見知りだったらしい。

 

「寡黙で、少し無愛想なところはありますが、義理堅い方ですよ。ヴィルヘルムやロム爺を想像していただければ分かりやすいかと」

 

 と、本人が優し過ぎて、人物評に信憑性のない先代『剣聖』が。

 

「長らく黒社会を仕切っているだけあって、彼自身も相当の腕前です。おそらく40年以上前、妻と会う前の、強さだけを求めていた私であれば、一戦を挑み競い合っていたことでしょう」

 

 と、隙あらば惚気をかましてくる『剣鬼』が。

 

「『豚王』は凄く強いので、私たちはお留守番」「怖いの怖いの嫌々」

 

 と、私情マシマシの評価を述べるフラム・グラシスの双子が。

 

「まあ気難しいところはあるが、それでも情に厚い奴じゃ。亜人戦争にありながら、奴が頭目である『黒銀貨』を離れる者は少なかった」

 

 と、旧知の友を懐かしむ口調のロム爺が。

 

「フェルト様であれば、最低限の礼儀さえ損なわなければ気に入られると思います。特段気張らずいつも通りに……いえ、思いきりガツンとかましてやれば良いかと」

 

 と、まさかの助言と共にアリーゼが。

 

「……いや、お前ら誰一人黒社会のボス紹介してる自覚ねーだろ」

 

 皆がそれぞれに語ったドルテロ・アムル評に、フェルトはぼそっと呟いた。

 

 

 

 

「────」

 

 その一室に張り詰める空気に、フェルトは奇妙な既視感を覚えた。

 息の詰まるこの感覚は、大部屋の中に蔓延する異様な圧迫感が原因だ。

 厚みのある壁、あえて光量を絞った薄暗い照明、相手の威嚇を目的としたような厳つい調度品の数々と、客人を迎えておきながら座る椅子も用意しないあたり──そこまで考えて、フェルトは既視感の正体に思い当たった。

 

 ──王城だ。

 

 王選で立った舞台、あの広間の空気に酷似しているのだ。

 

「……ただ、その用途はちげーみたいだけどな」

「フェルト様?」

「なんでもねーよ」

 

 ラインハルトの問い掛けに鼻を鳴らし、フェルトは悠然と腕を組んだ。

 

 権力を誇示することで己の自尊心を満たすのは三流。一流にとって、権力を誇示するという行為は、己の格や品位を保つための手段。

 広大な空間も、煌びやかな装飾も、豪奢な照明も、精緻な彫刻も。フェルトが学んだ礼儀作法すらも、そのための手段にすぎない。

 

 あのときの玉座の間も、今この大部屋も、己の権力を誇示するため金も手間も惜しんでいないことは共通している。

 ただ一つ、異なる点があるとすれば、その目的。玉座の間は王を讃えることに重きを置いているのに対して、この部屋は主とそれ以外の格の差を知らしめることを重視している。

 フェルトはそんな印象を受けた。

 

「ま、分かってたことだけどな」

 

 現在、二人が立っているのは五大都市『フランダース』、その一等地に立つドルテロ・アムルの豪邸の一室だ。言い換えれば、『黒銀貨』の心臓部でもある。

 当然だが、本来はただの来訪者など門前払いされるのが自明の理。しかし、今夜、フェルトたちはこうして邸内に通され、黒社会らしい歓待を満喫していた。

 それが叶ったのは、アリーゼのツテによるもの。だが、この場に彼女はいない。『随行は必要か』との問いに、フェルトが否と答えたからだ。

 

 アリーゼは、年の節目にはドルテロを始めとするフランダースの有力者に挨拶回りをしているらしい。そして、伝え聞いたドルテロの人物評から察するに、アリーゼたちはこんな待遇は受けていない。

 つまりフェルトは、王選候補という肩書きを持ち、『剣聖』ラインハルト・ヴァン・アストレアを控え、カリファとイリアの母娘(おやこ)を保護してなお、舐められているのだ。

 

 ──最低限の礼儀さえ守っていれば

 ──ガツンとかましてやれ

 

 どうすっかなと、フェルトはアリーゼからの助言を脳内で繰り返した。

 

「──大変お待たせしました」

 

 大部屋の扉が開かれ、冷たい声と厳かな一礼がこちらへ向けられる。

 やってきたのは細身に黒いスーツを纏った男だ。全身から鋭い威圧感を放っており、蛇のような眼光が特徴的な人物だった。

 その蛇目の男は部屋の中、フェルトたちの後ろに立つカリファの方へ視線を向けて、

 

「頭目がいらっしゃいます」

 

 蛇目の男の名はサーフィス。ドルテロの側近だと、事前に教えられていた。

 彼の視線がフェルトたちの同行者、イリアを抱くカリファへと向く。その温度のない瞳の裏に、サーフィスがどんな印象を母娘に抱いたかは余人にはわからない。

 そしてその答えは、再び大扉が軋む音に隠れて誰にもわからなくなる。

 

「────」

 

 その男が現れた瞬間、室内の空気が一段、二段と重くなったのを感じる。

 その上背は二メートルを軽々凌駕し、横幅も背丈に相応しく厚みがある。手足は丸太のように太く、まさに大樹と形容すべき体格だ。

 そうした威圧感のある風貌と裏腹に、後ろへ撫で付けた金色の髪と青い瞳は美しく、醜い容姿として知られる豚人族としては際立った異彩を放っている。

 

 その特徴的な鼻を除けば、イリアの身体的特徴とぴったり一致していた。

 

「王選候補に『剣聖』。二人を連れてきたことには感謝しよう──カリファ」

 

 形式上の礼を述べて、ドルテロが無言でいる母娘の母を呼んだ。その呼びかけにカリファは頬を硬くして、しかし気丈に男と視線を合わせる。

 男と女であり、父親と母親でもある二人だ。両者の間で交わされた視線、それが孕んだ複雑な感情は二人以外には窺い知れないだろう。

 

「何故、逃げたのだ」

「──に、お──した」

 

 その問いに、カリファは掠れた声でしか答えられない。言葉を尽くすことが、今の彼女には不可能だ。

 アストレアの養成所の治癒術師、王国でも上位の治癒魔法の使い手でも即座の完治が難しいほど、カリファの傷は深かった。

 その傷こそが、母が娘を『剣聖』の家に託して、自らを囮にする判断を下させたのだ。

 

「──その傷は、誰にやられた」

 

 声の出ないカリファに、ドルテロは声を低くして問いかける。

 そしてその姿勢から、フェルトにも裏事情が見えてくた。──ドルテロの、老いた『豚王』の実情が。

 

「誰にやられた、じゃねーよ。全部てめーの所為だろーが、この豚野郎」

 

 問い詰めるドルテロ、そこでカリファの代わりに口を開いたのはフェルトだった。彼女は挑発的な態度で鼻を鳴らし、前に出る。

 

「知ってってか? 豚は子育てするのがメスだけで、オスはガキの面倒なんか見ねーんだってよ」

「何が言いたい王選候補」

「足下の見えてねーヤツにそうそう頼れっかよって話だ。だから女と子どもに見限られたんだよ、アンタは」

 

 フェルトがそうドルテロを揶揄した。その物言いに、室内で凄まじい怒気が膨れ上がる。

 それは、罵倒されたドルテロ自身ではなく──、

 

「口の利き方に気を付けた方がよろしい。ここが『黒銀貨』の本拠であることをお忘れなのですか? 客分であろうと、一線を越えるのはおススメしません」

 

 冷たい声色と凍てつく視線が突き刺さり、フェルトはそう発言した男、サーフィスを紅の瞳で睨み返した。部屋の端に立つサーフィスは、ドルテロがこの場の同席を許した唯一の『黒銀貨』側の人間だ。

 それだけ信頼されている、ということなのだろうが──

 

「隣に『剣聖』がいれば危険はないとでも? だとしたら侮られたものだ。我々には我々のやり方がある。そのことを……」

「オイ、冗談じゃねーぞ。アタシが保護者がいねーとケンカもできねー腰抜けに見えんのかよ。コイツがいるかは問題じゃねーよ」

 

 後ろのラインハルトを指差して、フェルトはその侮辱発言に舌打ちした。

 

「それに、白々しいこと言ってくれんじゃねーか、腹が真っ黒の蛇ヤローが」

「──。いったい、何の話をしているんです? 言いがかりもいいところだ」

「そーかよ。アタシからすりゃ、テメーの演技力に拍手喝采って気分だけどな」

 

 白い眉間に不快げな皺を刻んだサーフィス、その芸の細かさをフェルトが称賛する。

 その客人と部下の剣呑なやり取りに、ドルテロが骨の浮く手で自分の豚鼻を触れた。考え込む仕草、その思惟する様子に「ドルテロ様」とラインハルトが口を開く。

 ここまでフェルトの暴言を無言で見ていた『剣聖』は、一歩前に出てフェルトと並び、

 

「カリファとイリアが狙われるとすれば、ドルテロ様、貴方と無関係のはずもありません。『黒銀貨』を敵視する輩がいるとすれば、無力な母娘は容易にその標的になり得る。ですがカリファは貴方を、『黒銀貨』を頼らなかった。迷惑をかけるのを嫌った、だけでは話は成立しません。ならば原因は……」

「──『黒銀貨』を、味方とは思えなかったか」

 

 ラインハルトの話、その最後の部分を引き取り、ドルテロの青い瞳が理解の光を灯した。

 フランダースの黒社会を支配する組織、その頭目の失脚に繋がる弱点となれば敵は血眼になる。そして『敵』とは、外にいるばかりとは限らない。

 上が失脚すれば、それで得するのは内部にいる人間とて同じだ。

 

「──イリアを、私の娘だと明かしたのはお前にだけだったな、サーフィス」

「────」

 

 ドルテロの低く鳴動する声音、それが腹心であるサーフィスへと圧し掛かる。蛇目の男はそれを受け、真っ直ぐに自分の上役を見つめ返した。

 そこに戸惑いや混乱はなく、かといって怒りや取り繕いも見つからない。

 

「『黒銀貨』に狙われれば、カリファは娘を抱いて外へ逃げるしかない。そして、二人が私の弱味だと知るのはお前だけだ。──何か、言うべきことはあるか?」

 

 それは弁明を許したのではなく、遺言を残す慈悲を与えただけの代物だった。

 最も信頼を置く腹心に裏切られ、ドルテロの心中にはささくれ立った感情があろう。それを他人事とも思えず、フェルトは結末を固唾を呑んで見守る。

 そして、『豚王』の問いかけにサーフィスは己の深緑の髪を手で撫でると、

 

「──全て事実です。訂正するべき点はありません、頭目」

「お前には目をかけていた。最も組織への忠誠を誓った男だと。それは今もだ」

 

 造反を企てたサーフィスに、ドルテロは深い苦悩を滲ませて言い放った。その言葉を聞くと、あろうことかサーフィスは笑った。──苦笑したのだ。

 

「何がおかしい」

「頭目の目は曇っておられませんよ。私は今なお、組織に……いえ、あなたに忠誠を誓っています。この命に懸けて、組織と頭目に誓った忠誠に偽りはない」

「は、ぁ? 何言ってんだ、テメー」

 

 自分の裏切りを認めたあとで、奇妙な悪足掻きをするサーフィスにフェルトは呆れた。

 取り繕うなら論点がズレている。裏切りを認めたのに、忠誠を言い繕うなどと。

 

「ボスの弱味につけ込んで、娘と愛人使って組織を乗っ取ろうとしたんだろーが。それを今さらなんだ。そんな言い訳が通ると思ってんのかよ」

「訂正を。今の言葉、正確なのは一部だけです。その母娘は頭目の弱味になる。組織と頭目の安泰のため、その母娘は邪魔だった。──それが真相です」

「────」

 

 何を言い出したのかと、フェルトは大いに顔をしかめた。疑問符だけが頭を占める。

 そんな彼女を余所に、サーフィスは恭しく続ける。

 

「頭目に恩義を受け、組織に忠誠を誓った。命と誇りはここに預け、この手に持つものなど何もない。『黒銀貨』の安寧のため、その不安を排するのが私の役目です」

 

 サーフィスはその場に跪いた。その腕を一度振ると、彼の手の中には魔法のように短剣が生じる。

 一瞬、空気がひりつく気配。──その中で、サーフィスは短剣を自分の首に当てた。

 

「頭目! この度の不忠、命を以て償う覚悟。ですが今一度、私の亡骸を前にご一考いただきたい。イリアお嬢様を、お傍に置くことの意味を!」

「クソ! ラインハ──」

 

 早まったサーフィスを止めるべく、フェルトがラインハルトの名前を呼ぶ。が、それよりも早く、鋭い刃が男の細い首の皮を裂いて──直後、颶風が室内を突き抜けた。

 衝撃波が吹き荒れ、遅れて硬いものが肉を穿つ撃音が轟く。何が起きたのかと目を向ければ、そこにあるのは血溜まりに伏すサーフィスの亡骸ではない。

 サーフィスは顔面を拳に打たれ、白目を剥いて壁際に転がっている。そして、彼を昏倒させた一撃を放ったのは──、

 

「『豚王』──只者じゃねーって話は、嘘じゃなかったんだな」

「……それが事実なら、サーフィスに馬鹿な真似など許さなかっただろう」

 

 巨人族のロム爺に匹敵する巨躯、それで風よりも速く動いたドルテロが目を伏せる。部下を一撃した拳を引いて、『豚王』はゆっくりとこちらへ振り返った。

 静かな青い瞳、それが見据えるのはカリファとイリアの二人だ。今の撃音に眠るイリアが顔をしかめたが、すぐまた安らかな寝顔になる。

 

「……なんつーか、大物だな」

「よく寝る子ではあるな。父親の、寝惚けたところが似たのかもしれん」

 

 部下の手綱の握りが甘かったこと、それを自ら揶揄するドルテロが唇を緩める。が、それも刹那のことだ。

 

「頭目! 今の騒ぎは……」

 

 大扉を開けて、外で待機していた『黒銀貨』の構成員が姿を見せる。彼らは室内、倒れるサーフィスの姿と、拳を引くドルテロを見比べ、驚きを隠せない様子だ。

 

「こ、これは……頭目、どうしてサーフィスさんを……」

「狼狽えるな、客人の前だ。サーフィスを連れていけ。奴とはまだ話がある。死なせぬように手当てしてやれ」

 

 動転する部下に命じて、ドルテロはそれ以上の説明をしない。部下も詳しい説明を求めることなく、倒れるサーフィスを担いで早々に部屋を出ていった。

 それを見届け、ドルテロは重たい足音を立てて、自らの椅子へと再び腰を下ろした。そして、太い腕で肘掛けに頬杖をつく。

 

「客人の前での非礼は詫びよう」

「気にすんな。アンタがやってなきゃ、ラインハルトにやらせてたとこだ」

「そうか」

 

 ラインハルトが胸に手を当てて会釈する。ドルテロはそんな『剣聖』からフェルトへ視線を戻した。

 

「王選候補」

「なんだ」

「アリーゼ・アストレアから、何か助言でも受けていたか」

「別に。いつも通りかましてやれって、それだけだよ」

「それであの物言い、か──まったく、懐かしいものだ」

 

 呟いて、微かに目を伏せたドルテロに、フェルトは眉を顰めた。

 

「どういうことだよ」

「なに、あの小娘も、12年前には私を家畜呼ばわりしていただけだ」

「あいつ、叩けば叩くほどやべー話しか出てこねーな」

 

 自分のことを棚に上げてドン引きした様子のフェルト。ドルテロは自身の豚鼻に触れ、愉しげに頬を歪めた。

 

 だが、刹那、その瞳が色を変えた──『豚王』の瞳がフェルトへ向く。その瞳に宿った色に、フェルトは内臓を指でこすられたような不快感を覚えた。

 その不快感の原因、それは──、

 

「わざわざのご足労感謝する、王選候補。──だが、無駄足だったな」

「あ?」

「私に娘などいない。故に、無駄足だったと言っている」

「────」

 

 一瞬、何を言われたのかわからず、フェルトの頭を空白が占めた。

 そのフェルトの表情変化を見ながら、ドルテロは「わからんか?」と続けて、

 

「早々に、どこの誰とも知れん女と娘を連れて消えろ。目障りだ」

「──ッ! テメー、ざっけんな!」

 

 ドルテロの魂胆が読めた瞬間、フェルトは怒りに八重歯を剥いて吠えた。

 サーフィスの忠言、それをドルテロは認めたのだ。彼はカリファとイリアの母娘、彼女たちの存在が自分の弱味になると認めた。そして、その弱味を弱味と周囲に悟られないように、二人の存在を切り捨てようとしている。 この男は、自分の愛人と娘を。──親が、子を捨てようとしているのだ。

 

「アタシはイリアを捨てさせるためにここにきたんじゃねーんだぞ!」

 

 落とし前をつけさせにきただけだ。それがどうして、こんな話になってしまう。

 

「テメーには家も、金も力もあるはずだろ!? 親ならテメーのガキぐらいちゃんと守れよ! 都合が悪くなりゃ簡単に捨てやがって! だったら、最初から……!」

 

 赤い瞳を怒りに燃やし、猛然と噛みつくフェルトだったが──、

 

「……ああ、そーだな。わかった、わかったよ!」

 

 すぐに怒りは沈静化し、フェルトは食い下がるのをやめて舌打ちした。今一度、ドルテロを睨みつける瞳に怒りはない。

 あるのは失望と、軽蔑だけだ。

 

「テメーみたいなクソ親ならいねー方がマシだ。アタシも、おんなじ意見だよ」

 

 自分の子どもを守る気概がないなら、そんな親元になどいない方がずっといい。

 親に捨てられた子どもの先輩として、同じ境遇を味わったフェルトはイリアにそう同情する。そして一秒でも早く、ここからイリアを連れ出すべきだと思った。

 こんな場所に、イリアの幸福はない。何一つ、彼女の人生に関わるべきものは。

 

「フェルト様」

 

 悪罵を残し、鼻息荒くカリファの腕を引こうとしたフェルト、その背中に声をかけたのはラインハルトだった。

 苛立たしく見上げれば、ラインハルトの澄んだ青い瞳と視線が交錯する。何が言いたいのかと、続く言葉を待つフェルト。だが、ラインハルトは唇を震わせて、

 

「ドルテロ様は──」

 

 それ以上、何も言えない。──騎士の中の騎士、『剣聖』さえも、それを口にすることはできなかった。

 

 フェルトは僅かな空白の末、弾かれたようにドルテロへ振り返る。その顔に真意を探した。微かな希望に縋った。

 だが、老いた『豚王』は何一つ語らなかった。

 

「……いくぞ」

 

 顎をしゃくり、フェルトは押し黙るラインハルトにそう言った。ラインハルトは眉尻を下げ、無言でその背に続こうと歩み出す。

 

「世話になったな、王選候補」

「……余計な世話って皮肉か? 何が世話だよ、豚鼻野郎。テメーの面は二度と見たくねーし、二度と関わり合いになりたくもねー」

 

 のうのうと別れの言葉を投げてくるドルテロに、フェルトは背を向けたまま吐き捨てた。腕を引いて、フェルトはカリファとイリアの二人を部屋から連れ出そうとする。

 

「────」

 

 部屋を出る直前、足を止めたカリファがドルテロに振り返り、頭を下げた。腕の中の赤子の寝顔を見せるように、それが最後だ。

 

 そうして、客人たちが誰一人いなくなった部屋で、ドルテロは己の顔に手を当てた。その皺だらけの掌を見て、目をつむる。

 

「──イリア」

 

 声は、ドルテロ自身にしか聞こえなかった。

 

 

 

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