王選候補フェルトはジジ専である。
貧民街の盗品蔵で自分を拾い、育ててくれたロム爺に強い恩と愛情を抱いており、その想いは理想のタイプがロム爺というレベルにまで達している。
若い女性なら誰もが虜になる顔立ちのラインハルトには全く魅力を感じておらず、本気で煙たがっているのが何よりの証拠だ。
◆
フェルトはアストレア家の面々を、基本的に好ましく思っている。
アリーゼは厳しくも優しい。
さらには今までに三度──王選前、白鯨討伐後、イリアの一件の後──フェルトが沈んだ際にはよしよししてくれたことで、フェルトは経験したことのない母性を彼女に感じていた。
たまにその温かさが恋しくなるが、自分から「してくれ」とは言えないため、最近のフェルトの悩みの一つにもなっている。
テレシアは底なしに優しい。
アリーゼの持つ優しさが、長い年月で摩耗し、この上なく滑らかになったような。そんな優しさは、厳しい教育の中で確かな癒やしとなっている。
ハインケルは気楽だ。
アストレア家で唯一、粗野な口調で話す彼は、フェルトにとって貧民街の空気を思い出させてくれる。けれど振る舞いは貴族そのもので、ちゃんと今の立場も忘れないでいられる。
ラインハルトは、正直ウザい。
一の騎士として大切に扱われているが、それはそれとしてウザい。アリーゼを前にしたときに見せる人間らしさだけは、可愛げがあるとは思うが。
そしてヴィルヘルム。
彼のことを、フェルトは好んでいた。年季を経たジジイフェロモン──真のジジイが持っているそれに、フェルトは無意識に心を許していた。
「ヴィルヘルムさん、今日も話聞かせてくれよ」
偶の休日、こうして養成所まで足を運び、その昔話を聞きに来る程度には、フェルトはヴィルヘルムに懐いていた。
「ふむ、せっかくの休日というのに、良いのですかな?」
「おうよ」
フェルトが鷹揚に頷くと、ヴィルヘルムは「では、仕方ありませんな」ともったいぶった様子で嬉しげに語り出す。
「今もそうですが、かつての私は今以上に口下手で、言葉の足らない男でした。剣を振るしか頭にない男の話題に、出会った当初、妻はさぞ退屈していたことでしょう」
「でも、テレシアさんはそんなヴィルヘルムさんとの話を楽しみにしてたんだろ?」
「妻は懐の深い女性でした。その細い身に背負った宿業の重みに苦しみながら、しかしそれを他者には一切悟らせなかった。そんな妻に、私はおそらく一目会ったときから惹かれていたのですが……愚かにも、当時の私はそんなことに全く気付けず」
よほど当時の自分の朴念仁ぶりが恥ずかしいのか、ヴィルヘルムの声には微かな後悔と恥がある。そんな反応が可笑しくて、フェルトは口の端を緩めた。
「意外、ではねーよな。『剣鬼恋歌』じゃ美化されてたけど、よくよく考えるとエグい不器用な感じだし」
「ええ。あの頃の私は、本当に剣にばかり己を捧げていました。剣を握った頃の想いも忘れて、没頭することで生きる糧を得るように。──理由を思い出させてくれたのも、妻でしたが」
「テレシアさんを好きだって気付いたのは、ひょっとしてそのときか?」
「……フェルト様にはお見通しでしたか」
力なく呟くヴィルヘルムに、フェルトは無言で以て応じた。
きっと、ヴィルヘルムは今の自分がどんな顔をしているのか気付いていないのだろう。その瞳が、頬の皺が、声の調子が、仕草が、全てが物語っている。
その顔を見て、彼が恋に落ちた瞬間に気付けない者などいるものか。
──彼は出会ったその日から今日の日まで、途切れることなくテレシア・ヴァン・アストレアに恋をしている。
「フェルト様のおっしゃる通りです。私が妻への想いを自覚したのは、そのときでした」
ヴィルヘルムの昔語り、その熱は強まってゆく。
「剣を振ることが、私の全てでした。ですが、剣を振るまでに思ったことも、剣を振ることで思えたことも、私を形作る全てでした。妻は、私にそんな当たり前のことを気付かせてくれた。それからは、剣を握るたびに妻を想う」
「それは今でもか?」
「──私と妻を繋いでくれたのは、剣でした。今では理由などなくとも隣にいられますが、その始まりを忘れることは決してありません」
フェルトの質問に、ヴィルヘルムはわずかな間を置いてから言葉を紡いだ。
その瞳には、誇らしさがある。悔恨がある。躊躇が、情熱が、羞恥がある。勇敢と、哀切もあった。
──でも、その全てに愛があった。
「剣を握る限り、私は妻を想い続けるでしょう。故に、私は死ぬとき、剣を握りながら死にたい。私にとってそれは、妻と共に在り続けるということなのです」
それが、ヴィルヘルムの不器用で、真っ直ぐで、それしかできない愛し方なのだ。
「……ああ、だからか」
「フェルト様?」
「ああいや、アリーゼがこの養成所を作った理由。アタシが──フィルオーレ殿下が誘拐されて見つかんなかったことで、ヴィルヘルムさんは騎士団長クビになったろ」
「そうですな。アリーゼは、騎士の資格を失った私に、剣を振る居場所を与えてくれた。それも今度は妻の傍で、次の世代に託すという別の意味を持たせてくれた……今日は、その話をしましょうか」
ヴィルヘルムの青い瞳は、遠くを見据えている。それは彼方にある、愛しい記憶を呼び起こしているようで。
「おう、聞かせてくれよ」
フェルトは、そんな彼の生き様に、どうしようもなく惹かれていた。
◇◇◇
ヴィルヘルムが騎士団長を辞したのは、表向きには騎士団の代替わりによる再編成。実質的には、フィルオーレ殿下の誘拐・行方不明による責任だ。
ただ、すぐのすぐというわけにもいかず、ヴィルヘルムがアストレア領に戻ってきたのは、白鯨討伐中止から1年半後。
予め決まっていた退職であり、諸々の引き継ぎも済ませた。また、この頃にはアストレア領は立て直しの見通しが立っており、アリーゼもテレシアも落ち着いた生活を送っていた。
そんな穏やかな日常に、騎士団長として多忙を極めていたヴィルヘルムは、どうしても馴染めなかった。
「何か手伝うことはありませんかな」
「大丈夫です、ご当主様。これは私たちの仕事ですので」
「そうですか……では庭の手入れでも」
「庭園はテレシア様の領域ですから、あまり触れないほうがよいかと」
「……そうですな」
通いの使用人は、テレシアの意向により最低限の業務しか任されていないため、それを奪うなとやんわり断られ。
「大丈夫よ。二人分も三人分も、手間は変わらないもの」
「それにヴィルヘルムは料理なんて、食材切るくらいしかできないでしょう? 調理任せたら芯まで焦がすし」
「ヴィルヘルム、貴方は今までずっと働き詰めだったのよ。少しくらい休んだら?」
テレシアには優しく窘められ。
「アリーゼ」
「はい」
「何か私に出来ることはあるか」
「ありません」
「沢山の書類があるように見えるが」
「ありますが、お祖父様が正しく処理できるのならば、私は今ここにいません」
「……そうだな」
五分後。
「アリーゼ」
「……はい」
「……」
「……」
「いや、何でもない」
「はい」
十分後。
「──もうお祖父様邪魔! チョロチョロしないで!」
終いにはアリーゼにキレられる。そして。
「そんなに仕事が欲しいなら、ちゃんとあげる。でも断ったら駄目だからね!」
「分かっている」
問題児である孫娘の要請を、深く考えずに了承してしまう程度には、ヴィルヘルムは平和慣れしていなかった。
そうして与えられた仕事というのが──
「なんだか懐かしいわね」
「……そうだな」
『お祖母様をぎゅーする仕事』だった。
庭いじりをするテレシアの邪魔にならないように、ヴィルヘルムは後ろから緩く抱く。
彼の鍛えられた観察眼は、妻の細かな動きを察知して、それの妨げにならないよう動くことを可能にしていた。
「新婚当初も、ヴィルヘルムはこうやって抱きしめてくれたわよね」
「あのときと今とでは、話が違う」
「変わらないわよ。あの時は帝国が私を狙っていたから、今はアリーゼを怒らせたから。貴方は理由がないと、こうしてくれないもの」
「……そんなことは、ない」
「あるでしょう? だって──」
立ち上がったテレシアが、ヴィルヘルムの腕の中、美しい花顔が首をひねって後ろを見上げる。
その空を吸い込んだ青い双眸は、かつてのように幼気はなく、代わりに気品を宿していた。
「ヴィルヘルム──私のこと、愛してる?」
「────」
「ほらね」
久しぶりの問いに硬直した夫に、妻は微笑む。
身動ぎして腕の拘束を抜け出すと、振り返り、そっとたくましい胸板に身を寄せた。抱き留める腕の温かさを感じながら、テレシアは大きく吸い込んで──、
「──もう、汗臭くないのね」
その微笑みに、少しだけ寂しさを乗せた。
「憶えてる、ヴィルヘルム? 内戦終結の記念式式典のときも、私がプロポーズしたときも、結婚式のときも。貴方はずっと、汗の匂いがしたわ」
「……悪いとは思ってる」
「ううん、いいの。それがヴィルヘルムの匂い、それが貴方だったんですもの」
「汗臭いのが私の持ち味というのは、さすがに否定したいところだが」
「そういう意味じゃありません。馬鹿」
抱き着いたまま──花婿と花嫁でいた、あの頃のまま言葉を交わす。
「でも、これからは変わっていかなくちゃね。貴方はこれから、今ではなく未来のために、剣を振るんですもの」
顔を上げたテレシアの言葉に、ヴィルヘルムは首を傾げた。
そんな夫の反応に、テレシアはやっぱりねと呆れた。
「陛下から聞いていないのね」
「何のことだ」
「アリーゼはね、貴方のこともちゃんと考えていたの。剣を振ることに生涯を捧げてきた、貴方の未来を」
テレシアはそう言って、アリーゼが進めている新たな事業、その一番の目的を語った。
◇◇◇
「アリーゼは『領地経営を立て直した際にお願いを聞く権利』を使い、騎士団から騎士や治癒術師を数人引き抜き、養成所を設立しました」
「なるほどな。ここでその話が出てくんのか」
フェルトは過去に聞いた、アリーゼが国王から賜った権利を思い出した。
「はい。アリーゼがどこまで考えていたのか、それは分かりませんが……騎士団の中から、私を慕ってくれている者を選び抜き、予め声を掛けていたようです」
「ま、らしいっちゃ、らしいか」
フェルトが見るに、アリーゼは可能性に備えることを徹底している。
必要になってから考え、場当たり的に動くのではない。多少の無駄を承知で、必要になる前に準備を進めておく。
リスクは減り、得られるリターンもずっと大きくなる。
世界最強の当代『剣聖』を弟に持っていながら──否、彼との差を誰よりも理解しているからこそ、アリーゼ・アストレアはそう形作られたのだ。
「んで、そっからはトントン拍子に進んだのか?」
「多少の問題はありましたが……そうですな、私を始めとして、剣を教える者たちは騎士団の中でも精鋭陣。治癒術師も、当時の『青』に次ぐ王国二番手の腕の持ち主。これだけチカラを入れた養成所は過去にありませんから、自然と人も集まりました」
「一番っつーのは、でけーよな」
一番には、人も物も情報も集まる。
『ラインハルトの前で剣を抜くな』
権力や勢力の読み間違いが、そのまま死に繋がるような貧民街で育ったフェルトには、それが嫌というほど身に染みていた。
「問題があったとすれば、やはり周辺領地との兼ね合いでしょうな」
「……どういうことだ?」
「騎士・衛兵養成所と言えば聞こえは良いですが、戦力を抱え、育てている事実には変わりありません。アストレア家が野心を持ってのことではないと、そう伝える必要がありました」
「そりゃそうか」
先代『剣聖』や『剣鬼』だけでなく、ヴィルヘルムをして精鋭と言わしめた教導役が揃っているのだ。
何も知らない周辺領主であれば、領地を乗っ取られるかもしれないと怯えるだろう。
「ドルテロ・アムル殿と初めて会ったのも、それがきっかけです」
ドルテロ・アムル。その名前にフェルトは盛大に顔を顰めた。
先日、捨て子のイリアの一件で相見えた男。五大都市フランダースにおける黒社会最大勢力『黒銀貨』の総帥。
フェルトが今最も嫌っている豚野郎だった。
そしてフェルトは、その忌まわしき過去の記憶から、とある発言を思い出した。
「そういや、アリーゼもアイツを家畜呼ばわりしたんだって?」
「アリーゼ『も』?」
「あ……いや、うん、アタシのことはいいんだよ。アリーゼは何つったんだよ」
すっと目を細めたヴィルヘルムの眼光に気圧され、フェルトは強引に先を促した。ヴィルヘルムもそれ以上訊ねようとはしなかった。
「ハクチュリからフランダースは、高原を一つ越えただけの近い距離にあります故。フランダースの有力者、当然『黒銀貨』にも挨拶に向かいました──」
ヴィルヘルムが語る過去は、先日のフェルトの対談よりも酷かった。
圧迫的な室内に、椅子も用意されないのは同じ。違っていたのは、ドルテロが背後にずらりと配下を並べていたこと。
それが先代『剣聖』や『剣鬼』に対抗するためなのか、当時九つだったアリーゼを萎縮させるためだったのか。おそらくはその両方だ。
そんな空間で交わされた第一声が──
──『剣聖』と『剣鬼』が、今やこんな幼子の御守りか。アストレア家も堕ちたものだな
──半人半家畜に率いられている『黒銀貨』よりはマシかと
「はぁー……んまぁ……あいつらしいっちゃ、らしいけどよぉ……」
フェルトは納得してはいたが、それでも思うところはあったようで。文節で区切りながらその複雑な感情を表していた。
「私や妻が、彼の発言に不快感を覚えるより早くに、アリーゼはそう返していましたから。おそらく幾つか返答を用意していたのでしょう」
「だろーな。アタシだって、九つのガキが領主代理なんて聞いたら舐めてかかる」
「ええ。実際に他の領地でも、最初はアリーゼではなく私や妻を相手に言葉を投げ掛けてくることが殆どでした」
「でも、あの豚野郎は違ったってわけか」
フェルトは呼び方を改めなかった。アリーゼの「半人半家畜」に比べれば、「豚野郎」など可愛いものだ。
「多くは言葉を交わすうちに、アリーゼが本当に当主代理なのだと理解するようになります。しかしドルテロ殿だけは、その一言で、最初から対談相手として認められましたな」
「後ろの奴らは煩かったんじゃねーの?」
「ええ。実力行使をしてくる者こそいませんでしたが、アリーゼに殺気を飛ばしてくる輩もいましたな。まあアリーゼも、『お祖父様に比べればカス』と歯牙にも掛けていませんでしたが」
静かに胸を張るヴィルヘルムは、孫娘の胆力を誇っているのか、それとも孫娘に褒められたことを誇っているのか。どっちもありそうだと、フェルトは思った。
「……ヴィルヘルムさん、何だかんだアリーゼ大好きだよな」
「何だかんだ、ですか」
ヴィルヘルムは少しだけ苦笑してから、
「大小の騒動を起こしてきた問題児ですが、今も昔も可愛い孫娘です故」
穏やかに細められたその瞳は、妻を語るときと少しだけ似ていた。
本文に出ていた
『ラインハルトの前で剣を抜くな』
は、現代語訳すると
『長いものには巻かれろ』
です。
原作14巻に出ていた
『ラインハルトからは逃げられない』
の他にも、2つ目の故事成語となった公式チートさん。という小話を入れてみました。
ちなみに、騎士団長引退後、ヴィルヘルムは月イチくらいで「愛してる」と言えるように成長しました。
次回、五章プリステラ編へ進みます。
少し準備期間をいただくと思いますが、気長にお待ちいただければ幸いです。
それではまた。