アナスタシア陣営からエミリア陣営へ、ヨシュア・ユークリウスとミミという使者が送られた。
その用件は、水門都市プリステラへの招待と、パックを目覚めさせるための高純度の無色魔晶石の紹介。
スバル、エミリア、ベアトリス。それに、ガーフィールとオットー。
プリステラへと向かう最終メンバーは上記の五人。彼らは10日間の竜車の旅程を順調に消化していた。
そんな旅の道のりの中で、客車内にいる二人、オットーとエミリアは真剣な様子で話し合っていた。
「何度も言いますが、今回は王選候補者との直接対決……準備はいくらしても足りません」
「ただの貸し借り、ってお話にはならないってことよね」
「三年で決着する予定の王選も一年が経過して、それぞれ地盤固めの方は大詰めに差し掛かっているはずです。うちで言えば、準備中の西方領主会合で一気に支持を固めます。他の陣営も、似たような方針を取るのは間違いないかと」
「それは、これから会いにいくアナスタシアさんのところも?」
他陣営の動向に関して、その詳細はエミリアに意図的に伏せられてきた。
エミリアには周囲の警戒より、まず自身の為政者としての心構えを育てることが優先である。──それがロズワールとオットーの、内政担当組の共通見解だったためだ。
故に今回、オットーはロズワールと相談し、段階を一歩進める役目を任されている。
「まず、現在の王選の状況についてお話しします。王選開始から現在まで、クルシュ・カルステン公爵とアナスタシア・ホーシンの二人、それが本命と対抗の形に見られています。エミリア様を含めた他の三人は……言葉を選ばず言えば、数合わせのような認識ですね」
「……うん、それは否定できないと思う。でも、私たちだって色んなことをしてきてるはずで……」
「はい。この一年で、市井の認識も少しずつ変わりつつあるのは事実です。これは有力だったお二方以外の三人、エミリア様を含めた面々の功績が理由ですね」
エミリア陣営の目立った功績は、やはり『白鯨』と『怠惰』の討伐が大きい。
白鯨の討伐を主導したのはクルシュ陣営であったが、この件に騎士ナツキ・スバルが貢献したことは、他でもないクルシュ自身が公言している。その後の魔女教討伐の一件は、二陣営の力を借りたとはいえ、スバルが主導して挙げた手柄だ。
これらの功績は、国中の人々にエミリアの存在を大きく周知した。
それは同時にエミリアのハーフエルフであるという出自が広まることでもあり、良くも悪くも王選の注目株としてエミリアの名前は覚えられることとなる。
そして、エミリア以外の数合わせ組──フェルトとプリシラも、黙ってなどいない。
特にプリシラの手腕は目覚ましく、王国と長年の小競り合いが続くヴォラキア帝国との国境沿いの領地という悪条件を逆手に取り、情勢の不安に揺れる周辺有力者を一気に味方につけた。
まるで魔法のような手管で帝国の態度を鎮静化させ、諸侯を味方につけたプリシラはその勢いで疲弊した村々などの地域回復に尽力。領民は日々、活力を取り戻しつつある。
乗せれば乗せるだけ踊る当人の気質と常外の美貌もあって、王国南方でのプリシラは『太陽姫』と慕われ、日に日に勢いを増しているとのことだ。
一方のフェルト陣営も、エミリアやプリシラと同様に、個人的な資質が未知数という苦しい状態から挑戦が始まった。
彼女の一の騎士である『剣聖』の名は、国民の間で絶大な支持と知名度を誇るものの、その主人を王と仰ぐための判断材料としてはそれほど有力ではない。本拠地としたアストレア領を始め、周辺諸侯の間には慎重論が根強かった。
しかしその向かい風の状況を、フェルトという少女は思わぬ方法で打破した。
強気な彼女は初めから、態度を保留する風見鶏たちを当てになどしていなかった。彼女が目を付けたのは、いわゆる『日陰者』とされる在野の人々である。
能力はあっても性格に難あり、あるいは脛に傷のあるものを積極的に取り込み、必要な人材を必要な場に送る。
他者の才覚を見抜き、適した仕事を与える采配──ある種、最も王侯に重要な資質を彼女は持っていたのだ。それは態度を保留した諸侯にも、無視できない影響となりつつあった。
その、確かに歴史に刻まれる小さな足跡、それを侮るものは王国人には皆無である。
「と、そんな動きが各所で見られます。少なくとも、この一年で盤上から転がり落ちた候補者はいません。ただ……」
「ただ?」
「それらの功績を以てしても、二つの陣営の優位は揺らいでいません」
王選大本命のクルシュ陣営。
ナツキ・スバルや『剣聖』の貢献が大きいと自身が公言しているとはいえ、白鯨討伐を主導したクルシュの功績は大きすぎるものだ。
王選開始直後に成し遂げたその偉業は、今なお「王選の結果は決まった」と言わしめるほどの影響力を持ち続けている。
そして、その対抗馬と目され、今回の招待主であるアナスタシアはというと。
「アナスタシアさんのところは、ホーシン商会っておっきなお店が力になってるのよね。元々、カララギのお店だったけど、王国にも進出してるって」
「はい。つまり、彼女たちの武器は財力……経済でぶん殴るのは最強の一手ですよ」
エミリアの理解度を補足して、オットーは恐々とした心中に従って顎を引く。
同じ商売人であったから贔屓目に見ているわけではない。商売人を味方につけるということは、経済の世界の仲間を増やすことと同義である。そして経済がその社会を維持している限り、そこで力を持つことは最高の矛と盾を持つことと同じなのだ。
「僕が一番怖いと考えているのはアナスタシア陣営です。その陣営の招待、挙句に借りを作りそうな状況……僕がどのぐらい胃が痛いか、わかってくれます?」
「……やっと、すごーく身に沁みました。勝手なことしてごめんなさい」
「わかっていただければ、とりあえず大丈夫です。この先は迂闊なことはしないってきっと、きっと……わかってもらえたと、思いますから……!」
頭を下げるエミリアに、しくしくと痛む腹をさすりながらオットーが嘆息する。その噛み砕かれた説明のおかげで、エミリアもようよう自分の置かれた立場を理解した。
なるほど、色々と政治の世界は難しくて複雑なのだ。
心を込めて「頑張ります」「一緒にやっていきましょう」だけで済まないのはとっくにわかっていたが、これまで以上の自覚がなければ目が回ってしまう。
今まで秘密にされていたことが知れて嬉しいが、代わりに不安も大きくなりそうで──
「──そしてもう一つ、気掛かりな点があります」
と、そんなエミリアの顔色から内心を読み取りつつも、オットーは最後の、そして最大の懸念点を口にした。
「もう一つ?」
「はい。先ほどもお話したフェルト陣営──後ろ盾にアストレア家が付いていながら、大人しすぎるんです」
フェルト陣営。
表向きの強みは『剣聖』ラインハルト・ヴァン・アストレアの存在だ。王国最強──世界最強の騎士。その名だけで他陣営にはない抑止力になる。
「ですが僕が本当に警戒しているのは、そこじゃありません。フェルト陣営には、アリーゼ・アストレアがいます」
「……ラインハルトのお姉さん?」
「ご存じでしたか」
「うん。『怠惰』の大罪司教を討伐して王都に着いたあと、レムのことで自分を責めてたスバルを立ち直らせてくれたのがアリーゼさんなの」
「そうでしたか……」
当時のスバルは、『白鯨』と『怠惰』討伐の祝勝会の中心で、兵を労い、祭りを盛り上げていた。
当時の初対面に近いオットーは、それがナツキ・スバル本来の資質なのだと思っていた。
しかし、ナツキ・スバルは、レムという大切な少女を失っていた。
スバルにとって、心の支えと呼べるほど大きな存在。その喪失を抱えたまま、周囲の誰にも悟らせず明るく振る舞えるほど、彼は器用な人物ではない。
それを立ち上がらせたのがアリーゼ・アストレアと聞いて、オットーは深く納得し、そして警戒した。
「彼女は『剣聖』ほど名前が売れているわけではありませんが、知る人ぞ知る傑物ですよ」
七歳で当主代理となり、僅か二年で崩壊へと進んでいたアストレア領を立て直した傑物。
今も騎士・衛兵養成所を運営し、その文武ともに優秀な卒業生らはルグニカ王国全土、そしてカララギなどの各地へ散り、その治安を守護している。
「アストレア養成所。その人脈は、おそらく誰にも全容が分かっていません。武力、人材、情報、人脈。王選の切り札になり得るものを多く持っています。それなのに──」
オットーはそこで言葉を切った。エミリアはその言葉の続きを固唾を呑んで待つ。
「何もしていないんです」
「え?」
「少なくとも、そう見えます」
王選が始まって一年。フェルト陣営は着実に勢力を伸ばしている。だが、それは主にフェルト本人の才覚によるもの。
アリーゼ・アストレアが主導したと思われる動きは、全くと言っていいほど見当たらない。
政治的手腕だけでなく、スバルの一件が示すように、人の心を理解し、その力を最大限に引き出す才にも長けている。
そんな女傑が何もしていないなど、あるはずがないのに。
「……不思議、よね?」
「ええ、僕には不気味です。七歳から領地経営を担い、魑魅魍魎の貴族社会に己を認めさせた人物ですよ──エミリア様は七歳の時、何をしていましたか?」
エミリアはその問いに答えられない。彼女はその当時、ただ無邪気に過ごし、守られていただけの存在だった。
「もし彼女が王選に本気なら、人材の紹介も、地方貴族との橋渡しも、卒業生の繋がりも、いくらでも活用できる。それこそ一年で勢力図を塗り替えてもおかしくない。……なのに、それをしない」
だから分からない。
本当に動いていないのか。
それとも、誰にも気付かれない形で、既に盤面を整え終えているのか。
「僕から見れば、フェルト陣営は実質的に王選候補が二人いるようなものです」
フェルトという王候補。
そして、アリーゼ・アストレアという後ろ盾。
「未だに『あの人の方が王選候補に相応しかった』なんて言う貴族もいますからね」
オットーはそう苦笑すると、表情を改めてエミリアを見据えた。
「だからこそ、今回のプリステラでは、これ以上主導権を握られるわけにはいかないんです」
その言葉に、エミリアの表情も自然と引き締まる。
「……うん。私、まだ分からないことばっかりだけど、ちゃんと考えて、すごーく頑張る」
「その意気です。ただ、何も一人で背負う必要はありません」
オットーは穏やかに笑った。
「僕がいます。ガーフィールがいます。ベアトリスちゃんがいます。そして──」
「ナツキさんがいる」「スバルがいる」
一拍置いたオットーの後に、二人の声が重なる。顔を見合わせ、小さく笑い合った。
ナツキ・スバル。現在、御者台で手綱を握る彼は、特別なチカラがあるわけではない。けれど、その姿を思い浮かべるだけで、不思議と胸の奥の不安が和らいでいく。
王選は、国の未来を決める争いだ。
政治も、駆け引きも、責任も、簡単なものではない。
それでも、一人ではない。
「皆で力を合わせて乗り越えましょう」
「うん。皆で一緒に」
竜車は街道を進む。水門都市プリステラへ。
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