アストレア家の長女   作:slo-pe

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乱入者

 

 

 ──翌朝、気持ちよく目覚めたスバルは朝日に照らされる庭園に立っていた。

 

 靴裏に砂利の感触を味わいながら、スバルは朝の爽やかな空気を肺に取り込み、「んー!」と背伸びをする。そんなスバルの下へ──、

 

「よー、ずいぶん朝がはえーじゃんか」

 

 なんて、手を上げながら廊下を踏みしめてやってくるのはフェルトだ。昨夜の浴衣姿から一新し、上品さを損なわず、けれども動きやすそうな服に身を包んでいる。

 彼女は昨夜、夕食の前にも持っていた本を片手にしており、そのことにスバルは首をひねる。

 

「おはようさん。昨日も思ったけど、それって何読んでんだ?」

「あー、ラインハルトと勝負してんだよ。アイツが本の中から問題出すから、アタシがそれに答えんの。勝たねーと、次の休みにイリアに会えねーんだよな……」

 

 つまり、勝負の名を借りて、フェルトの負けん気を利用した『教育』の一環か。

 うんざり、と顔をしかめ、フェルトが庭園に軽やかに降り立つ。

 

「ラインハルトがフェルトの教育してるのか?」

「おー。アリーゼは基本、王選に関してはアタシやラインハルトに丸投げだ」

「領地経営に精を出してるとか?」

「んにゃ、そっちも引き継ぎ自体はおっさんに済ませてて、今はラインハルトの野郎が少しずつ学んでるって感じだな」

 

 おっさん──昨日のフェルトの発言から考えるに、ラインハルトたちの父親だろうと推測する。

 

「じゃあアリーゼさんは今何してるんだ?」

「別に何も? 王選もある程度軌道に乗るまでは色々やってたけど、今は基本テレシアさんと庭いじりしたり、領地に顔出したりで……アタシらが手伝ってくれって頼むか、それこそヤバ目のミスしねー限りのんびりしてるぜ」

 

 フェルトはそう言うと、ニヤリと笑みを浮かべた。

 

「つーことで、兄ちゃんが警戒するほど、アリーゼは何かしてるわけじゃねーぞ」

「……気づいてたのか」

「そりゃあな」

 

 やるならもうちょっと上手くやれよ、アナみたいにな。フェルトはそう付け加えた。

 

「分かってるならこんな簡単に答えてよかったのかよ」

「構わねーよ。アリーゼが王選に関与してないのはちょっと調べりゃ分かるだろーし。そのつもりもないのは、アナやクルシュさんも知ってるしな」

「そうなのか?」

「そりゃそうだろ。そもそもアリーゼが王選に本気なら、今頃アストレアにいねーって」

「?」

「……もしかして、知らねーのか?」

「何が」

「ユリウスいるだろ、王城で兄ちゃんをボコボコにした『最優』」

 

『最優の騎士』ユリウス・ユークリウス、その男の名にスバルは苦い表情を浮かべる。

 一年前にも色々あったが、このプリステラに来てからも彼の持つ『誘精の加護』に劣等感を刺激されたばかりなのだ。

 

「アイツがどうしたんだよ」

「その『最優』、アリーゼの婚約者だぞ」

「は?」

 

 婚約者。

 将来、お互いに結婚することを約束した相手。

 アリーゼ・アストレアとユリウス・ユークリウスが。

 

「はぁあああ!?」

 

 驚愕するスバルに、フェルトはアリーゼの置かれた立場を分かりやすく説明してくれた。

 

 アリーゼとユリウスは昔からの婚約者であり、本来なら既に婚姻を結んでいたとのこと。

 ところが王族連続死によって延期せざるを得ず、さらにアナスタシアが王選候補に選ばれたことでまた流れた。2年後の王選終了時に、三度目の正直として嫁いでいくらしい。

 

 そこまで聞いたスバルは、口に出しながら、情報を整理していく。

 

「……アナスタシアさんのホーシン商会とユークリウス家、そこにアストレア家まで後ろ盾になったら、クルシュさんすら越す大本命になっちまう」

 

 アリーゼ・アストレアが何もしていないように見える。オットーから聞かされた話は正しく、けれど前提が間違っていた。

 もしアリーゼ自身が王選に本気なら、最初から婚姻を延期せずアナスタシアと組むのが最も自然。しかし『剣聖の家系』がアナスタシア陣営に加われば、あまりにも影響が大きい。だからパワーバランスを考えて距離を置いた。

 その後、偶然フェルトがアストレア家に転がり込んできたが、アリーゼ本人は王選に興味がない。しかも王選が終わればユリウスのもとへ嫁ぐ予定。

 だから現在の立場としてはフェルトを支援するでもなく基本的に静観、家としての支援に留めておく。

 

 スバルの分析にフェルトは、

 

「そーゆーことだな」

 

 と結んだ。

 

「それはそーと、あんまりアリーゼのこと気にしてたら、また昨日みてーにハーフエルフの姉ちゃんに殴られるぞ」

「なんでエミリアたん? そもそも俺なんで殴られたかもよく分かってないんだが」

「それマジで言ってんのか?」

「大マジだよ」

 

 真面目な顔で答えるスバルに、フェルトは軽く引いた様子だ。

 

「普通に嫉妬してたんだろ。自分んとこの騎士様が、他の女に会えずに残念そうにしてたからってよ」

「しっと……」

 

 しっと、シット、shit……嫉妬。

 

「エミリアたんが嫉妬!?」

 

 その事実にスバルの心が感動で打ち震える。

 嫉妬。それはつまり、どれだけアプローチしても全く進展がなかったエミリアとの仲が、明確に進んでいるということ。

 

「おーい……おーい兄ちゃーん」

 

 それが恋仲としてだなんて贅沢は言わない。だがスバルを独占したいと、エミリアはそう思っている──そのくらいには自惚れてもいいはずだ。

 

「いい加減戻ってこい!」

「──痛いっ!」

 

 感動を噛みしめるあまり、フェルトの蹴りで物理的に引き戻されるまで、スバルの意識は遥か彼方にいた。

 

「わり、ちょっとうっかりトリップしちゃった」

「ったく……」

 

 素直に謝るスバルと、呆れるフェルト。そんな彼らの下に、

 

「スバルにフェルトちゃん。なんだかすごーく盛り上がっているみたいだったけど、何を話してたの?」

 

 噂をすれば影。件のエミリアがやってきた。

 

「俺のエミリアたんがEMTって話。その三つ編みウェーブ、めちゃくちゃ可愛いよ!」

「そうなんだ。ありがとう」

 

 そう言って微笑み、エミリアがそっと自分の波打つ銀髪を手で撫で付ける。

 昨夜の目論見通り、三つ編みを解いたエミリアの銀髪は緩やかに波打っている。普段の髪型ももちろん可愛いが、たまに違ったアクセントの魅力も美少女の特権だ。

 スバルの口説き文句は相も変わらずさらりと流されてしまったが、それはそれ。

 

 スバルが軽口を叩いているうちに、ベアトリスとオットーも来た。オットーは初対面のフェルトと挨拶を交わす。

 

「さて、そんじゃ三人が集まったことだし、ラジオ体操を始めるとしますか!」

「ラジオ体操……姉ちゃんのとこの領地で流行ってる妙ちくりんな踊りのことか」

「おいおい、妙ちくりんとは言ってくれんな。ラジオ体操は立派な健康法だぞ」

 

 記憶を引っ張り出したフェルトに、スバルはエミリアと一緒にやっていたラジオ体操を説明する。朝、エミリア陣営が庭に集合したのはこのラジオ体操をするためだ。

 旅先だろうと旅程の最中だろうと、朝のラジオ体操は健康のために欠かせない。

 

「健康と長寿の秘訣で、お子様からお年寄りまで幅広く愛されてんだぜ。エミリアたんが王様になったら、朝は必ずこれをやるのを国の法律にするんだ」

「そうよ。みんなで毎朝続けると、すごーく気持ちいいと思うの」

「そーか……? アタシだったら、その公約掲げる奴を王様にする気減るけどな……」

 

 スバルたちのラジオ体操を眺め、フェルトはそう呟いていた。

 

 

◇◇◇

 

 

「──おはようさん。なんや、お揃いで仲良しなんやねえ」

 

 大広間、スバルは艶やかな着物姿のアナスタシアに出迎えられた。その後にユリウスやクルシュたちも合流する。

 

「これで、今朝は一揃いみたいやね。いくつか足りない顔もあるようやけど……」

「うちのガーフィールもそうだな。ミミと一緒ならいいけど、あのドラ息子め」

 

 正確には虎息子、と言いたいところだが、さすがに朝帰りを通り越して連絡がないのはなかなか不安だ。消化し難い敗北感、それをどこで癒しているのか。

 一緒にいるらしいミミと、変に拗れていなければいいのだが。

 

「ま、心配も仕事も食事のあとにしよか。『ロハロの敗因は空腹にあり』、や」

 

 手を叩いて、アナスタシアが慣用句を用いながら自分の席に腰を落ち着ける。それに倣い、スバルたちも昨日同様、陣営ごとにまとまって座布団に陣取った。

 

「そしたら、運び込んでくれる?」

 

 各陣営が落ち着くのを見て、アナスタシアが襖の外に声をかける。すると、開く襖の向こうから、旅館の従業員が数名がかりで何かを運び込み、長机の上にそれを設置した。

 大きな机いっぱいに、黒く巨大な物体──鉄板が、どんと置かれる。

 

「今日はカララギの国民的な伝統料理──ダイスキヤキを御馳走する日や!」

 

 着物の袂をささっとたすき掛けして、アナスタシアが威勢よく言い放つ。

 その豪快な姿勢と準備に驚いている面々の前で、従業員が鉄板に手早く油を引き、丸い容器に入れたタネを次々と台車に載せて広間に運び込んできた。

 

 ダイスキヤキ──その響きと、目の前の鉄板、材料。

 それらを見比べて、スバルはその伝統料理の正体を見抜いた。それは──、

 

「──お、お好み焼きだと!?」

 

 カララギにダイスキヤキとして伝わる、『お好み焼き』の堂々たる登場であった。

 

 

 

 

「スバル、見て! 綺麗にひっくり返せたの! 自信作だわ! 食べて!」

「まあまあうまくできたかしら。スバル、せっかくだからベティーが焼いてあげたこのダイスキヤキ、食べさせてあげてもいいのよ」

 

 エミリアが満面の笑みで、ベアトリスがちょっと照れ臭げに、それぞれ目の前の鉄板で自ら焼き上げたダイスキヤキになり損ねたものを勧めてくる。

 

「二人とも、まずは自分で味見してみて、それから人に勧めようか」

 

 スバルの良識的な助言を受け、それに従った二人が味に悶える。ちなみに、スバルの焼くお好み焼きは上々の出来栄え、しかしエミリア陣営で一番の腕前はスバルではない。

 

「ほら、エミリア様もベアトリスちゃんも、こっちが焼けましたよ。ああ! エミリア様、生焼けはお腹壊しますから! ベアトリスちゃんはソースかけすぎ!」

 

 オカンみたいなオットーの活躍で、ひとまず陣営の食卓は確保できそうで何より。

 そんな光景を横目に、スバルが他の陣営の手元に目を向けると、

 

「フェルト様、次のものが焼けました」

「おー、じょーずじょーず。その調子でガンガン焼けよ。お前のその料理と菓子作りの腕前だきゃー、アタシもありがてーって思ってっから」

 

 正面のフェルト陣営は、尋常でない手つきのラインハルトによって、至高のダイスキヤキが次々と生み出されてはフェルトの胃袋に消えていく。フェルトの体のどこに収まっているのか、消えたダイスキヤキはすでに五枚以上、生命の神秘を感じる。

 

「さっさっさー、さっさっさー! できたで、これが本場のダイスキヤキや!」

「さすがですね、アナスタシア様」

「えっへっへ、ぎょうさん食べてなー」

 

 手際よく二本のフライ返しを駆使するアナスタシア。その鉄板の上には、ちょうどよい焼き加減のダイスキヤキが二つ。

 彼女が料理できるのは意外だが、故郷のソウルフードとなれば造詣が深いのも納得だ。

 

「あ、クルシュ様~、フェリちゃんの綺麗に焼けましたよ。ほらほら」

「ふむ、だが私も負けていないぞ」

 

 そう、同性同士の気安さで会話しているのはクルシュとフェリスだ。厳密には同性ではないのだが、そこは今さらなので割愛する。

 

「んふー。じゃ、フェリちゃんのダイスキヤキは、クルシュ様に差し上げますね〜」

「では私はフェリスの作ったこちらを貰うとするか」

 

 そんな緩い二人だが、手元には実績が伴っており、彼女らのダイスキヤキは文字通り鉄板の出来栄え──フェリスなど、丸い生地に猫耳をあしらう余裕さえあるほどだ。

 

「おっ、兄ちゃんのそれ、うまそーに焼けてんな」

 

 百合百合しい空間に癒されていたスバルに、フェルトから邪魔が入った。彼女はスバルの手元、パックの形に焼き上げたダイスキヤキに目を輝かせている。

 

「いや、お前のとこは宮廷料理人もかくやってレベルのダイスキヤキが量産されてんだろ。宮廷料理人がダイスキヤキ作るかは知らねぇけども」

「そりゃそーだけど、たまには目先の違ったもんが食いたくなんだろ? こんな鉄板で焼くような料理だってのに、野郎が作ると何でもお上品に仕上がるしな」

「じゃあ、フェルトちゃんには私が焼いたダイスキヤキを……」

「アタシは食えるもんの話をしてんの。炭職人の姉ちゃんはチビッ子と遊んでろよ」

 

 ついに炭職人扱いされるエミリアが、しゅんと項垂れてベアトリスに慰められる。そんな二人の凹み具合にスバルは苦笑する。

 そうして和気藹々と食事を進めていると──、

 

『──プリステラ市民の皆さん、おはようございます。気持ちのいい朝ですね』

 

 その、声が旅館の外──否、空から聞こえてきたのはそんなタイミングだった。いきなりの声、それが幻聴でないことは驚くエミリアたちの反応からも明らかだ。

 

「おお? なんだこりゃ、すげーでけー声の野郎がいたもんだな」

「フェルトさんったら、そんなわけないやん。これは、この街の毎朝のお約束で……都市庁舎にある、『ミーティア』を使った放送なんよ」

「『ミーティア』の、放送……」

 

 呑気なフェルトの呟きにアナスタシアが応じ、その説明をスバルが口の中で反芻する。

『ミーティア』とは、いわゆる魔法的な技術を組み込まれたマジックアイテムの総称だ。中には、スバルの元の世界の技術と似た働きをする道具もあり、この放送を行っている『ミーティア』とやらも、スピーカーや拡声器の類と推察できた。

 

「毎朝、放送があるのか? 何のために?」

「有事の際の備え、と聞いています。この都市は構造上、緊急時の避難経路が限られますので、有事の際に混乱が生じないよう、放送を聞くことを習慣付けていると」

「ふーん、にゃるほどネ。合理的なこと考えるんだ」

 

 ユリウスの説明に、クルシュとフェリスが感心する。同じく、スバルも感心した。

 

「ちなみに、この放送の提案者も、『ミーティア』の提供者もキリタカさんだそうです」

「え」

 

 そんなスバルの思考にノイズを追加したのは、悪気のない顔をしたオットーだ。

 数秒、スバルは考え込む。脳裏を走馬灯のようにキリタカとの思い出が駆け巡った。

 

「ないな」

「ないかしら」

「ふふっ、オットーくんったら冗談がうまいのね」

「ナツキさんとベアトリスちゃんはともかく、エミリア様まで!?」

 

 スバルとベアトリスの結論と、エミリアの微笑みにオットーが瞠目する。その間も放送は続いており、確かに何となく聞き覚えのある声が都市中に言葉を届けていた。

 無論、人づてに何度もキリタカは優秀だと聞かされているのだが、やはり直接相対した印象は大きい。どうしても、評価と実物が重ならず、この放送にしても──、

 

『そして、今朝も皆様に私から心ばかりの……いえ! 素晴らしい祝福をお届けしましょう! 『歌姫』リリアナ嬢の出番でございぃぃぃ!』

「あ、これ本人だわ」

 

 途中でテンションが振り切れて、スバルの中の思い出と放送が一致する。

 そして、『ミーティア』越しに場所を譲る音と、小さな咳払いが聞こえてきて、

 

『皆さんどもです、リリアナですよぅ。毎朝、歌姫なんて扱いされて荷が重いこと山の如しって感じではありますが、精一杯歌って奏でて楽しませたい所存ですので、この短いひと時を、皆さんもぜひぜひ楽しんでいただいて応援よろですっ』

 

 体の動きまで想像できそうな勢いで、リリアナの声が都市中に響き渡る。

 途端、広間の各陣営にも期待の色が広がった。特に、リリアナの歌声の良さを知るエミリアとベアトリス、それにアナスタシアたちの表情は明るい。

 不思議と、キリタカの声は『ミーティア』越しだと微妙にこもって聞こえたものだが、リリアナの声にはそれがない。『ミーティア』との相性や発声法の違い、あるいは歌の女神の寵愛なのかもしれない。

 

『では、歌います。聞いてください。──『剣鬼恋歌、第二幕』』

 

 放送に音楽が乗り、心を直接揺さぶるような美しいメロディが都市中に振りまかれる。その音楽に呑まれ、歌声に呑まれ、スバルは『剣鬼恋歌』に耳を奪われる。

 それは、広間の期待をさらに上回る、真に素晴らしい歌声だった。

 

 

 

 

 歌姫の美声の余韻が都市に残る中、旅館の大広間でも『剣鬼恋歌』を肴に歓談が広がっていた。

 

「んでな、テレシアさんがな──」

 

 否、フェルトによる語りが始まっていた。

 剣に焦がれ、『剣聖』を追い求めた『剣鬼』の物語。それは他でもない、ラインハルトの祖父の若かりし頃の武勇譚であり、彼と最愛の妻との出会いの物語でもあった。

 

「ヴィルヘルムさんもな──」

 

 だが、ルグニカを代表する名歌も、フェルトにとってはただの知り合いの恋バナ。

 彼女は次々に先代『剣聖』や『剣鬼』の日常エピソードを繰り広げる。

 その楽しそうな表情からは、フェルトが二人を慕っており、アストレア家に受け入れられていると容易に理解できた。その隣ではラインハルトも頬を緩め、微かに胸を張っているように見えた。

 

 そんな心温まる一幕を経て、各々はダイスキヤキの焼き上げを再開する。アナスタシアやフェリスは既に満足したのか、箸を置いていた。

 スバルも最後の一枚、その材料を鉄板に乗せ、形を整えたところで──

 

「──ふむ、有象無象、顔を揃えておるようじゃな」

 

 突如、襖を開けて顔を見せた女。

 

 その声は異様に艶めいて、そして全てを見下す傲岸さで満たされていた。

 聞いたものの心を平伏させる圧巻の声音は、声の主が自身に抱く絶対の優越感による驚嘆の美声だ。

 その声に、広間の全員が目を向けていた。彼らの視線の先にあるのは、太陽のような熱。

 

「大儀である。こうして、妾が直々に足を運ぶに相応しい場をよくぞ用意した。その点のみ、貴様らの行いを褒めてやろう」

 

 大胆に胸の開いた、血のように赤いドレスを着こなし、白い肌を惜しげもなく誇示するように妖しく微笑む。

 真紅の瞳は何もかもを炎で舐るように睥睨し、蠱惑的な雰囲気は世界中の雄に該当する全てを魅了し、虜にする魔性の顕現であった。

 美しいことも度を過ぎれば暴力となる。彼女の存在は、まさしくその体現だ。

 

 ──少女の名は、プリシラ・バーリエル。

 本来、この宴に招かれていないはずの、五人目にして最後の王選候補者であった。

 

「しかし、ずいぶんと辺鄙な場所に会合を持ったものよ。遠出には相応に不自由があったぞ。まぁ、街の景観と珍奇な形の宿は妾の好みではあったがな」

 

 紅の扇子で己の口元を隠し、広間を見渡してプリシラはくつくつと喉を鳴らした。

 そんな彼女の発言に、その唐突な出現に驚く面々は反応ができない。それを見て、プリシラは不機嫌に形のいい眉を顰めた。

 

「なんじゃ、反応の悪い。妾がこうしてわざわざ足を運んでやったのだぞ? 揃って床に額をつけ、妾の来訪を感涙で迎えるのが正しい作法であろうが」

「……どこのお大臣様気取りだよ。そんな光景、実現したらただの独裁国家だろ」

「ふむ?」

 

 プリシラの身勝手な暴論に、スバルが思わず口を挟む。すると、その呟きを聞きつけたプリシラは首を傾げ、スバルを赤い瞳に絡め取り、

 

「……誰じゃ、貴様は。ここは身の程知らずにも、妾と王座を競おうという愚か者の集う部屋であろう。そんな場に、何故に貴様のような凡俗が紛れておるのか」

「マジかよ」

 

 わりと本気で剣呑な侮蔑を向けられ、スバルはがっくりと肩を落とした。

 冗談めかした素振りもなければ、皮肉や嘲弄の気配もない。つまり、素だ。プリシラは本気で、スバルという存在を忘却している。彼女とはなかなか印象的な出会いをしたはずなのだが、それはもうあっさりとだ。

 

「姫さんよ。いくら何でもそれはひどくね? そら姫さん的には取るに足らないかもわかんねぇけど、オレにとっちゃそこそこ兄弟は面白げな相手なんだぜ?」

 

 と、そんな最悪に澱んだ広間の空気を割るように、軽々とした声がプリシラを呼んだ。

 のしのしと音を立てて廊下を抜け、プリシラの隣に並んだのはプリシラの従者であり、スバルと同じ立場──異世界から召喚された男、アルだ。

 当然だが、主に同行してきたらしいアルはプリシラにへらへらと肩をすくめて、

 

「ほら、覚えてんだろ? 城で姫さんたちが所信表明したとき、大勢の前で大恥晒した奴がいたじゃん? あれがそこの兄弟だよ。姫さんも散々腹抱えて笑ったじゃねぇか」

「記憶にない。そも、妾が腹を抱えて笑うような品のないことがあるものか。妾の如く貴き存在をそこらの町娘と一緒くたにするな。次は首を落とすぞ、アル」

「だってよ、兄弟。悪ぃが力不足だった。また頑張って、一から好感度上げてくれや」

「お前もうちょっと一年間で発言力増やしておけよ!」

 

 早々に主人の意識改革を諦め、スバルに詫びるアル。「めんごめんご」と軽々しい態度にはこの一年の変化が感じられない。

 スバルは諦めて、二人が何をしに来たのかと訊ねようとして、

 

「おい、ラインハルト、それもう良いんじゃねーか。早く上げて切り分けろよ」

 

 と、それまでの話の流れを無視して、蓮っ葉な声が別の話題に切り込んだ。

 その声を上げたのはフェルト。彼女は隣でフライ返しを手にするラインハルトを肘で突き、彼がダイスキヤキを皿に上げたのを確認してプリシラを見やる。

 

「どーでもいいけど、用があんなら少し待ってろよ。見て分かるとーり、アタシらは今飯食ってんの」

「ほう。たかだか貧民街の小娘風情が、妾の時間を無為に捧げよと?」

「勝手に押し掛けてきたのはそっちだろ。ダイスキヤキは焦げても生焼けでも不味いんだよ、話があるんなら、ちょっとくれー待ってろ」

「……ふむ」

 

 プリシラはそう頷くと、微動だにしなくなった。

 豊満に過ぎる胸を抱いた腕で持ち上げたまま、その赤い扇子で口元を隠す。種々の視線を浴びながらも、彼女にはそれを意識した様子はない。彫刻の如く静止していた。

 

「────」

 

 その厳かな振舞いに、思わず見惚れそうになる自分がいるのをスバルは感じていた。

 その姿をいつまでも見つめていたいような気持ちにさせられる。その感慨はあるいは、目の前の少女の別の一面に魅せられたからだったのかもしれない。

 

「……スバル、そろそろ焦げるのよ」

「お、おう」

 

 まさか、本当に全員が食べ終わるまで待っているのか。そんな未来を想像しながら、スバルはベアトリスの一声に従い、ダイスキヤキをひっくり返した。

 

 

 

 

「ごちそーさん」

 

 最後に焼き始めれば、当然焼き上がるのも一番最後。スバルは微妙な雰囲気の中、ダイスキヤキを食べ終えた。

 

「そんで、あんた様は何しにきたん?」

 

 そうして、場を切り出したのはアナスタシアだった。

 

「身の程知らずにも、妾と王座を競おうという愚か者が集うというのでな。妾も顔見せに立ち寄っただけよ。それ以上の用向きは特にない」

「そらまたご立派なことやね。……ウチ、あんた様にだけは今日のことは伝えんかったはずなんやけど、どこで聞いてきたん?」

 

 アナスタシアはその浅葱色の瞳に警戒を宿し、口元に微笑を浮かべながら、

 

「うっかり、口滑らせるような子には聞かせてへんかったはずなんやけど」

「建前で語るな、女狐。何事も、誰ぞの耳に入れば涙滴のように染み出すことは避けられん。数が増えれば穴も増える。他者の動向に気を配るのは貴様らだけではない」

「へえ、意外やね。そういうこと、プリシラさんはせんて思ってたわ」

 

 皮肉を交えた感心に、プリシラは嘲笑を浮かべて扇子を扇いだ。

 

「見るべきところのない愚物であれば、そこらの凡俗と同じに括るまで。よもや、妾と王位を競おうという貴様らが、斯様な俗物であるなどと失望させはしまいな?」

「……ホント、あんたもよくわからんお人やねえ」

 

 呆れたような声音で、アナスタシアがプリシラの発言に嘆息する。

 そのアナスタシアに、スバルも同意見だ。てっきり、プリシラは他の候補者など眼中にないと、我が道を行くばかりの性質だと見誤っていた。

 だが、今日の彼女の言動を思えば、プリシラは正しく諜報を行い、対策を練り、侮らずに実行に移してくる。

 

「でも、私もちょっと意外だったかも。プリシラって、あんまり人のことを気にしないって思ってたから」

 

 と、スバルが踏むのを堪えた地雷を、まさかのエミリアが堂々と踏み抜いた。

 そのストレートなエミリアの印象に、プリシラは不機嫌に嘆息する。

 

「戯けたことを抜かすな、半魔風情が。貴様の曇った眼で、妾の何をわかったように物語る。無礼も侮辱も限度があろうが」

「口先ばかり達者な娘なのよ。他人のどうにもならない出自を論って悦に入る暇があるなら、自分の言動を省みる方が有意義かしら」

「ベアトリス……」

 

 プリシラの容赦ない言葉に、困った顔をするエミリアの手をベアトリスが握る。

 

「童女が言ってくれたものよな。言っておくが、妾が寛大を示すか否かに年齢は関係ない。自分の幼さが無礼を見過ごされる理由になるなどと、思い上がるな」

「余計で大きなお世話なのよ。言ってやるかしら、小娘。お前の方こそ、ベティーを見た目通り、可愛いだけのベティーと思わないことなのよ」

 

 瞬間、ピリピリとした敵愾心がベアトリスとプリシラの間で弾ける。

 ドレスを纏った二人の少女、しかしその相性は最悪だ。当然、スバルはベアトリスの味方だが、そもそも、王選候補者とはいがみ合いになっただけで問題のある関係だ。

 

「して、卿は顔を見せにきたと言っていたが、今日この先も私たちと話し合いを持つつもりなのか?」

 

 危うく一触触発の場面、クルシュがそう本題に戻す。

 

「言ったはずじゃぞ、顔を見せに立ち寄っただけと。これ以上貴様らと戯れるつもりもない。──幸いこの都市の景観はつまらぬ王都の街並みと違い、妾の無聊の慰めになりそうなのでな。少しばかり水の流れを楽しんでから帰るとしよう」

 

 それは、己への絶対的な信頼。言い放ったプリシラは、改めて部屋を見渡す。

 彼女の在り方は強固だ。諦めて臣従する以外には、強い想いで相対するしかない。

 

「────」

 

 そして、この場にいる彼女の対立候補四人は、後者の意志を躊躇わずに表明する。

 その視線を受け、プリシラは心底満足げに頷いた。

 

「それでよい。いずれ来る妾の勝利は約束されている。ならば、道筋には波乱と遊興を求める。妾を沸かせよ、妾の敵対者たちよ。──それが、貴様ら端役の外の役割よ」

 

 堂々と、王選の開始から一年を経て、プリシラが四人の候補者に宣告する。

 それが、この一年の成果を見た彼女の裁定。この世の全てが自分の都合で動くとまで嘯くプリシラ・バーリエルの、真紅の瞳が見出した結論。

 そんな彼女の宣告を受けて、王選候補者たちは強い決意を瞳に宿し、

 

「その驕りと慢心、近い将来に後悔することになるだろう」

 

 真っ向から啖呵を切ったクルシュの言葉が、この場にいる全員の総意となった。

 

 

 

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