アストレア家の長女   作:slo-pe

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急変

 

 

 ミューズ商会との二度目の商談に出禁を食らったスバルは、とある公園にてエミリア・ベアトリスとデートをしていた。

 そこでたまたまプリシラと出会し、またもやその傍若無人っぷりを見せつけられた。

 

「歌のあとはご歓談、ナツキ様はその時間に向けて、オヤツなんて準備されては? きっと甘いお菓子なんか用意しちゃうと、心も弾んで互いの距離が近付くと思いませんか?」

 

 そしてスバルは、同じくその場にいたリリアナからの提案で、歓談のためのお菓子の準備、という名目でパシリに出たのだった。

 

 

 

 

 公園を出発して十分後。

 

「俺はヘタレてるよなぁ、本当に」

 

 適当な店を見つけ買い物を終えたスバルは、紙袋の中の品を見て肩を落とした。

 途中、プリステラ名物の『ギナジェリー』なる珍奇な食べ物に興味を惹かれる一幕があったのだが、それをプリシラに買っていく勇気は出なかった。あの傲慢女に、挑戦的な珍味でも売っていたらそれを献上してやろうと心に決めていたのに、である。

 互いの陣営の関係悪化を恐れた、と言えば聞こえはいいが、単純にヘタレただけだ。

 

「しかし、鰻ゼリーに似てたな……味見する勇気のない自分が、情けないけど好き」

 

 複雑な自分観を語りながら、スバルは小走りに公園へ戻る道を辿る。

 幸い、離れた時間は十分前後、契約関係にあるベアトリスから、公園で何らかの異変が起きたことを知らせる感覚はきていない。無事、リサイタルの最中だろう。

 そうとわかっていても、早めに戻りたいのは男心。だが──、

 

「おっと、悪い」

 

 急ぎ足で角を曲がり、広場にでた途端に誰かとぶつかりそうになるが、咄嗟に避けたことが功を奏した。

 反射的に謝ったスバルに、相手も「こちらこそ」と返す。……その顔に、スバルはどこか見覚えを感じた。

 

 しなやかな体格を質のいい礼服に包み、つり目がちな瞳が印象的な男。

 

「あの、気のせいかもしれないんだけど……どこかで会いましたか?」

 

 スバルの問いかけに、男は「はぁ」と戸惑いを示して、

 

「いえ、私もプリステラには仕事で来ただけですので……ぇ!?」

「お? なかなか元気よく声が裏返った……あ!」

 

 男の顔が驚愕に染まり、その表情にスバルも電撃的な閃きを得た。

 やはり、見知った男だ。スバルの知る彼よりずっと身綺麗で、格好もまともなものだが──、

 

「チン! チンじゃねえか! うわぁ、なんでこんなとこで……元気してたか?」

「馴れ馴れしく呼びかけてくんな……そもそも、誰がチンだ。オレにはラチンスって名前があんだよ」

「チンじゃねぇか」

「うるせえ!」

 

 懐かしさに思わず肩を組もうとするスバルを、チン──ラチンスは乱暴に振り払う。そんな噛み合わないやり取りにも、スバルが手を引っ込めることはない。

 

「そう冷たくすんなって。生死のやり取りをした仲じゃねぇか」

「そんな覚えねえよ!?」

 

 スバルとしても、彼に対する親近感がこんなにあるのが不思議だ。たぶん、スバルの中の凡人センサーが、トンチンカンを凡人仲間として見出したのだろう。

 この世界、出会う人間がすごい人ばかりなので、たまに彼らを見るとホッとするのだ。

 

 ──一度は殺された相手だというのに、肝が太くなったものである。

 

「とにかく! 寄ってくんじゃねえよ! オレぁ今、仕事中なんだ!」

「定職に就かずに迷惑かけてたあんたが仕事だなんて……あたしゃ嬉しいよ」

「誰だよ!!」

 

 馴れ馴れしく接してくるスバルに、ラチンスはだいぶ嫌気が差した顔つきだ。第一声の礼儀正しさは何処へ放り投げたのかと、その原因であるスバルは他人事のように思った。

 

「んで、仕事っつってっけど、脛に傷のあるチンがプリステラで何してんだよ。タイミング的に、お前がここにいるって国防上の問題でダメだろ……」

 

 一頻り絡んで満足したスバル。冷静に考えれば考えるほど、彼がこの場にいるのはマズイ気がしてくる。

 とりあえずふん縛って、何をするつもりだったのか吐かせた方がよさそうだ。

 

「オレもテメエと似たようなもんだよ。エミリア様の一の騎士、ナツキ・スバルさんよぉ」

 

 だが、それを行動に移す前に、ラチンスがニヤケ面のチンピラロールを発揮してくる。

 

「俺のこと知ってんのか」

「知らねえわけねーだろ。オレぁ今、フェルトんとこで働いてんだからよ」

「お前今フェルトに雇われてんのかよ!? ……って、もしかしてトンチンカン勢揃いか?」

「誰がトンチンカンだ」

 

 鼻を鳴らしたラチンスだが、質問自体に否定はしていない。スバルは数奇な運命の悪戯を悟って空を仰いだ。

 異世界召喚された最初の日に、幾度も運命的な出会いを重ねたチンピラ三人組だ。彼らのその後など気にしたこともなかったが、まさかこんな形で縁が繋がるとは。

 

 またその礼儀正しさも、スバルが師匠であるクリンドから教わったように。ラチンスも、ラインハルトやアリーゼから叩き込まれたのだと想像する。

 

「昨日は宿にいなかったよな?」

「オレたちは別宿、寝る前まで気ぃ張りたくねーしな。今もフェルトの言いつけで別行動中だ」

「トンとカンは一緒じゃないのか? 一人でいるなんて珍しい」

「珍しいもクソも、テメエがオレの何を知ってやがんだよ。珍しさ感じるような付き合いしてねえだろ。うっせうっせ」

 

 必要な情報を共有し終えたからか、ラチンスは舌を打ち、スバルを振りほどいて人込みに消える。

 

「また後でなー」

「後でもクソもねえよ」

 

 そのすげない対応に、何故だか安堵する自分がいてスバルは反省。

 最近、どこへいっても肩書きに見合った待遇を受けることが多く、たまにこうやって自分の器を実感しないと、どこかで勘違いしてしまわないか心配になる。

 無論、ラチンスにはいい迷惑だったと思うので、次の機会には謝りたいところだが。

 

「んん?」

 

 と、人込みに消えたラチンスに背を向け、歩き出そうとしたスバルの足が止まる。

 ──否、止まったのはスバルだけではない。視界、広場にいる多くの人々が、揃って足を止めていた。

 

「っぶねえな……揃いも揃ってどこ見てんだよ」

 

 そう言って、足を止めた群衆の中からラチンスがはみ出した。苛立たしげに吐き捨てる彼の言う通り、立ち止まった人々は皆、頭上を──背の高い建物を見上げている。

 

 ──それは広場の奥に立つ、街の中でも一際目立つ尖塔だ。

 

 塔の上部に魔刻結晶が嵌め込まれ、時計塔のような役割を果たす『刻限塔』である。

 大きな街や都市には当たり前のようにある刻限塔は、このプリステラの中にも複数存在している。その刻限塔も、そんな数ある刻限塔の中の一つに過ぎない。

 だがそれも、今、この瞬間までのことだ。

 

「──ご歓談中の皆様、お急ぎの方々、ごめんね、お騒がせしております」

 

 刻限塔の上部、開放された窓から外に出て、危険な縁に立ち尽くす人影があった。

 その人物は奇妙な出で立ちで群衆の目を一身に集めながら、その視線を浴びせられることに感極まったように声を震わせている。

 

「ほんのひと時、こうして皆様の時間を拝借させてください。ありがと」

 

 謝罪と感謝を口にしながら、謝意より己の意思を優先させるどこか独善的な声音。

 その声は裏返り、ひび割れ、聞くものの心を無遠慮に掻き毟る不快感を伴っている。

 そうした負の感覚には、おそらくその人物の奇怪な外見の影響も多分にあるだろう。

 

 ──それは頭部を乱雑に巻いた包帯で覆い、ぎらつく左目で世界を睥睨する怪人だ。

 

 黒いローブを緩く着こなし、細い両腕に長く歪な金色の鎖を巻き付け、その先端に付いた鉤爪を床に擦りながら、せかせかと塔の上を右へ左へ足踏みしている。

 その奇態から目を離せないでいる群衆に、それは笑みを──おそらく、笑みを浮かべたのだろうと思わせるように、包帯で隠れた口元を陰惨に歪ませ、

 

「ありがと、ごめんね。私は魔女教大罪司教『憤怒』担当」

 

 そう、恐るべき肩書きを口にして、怪人が名乗る。

 その名は──、

 

「──シリウス・ロマネコンティと申します」

 

 

 

 

 包帯の人物、怪人の口上に塔を見上げる誰もが言葉を封じられていた。

 それは、その怪人の外見に現実感を喪失していたのもあるが、それ以上に耳に届いた言葉の理解を脳が拒んでいたことが大きい。

 ただ、それらはいずれも副次的な理由に過ぎない。もっと、根本的な理由がある。

 

 ──命を脅かす外敵を前に、いったい、誰がそこから目を背けられるだろうか。

 

「え、あ?」

「今、あの人、なんて?」

「冗談だろ? 魔女教なんて、こんな……」

 

 先立って訪れた動揺に遅れて、理解と混乱が徐々に群衆に広がり始める。

 だが、その場で即座に最善の対応が取れるものなど一人もいない。誰もが聞こえた内容に耳を疑い、周囲の人間とその無理解を分かち合おうとするばかりだ。

 

「おい、今あの野郎はなんて言いやがった。オレの聞き間違えじゃねーよなっ」

 

 そしてそれは、スバルに駆け寄ってくるラチンスも同じだ。

 人込みを抜け、頭上を気にしながらラチンスはスバルへ近付いてくる。しかし、スバルはスバルで群衆から離れた位置に立ちながら、やはり怪人から目を離せない。

 今、目を離せば取り返しがつかなくなる。相手の素性など、疑う必要もない。

 

 ──アレは、ペテルギウスと同じ種類の悪意そのものだ。

 ──そしてナツキ・スバルにとっては、さらなる意味を持つ。

 

 大罪司教が、いる。

 追い求めてやまない『暴食』とは違うが、そこに大罪司教が。

 

「──とっ捕まえて、何もかも洗いざらい吐かせてやる」

 

『暴食』へと繋がる道を、無理やりにでもこじ開ける。

 決断し、スバルは即座に燃え上がる心の表層を静めた。同時に、胸の内にあるベアトリスとの繋がりを意識する。呼びかければ、ベアトリスにはスバルの異変が伝わる。

 それが契約者と契約精霊との間に繋がれた、互いを結び付ける強固な絆だ。体の奥底にある繋がり、それを掴んで、一気に引き寄せ──、

 

「──はい、そこまで!」

「──っ!?」

 

 だが、ベアトリスへの呼びかけは、突如として炸裂した乾いた破裂音に掻き消される。

 それは、包帯の怪人が強く手を打った音だ。まるで、都市中に届いたのではと錯覚するほど大きく、それは爆発的に広場を包み込み、スバルの息を詰まらせた。

 そうして驚愕に硬直する群衆を見下ろし、怪人はぎょろりと剥いた目を巡らせ、

 

「皆さんが静かになるまで、二十二秒もかかりました。でも、静かになってくれてありがと、ごめんね。私はとても喜ばしいです。それと……」

 

 皮肉を交えながら礼を述べ、怪人──シリウスは手を合わせたまま体を揺する。実に楽しげな様子だが、その両腕から垂れ下がる無骨な鎖が印象を裏切り続ける。鉤爪は塔の床に、壁に擦れ、その不協和音がひどく癇に障った。

 

「そこのあなたとあなた、それからそちらのお兄さんたち。ごめんね、そんなに怒らないで。皆さんの大切な時間をいただくことを、私はとても申し訳ないと心から思っています。だから、ごめんね、ありがと」

「ふ……っ」

 

 くねくねと身をよじり、シリウスは真摯に訴えかけるようにそう述べる。

 それを、とっさに「ふざけるな」と叩き潰せなかったのは他でもない。シリウスが今しがた、「怒るな」と指差したのが、スバルを含む面子だったためだ。

 見れば、シリウスに指差された他の三人──おそらく、少しは腕に覚えのあるものたちだろうか。腰に剣を下げた獣人と眼帯の女性、それにラチンスは顔を青くしている。

 それは紛れもなく警告だ。敵対の意思は見えていると、先んじて釘を刺された。

 

 額に汗が伝うのを感じながら、スバルは膠着状態に陥ったことを悔やむ。

 魔女教に先手を取られることの失策は計り知れない。周囲、シリウスの視界に入った広場には、スバルを含めて三十人を下らない人数が固まってしまっていた。

 迂闊に動けば、被害は秒で加速する。

 それを、シリウスに指名された全員が理解し、動きを封じられる。

 

 ただ一人、ラチンスだけが苦い顔で、判断に迷った表情を作っていた。

 おそらく、ラチンスには鬼札がある。──ラインハルトを、『剣聖』を呼び出す、鬼札が。

 仮にそれが間に合えば、どんな敵であろうとラインハルトには敵わない。確実に一蹴できる。──ただし、彼が到着するまでに出る犠牲は、取り返せない。

 犠牲さえ厭わなければ、シリウスを排除できる。だとしても、だ。

 

「はい、ありがと。どうやら皆さん、少し落ち着いてくださったようですね。不安はわかります。魔女教という響きにも、あまり良い印象はないでしょう。ですから私も、それをどうこうしたいとは言いません。ただ、今日はどうしても確かめたいことがあって、こうして皆さんのお時間を頂戴しているだけなんです」

「確かめたい、こと……?」

「ごめんね、ざわざわしないでください。一度に皆さんに話されてしまうと、私はあまり頭が良くないので困ってしまいます。悲しんでしまいます。それは良くないでしょう? 何かあれば、どうか話して? 私、皆さんのためなら、わりと何でもお話しますよ?」

 

 あくまで親身を装う姿勢と、どこか理性的な物言いがかえって薄気味悪さを誘う。

 左目と唇、それ以外を包帯で覆い隠したファッションで常識人ぶられても、当たり前のような嫌悪感があるだけ。誰もがそう、その警戒で動かれないならば──、

 

「お言葉に甘えて質問させてもらってもいいか」

 

 誰も率先して手を上げない空気感、その中であえて手を上げるのがナツキ・スバルだ。

 驚きの気配が自分を中心に広がるのを感じながら、スバルは頭上に立つシリウスから目を逸らさない。そのスバルを見下ろし、シリウスは紫紺の瞳を大きく見開くと、

 

「ええ! どうぞどうぞ、そこのあなた、ありがと。さっきはあんなに怒っていたのに、今は私とお話する気になってくれるなんて。嬉しいです。何でも聞いてくださいな」

 

 そうして、スバルはシリウスと会話を始めた。

 

 魔女教大罪司教。その『憤怒』に、会話を許してしまったのだ。

 

 

◇◇◇

 

 

「──ああ、優しい世界!!」

 

 激突の直前、シリウスが叫んだ。

 その声を聞き、一際、一丸となった群衆の拍手が高く高く鳴り響いて。

 

 ──床に卵を落とすような、固く脆いものが潰れる音がして、視界が真っ赤に染まる。

 

 頭から固い地面に全身を砕かれて、ルスベルだったものが真っ赤な肉塊へ変貌し、血の塊が広場に四散、勇者は派手に飛び散った。

 そして、それを見届けた直後──、

 

「──ぶ」

 

 潰れる卵の音が、鳴り止まない拍手のように無数に広場中に響き渡った。

 広場は、真っ赤な血溜まりになった。 それが最後だった。

 

 

 

 

「歌のあとはご歓談、ナツキ様はその時間に向けて、オヤツなんて準備されては? きっと甘いお菓子なんか用意しちゃうと、心も弾んで互いの距離が近付くと思いませんか?」

 

 瞬きをしたと思った直後、目の前には褐色肌の娘の下手くそなウィンクがあった。

 

「────」

 

 舌を出し、媚びた風なポーズを取る少女の前で、ナツキ・スバルは呼吸を忘れる。

 ふらふらと視線を動かせば、すぐ傍らには柔らかく微笑む銀髪の少女と、不遜な顔つきで腕を組む赤い女が立っている。

 それから、優しく手を握ってくれている、ドレス姿の幼女の存在があって──、

 

「あれれ、どうされました? 無視? 無視ですか? や、やめてくだしゃい、そげな陰湿なこと……。ああ、ああ、やめて、やめて……う、歌を聞いてため息をつかないでください……ガッカリした顔をしないで、許して……っ」

 

 押し黙るスバルの姿に、目の前の少女──リリアナがトラウマでも呼び起こされたような様子でガタガタと震え出す。

 それを目の当たりにしながら、スバルは強張る唇を震わせて、

 

「……気持ち悪い」

「んな!? まー、なんてことでしょ! 女の子の顔を見ながら、出てくる言葉が気持ち悪い!? このリリアナ、こんな屈辱初めてだっ! まったくもって、ナツキ様のお母様に代わって恥ずかしいったらありゃしないっ! ありゃりゃしりゃりゃっ!」

 

 さめざめと泣き真似をして、盛大に舌を噛むリリアナの口から舌が血塗れになる。その壮絶で見え透いた突っ込み待ちの姿勢に、今は構ってやる余裕がない。

 頭が重く、視界が明滅する。立っていられず、その場にしゃがみ込んでしまう。

 

「スバル!? 急にどうしたの?」

「ちょ、何事かしら! スバル、スバル?」

 

 手を繋ぐベアトリスが、隣にいたエミリアが、しゃがんだスバルの顔を覗き込む。

 そして、二人が思わず息を呑むほど顔を青白くしながらスバルは──、

 

「──気持ち悪い」

 

 一年ぶりの『死』のループよりも、その『死』に至った出来事を受け入れられずに、込み上げる嘔吐感に膝を震わせ続けた。

 

「気持ち悪い」

 

 耐え難い衝撃、内臓全てが裏返るような悪徳への嫌悪、肉体と精神に襲い掛かる喪失感の荒波に翻弄され、ナツキ・スバルは『死』を上回る『嫌悪』に支配される。

 直前の記憶、瞬きほどの刹那の過去、スバルの精神を塗り潰した魂の汚染、異常を異常と認識できずに、死せる瞬間まで醜悪の徒として振る舞わせた摩訶不思議──。

 

 ──大罪司教、『憤怒』担当、シリウス・ロマネコンティ。

 

 紛れもなく、その存在は『怠惰』に始まった因縁、『強欲』と『暴食』の大罪司教に連なる悪徳と破滅の使者にして、あってはならない悪夢の象徴。

 自分が自分でなくなった感覚を、自分を失って、舞い戻って、初めて知る感覚。

 

「気持ち悪い」

 

 そのおぞましい体験に震え、怖気立ち、悪寒を覚え、スバルは震える。『死』は、まるで旧友との再会を祝福するように、ナツキ・スバルを掻き乱していく。

 そして、スバルはまだ気付いていない。

 自分が舞い戻った場面が、自身が『死』を迎えたほんの十数分前であることに。

 立ち上がり、歯を食い縛り、戦わなくてはならない刻限が、再び迫りつつあることに。

 

 

◇◇◇

 

 

 こうして、またしても『死』の螺旋がナツキ・スバルを取り囲む。

 

 

 

 一度目の死に戻り。

 

「──あなたがそんなにも恐怖するのは、あなたが優しい証拠なのです」

 

「人は分かり合える。人は一つになれる。優しさは、自分のためにあるのではありません。他人のためにあるのです。優しさは他人に施すからこそ輝く。自分に優しいのは単なる身勝手であって、優しさとはあまりに違うもの! 故にこうしているあなたの優しさは、他者を思いやった本物の輝き! ああ、ああ、嗚呼! つまりは、『愛』なのです!」

 

「存分に感じてください。存分に見せてください。あなたの『愛』を。その際限ない優しさの連鎖を。ルスベルくんを救いたいと願った、あなたの尊い在り方を!」

 

「ルスベルくんの恐怖を、優しいあなたが一緒に感じる。あなたの感じたルスベルくんの恐怖を、ルスベルくんがあなたを通して感じる。そのルスベルくんの感じたさらなる恐怖を、またしてもあなたは全て受け止める。喜びも、悲しみも、恐怖も、首を吊らされる苦しみも、それこそ、死が愛を別つまで──」

 

 スバルは単身で囚われた幼子を救おうとし、その結果『権能』により精神崩壊を起こされ、狂い死んだ。

 

 

 

 二度目。

 

「やっと見つけたんだ、逃がさねぇぞ! 頼むから、今すぐここにラインハルトを呼び出してくれ! 緊急事態なんだよ!」

 

「離してください! そもそも貴方は誰で、なんで私が『剣聖』を呼べるなんて──いい加減離せっつってんだろ!」

 

 久しぶりの再会が巻き戻ったことで、少しばかり会話に手こずったものの。何とかラチンスを説得して、スバルの知る最強、『剣聖』ラインハルトに助けを求め。

 

「──僕の呼ばれた本懐だ。問題を、片付ける」

 

「──殺せ! 殺せ! 殺せ! 殺せ!」

 

「……あぁ、やさしいせかい」

 

 魂を汚染し、肉体の変調すらも共鳴、共振させられる『洗魂』により……左肩から右脇までを鮮やかに断ち斬られた傷口を晒して、死んだ。

 

 

 

 そして三度目。

 

「──そんな、心配そうな顔する必要ないのよ。どこで知ったのか、情報の出所は明かせない……。でも、根拠なんていらないかしら。スバルが話してくれた、それがベティーの信じる根拠になるのよ」

 

「──それなら、実力もわかってるし、話も通じる私の出番じゃないかしら」

 

 ベアトリスに、エミリアに。二人に協力してもらい、シリウスを撃破しようと試みて、

 

「私は! 魔女教大罪司教! 『憤怒』担当ぉッ!!」

 

「──シリウス・ロマネコンティ!! クソ半魔にクソ精霊、お前らまとめて焼き焦がして、燃えカスを夫の墓前にばら撒いてやるッ!!」

 

『憤怒』がスバルの記憶とは全く異なる狂乱を見せ、

 

「僕は魔女教大罪司教、『強欲』担当──レグルス・コルニアス」

 

「約束通り──彼女を、僕の七十九番目の妻にする」

 

 ラインハルトをして傷一つ付けられなかった最凶。魔女教大罪司教『強欲』までもが、姿を現した。

 

 

 

 この三度目の死に戻り。

 スバルは死にこそしなかったものの、『強欲』により右足を抉られ、『憤怒』により広場にいた全員が同じ痛みを共有させられていた。

 

 人心を弄び、大勢の被害者を生み出した『憤怒』のシリウス。

 そして圧倒的な力だけを見せつけ、エミリアを連れ去った『強欲』のレグルス。

 

 ──二人の大罪司教が、水門都市プリステラへと放たれてしまった。

 

 

 




今作ではここがスバルとラチンスの再会でした。
それ以外は原作通りなので、色々めちゃくちゃ削りました。

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