魔女教災害対策本部は、英雄の帰還に沸いた。
『剣聖』がいてくれるのなら、こんな最悪の状況からでもプリステラを取り戻せると。そう希望を抱いた。
けれど、現実はそう甘くはなかった。
「ガーフィール!?」
「すまねェ……すまねェ、大将ッ! 俺様ァ、俺は! 役立たずの! 能無しだ……ッ!」
多量の汗を浮かべ、息を切らしたガーフィールが、瀕死の状態のミミを抱えて本部へ飛び込んできた。
フェリスのお陰で最悪には至らなかったが、王国最高の治癒術師『青』をしても、すぐには完治できない重傷だった。
『都市中のクズ肉の皆さーん、元気にしてやがりますぅ? 日に何度聞いても麗しい、アタクシの美声に酔い痴れて大興奮しちゃってくれてますー? きゃははははっ!』
『じ・つ・は! あんだけアタクシが丁寧にお願いしてやったってーのに、不届きな連中が都市庁舎に仕掛けてきやがって……アタクシ、本当に芯から傷心! ホント、分からず屋なテメーらクズ肉に、心底、呆れて物が言えすぎちまうってもんでーす!』
『で! そんな虫けら以下のテメーらに深く傷付けられたアタクシは、この心の痛みの賠償を強く求めちゃいまーす! アタクシの心の慰めは、さっきもお伝えした通り! クズ肉共の物分かりがいいこと、期待しちゃーう!』
その彼が犯した過ちを抉るように、『色欲』の高慢な笑い声が、『ミーティア』を通じて都市中に響く。
ただ他人を嬲り、嘲り、奮闘を足蹴にして唾を吐きかけるだけの、嗜虐の儀式。その甲高く、耳障りな声が言葉を紡ぐほどに、ガーフィール表情に悲壮さが積み上がる。
『じゃ、以上、アタクシのありがたーいお話はおしまいでーす。虫けら変態クズ肉共は、せいぜいちっぽけな脳味噌働かせてお利口にしやがってくださーい。さっきも言いましたが、水門の制御塔にはアタクシたちがそれぞれ陣取ってますんで、下手なこと考えねーことです。溺死した人間の面って、二目と見れねーぐらい醜いんで! きゃはははっ!』
そうして、一方的に、自分の意思だけ押し付ける脅迫放送が、終了した。
◆
『色欲』の二度目の脅迫放送を経て、スバルたちは対策会議を続けている。
「──皆さんもお聞きの通り、大罪司教から二度目の放送がありました。もはや、都市庁舎の人質の命は一刻の猶予もありません」
話し合いの口火を切ったのは白いスーツの上着を脱いだ人物だ。
丁寧に撫で付けた頭髪、優男風の顔立ち──しかし、その表情を引き締め、眼前の問題解決に当たると意欲を燃やす彼こそ、ミューズ商会代表、キリタカ・ミューズである。
直前まで十人会の一人として別室に控えていたキリタカだったが、先の脅迫放送を受け、こうして緊急の会議に参加してくれている。
彼の両隣には二人の男性がおり、彼らも十人会の代表として会議に同席している。
フェルトの「十人いても邪魔なだけだ」「ここの商会のキリタカさんと、あとマシな顔してるやつを二人、てきとーに選んでこい」「保護したお前の言うことなら聞くだろ」という指示により、ラインハルトが選んだ二人だった。
そして、都市の中枢に携わる彼らが加わったことで、最初に確かめたいことが──、
「時間がないから、単刀直入に聞くわ。──キリタカさん、『魔女の遺骨』のことは?」
躊躇いなくそう切り込んだのはアナスタシアだ。彼女は常の柔らかな印象を脱ぎ捨て、真剣な眼差しをキリタカに向けている。
その視線の鋭さに、キリタカはアナスタシアの本気を見取った様子で頷いた。
「この場で隠し立てしても無意味ですから簡潔に……『魔女の遺骨』は実在します。そして、その在り処は十人会の人間しか知らない。私も、その一人です」
「……マジで、遺骨は実在してるってわけか」
『魔女の遺骨』の存在をキリタカが肯定し、その事実に全員が微かに息を呑む。四百年前の、都市の成り立ちに関わる魔女の真実が、確かに残っているのだと。
だが、その周囲の反応に、キリタカは「ですが」と言葉を続けた。
「断言しておきます。この『魔女の遺骨』を動かすことはできません。したがって、相手の要求に応えることはできない。遺骨は、取り引き材料にはならないのです」
「動かせないというのは卿個人の意見か?」
「いいえ。慣例や、古い歴史に従って動かせないと主張するわけではありません。そんなものは、人の命が懸かった状況と比べれば何の価値もない」
「じゃあ、動かせないってのは……」
「物理的な意味で、です」
クルシュの問いに毅然と答えたキリタカが、スバルの言葉を力なく引き継ぐ。
物理的に動かせない、とは奇妙な言い回しだ。『魔女の遺骨』──アルの呟きを信じるなら、その遺骨はテュフォンのものの可能性が高い。幼い彼女の体格はベアトリスとさほど変わらず、動かせないほど巨大なものとは考えにくかった。
つまり、動かせない理由は遺骨の大小にあるのではなく──、
「場所、もしくは役割にあるって考えるのが妥当か」
「せやね。『魔女の遺骨』が実在して、それが都市の十人会以外に秘密にされてきたやなんて、何かしら重たい理由があるに決まってるわ」
スバルの推測にアナスタシアが賛同する。その二人の仮説にキリタカたちはわずかに頬を硬くして、すぐに観念したように吐息をこぼした。
「……お察しの通り、『魔女の遺骨』には特別な力が宿っています。それは都市の根幹を支えるほどの力で、遺骨なしに水門都市は維持ができない」
「もし動かしたら、どうなっちまうんだ?」
「それは結果的に、魔女教が水門を開放した場合と同じ被害を生み、プリステラは崩壊するでしょう」
「……なるほど。それは動かせねぇわけだ」
言って、スバルがちらとクルシュを見ると、彼女はその視線に頷いた。『風見の加護』の力で、クルシュには他者の言葉の真偽が読み取れる。いくらか抜け道はあるものの、概ね、キリタカの発言に嘘はないと考えて間違いない。
つまり、『魔女の遺骨』を渡すことは、都市を滅ぼすことと同義。そんな物騒なものを取り引き条件にした『色欲』の考えは、最初から的外れであったというわけだ。
「──遺骨は渡せん。くだらん要求も聞かん。そこは、もう変わらんやろ」
低く、そう言い放った声色に、スバルは強い違和感を抱いて顔を上げた。
違和感の正体は、声の静けさだ。その声はいつも、強く高く張り上げられていて、こんな風に感情を押し殺す印象とはかけ離れていたから。
焦げ茶色の獣毛と筋骨隆々とした体躯、常ならば威勢のいい言行で話を牽引するその人物は、犬人の亜人──リカードだ。ユリウス同様、外回りから戻った彼は太い腕を組み、沈黙して何事か延々と考え続けていた。
今、その沈黙を破り、リカードはのしのしと壁際へ歩み寄る。そして──、
「礼が遅れたわ。──兄ちゃんがここに連れてきてくれんかったら、ミミが死んどったのは間違いない。せやから、恩に着る。助かった。ほんまに、おおきに」
どっかりと胡坐を掻いたリカードが、床に額をつけて感謝を述べる。彼の感謝の矛先は、壁に背を預けて座り込むガーフィールだった。
彼はスバルの指示でかろうじて自分の傷に治癒魔法をかけ、それからずっと人形のように項垂れていた。
「────」
リカードには、ミミの保護者として、ガーフィールを責める権利がある。けれども彼はそれをせず、頭を下げた。
そのリカードの誠実さが、ガーフィールの心を抉る刃となり、少年の自責をより深めるとしても、だ。
ガーフィールは謝罪を口にするでも、自責を叫ぶでもない。その翠の瞳を困惑と拒絶に曇らせたまま、リカードの後頭部を見つめていた。
「おい、いつまでもシケた面してんじゃねーよ」
と、その停滞しかけた空気に、伝法な声が割り込んだ。
リカードが顔を上げ、その人物──フェルトを見た。ガーフィールが弱々しく、彼女を見上げた。
フェルトはガーフィールの前、リカードよりも近いその場所に来ると、しゃがんで目線を合わせる。
そのヤンキー座りは、服装の質の良さとはかけ離れているが、不思議と纏う上品さは損なわれていない。
「いっ──!」
そして彼女は、未だ虚ろなガーフィールの前髪を掴み、自身の目の前に引き寄せた。
その痛みと、息がかかるほどの距離。ようやくガーフィールの意識が、はっきりとフェルトに向いた。
「いつまでもシケた面してんな。そんな顔しても、誰も慰めちゃくれねーよ」
傷付いたガーフィールに、フェルトは正面から告げる。その態度には冷徹さすら感じるが、彼女の一の騎士であるラインハルトや、ガーフィールの兄貴分であるスバルも、それを止めなかった。
彼女の主張は、必要な冷徹さだった。
「てめーはあのふざけた放送を聞いて、ミミを連れて都市庁舎に乗り込んで、その結果返り討ちにされた」
フェルトはそうして、ガーフィールに──『剣聖』を前に一歩引いた、最強志願の少年に──言葉を叩きつけていく。
「独断専行で敵に挑んで、挙句の果てにミミを守り切れなかったのがてめーだ」
「んで、アタシらはこれからそこを取り返す。てめーの後悔に付き合ってる暇はねーんだ」
「一度負けたってだけでもう戦う気概がねーなら、とっととこの部屋から出てミミの手でも握ってろ」
「まだ戦える、負けたままじゃいらんねーってんなら、そのシケた面やめて、自分の足で立て。てめーが負けたやろーのこと、一つでも多くアタシらに教えろ」
フェルトはガーフィールを慰めてはいない。彼が欲する叱責を与えてもいない。ただ、選択を突き付けている。
「選べ。今立ち上がって、ここに残るか。そのまま蹲って、うちの騎士に放り出されるか。二つに一つだ」
「お、俺様ァ……」
牙が震え、ガーフィールが言葉を切った。続かなかった言葉の先にあるのは、敗北、後悔、自責……名前はどうであれ、負の感情だろう。
「俺様は、なんだよ」
フェルトは、掴んだ前髪をもう一度軽く引っ張り、続きを促した。
「あァ……あァ! 俺様は、まだ戦えるッ……絶ッ対、あの男は俺様がぶっちめんだ……ッ!」
噛みつくように吠えるガーフィール、その曇り眼に光が戻ってくる。
「うし」
フェルトがその反応に腰を上げ、ガーフィール、そしてリカードも続いて立ち上がった。上背の差で、リカードが二人を見下ろす形になる。
「よう吠えたわ。男に二言はない。立って、戦うっちゅーんやな」
「あァ……あァ! 当ッ然だ! 俺様が、やってやらァ……ッ」
リカードの鼓舞も合わさり、空元気の嫌いはあるものの、その瞳に再び闘志を宿したガーフィールはミミの雪辱を誓った。
それを受け、リカードが頷き、フェルトは一瞬、スバルに目配せする。それは、本来ならばスバルがやるべきだった一押しを、代わりに果たしてくれた彼女からの気遣いだった。
「ガーフィール、都市庁舎で何があったか聞かせてくれ。お前とミミが揃ってそこまでやられるなんて、相手は只者じゃねぇはずだ」
だからこそ、敗北を告白するという残酷な要請は、スバルが引き継いで訊ねた。
◇◇◇
多腕族の大柄な男。
それがたった一人でガーフィールとミミを返り討ちにした敵の情報だった。
「ガーフィールの話で、都市庁舎の危険性は理解できた。……都市を守ろうと、決死の覚悟で挑んだ衛兵たちの犠牲のことも。それを踏まえ──」
色濃い敗北の記憶からか、牙を震わせながら語ったガーフィールの説明を、ユリウスが引き取る。
彼はふっと黄色い瞳を細めながらスバルを見た。そして──、
「スバル、君ならどうする?」
「……そらまた、ずいぶんとアバウトな話の振り方だな、オイ」
珍しく、大雑把なユリウスの物言いにスバルが顔をしかめる。すると、ユリウスは「ふ」と気障な笑みを浮かべる。
「『怠惰』との戦いを思い出してね。魔女教が相手なら、君が特効薬になるのではと期待しているんだよ」
「無茶ぶりすんな。大体、俺が魔女教の特効薬なら、こんな足になってねぇよ」
「それは残念だ。だが、エミリア様のこともある。君にとって、あの方をそのままにしておくことは望ましくないはずだ。どうするつもりか、率直に確かめたい」
望んだ答えではなかったろうに、ユリウスは気落ちした様子もない。彼としても、スバルが魔女教キラーなんて期待はさらさらなかったのだろう。
むしろ彼の本題は、後ろに持ってきた方の話題であるとすぐにわかった。
「……エミリアを連れてったのは『強欲』だ。今でも、あいつの身勝手な持論には身の毛がよだつぜ。一秒だって、あんな野郎にエミリアを預けておきたくねぇ」
「ということは、君はエミリア様の奪還を優先すると?」
「当然だ。──って、言いたいところだけどな」
威勢よく、ユリウスの質問に答えようとして、スバルは吐息を挟んだ。
「『色欲』を放ってはおけない。あいつを自由にさせとくと、都市の人たちの心がしっちゃかめっちゃかにされちまう。──それに、あの『ミーティア』がよくない」
「同感だ。あの『ミーティア』が、都市の全員を縛り付ける鎖の役割をしている」
どこにいても声が届くということは、それだけで十分に脅威になりえる。『色欲』は明らかにその効力を自覚しているし、スバルには別の懸念もあった。
「それに、『憤怒』の権能との相性が最悪だ」
「『憤怒』の権能。君の足を抉った傷を、他者に共有させるものと見ているが……それだけではないのか?」
「それもあるが……他者の感情を増幅し、周囲と共有させるってのが多分第一段階だ。体感覚の共有は、それが行き着くとこまでいった結果だ」
「なるほど」
ユリウスの瞳が理解の色を示した。
『色欲』が『ミーティア』で絶望を広め、『憤怒』がそれを増幅・拡大させる。その先にいったい何が起こるだろうか。
それこそ、爆発的に強まる狂気がパンデミックを起こし、都市は壊滅する。そうして最悪、一人の首が刎ねられたことで、都市全員の首が飛ぶなんてことにもなりかねない。
「奪われたのは四つの制御塔と、街の真ん中にある都市庁舎。──でも、攻略する順番は決まってる。都市庁舎の『色欲』退治が最優先だ」
エミリアを取り戻したい、それは紛れもないスバルの本音だ。あの歪んだ思想の持ち主にエミリアを長く預けておくなど反吐が出る。
だがそれより先に、都市庁舎の『色欲』を倒し、『ミーティア』を取り返さなくてはならない。そうやって初めて、『強欲』の下からエミリアを取り戻す準備が整うのだ。
「概ね、私も同じ考えだよ」
自らの方針を定めたスバルに、ユリウスがそう満足げに頷いた。
おそらく、彼の中ではもっと早く同じ結論が出ていたはずだ。ここまでスバルに言わせたのは、冷静さを損ない、早まった結論を出さないか試した。さらには『憤怒』『強欲』と遭遇したことによる情報を求めて、といったところか。
「はいはい、そしたらまとめよか」
軽く手を叩き、アナスタシアが会議の主導権を自らへ引き戻した。彼女は叩いた両手を広げ、丸い浅葱色の瞳でスバルを見つめる。
「今のナツキくんの意見やけど、ウチも支持するわ。あの『ミーティア』を奴さんに預けとくんが危ういんはウチも同意見。……あれは長く放置しとけばしとくほど、街の人らの心が削られて、内部崩壊が早まる立派な攻撃。『憤怒』の権能があるんなら尚更や」
「私も賛同しよう。この調子で相手の行動を許し続ければジリ貧、可能な限り早急に叩くべきだ」
スバルとアナスタシアの結論に、クルシュが凛とした姿勢で賛同した。
アナスタシア、クルシュ。二人の王選候補が賛同したことで、自然、この場にいるもう一人の候補に視線が集まる。
「アタシも大枠では賛成するぜ──ただ一つ言いたいことがあるとすれば、コイツの使い方だ」
三人目の王選候補、フェルトはそう言って、立てた親指で己の一の騎士を指し示す。
「使い方って……この状況でラインハルトを連れて行かねえ理由なんかねぇだろ」
スバルは反射的にそれを否定する。王国最強の力を、ここで使わずいつ使うのか。
そんな浅はかなスバルと違い、王選候補二人の思考は、迅速で的確だった。
「『強欲』か」
「フェルトさんは、こっちが攻め込んだ隙に、『強欲』が十人会の人たちを奪いに来るって考えてるん?」
「可能性の問題だ。ラインハルトしかまともに戦えねー『強欲』。そいつが都市庁舎にいるのか、制御塔にいるのか、もしくは街に潜んでんのか──どこにいるか分かんねー以上、常に襲われることを計算しなくちゃいけねえ」
クルシュが硬い声で呟き、アナスタシアが続けて訊ねる。それにフェルトは地に足ついた理論を示した。
「あとは『強欲』以外にも、『暴食』が十人会を狙ってくることだってあり得る」
「『暴食』までこの都市にいるってのか?」
「こんだけ大罪司教が勢揃いしてんだ。いねーって考えんのは甘すぎんだろ」
「……そうだな」
スバルが追い求めてやまない『暴食』。レムの復活へと繋がる道を、スバルはずっと望んでいた。
けれど、今はその『暴食』が、スバルたちの選択肢を狭めている。
「十人会が『暴食』に食われたら……記憶を抜き取られたら、『魔女の遺骨』の居場所が知られちまう。そうすりゃ、水門とは別の理由で都市自体が崩壊する」
スバルの独言が会議室に響く。
先ほど確認したばかりの最悪。それも万が一といった次元ではなく、実に起こりそうな最悪だと、スバルは理解した。
「アタシも都市庁舎を奪還するのには賛成だ、具体的な戦力配分も任せる。その上で、アタシの意見を言わせてもらうと」
フェルトは、会議室の内にいる全員が理解に至ったのを確認し、そして言い放った。
「今この都市で、殆どの命は数だ。一人でも多く助ける。そうやって救うしかできねえ状況に、今のアタシたちはいる」
「ただそん中で、数にしちゃ駄目な命もある」
「一つが十人会。『魔女の遺骨』について知ってる奴らは、絶対に敵に渡しちゃいけねー。最悪敵に渡る前に殺してでも、その情報は守らなきゃならねえ。それに頭がいなきゃ、魔女教を追っ払った後の復興もできねえしな」
「一つがアタシら王選候補。言っとくけど、我が身可愛さで言ってんじゃねーぞ。アタシらの肩書は、そのままルグニカの威信に繋がる。アタシらが死ねば、王国の信頼が揺らぐし、王国民の士気に関わる」
「最後の一つ、『剣聖』ラインハルトに、『青』のフェリス……そんで『英雄』ナツキ・スバルだ。アタシたちとは別で、王国の希望の象徴の三人は、絶対に死なせちゃいけねえ」
十万を超す住民を数として扱い、その中で失われた場合の損失が極端に大きい人間を定義する。そこにはフェルト自身も含まれており、自分の命を「自分だけのもの」と考えていない。
さらには「殺してでも情報を守る」と、当人である十人会──会議に参加しているキリタカたち三人──の前で言い切ってみせる。
フェルトらしくない──貧民街にいた頃のフェルトらしくない──というのはスバルのエゴだろう。
それは彼女が王選候補として学び、積み上げてきた時間と労力を否定することと同義だ。
「私も同意しよう。たとえ『剣聖』がいようと、全てを救うことなどできはしない。考えるべきは、どうすれば最悪を回避できるか、どれだけ多くを救えるかだ」
クルシュがそう引き継ぐ。
「都市庁舎の奪還は急務だ。だが『魔女の遺骨』の在り処を知る十人会の安全も、同様に守らなくてはならない」
「ほんなら、『剣聖』に単騎で都市庁舎を取り戻してもらう? 『強欲』が来れば、『ミーティア』で連絡して戻ってきてもらえばええし」
「それも選択肢としてはあるが……直接『強欲』を見た立場から言わせてもらうと、あれを相手に逃げるなら可能かもしれないが、拠点防御に専念するのは不可能だ」
「……クルシュさんが言うんなら、そうなんやろね」
アナスタシアも、
「『剣聖』が動かせない以上、都市庁舎の奪還は我々で成し遂げるしかない」
クルシュは、フェルトの言う『数ではない』『失ってはいけない命』だ。けれど彼女は当然のように自身を戦力に数えていた。
「……アタシは、クルシュさんにも死なれちゃマズイって言ったんだけどな」
「分かっている。私自身、この身に背負う重さは理解しているつもりだ……それでもなお、今私は戦わなくてはならない」
クルシュ・カルステンは、ただ座して吉報を待つことができる女性ではない。何より僅かな戦力も望まれる今、彼女の力は喉から手が出るほど欲しいものだった。
故にフェルトも、遠回しに「死ぬなよ」と告げるだけで、それ以上のことは言えなかった。
クルシュはそうして、リカード、ユリウス、ガーフィールに視線を巡らせた。
「やるんなら速攻や。そうやないと意味がない。せやろ」
無言の呼びかけに、リカードは躊躇なく答える。低く唸る獣人の戦意はもはや誰にも止められまい。──その昂る彼の感情が理解できない者も、またいない。
「私も王国近衛騎士として、必ずや都市庁舎を奪還してみせます」
踵を鳴らし、背筋を正したユリウスが恭しく騎士の礼を取った。
「俺様も同じだ、今度ッこそ、あの男をぶっちめてやらァ……!」
拳を合わせ、ガーフィールがその闘志を顕に吠える。
「都市庁舎までの道は、うちの『鉄の牙』の子ぉらに確保させる。クルシュさんたち精鋭が、本命のでっかい男と『色欲』の大罪司教に集中できるようにな」
「感謝する」
そこにアナスタシアが、三人──否、クルシュを入れた四人の道を作ると宣言し、クルシュが謝意を示す。
クルシュが、会議室の隅で壁に寄りかかり、場を静観していたアルへと目を向けた。
「して、卿はどう動く。都市庁舎の奪還に力を合わせることができるのか、それとも主であるプリシラの安全を優先するのか」
「あー、そう選択肢を示してくれると助かるわ」
首裏を掻きながら、アルが壁から背中を離す。そして、彼は腰裏に備え付けた青龍刀の柄を掌で押さえ、気まずそうに首をひねった。
「悪ぃんだが、オレは都市庁舎にゃいけねぇよ。状況が変わっちまった。オレは姫さん探してそっちと合流する。兄弟たちとはここでお別れだ」
「はぁ!? お前、このタイミングで何言い出すんだよ!?」
「だから、悪いって言ってるじゃねぇか。ホント、申し訳ねぇっての」
突然の発言に仰天するスバル、その反応にアルが不義理を詫びるが、謝って済む問題ではない。いったい、アルは何を考えているのか。
「大体、お前、プリシラは心配いらねぇって自分で言ってたじゃねぇか」
「そりゃ色々と情報の更新がある前の話だろ。それに、オレがいたって都市庁舎のボス戦じゃ役に立たねぇよ。味方の足引っ張るだけならいねぇ方がいい。そうだろ?」
「おま、お前……」
自身の無力を割り切ったアル、彼の発言にスバルは開いた口が塞がらない。
そもそも、アルだってここまで会議に参加していたのだ。都市庁舎を奪還し、『色欲』を撃退しなければ都市全体が危険に晒される。それがわかっているはずなのに。
「──アル殿、意見は変わりませんか?」
そんなスバルの混乱を余所に、アルへと今一度問いかけたのはユリウスだ。『最優』の問いを正面から受け、アルは「ああ」と気負いなく頷く。
「悪ぃが変わらねぇ。……そっちと違って、オレはご主人様と合流できてねぇからな」
「主のことを思うのは従者として当然のこと。私はそれを非難しませんよ」
「そいつはどうも。わかってくれて嬉しいよ」
優等生なユリウスの言葉に、アルの応答はどこか冷めている。ただ、皆の判断に逆らい、別行動を選ぶことへの罪悪感はあるらしい。彼は今一度、スバルを見ると、
「こいつはオレの言えた話じゃねぇが、兄弟だって同じ立場だろ? オレは都市庁舎どうこうより、大事な女の方を優先すべきだと思うね」
「────」
「つっても、その足じゃできることは限られちゃいるだろうけどよ」
そのアルの指摘に、スバルは痛撃を受けたように頬を歪める。
事実、アルの意見は一面的に見れば正論だ。あれこれと理屈を並べても、エミリアの安全が保障されることはない。彼女は今も、危険の真っ只中にいる。
そして、足に深手を負ったスバルには、まともに選べる選択肢はないのだと。
──そのアルの言葉に対して、スバルの答えは、もう決まっていた。
「う、ごぉぉぉ……!」
「ちょ、ちょっとスバルきゅん!? 何してんの!?」
右足の激痛を堪えながら、スバルがどうにかその場に立ち上がる。重傷の足を酷使するスバルを見て、主治医のフェリスが慌てて駆け寄り、その頭を引っ叩いた。
「い、痛ぇな、おい」
「当たり前でしょ! 絶対安静って言ってるのに、なんで無茶ばっかりするの!? フェリちゃんの診断に恨みでもあるわけ? 足が落っこちてもおかしくないのに!」
「それが俺の覚悟の証明、って感じだよ。フェリス、お前には俺の気持ちがわかるだろ」
「う……」
すぐ間近の黒瞳に見据えられ、フェリスが唇を尖らせて口ごもる。
アルの言葉への、そして死地へ向かう仲間たちへの、これがスバルの答えだ。足の傷が理由で選択肢が狭まるなら、そんな条件は気合いと根性で除外する。
アルは自分の力不足を不参加の理由に挙げた。その条件はスバルも同じだ。だが、スバルには小賢しい頭がある。これが少しでも、皆の力になるのなら──、
「──俺が無理する意味がある。エミリアのために、それが俺のできることだ」
「……足が取れても、後悔しないって言えるわけ?」
「後悔はするぜ。でも、それはここで引き下がったときの方がずっとでけぇんだよ」
「はぁ。……どうせなら、最後までカッコつけたらいいのに」
呆れた風に嘆息し、フェリスは鼻息荒く痛みに耐えるスバルの右足に手を伸ばした。そして、その分厚い包帯の上から傷口をさすり、
「奥の手、使ったげる」
「奥の手って……ちょ、痛い、痛いぞ!? 待て、痛い痛い痛い! 痛……く、ない?」
じんわりと、傷口に当てられた掌から淡い光と熱が足に浸透する。途端、ナイフを突き刺したようだった足の痛みが引き、右足の状態が健全化する。
「おい、マジかよ……! なんだ、こんな便利な魔法があるなら出し惜しみなんかしないでもっと早く使ってくれよ! よっしゃ、よっしゃ、動ける! 動け……」
痛みの消えた足を上げ、スバルは力強く何度も床を踏みしめる。その場でステップを踏み、傷を掌でバシッと叩いた。と、掌にべったりと濡れた感触、真っ赤だ。
右足の傷が破れ、結構な勢いで出血していた。
「おいおいおいおい、治ったんじゃねぇの!?」
「治したなんて言ってないでしょ。足が取れても後悔しないかって聞いたじゃない。ただ痛覚を取っ払ってあげただけ。無茶すれば、走り回るぐらいはできるはずだよ」
足の出血に動転するスバルに、フェリスが新しく包帯を巻き直してくれる。痛覚が取っ払われたとの説明通り、足に痛みはない。
ただ、これがかなり不自然な、無理を利かせた状態なのは間違いない。
「これ、絶対にあとで足に悪影響出るから。せいぜい、足の負担に注意すること!」
「……わかった。助かるよ。恩に着る」
「……絶対、スバルきゅんってフェリちゃんの話聞いてないよネ」
右足の調子を確かめて頷くスバルに、フェリスが頬を膨らませて顔を逸らした。
そんなことはないと言ってやりたかったが、実際、どうするかはそのときにならないとわからない。できない約束は交わさない、それがスバルが経験から学んだことだ。
「ってわけで、俺も都市庁舎攻略メンバーに加わるぜ。言っとくが、止めても無駄だぞ。確かに大した力にはならねぇかもだが、俺にもできることが……」
「止めるって、なんで止めんねや。兄ちゃんがおったら百人力や。頼りにしとるぞ」
「できることが……って、あれ?」
突っぱねられ、それを説得する覚悟だったスバルだが、リカードは躊躇いなくその提案を受け入れた。その反応に驚くスバルに、彼はその大口を開け、
「白鯨のときも『怠惰』のときも、兄ちゃんが気張っとったんをワイも見とる。兄ちゃんを評価しとるんは、クルシュさんやユリウスだけやないぞ」
「────」
リカードからの思わぬ評価に、スバルは何度か口を開閉する。そのまま、視線を周囲に彷徨わせると、ユリウスが肩をすくめていた。彼にも反対意見はないらしい。
それだけでなく、クルシュも薄く笑みを見せ、
「私も卿に期待している。卿は誰より弱いかもしれないが、誰よりも勝利を手繰り寄せる力があると」
「そ、そうか。なんか、変な気分だな……」
真っ当に戦力に数えられるなど、慣れない扱いにスバルの方が戸惑ってしまう。
だからつい、反対してくれそうな人物へと視線が向いた。
「アタシが言うべきことは言った。その上で兄ちゃんが、アタシの意見も、フェリスの指示も超えてやらなきゃいけねーってんなら、止めたりしねーよ」
「……そうか」
腕を組んで、ふんぞり返るフェルト。
彼女は、初対面のあの日から大きく変わった。立ち居振る舞いや思考、王選候補としての在り方まで、この一年で積み重ねてきたのだろう。
けれど、どこまでいっても、その根底にあるフェルト本来の気質は変わらない。彼女は彼女のまま、強くなったのだ。
「ったく、ここでそんな無茶すんのかよ……」
そんな一連のやり取りに、ぼやくようにこぼしたアルへとスバルは振り返る。
「お前の言い分もわかるけど、俺はこれが最善だと信じる。悪いけどな」
「悪ぃことなんてねぇよ。兄弟は兄弟の好きにしたらいい。オレもそうする」
アルはそう言うと、この緊迫した状況にありながら何気なく肩をすくめて、
「お互い次がありゃ、無事で会おうぜ、兄弟」
そう、気安い調子で言い放ったのだった。
どうでしたでしょうか、
長くて情報量が多い、都市庁舎奪還前の対策会議。それぞれの選択を描いたお話でした。
ラインハルトがいるから勝ち確、そうはならないように。
ラインハルトがいたから十人会が救えたけれど、それがまた新たな枷になっている。正しいことをしたからこその縛りを、上手いこと表現できていたらなぁと思っています。
原作でアルが十人会を殺して回った(らしい)ことも、情報リスクという意味では大正解なんですよね。
また、アリーゼがいたことで、フェルトも王選候補として大きく成長しています。
数の理論では12話の『責務』が、ガーフィールの鼓舞には17話の『英雄』が。
それぞれアリーゼの発言を、フェルトが無意識にオマージュしてます。
良ければ読み返していただけると嬉しいです。
それでは今回は以上です。
コメントいただけるとすごくやる気が出ます。
ではまた次回。