スバルは、アナスタシアとフェルトから、ミューズ商会が受けた襲撃について聞き、続けて『人工精霊』『叡智の書』『銀髪の乙女との結婚式』という三つの追加要求への認識も擦り合わせた。
「話した通り、魔女教の要求は一個も聞けん。何より、ウチには責任がある」
「────」
「ナツキくんもフェルトさんも、エミリアさんとクルシュさんのことも。ウチがプリステラに招待したんや。お客人や。それをこんな風に傷付けられて……面目潰されて、黙ってるやなんて絶対でけん」
浅葱色の瞳が戦意を宿し、同じ覚悟を問い質すようにスバルを見据える。
「身を切る、そんな決断が必要になる。ナツキくんも、覚悟決めたってな」
「身を、切る……」
「みんな、負けてちっちゃなってる。せやけど、誰がこの盤面に納得するん? ウチは嫌や、全力で足掻く。負けの言い訳作りは、あの世でやったらええわ」
穏やかで、柔和な顔立ちに獰猛な鬼気を纏って、アナスタシアが頷く。その隣ではフェルトが腕を組んだまま、その表情に怒気を映している。
「生きてる限り、今と次がある。人生は投げさせん。自分が可哀想や」
小柄な少女たちの体から迸る鬼気は、彼女らが戦場に身を置く存在でないことを忘れさせるほどの力を持っている。──否、そうではない。ここが今、彼女たちの戦場なのだ。
「『色欲』本人やったら、クルシュさんや姿変えさせられた人たちを戻せる可能性は十分にある。ナツキくんも、大事なお姫様をいつまでも横恋慕の間男に預けておくつもりはないんやろ?」
「──ったりめぇだ。ああ、そうだよ。奴らが俺たちに四つの条件を取り付けようってんなら、こっちからもお返しに叩き付けてやろうじゃねぇか」
一方的に、言われるがままに、そんな状況には飽き飽きだ。
「エミリアを変態から救い出す。『暴食』をぶっ倒してレムの記憶を吐き出させる。街中の人を不安がらせるシリウスを叩きのめして、カペラは土下座させて変身させた人全員元通りに戻させる! それで都市を取り返して、ハッピーエンドだ!」
威勢よく言い放ち、スバルはぐっと拳を突き出す。
「よく言ったぜ、兄ちゃん」
「ん、ウチもその話に乗った」
フェルトが拳を合わせ、アナスタシアはその繋ぎ目に掌を柔らかく乗せた。それぞれ二人らしい対応、互いの意思は確かに通じたはずだ。
まだ戦える。抗える。そのアナスタシアの考えには、スバルも強く賛同できる。
だから──、
「街を救おう、アナスタシアさん。他でもない、俺たちの手で」
瞼を閉じて思い描く。
エミリアを、レムを、助けたい全ての人たちを、この瞼の裏側に焼き付ける。
──都市を、大切な人たちを、救うための戦いを続けるために。
◆
スバルとアナスタシアは、フェルトと別れ、都市庁舎最上階を訪れた。カペラとの戦いや黒竜の攻撃により、あちこちが荒れ、黒く焼け焦げていた。
にも拘らず、都市中へ声を届ける放送用の『ミーティア』は、奇跡的に被害を免れていた。スバルがそれの無事を確認していたところに、ユリウスがやってきた。
都市の避難所の様子を報告するユリウスと、彼の覚悟のなさ──現実から目を背ける姿勢を窘めるアナスタシア。
目の前の二人を蚊帳の外から眺めたことで、スバルはようやく気付いた。
「犠牲は出てる。これからも、出る。ここにカチコむ前にフェルトさんも言うてたやろ、今の都市は数で考えるしかない状況にあるって……大きく救うて決めた以上、小さく削れてくんは避けられん。だからせめて、目をつむったらあかんよ」
アナスタシアの忠告に、ユリウスの黄色の双眸に迷いが生じる。否、それは生じたわけではない。ずっと、儚く、頼りなく、揺蕩っていたものだ。
──『憤怒』の権能の効果は、確かにこの都市庁舎にも影響していたのだと。
悲嘆に暮れるフェリスが。
義憤と苛立ちが牙にこもるリカードが。
不安の衝動に駆られて街を巡るガーフィールが。
託された責任に応えるべく気を吐くアナスタシアが。
そして迷いをほどけぬユリウスが。
全員がその心を、感情を、権能に影響されて強く外へと表してしまっている。そしてそれは、きっとスバル自身にも。
その事実に、スバルはようやく思い至った。
「少なくとも、今やったらナツキくんの方がちゃんと立ててる。犠牲を受け止めて、この先の覚悟もある。ユリウスは、どうなん?」
「────」
そんなスバルの前で、ユリウスとアナスタシアの主従は見つめ合う。
アナスタシアの言葉は正論だ。現実に正面から立ち向かい、起きるであろうことから目を背けるなと、犠牲を前提とした戦いに挑む覚悟を求めている。
その言葉を受けたユリウスも、己の中の葛藤に終止符を打たんとするのがわかった。整った横顔に苦悩を浮かべ、目を閉じていた彼もまた、今の一言に覚悟を決めようとしていた。
多くの犠牲の果てに、それでも勝利を掴む道を主と歩もうと。
抱え切れない量のリンガを持てば、その手からこぼれ落ちていくのは避けられない。ついには袋が破け、全てのリンガが転がり落ちる。
それを避けるために、リンガを選ぶ。──子どもでもできる計算だ。
だが──、
「──一つ、考え違いしてるぜ、アナスタシアさん」
口を挟んだスバルに二人の視線が向けられる。二者、孕んだ感情に違いはあれど、互いに理知的な眼差しを受け、スバルは続けた。
「この都市を救うって誓いは、さっきアナスタシアさんと交わした通りだ。けどそれは、大きく救うために、小さい犠牲に目をつむるって意味じゃねぇ」
「……大目標は決めた。それがさっきの話し合いやったと思ったんやけど」
スバルの言葉を聞いて、アナスタシアが目を細める。
「ナツキくんまで、聞き分けのないこと言うん? それやったら、最初のお城でやったことと変わらんやん。曲がりなりにも、騎士になったはずやない」
「そうだ。俺も一端の騎士。で、騎士だから譲れねぇ。譲っちゃいけねぇよ。ここでそれを譲っちまったら、騎士の看板が傷だらけになっちまわぁ」
言いながら立ち位置を変え、スバルはユリウスの隣に立った。そして、凝然と目を見張るユリウスに肩をすくめ、胸を張る。
リンガを多く抱えれば、いつか持ち切れなくなるのは当然の話だ。
だが、スバルが騎士として、ユリウスも騎士として、その両手で抱え込んでいるのはリンガではない。もっと尊い、かけがえのないものだ。
落として諦めのつく、物言わぬリンガではない。泣きもすれば怒りもする、人命だ。
家族がいて、友人がいて、愛する人がいる。──人命なのだ。
「一個も手放す気はねぇよ。覚悟って言えばカッコいい。でも、それは諦めだ。そんなんじゃカッコ悪ぃよ」
「──っ、また馬鹿なこと言い出して……。白鯨のときも、それこそ『強欲』と『暴食』のときも犠牲は出た。そのとき、ナツキくんは往生際の悪いこと言わんかったやろ」
「──馬鹿にするなよ、アナスタシアさん」
白鯨討伐を、『強欲』と『暴食』の撃退を。過去の戦いを引き合いに出したアナスタシアにスバルは視線を鋭くする。
その指摘は、意見は、さすがに聞き逃せない。それは、お門違いだ。
あの時のスバルは、大切な女の子を──レムを失って、泣き喚いた、当たり散らした。
けれど、立ち直った。少なくとも、立ち上がった。
それと一緒だなんて、言わせない。
「あのとき、戦って犠牲になった人たちには覚悟があったさ。死んだ人がいるのは悲しいし、死んだ人たちも死にたいと思ってたわけじゃねぇけど、覚悟はあった。覚悟の有る無しは、全然違う。──この都市の人たちに、その覚悟を問われる義務はないはずだ」
都合のいい意見なのはわかっているし、筋が通っていないかもしれない。
覚悟を否定した直後に、また別の覚悟を肯定するスバルの意見を、ダブルスタンダードだと批難することもできるだろう。
しかし、事実としてそれはあるのだ。生死を懸ける場面と、それに伴う覚悟が。
「ここを戦場にしたのは奴らの勝手だ。その勝手に振り回されて、それで覚悟だなんだって普通の人たちに問うのは間違ってる」
「嫌がっても、その勝手は覚悟してない人らを傷付ける。そうなったら、その人らも覚悟を決めなあかん。そうやないの?」
「違うよ。覚悟完了してる奴らは、同じ覚悟完了してる奴らが迎え撃つべきなんだ。それを常日頃意識して、覚悟完了してるのが騎士ってもんだと俺は思う。俺は騎士ってやつにそう期待するし、村のガキ共にもそうカッコつけちまった」
騎士叙勲を受けて、ちょっとあちこちでちやほやされて、イメージでしかなかった騎士に実際なってみて、スバルは自然とその在り方を定めた。
それを誓ったスバルに、子どもたちがキラキラした目を向けてくれていたから、できるだけスバルはその誓いに恥じないようにあろうと思う。
──傍でそれを聞いていたエミリアも、やっぱり目をキラキラさせていたから。
「俺はエミリアの騎士だ。エミリアのために戦いたい。けど、それだけじゃ満足できねぇんだ。騎士って生き物がカッコつけで、欲張りだから」
「────」
「だから、結果的に拾えなかったとしても、最初から捨てる選択肢は選ばねえ。自己満足なことは百も承知だけど、それが俺なりの騎士の在り方──騎士としての誇りだ」
──筋を通せ、揃えるモンを揃えろ
──貴族や騎士、国のお偉方を動かすには、それなりの綺麗事やら口実が要る
白鯨討伐前のアリーゼとの交渉の場で、フェルトに言われたこと。
綺麗事や口実、言ってしまえば見栄だ。それを馬鹿にする者もいるだろう。実際、以前のスバルなら鼻で笑っていた。
だが、それと同じぐらい、見栄を眩しく思うものがいる。
──誰よりも今のナツキ・スバルが、そうやってカッコつけたいのだから
押し黙るアナスタシアの隣で、黙って話を聞いていたユリウスが息を呑み、目を見張る。
呆気に取られる二人が小気味よくて、スバルは場違いな悪い笑みに頬を歪めた。
「──その自己満足を、他人に伝染させるってんだから
「────」
甘い理想論を語るスバルに、その第三者の声が厳しく突き刺さった。
息を詰め、振り返る。届いたのは、微かにくぐもった聞き覚えのある声だ。
声が孕むのはどこか皮肉げで、斜に構えた厭世的な達観──それは、振り返るスバルたちの視線を受け、漆黒の兜を揺すって喉を鳴らした男のものだった。
「そんな熱い眼差し向けられても、手土産の一つも持ってねぇよ。オレの笑顔で我慢してくれや。まぁ、こんなナリじゃ見えねぇんだけど」
「──アル」
おちゃらけた言動で肩をすくめ、部屋の入口に姿を見せた鉄兜の男──アルだ。彼はゆっくりと、床を踏みしめてこちらへやってくる。
そのアルの登場と発言に、直前の感情を引きずるアナスタシアが硬い声で、
「ずいぶんと、早いお戻りやったんやね?」
「厳密にゃ違う場所だが、出戻りでバツが悪い気分ってのはオレもおんなじだよ。新鮮味に欠ける顔で悪ぃが、オレだって好きで戻ったわけじゃねぇ」
明らかに険のあるアナスタシアに、アルの方も飄々としていながら軽さがない。
どことなく張り詰める空気、そこにスバルは「おい」と割って入り、
「色々言いたいことはあるけど、無事だったんだな。流されてねぇか心配してたんだ」
「……たまたま、水が流れてきたときは高いとこにいたんで助かったんだよ。で、たまたまついでであれだが、兄弟に伝言だ。つまり、オレはメッセンジャー」
隻腕の肩をすくめ、軽々とした口調で言い放つアルにスバルは眉を顰めた。
この都市の状況下で、メッセンジャーなどと言われても、すぐにピンとはこない。
「メッセンジャー? 伝言って、こんなときに誰から……」
「──兄弟の、大事な大事なお姫様のだよ」
「──っ!? エミリアの!?」
稲妻を浴びたような衝撃、思いもよらないアルの発言に目を剥いて、スバルは本当なのかと彼を見つめる。兜の奥、アルの瞳も真意も見通せないが、彼は頷いた。
「さすがのオレも、そこまで悪趣味な嘘やジョークは言わねぇよ。正真正銘、兄弟のとこのお嬢ちゃんからの伝言さ。──マジで、敵中で無茶するもんだぜ、おっかねぇ」
やれやれと、アルが隻腕の肩をすくめ、そんな風に息をこぼした。
普段の軽薄さとも、この状況下におけるひりついた皮肉とも違う、純粋な嘆息──それに続けて、彼はスバルへ目を向け、言った。
「結婚前の花嫁は、さらってくれる白馬の王子様を待ってるとよ。──妬けるね、兄弟」
◇◇◇
アルのつまらないジョークにツッコんだり、続いてきたガーフィールが彼への嫌悪を隠しもしなかったりと多少の問題はあれど。
「一番街の制御塔に『色欲』がいて、三番街には『強欲』がいる、か……」
アルが持ち帰ってきた情報は、この上なく重要なものだった。
「それで、お嬢ちゃんのメッセージを伝えたとこでオレの役目は終了なんだが……ここは何の集まりで、後ろのでっけぇ『ミーティア』は何に使うんだ?」
「集まりは当然、魔女教から都市を取り戻し隊本部。後ろの『ミーティア』は……状況を変える、切り札だ」
「へぇ」
問いかけに顔を上げ、ある種の確信を持ったスバルの言葉にアルが笑う。だが、そのアルの代わりに、傍らのガーフィールが仰天した顔をした。
彼はわなわなと鋭い牙を震わせてスバルを見つめると、
「状況を変えるって、なんか思いついたのかよ、大将」
「ああ、ちょっとした方法をな。──アナスタシアさん、この『ミーティア』の使い方ってわかるか? わからなきゃ、わかる人がいてくれると助かる」
「……このぐらいやったら、ウチでも動かすんは難しないよ」
ガーフィールに答えたスバルの視線に、『ミーティア』を眺めたアナスタシアが応じる。その答えに「よし」と頷いて、スバルはぐるりと周りを見回した。
室内にいるのはガーフィールとアル、それにユリウスとアナスタシアの四人──相談役として、十分に資格のある面々だ。
「知っての通り、今、街の避難所は『憤怒』の権能の影響で爆発寸前の火薬庫だ。燻ってる間はいいけど、いつ火が付くのかわかったもんじゃねぇ。だろ?」
「おォ、間違いねェよ。大将捜して、俺様もあちッこちの避難所を見回ったが……」
短時間で、いったい何を目にしてきたのか、ガーフィールの顔色は暗く、表情は曇っている。身内以外の気掛かりがあるのか、落ち着かない様子が痛々しい。
それを横目に、スバルはこの場は話の方を優先する。スバルの思惑通りになれば、ガーフィールの抱える気掛かりも、同時に解消できるかもしれないのだ。
「魔女教の放送と、今の都市の状況……好転の兆しがないのに隠れてるだけやなんて、不安がずんずん増して当然や。それが、人と一緒にいると膨れ上がる。避難所の仕組みが悪く働いて……ううん、避難所がなくても、人は寄り添うもんやから」
「だからこそ、『憤怒』の力は悪質だ。孤独を深め、心をすり減らし、命さえ脅かす。到底、許せるものではない」
アナスタシアの言葉を引き取り、ユリウスが声に静かな怒りを宿して言い放つ。
その様子をちらと眺めたアナスタシアが、狐の襟巻きを撫でながらスバルを見つめた。
「──ナツキくんが何したいんか、ウチにも大体わかったわ」
「まぁ、だよね。この部屋で、『ミーティア』の無事まで確かめたらわかるわな」
頭を掻きながら、スバルはアナスタシアの浅葱色の瞳に苦笑した。
その二人のやり取りを見て、ユリウスとアルの二人も得心がいったような様子で、部屋の奥に鎮座する『ミーティア』へと目を向ける。
ただ一人、まだスバルの意図がわからないガーフィールだけが首を傾げ、
「なんだ……? 大将、いったい何しでかすッつもりなんだよ?」
「つまり、兄弟はこう考えてんのさ。この、『憤怒』の権能を逆手に取ってやろうってな」
「逆手にって、そいッつァどういう……」
「──シリウスの、『憤怒』の権能が街の人たちの不安な気持ちを増長させてる。その切っ掛けは、『色欲』の性格悪い放送だ。だったら」
「魔女教が不安を煽ったように、我々で人々の希望を蘇らせればいい」
その、ユリウスの言葉にスバルは力強く頷いた。
シリウスの権能は感情の共有・増幅──そう、あくまで共有と増幅でしかない。元々ある感情を増減こそさせても、ないものを植え付ける力ではないはずだ。
だとしたら、一度でいい。不安が蔓延する都市を、希望で塗り潰すことができれば。
「その希望が広がって、同じように街中を覆い尽くすはずなんだ」
「──ッ! そ、そォいうことかよォ! 確ッかに、それなら殺し合いにならねェ! 俯いた連中も、へッこんだままでいなくてよくなる……ッ!」
スバルの結論に目を輝かせ、ガーフィールが胸の前で拳を突き合わせた。大気が豪快に弾ける音がして、ガーフィールが「やろォぜ!」と大口を開ける。
「『ミーティア』ならここにあんだ。時間がもったいねェ。今すぐにでも……」
「待った。そんな簡単なお話やないの。ウチかて、考えんかったわけやないんやから」
「あァ? なんでッ止めんだよ。てめェも今の街がどんな状況か知ってッだろォが」
「知っとるし、ガーフィールくんに負けんくらいウチも考えてる。せやから、簡単には決断できへんの。……放送を聞いた魔女教が、どう動くと思うん?」
アナスタシアの慎重な質問に、ガーフィールが「う」と喉を詰まらせる。
「都市庁舎を攻撃した報復に、魔女教は見せしめみたいに水門を開けた。それとおんなじことが起こったら、今度は門を閉じたりせんかもしれんよ」
「俺も、それが怖い。……ただ、その話にも一個、疑問点があるんだよ」
不安点の指摘に同調しつつ、そこでスバルはユリウスを見た。その視線を受け、ユリウスは「なんだい?」と目を細める。
「聞かせてくれ。疑問点とは?」
「……俺は意識がなかったから曖昧なんだが、カペラのところから俺とクルシュさんを連れ出したのが、姿を変えられた黒竜の人だった。で、その直後ぐらいに水門から水が流れてきて戦いは中断、俺が水に落ちて流された、で合ってるか?」
「そのはずだ。一連の流れは私の記憶と一致している。それが?」
「順序がおかしくねぇか? それと、開いた水門はどの水門だった?」
「どの水門って、確かあれは一番街の……ぁ」
記憶を掘り返し、疑問に答えようとしたアナスタシアが目を丸くした。それに遅れ、ユリウスも「そうか」と小さく声を漏らし、
「開いたのは一番街の水門だった。エミリア様の話が正しければ……」
「そのとき、『色欲』は塔に不在だったはずだろ? それに水門のタイミングだっておかしい。なんだって、俺たちが逃げる手助けみたいに水が流れて、門はすぐに閉じたんだ? 魔女教の奴らがやることは確かに支離滅裂だが……ルールはあるはずだ」
魔女教のやることだから、で思考停止するのは愚かなことだ。
大罪司教は確かに全員、常識の埒外で行動する異次元の思考の持ち主ではある。だが、それでも奴らは奴らなりに、自分の筋が通った行動をしているはずだ。
そうした非常識に照らし合わせてみても、水門開放という出来事は腑に落ちない。──あれにはまるで、魔女教とは異なる意思が働いていたように思えて。
もちろん、これが全く的外れな考えの可能性もあるが──、
「奴らは、『ミーティア』を壊さずに放置していった。俺たちがいなくなって、奴らもここを引き払う前に追加の放送までして、壊す時間は十分にあったのに」
「つまり、ウチらが『ミーティア』を使うことは織り込み済みやって言うん? そんなことして、奴さんらに何の得が……」
「──理由なんかねぇのさ」
アナスタシアの、無理解に震える声をアルが遮った。彼は低い声で、思わず言ってしまったといった様子で舌打ちし、スバルたちの視線にゆるゆると首を振って、
「連中は、こっちのやることなんて何とも思っちゃいねぇよ。負けたことがねぇし、負けるなんて考えたこともねぇんだ。竜が、足下の蟻の作戦なんか気にしねぇだろ?」
吐き捨てるようなアルの言葉は、やけに確信があるようにスバルには聞こえた。
「────」
余計なことを口にしたとばかりに、アルがスバルたちから視線を外した。
らしくない、とスバルは思った。いつも飄々としている彼らしくない。これも『憤怒』の権能の影響なのか、だとしたらそれは怒りと悲しみと、何を増幅された結果なのか。
そう、スバルが考えたところへ──、
「──放送案、乗ってもええよ」
「アナスタシアさん……」
アナスタシアが反対意見を改めた。
この作戦の障害となっていたのは、魔女教の出方がわからないこと一点であった。その障害がクリアされたと言えるなら、あとの関門は一つだけ。
「誰が、なんて言って都市の人らを奮い立たせるか、や」
「誰がなんて言うって……」
アナスタシアの言葉に眉を顰め、スバルは『ミーティア』に視線を向ける。
この都市庁舎からの放送で、街中にいる人々の希望を奮い立たせ、その心に巣食った不安を追い払う。そのために最も相応しいのは──、
「そりゃ、ラインハルト以外いねぇだろ。『剣聖』で、王国最強で。あいつの口から戦おうって意思表明すれば……」
「せやね。『剣聖』の……世界最強の言葉なら、きっとみんな立ち上がれる」
アナスタシアが、スバルの言葉を上方に修正して肯定する。だが、その声音はお世辞にも賛同しているようには聞こえなかった。
「……何がダメなんだ?」
「その放送案、フェルトさんが受け入れるとは限らんってこと」
「どういうことだ? 断る理由なんてどこにも……」
不安に支配された人たちの心が、一気に突き動かされて沸き立つ。今のプリステラにはそんな希望が必要で。『剣聖』ならそれが可能である。
ならばそれを選ばない理由などどこにもない。スバルはそう困惑する。
「ウチとフェルトさんは、戦えん。ただ待って、吉報を待つしかできん」
対するアナスタシアは、白く小さな拳を握り締めながら、それでも落ち着いた口調で、諭すように告げる。
「せやからその分、頭を回しとる。ウチの『鉄の牙』やキリタカさんの『白竜の鱗』からの報告を聞いて、都市中の避難所の様子を知っとる。今この最悪の状況を、どうやったらマシにできるか、打破できるか。魔女教を追っ払った後どうやって復興するか。ずーっと考えとる……そんなフェルトさんが、ウチとナツキくんの両方が考えられた放送案を思い付かなかったなんてあり得へん」
「それは……思い付いても、さっきのアナスタシアさんみたいにリスクを考えただけなんじゃ」
「そんならウチに相談しとると思うよ。『色欲』最初の放送んときだって、いの一番に『剣聖』を貸してきた人やもん」
自身の都合のいいように解釈したスバルを非難するように、アナスタシアは『剣聖』が魔女教よりも早く十人会を保護した事実を挙げた。
「彼女はきっと、この都市で一番『剣聖』のチカラを理解しとる。世界最強、規格外の騎士。その価値を誰よりも考えとる。そのフェルトさんが言ってこないんやから、それなりの理由があると思ったほうがええ」
はっきりと、浅はかさを直視させるアナスタシアの言葉が、スバルの心を突き刺した。
さらに彼女は、より強い力を頬に込めてスバルを睨む。
「『ミーティア』の放送案にはウチも反対せん。けどそれに『剣聖』を使うんなら、フェルトさんの説得はナツキくんが──身を切る判断を嫌やって否定したナツキくん自身が、やらんとあかんよ」
そう言って、騎士の誇りを語った少年に、負うべき責任を突き付けた。
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